第40話 言わなきゃ
まだレベルアップが足りないかも。リク先生をクリアすることができるレベル……この一か月でどこまで近づいたか。かなり難易度が高い相手だ、相当な経験値が必要だ。下手したらまだ足りなくて、また修行の旅に出直しかもしれない……。
目的の場所へ近づくにつれ、足取りもだんだん重くなっていく。
けれど暖かな日差し混じりのやわらかい風が歩くたびに頬をなでるのが気持ち良い。それだけで大丈夫という気はしてくる。
(信じて突き進むだけだ)
先生のアパートは何回も訪れたことがあるから場所はわかっている。住宅地を抜け、たどり着いた二階建てのアパート。深く息を吐いてから階段を上り、一番奥の部屋へと向かう。
静かだから自分の足音がよく聞こえる。心臓もドキドキして、その振動が内側からよく感じられる。まるでラスボスの元へ向かう勇者な気分だ、あぁ、やっぱりレベルが足りないかも。
ドアの前に立った時、ユウジは違和感を覚えた。なぜかわからないが胸の中がひゅうと、冷風が吹いたかのように寒くなった。
思わず胸の上から自分の手を当て、手の平の温度であたためようとしたぐらいだ。
(なんだろう、嫌な予感がする……リク先生、この予感は、なんだよ。何をしでかしてくれたんだよ、先生っ……)
それでもやらなくては。ユウジはゆっくりと腕を動かし、ドアの横にあるインターホンを押そうとした。
その時だ。肩にかけたトートバッグの中で携帯が鳴り、電話の着信を知らせた。このタイミングで誰かと思って携帯を手に取ると。
画面には妙な文字が出ていた。
(……非通知?)
非通知だなんて、いつもだったら絶対に出ないで無視する。
しかしこの時は「電話に出るんだ」と。自分の中にある本能的なものがそう言い、頭と指に指示を出した。
「……もしもし?」
動いた指は通話ボタンを押し、口が勝手に相手を確認する。相手も『もしもし』と小さい声で確認すると、ほんの少ししてから『ユウジ』と自分を呼ぶ声がした。
(なんで電話、しかも非通知……)
「リク先生……俺、今、先生の家の前にいるけど。今日、大学初日だったから先月言われた通りに今日来たんだけど」
『そうだな。今日が約束の日だったよな。入学おめでとう、ユウジ。楽しい大学生活になりそうだな』
先生には何も伝えてないのに。自分が良い大学生活のスタートを切ったというのが、なぜわかるんだろう、不思議な先生だ。
そしてリク先生はまた少し間を開けると、電話の向こうで緊張しているかのように深く息を吐いた。
『……ユウジ、前回俺が言ったこと覚えているか。また俺に会いに来て、その時、俺が決めたことをどうか受け入れてほしいと、俺が言ったのを』
電話だけど、ユウジはうなずいた。
『あぁ、もちろん、覚えてる』
でもその内容がわからないから。自分はうなずいたものの、先生が言うこと全てをすんなり受け入れるかは――自分の心がどう反応するかはわからない。先生は何を決めたんだろう。
「先生、なんで電話で話してるんだ。何か、あったのか」
その疑問の答えを、リク先生は『うん』と、声に力を入れて教えてくれた。
『先生は、そこにはいない。俺は、もういないよ――』
リク先生が何かを言おうとした時、電話口から電車の――まもなくの到着を知らせる、どこかの駅のメロディーが聞こえた。
どこの駅だろう、このメロディー聞いたことない、地元ではない。
『ユウジ、俺は遠い場所に行く。実は異動が出たんだ、仕事上の。だから、そこの家はもう引き払って、これから新しい土地へ行くんだ』
先生の言葉がはっきりと聞こえる中、電話の向こうから多くの人が行き交うような足音、話し声、ザワザワとした雑音が聞こえる。
まもなく電車が到着します、というアナウンスも。
すぐには理解できず、ユウジは電話口で聞こえる音を聞きながら呆然とした。
(それはつまり……)
何かを言いたいけど言葉が出ない。
『ユウジ、このことはキエナにも言っていない。だから俺の行き先は誰も知らない、誰にも教えていない、そのことをどうか許してほしい、受け入れてほしい。お前の明るい人生を祈ってるから』
「先生っ……!」
やっと、それだけは叫べた。何を言えばいい、何を言えばいいんだかわからないけど。
もうすぐ電車が来てしまう。電車が来たら何も言えなくなってしまう、何を言えばいいのだ、何を伝えればいいんだ。 自分は何を先生に言いたいんだ。
(なんだよ、なんだよ、この展開は。受け入れろって、そんなの、すぐには……!)
『ユウジ、大丈夫だから、落ち着いて聞いてくれ。ごめんな、何を言っても俺が逃げてるようにしか感じないと思う……いや実際、俺は逃げてるだけだな。自分が苦しい思いをしたくないから……それだけなんだ。お前の幸せを祈っていると言っても本当に自分のことしか考えてないんだ。でも俺は決めたら、それを覆すことができない性分だから……』
それは清宮も言っていた。リク先生は頑固だと。でもそれは優しいだけだから。
「先生、俺は……」
ユウジは携帯を握る手に力を込めた。
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