第2話 俺は目的を失ってしまった


 魔神石とやらが、ここは別の世界だと言ったらしい。 それが、意味する部分を調べるにも、ここに留まっていてもどうしようも無い。

 俺は、元魔王の少女とその部下らしい蜥蜴を連れて街に戻ることにした。

 とはいえ、裸のままではまずいので、装備類があるだろう魔王城内の武器庫へと案内してもらった。 先に魔王の部屋へ向かおうとしたが、そこへの通路は壊れていた。大事な物もあったのかもしれないが、教えてはもらえなかった。


 武器庫に保管されていた装備類は当然魔族用で人間の物より二回りほど大きい。だが俺には問題無い、今は魔族の体だ。

 しかし、人間どころか少女サイズの装備などあるはずも無く、魔王、いや元魔王には重い装備類も厳しい。

 とりあえずローブっぽいものを短くし、ベルトで括って押さえてみた。だぼだぼ感は仕方がないから、これでいこう。


「よし。 で、また一つ教えてくれ。 魔王の力で人間に化ける事ってできるか?」

 俺は、元魔王に遠慮なく聞く、そう遠慮してもしょうがないのだ。

 さっきの蜥蜴の言葉、誤解されるという一言から、人の姿には化けられるとは想定できた。


「造作も無い。 想像すればよい」

 元魔王は、めんどくさそうではあるが答えてくれた。


「やっぱりそうか」

 やってみた。しまった、人間サイズに体が縮んだ。俺も、だぼだぼ装備になった。


 体のサイズは、姿としてのイメージが本来の自分になってしまったためだが、元よりそのつもりだから結果的には問題無い。それに、心配した髪もあるじゃないか。

 人間の頃と明らかに違うのは、筋肉が異常だ。魔法使いの俺は、体をこんなに鍛えてはいなかった。

 そして、かなり間抜けだが、なるべくサイズの近いものを探しなおした。

「これで、いいや」


 その後、使えそうな物を鞄に詰めてから、食料の貯蔵庫にも行ってみた。 だが、残念ながらそこには何も無かった。

 そういえば、魔族って何を食うのだろう。人肉以外無理とかだと、俺はここで終了だ。


「おい、魔族って何を食べるの?」


「食べ物だ」

 元魔王様は、やさしく答えてくれた。 鉄を食うかと聞いた訳でも無いのだが。


「ありがとう」

 まぁ、今まで通りに食えばいいや。


 今、元魔王は人間であり、それを前にして食いたいとか微塵も思えないからたぶん大丈夫だ……たぶん。 いや、も、もしかして、血の滴る生肉とか好きなのかも?

 そこについては、恐る恐る遠回しに訪ねてみた。

「肉は焼いた方がうまいよね?」

 これは、人間でも肉の種類や好みの問題でもあるが……。


「そうだな」

 訝し気な表情で答えてくれた。元魔王にすれば、そんな質問するなよ、といったところか。

 だが、十分な答えだ。肉は焼こうと決めた。


 そして、さっきの武器庫どころか途中の通路、そしてこの食糧貯蔵庫、どこもかしこも長期間放置されていた様に埃がたまっていた。元魔王と蜥蜴も訳が分からない様子だった。


 これ以上、ここに居ても意味が無いだろう。逸る気持ちもある。でも、その前に。

「ところで、お前の名前を教えてくれないか? 俺はビス・マルクケット、ビスでいい」


「我はイオル」

 あっさり教えてくれた。


「可愛い響きの名前だな、世間向けにも魔王とか言わずに名前を使ってればよかっただろうに」


 イオルは、少し照れた娘がする様に、

「ふん」

 と、小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 だが、あらためて彼女の顔を見ていて思った。

 俺に似て無いか? 青い瞳は同じだ。顔の造形も近いような気がする。そこに、銀色の髪。 元々、俺は、童顔だと言われていたが、女顔に組み合わせるとこうなると言う事だろうか。

 そんな事を考えながら見つめていると、せっかくの美貌で片目が開かないのが申し訳なく思え、俺は、自分が見える様になったことに罪悪感を感じた。 そして、いつか治してやりたい、いや、片目の代わりをしてやりたい……ふと、この少女との未来を想像していた事に驚いた。


 そして、言い訳をするかの様に設定を決めた。

「そうだ、兄妹ということにしよう。 髪とか瞳の色とか同じだからこじつけ易い」


「なぜ、妻と言わない。 まぁ、人間の決め事など詳しくは知らぬゆえ、貴様の好きにしてかまわんがな」


 そう言いながらも、顔が少し不満そうに見えたのは気のせいか……。

 というか、いきなり妻は俺が恥ずかしい……それに認めた覚えも無い。

 でも、嘘を言ってるとも思え無い、責任をとるべきか……いやいや、やっぱり様子見で……。そして、『ごめん』と心の中で謝ってから話を変えた。


「あ、そういえば、手は大丈夫か? 俺を殴ってる時、赤くなってたろ」


「魔神石が治してくれた」

 そんなのあたりまえだろと答えてくれた。

 最強だな魔神石。


 準備を済ませ、とにかく街へ向かう。仲間の安否を確認するためだ。

 魔王を巻き添えにした自爆攻撃を後悔しているわけでは無い。死ぬ覚悟だった、それなのに生きている。最高の結果では無いか。後悔などあろうはずがない。

 だからこそ、自分のやった事が正しかったという答えを見たい……そう心に言い訳をする。

 なぜなら、今の俺の本心は、明らかに変わった世界に、信じられないくらい熱くなるものを感じていたのだから。


 世界が変わった。そう文字通り違う世界に来たらしい。


 立体的に見える世界……両目が見える様になったからだろう。


 たぶん男になった……全く記憶には無いが。


 女ができたからか?……理屈がよくわからないが、この浮つく感情は悪くない。


 そして、自分とは思えないその力に驚愕している。 湧き上がる力は上限が感じられない。 剣士や格闘家に対しても負ける気がしない。

 その力も、人間への変身で体が縮んだ分だけ能力は落ちているときた。倒すべき魔王の無き今、この状態の力さえ十分すぎる。いや、力の話をするなら、俺が魔王になるのだろうか。

 何ができるのだろう、何をしよう。 魔王討伐という大業に決着を付け、力を向けられる、次の進む方向を早く決めたかった。


 そう世界が変わったのだ、俺は魔王の力を持った人間として、どんな生き方ができるだろう……心が熱くなる。




 魔王城から最も近い街までは、距離だけであれば徒歩で五日ほどだ。

 その近い街が、魔王城討伐軍が集結した場所であり向かう目的地だ。

 今は、既に魔王城を出てから一日ほどが過ぎ、森の中にある小さな池の近くで休憩をとっている。


 だが、休憩すべきイオルは、今、周りを走り回っている。

 動物、鳥、虫、魚、草、木、花など、どれを見ても、怯えつつ見たり触れたりして、一喜一憂している。

 そう、喜び、時折笑顔を見せているのだ。見た目の歳相応の笑顔を。


 偶然、蝶が目の前を通り過ぎたのがきっかけで、少し追いかけてるうちに、今の状態になった。

 これまで本物を見たことが無かったらしい、彼女は魔王城から出たことが無かったと言ったのだ。あの薄暗いところから。生まれてからずっと。


 その彼女の姿を眺めて思う。全く人間じゃないか、まだほんの少しの時間一緒に居ただけだが、俺はもう、彼女が元魔王とは思えなくなっていた。あの死闘も、夢だったかの様に思えるくらいに。

 だから思ってしまうのだろうか、魔王のいないこの世界で、この少女にいろいろなものを見せてあげる旅もいいかもしれないと……俺は、また、この少女との未来を想像していた。


 そんな事を考えていて、俺はいつのまにか眠ってしまった。

 目を覚ますと、辺りは少し暗くなりつつあった。

 そして、横で寝ているイオルに気付いた。疲れるまで遊んでいたのかな。

 まぁ、急ぎたいけど、本来急ぐ必要は無い道のりだ。 だから、今日は、このままここで野宿としよう。


「おい、蜥蜴……おい、ガーネット」

 鞄に向かって聞くが、返事は無い。 たぶん、寝てもいないだろうが、俺の問いかけに答えた事は、まだ一度も無いのだ。 魔王城を出てから、蜥蜴はずっと俺の鞄に収まっている。拗ねて居るのはよくわかるのでそっとしている。

「ちょっと、食料とか探してくるから、見張りお願い」

 そう言い残して、森の中へ入る。


 たいして時間は掛からず、戻ってみると、イオルは寝ていた場所には居なかった。

 池の方から、水音が聞こえる。 水浴びでもしているのだろう。

 俺は、拾ってきた枝を使って火を起こし、捕って来た獲物を適当にさばくと、枝に通して焚き火の横に刺す。街に着くまでは、こんな感じの食事になるだろう。

 良い具合に焼けて来たところで、少し大きめの声でイオルを呼ぶ。

「めしができたから、戻っておいで」

 なんとなく、子供扱いになってきた気がしないでもない。


 直ぐに、木々の間を抜けてイオルが戻ってきた。

 なぜか、裸のままで、衣服は手に持っている。


「おい、服くらい着ろよ」


「体が濡れたままだ」


「ええと、俺が間違った?」

 視線はそらしながら、体を拭けそうな布を渡す。


「すまぬ」

 イオルは、受け取った布で体を拭くと、俺に戻し。


「髪を拭け」

 そう、命令した。


「なんで俺が」

 俺はぼやきつつも、イオルの後ろに立ち、返された布で髪を拭いてやる。


 視線が、うなじやら肩越しに見える胸の先にちらちらと行ってしまうのは仕方の無いことだ。

 そして、体の拭き方も、言うほどちゃんと出来ていないことに気付いた。 魔王という立場から、付き人が全てやってくれている姿が思い浮かぶ。

「終わったよ。 もっかいちゃんと体を拭いてから、さっさと服を着なさい」

 また、布を渡す。


 その後、夕食を終え、早めに休むことにした。




 翌朝、目が覚めると、柔らかな感触が右横に張り付いていた。

 髪も拭きざらしだったし、寒かったのかなと思いつつ眺めていると、


 「母様……」

 と、俺に張り付いたままイオルは小さく寝言を言った。

 寝ぼけてくっついて来たのだろうか、いや、寂しいのかもしれない。

 思いもよらずに日常が終わり、最強の力を失い、知らない世界に放り出され、知人もいない、ましてやそれを起こした男に辱められ……か、心細いだろうな。


 得た力に浮かれていた俺は、代わりに全てを無くした少女に気付き、またしても、言い表せないほどの罪悪感をおぼえた。

 今の状態では、人間の為にしたことだなんて言い訳でしかなかった。


 俺は支度を済ますと、イオルを背中に担いで歩き始めた。どちらかと言うと、この方が進むのが速いのもある。だが、どうしようも無く何かしたかった。

 最初は、起こさない様に注意しながら歩いたが、一向に起きないので、今は走っている。


「昨日の夜、空を見ていた……」

 ふいにイオルが話を始めた。


「あ、起こしちまったか。 おはよう。 それで?」


「窓から見えていた星空とは全く違った」


「綺麗だったか?」


「ああ、ずっと見ていた」


 そういうことね。起きないはずだ。


「昨日、いろいろなものを、見たり、触れたりした」 


「楽しかったか?」


「ああ、楽しかった……のだろう」


 自分の事なのに曖昧な回答になるのは、楽しいという事自体の意味を把握しかねているのだろうか。


「そうか、良かったな」


 イオルの言葉は続かず、小さな寝息が聞こえてきた。また、寝てしまった様だ。

 ただ、彼女の楽しかったの一言は、たとえ曖昧だったとしても、俺の罪悪感を少しだけ和らげてくれた。


「いい夢を見ろよ」

 そう声をかけて、そこからは、また速度を落として歩くことにした。


 街に着けば、また、楽しいと思えるものを見せてやれるかもしれない。おいしいと思える食事もきっとある。

 そして、俺は、また走っていた。




 俺達討伐軍が、魔王城にたどりつくまでの道のりは、易しいものでは無かった。

 道中、魔族や魔獣との死闘を繰り広げつつの行軍であったため、十日以上もかけて、なんとか魔王城に到着したのを思い出す。

 そして、今、街に戻って来た。ざっと三日ほどの行程だった。


 人間の体に不慣れな少女の休憩と道草が多かったが、その分背負って歩いた。魔王の力を得た俺には食料調達なども容易にこなせたこともあるだろう。おまけの蜥蜴はずっと俺の鞄の中だったが。


 到着した中世風のこの街は、王国の城下に広がっていて、この国でも一番の大きさだ。 エルフが多く居るため、以前は、それが目的の観光客が多く栄えていた。

 だが、魔王軍との戦いが始まると、冒険者が多く集まる様になり、その粗暴さから治安が悪化。観光客は減少し、多くの住民も他の街へと移っていった。だから、魔王討伐隊の集結地点となったのは必然だったろう。その中に居た自分が、今は懐かしくも思える。


 そう、その街に戻って来れた。

 とはいえ、俺も集結時に一泊しただけで、街についてはあまり見知ってはいない。俺を知っている者も居ないだろう。魔王討伐隊の一パーティの一人でしかなかったのだから。

 自分の生還も感慨深いが、多くの同志を失った。報奨金目的の者達がほとんどだったが、それでも思い出すと涙がでそうになる。


 いかんいかん、今、ここで感傷に浸っててもしょうがない。

 切り替えよう。


「いいか、話しとかは俺が全部するから、お前は黙ってる様に、なっ」

 街に入る前にイオルに忠告した。 いろんなものに興味を持ってもらうのは嬉しいが、それは後でゆっくりとだ。


「ああ」

 イオルがそっけなく答える。


 数日一緒に過ごし、会話は普通に返してくれる様になった。 それを計算した訳では無いが、食べ物を与えるのはやはり効くのだろうし、なるべく話しかけたり、話してくれた時はちゃんと聞いた。 


 街をうろつく前に、まずは、見た目をなんとかする必要がある。魔王軍の装備と気付かれないほどだぼだぼの情けなさだが。 

 そこで、そのために途中集めてきた素材類を換金屋に持って行く。

 魔族の素材の様にレアでは無いため安く買いたたかれるかと思ったが、意外と高額で引き取ってくれた。これを仕事にしてもいいのでは、とちょっとだけ考えたくらいだ。


 そして、まともな衣類を買うために装備屋に来た。

 ここは、前に来た時に、街で一番大きいと紹介され、道中必要な小物の調達で少しだけ立ち寄ったのだ。


 ここで初めて今の自分の顔を見た。


 一瞬悲鳴を上げそうになった。鏡に映るそれは、一部を除いて俺そのものだったが、残りの一部が問題だ……なんという目付きだ。ものすごく凶悪な目付きをしている。そこは人相的にはかなり重要で、違うと完全に別人である。


 なんだこれは……もしかして、目の辺りは化けられない部分なのか?


「イオル、聞いてもいいか?」

 小声で腕にくっついているイオルに聞いてみた。


「なんだ?」

 びくびくしながらくっついてるくせに、答え方は強気だ。


「目の部分って変わらないの?」


「我は試したことも無いのでわからんが、たぶんそうだ。 そのへんが変わると感覚に影響が出るのではないか」


「なるほどな」

 つまり、どうしようも無いということか、でも、俺の様に元々の顔のつもりがこれだと別な感覚が狂うぞ。

 形はともあれ、瞳の色だけは同じなので兄妹設定はまだ活きていると決めこむ。

 今は、とりあえずあきらめよう。術を作ったやつがいるのなら、いつか術自体を作り変えることもできるかもしれない。

 そういえば、換金屋のおやじも少しびくびくしていた様に思う。それで高額で引き取ってくれたのかとちょっと納得した。尚、後でわかった事だが、高額引き取りの件はこの目付きのせいでは無く、素材自体の流通量が少なくなっているためだった。


「で、なんで教えてくれなかったの?」


「貴様の元の顔など覚えておらん。 それに……いや、知らん。 別にそのままで困らんだろ」


 含みのある答えも気になるが、確かに人間に見えれば十分ではある。


「まぁ、いいや。 ところで、お前は選ばないのか?」

 自分の装備類を選び終わったのでイオルに聞いてみた。


「どんなのが良いかわからん」


 それほど選択肢は多くないと思うが、もしかして禍々しさが無いとだめなのかも?

 だが、時間が惜しいので提案する。


「じゃ、俺が選ぶぞ」


 イオルは小さく頷く。


 俺も、偉そうに選ぶぞと言ってはみたが、実際よくわからないので、小柄の女性向けで少し価格の高めなのを選んだ。眼帯もそれっぽいのを付けてみた。


「これに、あそこで着替えて来るんだ」

 装備をまとめて手渡し、試着室を指差して教えた。


 イオルは、なぜか嫌そうに、のそのそと入った。

 そして、入ったきり中々出てこない。もしかして着方が分からないのか?と思っていたところで、


「おい」

 と呼ばれた。この呼び方は蜥蜴では無く俺だろう。


 試着室の前まで行って背中を向けて立つ。


「どうした?」


「これで良いか見てくれ」


「いいのか? 見るぞ、ちゃんと隠してろよ」


「隠したら、わからんだろう」


 会話がかみ合わなかったが了解は得た。後ろめたさ的な感情をごまかすための念押しだが。そして、入口に下がっている布を少しだけずらして、中を覗く。

 別人が居た。

 馬子にも衣裳、いや元々可愛いかったが……この娘は見ている分にはとても嬉しいのだ。だが中身が死闘の相手、あの魔王なのは変わらない。


 隙間を戻して感想を答えた。

「似合うぞ」


「違うのにしてくれ」


「別におかしくないぞ、それで決まりだ」


 小さな声で「はずかしい」と聞こえた。


 とはいえ、なぜか女性用の装備はそういうものの様だ。露出部分はたいして違わ無い。 というか、今まで裸も気にして無かったじゃん。 そう、イオルは裸は気にしないが、可愛いのが恥ずかしいのだ。そんなの俺に分かる訳が無い。


「俺のパーティのメンバーもマントの下はそんな感じだった」


 何か音がした気がするが返事は無い。


「じゃ、マントも付けてやるよ」

 ちょうど手近なところにフードの付いたマントがかかっていたので、それを手に取って更衣室に放りこんだ。


 小さな声で「わかった」と聞こえた。


 ほっと一息ついたところで重大な事に気付いた。下着を選んで無いというか、気にもしてなかった。だぼだぼのローブはそこまで気にする必要が無かったのだ。だが、とてもじゃ無いが俺には無理だ。


「おい、何か足らないと思うが、後は自分で好きなのを選べ」

 遠回しに言ってみた。魔族にその意識があるかさえわからんが。


「あと何が必要だ?」


 聞き返してこないで~。


「ちょっと、待ってて」

 そう言って、店の端に行き、隠れる様にしゃがんで鞄に話しかける。


「おい。下着って知ってるか?」


「わたしを誰だと思っておる」

 偉そうに鞄が、中に居る蜥蜴が答える。 おお、答えてくれた事に少し感動した……相手は、蜥蜴だが。


「おお、すまないが、魔王様に下着選べって教えてやってくれないか」


「なんで貴様の頼みを聞かないといけないのだ」


「わからんやつだな、魔王様が恥ずかしい思いをしない様に提案してるんだよ」


「魔王様を辱めた貴様が言うのか」


「お前、まだそんなこと……」

 と鞄に向かって独り言の様にしゃべっていると、


「おい」

 と声をかけられた。


 イオルの声だ。


 振り向くと、後ろに立っていた。当然だが着替えた状態で。

 つまり、そういうことだ、短めのスカートで。

 マントが無ければやばかった。マントなので前は開いているが、大事な箇所は垂れた部分で角度的に隠れていた。


 その後、なんとか蜥蜴を説得し、説明していただき、なんとか目的は完了できた。ちらっと見えた感じでは水色だった。予備の分までは知らないが、まぁ良いかな。俺が選んでいたら、白か黒だったろう。


 そして、さらに上の方もちらっと見えた。今までに何回か見えたものだが、この見え方は思うところがある。ああ、この娘はあちこち緩いのだと理解した。だから、もう一度蜥蜴への相談から初めて、上の方も対処していただいた。




 換金、装備購入と思ったより時間がかかり、気付くと太陽が傾いてしまっていた。

 仕方がないので、今日の寝床を確保するために宿屋に顔を出す。この街のなかでは小さい宿屋で、二階建ての一階は食堂兼酒場のよくある構成だ。俺が魔王討伐部隊として一泊した宿。ここにしたのは、当然、戻っているはずの仲間パーティの情報を得るためもあるのだ。


 入口の扉を開けて中に入り、迷うことも無く受付のカウンターに立ち、ベルを鳴らす。少しすると、受付担当らしい女性の返事が聞こえた。たしか可愛いエルフの娘だった。大きい街だが、受付に常時人を置くほどの宿はほとんど無い。


 その時、入口の扉が開いた。


 風が吹き込む。


 ふと、前に泊まった日の記憶が蘇った。その時も同じように風が吹いた。そして、その先にある階段から悲鳴が聞こえ、目を向けると、二階から降りてくるエルフの娘がスカートを押さえていた。

 俺は、ほんの少し早く振り向けば、中を見れたかもしれないと冗談レベルで後悔したものだ。


 だから、なんとなくそちらを向いて見た。


 そこには、見たかった光景があった。いや、見たかったと言うほどでも無いのだが、得をした気にはなる。

 しかし、違っている部分がある。エルフでは無く人間の女性だった。こっちを睨んでいる。

 俺は、ごまかす様に入って来た者を気にするそぶりで反対側に振り向いた。


 そこには、とてもとてもよく見知った人間………俺、元の姿の俺が居た。


 その俺は、男性一人と女性二人を連れている。ザイドと誰?、男はリーダーのザイド、だがあと二人の女性、知らない顔だ。顔だけじゃない、エルフじゃない。こっちもか。 仲間を懐かしむほど時間が経っていないこともあるが、無事を喜ぶより先に混乱してしまった。


 ザイドが俺の後ろに並び、俺を含む三人は奥のテーブルへ付いた。

 すると、他のテーブルの者達がざわつき始めた。そのパーティの噂話が始まったのだ。

 どこどこの戦で活躍したとか、どこそこの竜人拠点を落としたとか、最強の魔法使いが居るとか、のきなみ評価が高かった。そうだ、俺達は強かった。だから、勝てると思っていたのかもしれない。

 今更、そんな噂話よりも、俺は、現状への驚きが大きすぎて、少し固まっていた。


「お客様?」

 受付嬢が声をかけてくれたので、意識が戻った。

 で、あら? 受付嬢もエルフじゃ無いぞ。

 いや、それも後だ。 とにかく、まずは宿の手続きを進めることにしよう。


「部屋を一つ頼む」


「空いてますよ~。 あ、まぁ、いっか」


「ん?」

 受付嬢の言葉尻が少し気になったが、今は、それもどうでも良かった。


「ところで、今日は何日でしたっけ?」

 気になった事を聞いてみた。


「四日ですよ」


 記名する宿帳の右上にも今日の日付が書いてある。四日だ。

 まさか……

 俺は、宿代の前払いをさっさと済ませ、鍵を受け取ると、部屋へは向かわずに彼らの近くのテーブルに付いた。イオルはちゃんと付いてきて、横の椅子に座る。宿に入ってからずっと裾を握っていたので、何も言わなくても自然とそうなった。


「どうかしたのか?」

 イオルは、何かを察したのか小声で聞いて来た。


「少し様子を見たい。後で説明する」


「ふむ……」

 イオルは、人の多いところはまだ苦手なのか、とてもおとなしい。


 そうしているうちに、受付けを済ませたザイドがパーティのテーブルに付いた。

「さて、今日は飯食ったらゆっくり休もうぜ」

 ザイドは、それぞれに部屋の鍵を渡しながら言う。


 一人一個?……一つ、あ、しまった。 だが、イオルの分の部屋は後で追加すればいい。そして、今、さっきの受付の反応の意味がわかった。


「明日、いよいよか、長かったな」

 ザイドが言う。


「そうだな」

 俺が答える。


「竜人族も、かなり減ってるはずだ。今回の討伐軍なら勝てるさ」


 ん? りゅうじんぞく……と言ったのか?


「やつらの拠点までは、あとどのくらいなの?」

 女性が聞く。


「西に向かって十日ちょっとだそうだ」


 西?東じゃないのか?


 そこからは雑談ばかりで情報になるものは無く、俺が経験したような話を聞かされていた。


「おなかすいた」

 イオルが言う。周りを見てここが食事のできる場所と気付いたが、俺の様子を見て、我慢していたのだろう。


「そうだな。 待たせてごめんな」

 テーブルに付いている以上食事か飲み物を頼むのは当然なのと、イオルがまともな料理を食べるのは初めてだろうから、いろいろと注文してみた。 状況を把握できていないが、せっかくだしイオルを優先しよう。


 イオルが、美味しそうに食べるのを見て、人間だなと安心もできた。後で、一番気にいったものを聞いてみよう。


 そして、彼らは、食事が済むと二階に上がっていった。


「行こう」

 こちらも食事を終わらせ、イオルに声をかけて立ち上がったところで思い出す。

「あ」

 そうだった、部屋を追加せねば。慌てて、受付に行き、呼び鈴を押す。さっきと同じ女性が出て来た。


「すまない部屋を追加したい」


「ごめんね~。もういっぱいなのよ」


 な、なんですと~。


「あなた達の部屋、ベッド大きいから大丈夫よ」

 にこにこしながら追い打ちの説明をくれた。


「あと、今日は、なんか街に冒険者いっぱい来てるから、他の宿屋探すのもたいへんかもよ」


「ありがとう、お手数おかけした」

 まぁ、ここまでも一緒に野宿してきたのだから、かまわんか。


「行こう」

 イオルにそう声をかけ、部屋に向かった。




 部屋に入ると、説明通り大きなベッドがあった。横にソファもあるから、俺はそっちを使おうと決めた。


「さっきの話をしようか、長くなるかもしれないからそこに座って」

 俺はソファに掛けながら、イオルにそう言ってベッドの方を指差す。


「わかった」

 イオルは座ると、ベッドの柔らかさが気に入ったのか、ゆらゆらし始めた。けっこう、真面目に話をしたかったが、可愛いから、まぁいいか。


「今日は四日だそうだ。俺が魔王城へ向かう前に泊まった日と同じ」


「ん?」

 ゆらゆらが止まった。


 真面目に聞く気になった様なので続ける。


「さっき近くにいたパーティに俺がいた」


「やはりそうか、覚えているぞ。 目は両方あったようだが。 しかし、他の三人は見たことが無いぞ」


 おや、覚えていないって言ってなかったっけ? こいつめ……まぁ、いいや。


「そうだ、俺も知らない。 そして、竜人族を討伐に行くと言っていた」


「竜人族は、数十年前に我らが滅ぼしたはずだ」


「俺もそう伝え聞いてきた。 そして、この街に着いてからエルフ族を見かけていない。 俺のパーティメンバーもここの店員もエルフ族だった。 これが、違う世界ということか」


「城に誰も居なかった……」

 イオルは不安そうな表情で俺を見つめた。


「ああ、魔王城の状態も含めて想定されるのは、魔族が竜人族に負けた世界ということだ」


「なん……だと?」

 イオルがぴくりと反応する。


「竜人族はエルフ族を独占するために魔族に戦争を仕掛けたと聞いている。向こうの世界では、魔族は絶対数が圧倒的に少ないから、エルフ族もある程度の犠牲で凌げていたが、もし竜人族が勝ったとしたら、エルフ族は……」

 俺の知識からの想像は嫌な予感しかしない。


「そんなはずが…」

 イオルは、想像もしていなかった話に驚きを隠せない様だ。


 だが、今のイオルは人間だ、魔族が居たとしても敵になるだけだった。だから、好都合にも思える。


「こっちの世界でも人族とエルフ族との友好関係が同じなら……今回の討伐先が竜人族ということになるのか」

 俺は、予想を続けた。


 イオルは神妙な顔で俺を見る。


「そして、俺は目的を失ってしまった」

 気分を変えたかったわけでは無いが、なぜか話題を少しずらしていた。


「仲間の無事の確認か?」


「そうだ。 確認はできた……が、どうしたものか」


「ふむ」


「ところで、竜人族は強いのか? 魔族に勝ったのなら強いのだろうし、竜というからには強そうだ」


「人よりは強い。  知能が低いものが多く魔法はほとんど使え無いが、個体によっては下級の魔族に匹敵するものもおったとか」


「ほう。 だが、もし、魔族を倒し数十年が経っていたら……」


 その時、外が騒がしくなった。

 俺は、様子を見るために窓を開け顔を出す。

 既に辺りは暗く、街並みもほとんど見えない中、十数個のランタンの灯りが動いている。よく見ると、兵士と思われる者達が辺りを見回しながら歩いていた。

 左右に目をやると、気になったのだろう他の宿泊者も窓から顔を出していた。


「いたぞ~」と少し離れた場所から聞こえた。

 ランタンが一斉に声の方に向かって移動していった。


「ちょっと出てくる。 お前は動くなよ」

 イオルにそう言って、俺は部屋を出た。情報の足しになるかわからないが、今この世界に起こっている事のヒントが欲しい。明日、討伐隊は出発するはずだ。だとすれば、時間が無い今は野次馬的でも動きたかった。


 イオルは、枕も気に入ったのか、もふもふして遊びはじめていた。何か考え事をしているのかも知れない。「待って」と聞こえた様な気もしなくもない。


「関わらん方がいいぞ……遅かったか」

 蜥蜴が鞄から顔を出しながら既にいない俺に忠告していた。


 言われなくてもわかっている、俺も嫌な予感はしている。


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