第45話 大好きだ

 どうしていいかわからない。でも離したらもう二度と出会うことはできない気がした。男性の手を引っ張りながら(これからどうしよう)と思っている。


(でもこの人、見ず知らずの自分が手を引っ張っているのに。暴れることも何も言い返すこともなく、黙ってくっついて来てくれてるんだよ……)


 不思議でならない、でもここまで来たら確信はある。


(とりあえず静かに、落ち着いて話ができる場所……)


 この人がもうどこかに行ったり、しないように。


 ユウジは今の自宅である教員住宅に戻ってきた。そこそこ年期は入っているが住むには困らない鉄筋コンクリートのマンション。階段を上がった二階の一室に自宅はある。

 玄関を開けて自分が先に入ってから「どうぞ入ってください」と男性を室内に案内した。目立つ家具はない、何の変哲もない家だ。でも過去に憧れていた人を見習って綺麗にしているのだ。

 物音のないリビングへと入り、ユウジは後ろにいる男性の気配を感じながら深呼吸をした。


(こ、これで今更、全く知らない他人だったらどうするんだよ……)


 ここまで来て自分の突拍子もない行動力がすごいなと自分で驚く。もし、なんでもなかったらごめんなさいして何事もなかったように、また生活するだけだ。

 でも、そうじゃないはずだ。後ろにいる人は、この人は、自分がずっと探していた人であるはずだ。


(確かめるんだ……!)


 拳を握り、震える声を押し殺す。

 振り返ったユウジはもう一度深呼吸をしてから男性に近づき、大きめのキャスケットに手を伸ばした。

 男性は動かず、拒まなかった。帽子を取り、さらにその下にあるサングラスをゆっくりと取る。

 そこにいたのは――。


「あ……」


 力が抜け、手に持っていた帽子とサングラスは床に落としてしまう。言葉を失うというのは、こういうことを言うのだろう。目の前の光景が信じがたい。でもずっと願っていた。

 ユウジはゆっくりと男性に向かって手を伸ばし、その頬に触れた。あったかい、懐かしい、六年前と変わらない、さっぱりした短髪に愛おしい童顔。

 違うのは笑っていない顔。涙してはいないけど泣きそうなぐらいの悲しい顔。


「どうしてそんな顔してるんだよ……!」


 ユウジは膝から崩れ落ちると声を上げて泣いた。情けないけれど感極まって涙が止まらない、震える声も止まらない。こっちが泣いてしまった。


「ずっと、会いたかったっ……」


 両手を床について涙していると。身体が力強くあたたかいものに包まれた。涙で前が見えないけど、しゃがんだあの人が抱きしめてくれているのだ。力が強くて身体の硬さが伝わってくる。


「リ、リク先生、俺ずっと探してたんだからな! あの時から、ずっと! 探してたんだ、全力であんたのことをっ!」


 苦しくて声が途切れ途切れになる。


「あんたをずっと探してた! だってあんたが大好きなんだ!」


 小柄ながらにたくましいその肩に、ユウジはしがみついた。肩に顔をうずめながら今までずっとため込んでいた言葉を先生にぶつける。


「先生……さっきの勝負は俺の勝ちだ、だから俺の言うこと一つ聞いてくれ。もういなくなるな、先生は俺とずっと一緒にいてくれ。俺は先生に依存してるんだ、それの何が悪いよっ? もう離れたくないんだよ!」


「ユウジ……」


数年ぶりの声、名前を呼ぶ声。それがすぐそばにある。


「俺は、先生がいないと生きていけない。いつまでも一緒にいたいんだ」


「俺は…… 」


 先生の声が震えている。


「まだ怖がっているのかよ。ここまでついてきたくせに。ゲーセンで俺だとわかっていたかわからないけど、俺かもしれないから近づいてきたんだろ。まだ、まだ避けるのかよ」


 先生は強いくせに、でも弱い……大丈夫、先生、それは俺も一緒だよ。強がってるけど弱いんだ。でもさ人間なんて、いついなくなるかとか、わかるはずないじゃん。それを恐れていたら何もできない。だから誰かを頼りに生きたっていいじゃないか。


「大丈夫だから、リク先生、もう逃げるなよ……」


 ユウジはリク先生の肩をつかみ、顔を上げ、先生にキスをした。先生が息を飲んだのがわかったが、かまわずにそのまま押し当て続けた。


(怖くないから。先生、大丈夫だから)


 そう思っていると自分を抱きしめる腕に先生は力を込めた。

 先生もさらに強く唇を押し当ててきた。

 すごく強い、でも優しい。そして熱い。先生の震える息が顔に当たる。角度を変えて先生が自分にキスをしてくる。何度も何度も。

 息が苦しい。身体がジワリとして熱い。頭がおかしくなりそう。

 でもずっとリク先生とこうしたかった。それは自分の素直な欲望だ。


「ユウジ、俺は……」


 自分の唇とすれすれの距離で先生は名前を呼んだ。


「俺も一緒にいたい。ユウジを俺のものにしたい……でもいいのか?」


 そうやって許可を求めてくるところが先生の優しさだと思った。






 俺は全てを任せていた、まだ今までにあったこと、会えなかった間に何をしていたか。お互いに何も語ってはいないけれど。

 今はただただ、人として好きな人に抱く、つながりたい、抱きしめたい、互いが自分のものであるという、その証拠を残したいという欲求に従っていた。


「先生っ……大好きだっ……」


 先生の愛を身体の中で受け入れ、全身が先生からの愛情という名の甘い刺激で喜びに満たされ、頭の中が不鮮明になりながら。

 ユウジは伝えたくてもずっと我慢してきた言葉を、必死に口にした。


 もう、いなくなることはないだろう。けど、万が一にも離れる時はきてしまうかもしれない。だから後悔しないために「大好きだ」と何度も言い続けた。


「ユウジ、ごめん……ユウジ、ごめんな」


 リク先生は謝りながら俺の身体を優しく、でも力強く。なでたり、つかまえたり、言葉をかけてくれる。

 謝っているけれど。自分は今、満たされている。先生が自分を愛してくれている。今までのさびしさを全部忘れてしまうほどの幸せを与えてくれている。


 リク先生に後ろから抱きしめられている。先生とつながっている。すぐそばに先生がいる。

 ユウジは背中にとあるものを感じた。先生の息づかいに混じって背中に何か、滴るものがあった。

 先生の小さな声が聞こえる。それは行為の余韻からくるものもあるが、かすかに嗚咽がもれていることから自分の背中を濡らしているのは涙だとわかった。


 先生が泣いてる。


「ユウジ、お前が、大好きだっ……!」


 大好きだ。震えながら、うめきながら。先生の色んな感情が背中であふれている。今まで笑顔でふたをされていたもの全てが。


 どんどん頭がおかしくなりそうだ。幸せで気持ち良くて、意識が遠のきそう。

 でも今はいい。お互いに、このまま。ただただ、このまま。

 お互いの気持ちを通じ合わせていたい。

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