第42話 先生

 玄関を飛び出したところで、ユウジは職場に持って行こうとしたバッグがないことに気づき、慌てて部屋に戻ってバッグを片手にまた玄関を飛び出した。

 だが今度は玄関の鍵を閉め忘れたことに気づき、再び戻って鍵を閉め、今度こそはと徒歩五分の距離にある高校を目指し、教員住宅を飛び出す。

 徒歩は五分だが走れば二、三分。あっという間に高校に到着し、まずは迷わず職員玄関で靴を履き替え、そして職員室へと元気よく飛び込んだ。


「おはようございまーす! 今日からよろしくお願いしまーす!」


 気持ちが晴れ晴れとしていて、思わず声が張り上がってしまった。職員室にいた他の先生達はそんな自分を見てクスクスと笑ったり、おはようございます、とにこやかに挨拶してくれたりした。

 だが、ただ一人、自分の昔馴染みというほどの者ではないが。ある程度の時間を共有してきたメガネをかけた真面目そうな男が「朝からお前はうるさいな」と若干のケンカ腰でそんなことを言った。


「うるさいってなんだよ、うるさいって! 教師は元気が一番だろ、清宮っ」


「呼び捨てにするな、教頭に睨まれんぞ」


「お前だって教頭って呼び捨ててんじゃん」


「ユウジが先だろ」


「お前だってユウジって言ってんじゃん」


 こんな不毛なやり取りをした後であと、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。普段はメールでやり取りしていたが、こんな真っ向から言い合うのは久しぶりで、ついテンションが上がってしまった。


「ま、とりあえず座りなさい、ユウジ先生」


「ありがとうございます、清宮先生……って、な~んか気持ち悪いなぁ。でも清宮がこの栄高校に赴任してるとは思わなかった。やっぱり教師って異動多いと、何があるかわかんねぇよな」


 二人で隣同士のデスクに座り、朝から始まる職員会議の準備をしながら、ユウジはテンション高く、清宮に話しかける。

 一方の清宮も文句を言いながらも嬉しそうに笑っていた。


「俺だって、まさかユウジが四月からここに赴任してくるなんて思わなかったし。昨日紹介されてマジびっくりだ。二人して母校で教員やることになるなんてな。お前大丈夫なのか、教師できてんのか」


 清宮の言葉に、ユウジは力強くうなずいた。


「まかせとけよ、大学で勉強して教員免許取って二年間、他の学校で経験値積んでレベルアップして帰ってきたこの俺だ! 問題児だろうが不良だろうが怪物だろうが、どんなもんでも叩きのめしてやるよ」


「何しでかすつもりだよ、ってか、あいかわらず表現がゲームじみてんだな。学年担当、変なクラスに当たらなければいいな。来週の入学式以降は忙しくなるぞ」


「まぁ、大丈夫だろ、なんとかなるって。そういえばタカヤのヤツは今キエナ先生と一緒に旅行に行ってんだよな、イタリアだっけ。きっとうまいもの食えるんだろうなぁ」


 清宮にそう言うと、清宮は己の腹をさすりながら「腹減ったな」と言った。


「あ? まだ朝だけど」


「食ったけど、もう消化した」


 これも体育教師になったゆえだろうか。ちなみに清宮はかつて世話になった筋肉ゴリマチョラーのような筋肉マンではなく、細マッチョという部類だ。見た目はメガネ姿で真面目な雰囲気なのに走れば速く、力も強く、長身で顔もいいから結構モテているらしい。


 タカヤは相変わらずキエナ先生とお付き合いをしていて、今は仲良く旅行に行っている。仕事はファッション関係の会社をやっていて、キエナ先生は変わらず、どこかの学校の保険医をしているらしい。


 ただたまにそのルックスを活かして、タカヤの会社でモデルを手伝っているとか。ミステリアスなイケメンと人気が出て特集組まれていたことがあったが、あまり表立たせるのはタカヤが嫌がって、活動は密やかにやっているらしい。タカヤって、そんな独占欲強かったかな。


「お前は相変わらずなのかよ」


 ポツリと清宮が言う。相変わらずが何を指しているのか。自分はもちろんわかっているが「どうかな」とごまかした。


「頑張ってるよな、お前も……あきらめが悪いというか」


 清宮は呆れたようにつぶやいたあとで、コソッとユウジに顔を近づけ、耳元で言葉を続ける。


「俺はお前のこと、いつでも待ってるけど?」


 耳がゾクッと、それが首筋まで伝わってきて、ユウジは素早く清宮から身体を離した。ちょっとだけ焦って心臓がはずんでしまった。


「バ、バカ! こんなとこで言うなよ、ってか、それは――」


「あはは、わかってるって。一度断ったって言いたいんだろ、ちょっとからかっただけだっての」


 笑いながら近づいた距離を元に戻した清宮に「まったく、なんてヤツだ」と愚痴ると清宮は「悪い悪い」と、軽く笑った。


 そう、自分はいつだったか清宮に想いを告げられたことがある。それはそれは驚きが大きかったが、自分にとって清宮はタカヤと同じぐらいの親友であると思っていたから、もちろん断った。清宮は「だよなぁ」と苦笑いしていたけれど。


 だって自分には――。


「あ、ユウジ、そういえば一つ教えておきたいことがあんだけど」


 清宮は口元をほころばせながら言う。


「今度の日曜日……兄貴の命日なんだ」

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