第30話 勝者

 先生のその決断を聞き、とても切なくなる。グッと首を手で押さえられ、しめつけられたような苦しさを感じた。


(先生、それでいいのかよ、本当に)


 先生が言ったその言葉の意味……リク先生はもう誰にも依存しない――心を許さないということ。


「なぁ、先生……なんでそこまで深刻に考えるんだよ。別にいいんじゃないの。依存したってさ……それが誰かの迷惑にでもなるのかよ」


 だってそれは相手を好きだから、一緒にいたいと思うからということだろ。それをわざわざ否定するのか、なんのために。


 そんな思いを込めてリク先生を見つめると、先生も同じように見つめ返してきた。笑っていない先生に見られるなんて初めてだ。今までみたいに緊張でドキドキして気分が舞い上がるというものじゃない。


 自分を抑え、意志を固め、全てを防御しようとしている先生の顔。見ていると胸が痛く、悲しく涙が出そうになる。その防御、崩すことができるだろうか。ゲームの世界みたいに一撃で、その強靭な壁を破壊して先生を手に入れることは、できるんだろうか。


 ここ一週間で先生との距離を縮めることができて、自分の心はすっかり先生へのポイントが高くなり、夢中になっている。

 だからこの防御を崩し、過去からの約束をリセットさせ、涙を流させて。本当の……本当に笑って楽しく、過ごさせてあげることが俺のゲームクリアノ目的だ。


「先生、俺じゃ、ダメか」


 ユウジはえそうになる唇を懸命に動かした。


「俺じゃ、ダメかな、俺じゃ……」


 その先の言葉がつながらない。これだけじゃ何を指しているのかわからない。なんて言ったらいいかわからない。

 心の中では「先生の依存する相手が俺じゃダメか」とたずねているのに……言うのが怖くて、そこまでが言えない。


 けれど自分のそんな言葉のあとで。

 先生の表情がふっとやわらいだ。

 先生はいつものように明るく笑った。

 それは先生が再び、壁を強固に作った瞬間だと、わかった。


「ユウジは優しいな。ありがとう、ユウジ。でも俺は――先生は最後までユウジの先生であろうと思う。お前の成長、しっかりと見届けさせてもらうから」


 先生の笑顔。それは見ると、いつも心がはずみ、あたたかくなるものだったのに。この時はものすごく悲しくなった。


「先生はユウジが大好きだよ」


 そう言って笑う先生。

 ……違う、これでは先生は“生徒”としての俺が好きということになってしまう。

 違うよ先生。“先生は”じゃなくて“俺は”ユウジが大好きだよ、と言ってほしいんだ。

 俺も先生が好きなのに。俺の新しい心の拠りどころになってほしいのに……あぁ、俺こそ、先生に依存しているな……。


 グラウンドから歓声が響く。気づけばタカヤと恩田の戦いはラストを迎えているらしい。見れば明らかに恩田がタカヤを突き放し、先を走っていた。


「あ、タカヤ……!」


 親友の危機だ。自分の今の状況も不安定でグラついている中だが、自然とタカヤに「頑張れ」とつぶやいていた。


(が、頑張れタカヤ行け、走れ! なんとか追いつけっ!)


 タカヤを見ていたら自然と拳を握りしめて必死で応援していた。自分のこの悲しくてやるせない気持ちを誤魔化したくて、ただ「タカヤーっ!」と叫んでいた。


 けれど悲しい現実。タカヤの足ではやはり恩田には追いつかない。不利すぎた。そうこうしているうちにゴールが見えてくる。


「あぁっ……!」


 最初にゴールを切ったのは、もちろん恩田だった。恩田が大手を振ってゴールをした数秒後でタカヤがゴールし、そのまま地面に崩れる。周りを囲む生徒達は、両者に歓声を上げているが……タカヤにとってそれはくやしさを増大させるだけだろう。


(タカヤ……くやしい、よな。そりゃイヤだよな。だって好きな人をあきらめなきゃいけないんだものな……)


 恩田が地面に手をついたままのタカヤに近づこうとした、その時だった。

 白衣をはためかせた背の高い人物がタカヤの元へ近づいていった。走っているわけではない、けどとても足速に。グラウンドの野次馬たちをかきわけて進んでいく。


(キエナ先生……)


 キエナ先生はタカヤに近づき、膝を地についた。タカヤはそんなキエナ先生を見上げ、何かをしゃべっているようだ。


(何をしゃべっているんだろう)


 こんな離れた場所だから二人の表情は見えないと思っていたが。なぜか今は目が澄んだようになっていて二人の表情が窺い知れた。


「えっ」


 ユウジは呆気にとられた。なんとキエナ先生がタカヤを見つめながら笑っているのだ。見間違いではない。キエナ先生は愛おしいものを見るように、今まで見たことのない笑顔をタカヤに向けているのだ。


 タカヤはそんな先生に見惚れているのか、身動きせずにキエナ先生を見ている。

 そんな二人の様子を離れた場所から見ていた恩田は大きくうなずいていた。

 そして二人に会釈をして、グラウンドから立ち去っていった。


「よかったな、キエナ……」


 リク先生がつぶやく。それはつまり……勝負には恩田が勝ったが、本当の意味合いでの勝負はタカヤが勝ったということ。

 キエナ先生に笑顔をもたらした方が。


「タカヤ、よかったな……」


 リク先生と同じようなつぶやきを自分もつぶやいていた。自分の胸の中の痛みは押し殺して。

 ユウジは心臓を覆う肌の上をギュッとつかんだ。

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