第36話 慰霊祭
迷子の少女を道案内したら「夜闇の月の方」と呼ばれた。
村への帰省で夢のような……というよりも夢であってほしいような体験をしたアーノルドは、スティリア城へ戻り、日常を送っている。
そして何故か騎士団長に呼び出されている。
(もしかして、家族を避難させようとしてるのがバレたか?)
一瞬ひやりとしたが、団長室で待つ騎士団長の顔を見て違うようだと思い直す。
彼は長く蓄えたあごひげを撫でながら、不思議そうに首を捻っていた。
「アーノルド、お前は隣国に知り合いでも居るのか?」
団長の言葉にアーノルドも首を傾げた。全く心当たりがない。その反応を見て団長も「そうだよなぁ……」と零した。
「なに、今年の慰霊祭に隣国の姫が参加することになってな。お前をパートナーにご指名なんだ」
慰霊祭、というのは北部で行われる秋の終わりの祭りである。春夏で遺体の捜索を行うスティリア騎士団であるが、雪が降り始めると捜索は打ち切られる。そして秋の終わりに、その年発見した遺体の供養、鎮魂の儀式を行うのだ。
『魔物』は生き物の死体に『瘴気』が入り込んで生まれるものだ。一説では、それは人々が死体を見放したから起こるのだとも言われている。
元来は『魔物』の発生を防ぐための騎士団による儀式だったのだが、いつからか麓の住人が参加するようになり、先祖への感謝を捧げる意味も兼ねるようになった。
アーノルドはますます首を傾げた。
「どうして隣国のお姫さんが、こんな小さな祭りに?」
「それは俺にも分からん。なんでも先日、迷子になっていたところを親切にも助けて貰ったと……。褐色の肌で高身長、麓の村の男とか、特徴で探したらお前に辿り着いたと言っていたな」
アーノルドは目を見開いた。
あの時のお上品なお嬢さんか! と思い至ったのである。まさか王族だと誰が思うであろうか?
困惑するアーノルドをよそに、団長はハッキリと命じた。
「これは任務だ。下手をすれば国際問題にもなる。粗相のないように完璧にお相手をしろ」
「いや、あの、自分は全くマナーとか分からないんですが……」
「同室の、何かとお前に引っ付いてる奴に聞けばいいだろ。確か社交経験がある筈だ」
もしかしてセスのことだろうか。どういう風に思われているのだ。アーノルドは歪みそうになる口を引き結ぶと、渋々と頷いた。
◆
「どういうことですか?!」
アーノルドからあらましを聞いたセスは声を張り上げた。
「だから、村に帰った時に助けた迷子が隣国のお姫さんだったらしい。その子が秋の慰霊祭に参加するから俺が接待することになったんだ。で、俺はマナーなんて知らないからお前が教えてくれ。あとダンスもあるらしくて、その辺りも頼む」
「……前も女性に人気だったけど、王族って……!」
何やら呻きながらセスは頭を抱える。
アーノルドは説明を続けた。
「北部は国境に続いてるだろ? この雪の原因で、雪の精霊に守られてるのが大国の方。で、その隣に小さい属国があるんだけど、正確にはそこのお姫さんらしい。大国に嫁ぐ予定なんだけど、その前に外遊していた所だったって」
「姫様の事情はどうでも良いですが、ちょっと待ってください!」
セスは顔を上げた。眉を寄せて、明らかに怒りを滲ませている。
珍しいな、とアーノルドは思った。
「慰霊祭は秋の終わりです。それまできみは騎士団に居なくてはならない」
「そうだな」
「【厄災】が来るのは来年の冬ですが、一刻も早く非難するべきなのに……!」
「でも今、騎士を辞めるなんてできないだろ」
セスはぐっと言葉を詰まらせた。
セスは先日の帰省で、今すぐにでもアーノルドが辞職するものだと思っていたらしい。アーノルドはそもそも、騎士団を辞めるなんて一言も言っていない。だが今それを言うと面倒になりそうなので、黙っていた。
アーノルドは投げやりに呟く。
「辞めた所でどうやって食ってくかねぇ」
「何を言ってるんですか? 君ならどこでもやっていけるでしょう」
本当に理解できない、という顔でセスが首を傾げた。
こういう所なのだ。
(セスだけが勝手に俺の人生を信じている)
──アーノルドはもう自分の人生に期待していない。
父が失踪してからずっと家族を支えて生きてきた。それに後悔はない。
だが、幼い弟たちが成人した時、自分に何が残るだろうか?
彼はそんなことをしばしば考えては、諦めに似た感情を抱くのだった。
けれどセスだけは、何故かこれからのアーノルドの人生を勝手に信じて期待している。
その度にアーノルドは不思議な気持ちになる。
だからセスが避難しろと言うのなら、きっとそうした方が良いのだろう。だが──……
アーノルドは話を戻した。
「まあお前がそういうつもりなら良いぜ。どっちにしろ団長命令だからな」
「うう」
セスは恨めし気にアーノルドを見上げる。
「どうせお前も教えたがりじゃねぇか。丁度良いだろ」
「もう、……はあ、分かりました」
セスは諦めて小さく息を吐いた。
◆
一方そのころ王都では。
私服姿のスカーレットが彼女のファンクラブ『赤薔薇の会』の面々に囲まれていた。淑女たちは一様に瞳を潤ませている。
「スカーレットさま、お元気で……!」
「北部に行かれても、スカーレット様の幸せを祈っておりますわ……!」
スカーレットは彼女たちの言葉に口角を上げた。
スカーレット・シエンナはセス・ワイアットのことが好きだ。
恋をしている。
ということを認めてしまってからは、彼女はさっさと王都騎士団の制服を返還した。それから荷物をまとめると、北部へ行く準備をすっかり終わらせてしまったのである。
『赤薔薇の会』はそれを知ると、涙を耐えて彼女を見送りに来たのだった。
「みんな、ありがとう。正直に言うと、快く送り出してもらえると思っていなかった。自分が恥ずかしいな」
スカーレットは肩を落として自省した。淑女たちは一度顔を見合わせた後、それは……と口を開いた。
「だって、あの人が居なくなってからのスカーレット様ったら、とてもお辛そうでしたもの」
「目の下に隈ができて、お肌も荒れていらして」
「いつもお肉を持ち歩いていらして……」
「そんな無理をされるくらいなら、思う存分、心のままになさってくださいませ!」
スカーレットは顔を覆った。恥ずかしいからだ。
淑女たちは赤くなったスカーレットを微笑ましく見つめた。
そして淑女たちの後ろからこちらを見ている人影に、スカーレットは気付いた。
それは『白雪の集い』という集団を調査した時、『真実の愛で目覚める薬』をスカーレットの目の前で使おうとしていた、メアリーという女性だった。彼女はスカーレットのファンだったが、スカーレットにセスという恋人が現れたことで怒り、薬を使って彼女の心を手に入れようとしたのである。
「メアリー嬢」
「あの、スカーレット様。その……」
メアリーはうろうろと視線を泳がせる。
スカーレットは息を呑んで彼女の言葉を待った。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
スカーレットは思わず目を見開く。
彼女は声を振り絞ってそれだけ言うと、背を向けて走り去ってしまった。彼女の後姿を見届けると、今度は自分を囲む淑女たちの顔を懐かしく眺める。
「ありがとう。きみたちという素晴らしい友達を持てて、私は幸せだ」
淑女たちは今度こそ感涙した。
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