第二段
長椅子に腰掛け、スカルは子どもたちの追いかけっこを眺めていた。
自分が育った孤児教会堂でも、決して多いとは言えないが、遊具がいくらかあった。跳び棒やのぼり縄など、簡単なものである。数少ない遊び道具はいつも取り合いだった。
対して、目の前の庭には遊具らしき遊具はひとつもない。小さな畑と芝草がまばらな広場があるだけ。
それでも子どもらはやせ細った体を弾ませ、楽しげに駆け回っている。
そんなスカルのところへ、堂師長が歩み寄って来た。
「お待たせしました。昼前に洗濯をすべてやっておかないといけなかったものですから……」
廃屋の教会堂で出会ったこの女は「堂師長」らしいが、この孤児教会堂を訪れてからこちら、年長の子どもは見かけるものの、大人らしい大人には出会っていない。数が少ないか、ほかに教会堂師はいないのだろう。寂れた小さな村ではよくあることだった。
「どうぞ」と差し出された水を、スカルはぐいと飲み干す。
「本当は何か、食べ物も出せたらよかったのですけど……」
「いや、いらない。さっき、あの子からもらえたからな。この水だけでもふたたび生き返った心地だ」
そうは言うものの、スカルにはまだ軽いめまいが残る。女性にしては大柄なスカルにとって、爪先ほどの大きさの麦モチでは少しの活力しか得られていない。
容器を返すと、スカルは庭へと目を戻し、男の子のあとを追ってはしゃぐアリヤを眺めた。
「あの子は……アリヤは、口が利けないのか?」
「……はい。大きくなってからこの教会に来るようだと、たまにあることなんです。ハッキリと理屈では理解できず、それでも、なんとなく『親に捨てられた』ということがわかってしまう年だと、よくないようです……」
スカルは自身の幼き頃を思い出す。
仲間内にもそういう子がひとりいた。いつもひとりで壁に向かい、絵を描いてばかりの静かな男の子。はじめのころは話しかけたりもしたが、一切答えてこないので気にしなくなったところ、いつのまにかいなくなっていた。
あの子はいま、どうしているのだろう。
「生活が立ちいかなくなったのでしょう、アリヤは親に置き去りにされたようでした」
「……だが、そのわりにはアリヤは快活そうだ。見ず知らずの私を怖がらず、強引にここまで引っ張ってくるところも……。ああして、他の子に混じって駆け回ってもいる」
「そういう子ですから」
堂師長もいっしょになって、ふたりでアリヤを眺める。
「アリヤは少し、他の子とは違うようです。こういった国ですから、行き倒れもたびたびあります。そういうヒトを見つけては、自分の分の配食を分け与えようとするのです。ほとんどはもう、手遅れだったりするのですが……」
「……
「まるで、自分を捨てた親のようには決してならない。そう決め込んでいるようです……」
「危ないから、一刻も早く止めさせることだ」
警告の言葉を口にするも、アリヤがそのような趣味をもっていなければ、自分は今ごろ、野垂れ死にしていたことだろう。一度は見限った命。さして惜しくもないが、ほんの少しでもこうして人心地つけているのはあの少女のおかげである。
「……アリヤが悪いわけでは……ないか」
少女の別離も悪癖も、目の前の子らがやせこけているのも、すべてはこの国の貧困に原因がある――。
「どうしてこの国は、どこもかしこもこうなんだ?」
「こう……とは?」
「どうして育ちざかりの子どもが、あれほどの麦モチで耐えなければいけないのか……。その大元はなんなんだ?」
「それは……」
言いよどむ様子だが、やがて、意を決するように堂師長はスカルの横へ座った。
「ひとつは、ここ三、四年つづいてる作物の不作です」
潜めるような声音で堂師長は続ける。
「そしてもうひとつは……、その……、現領主のせいです……」
「領主?」
堂師長は黙ってうなずく。
声を潜めたまま、彼女はこの国の現状を語った。
この
しかし、世代が変わり、息子だった男が領主になると、この国は一変した。
まともな農政や公益政治はほとんど行われず、課税が増すばかり。
今回の収穫不良も、免税なり、国庫解放なり、他の国から調達するなりしてくれればいいものを、領主は自身の一族と側近のぶんだけを確保し、あとは知らぬふり。重税の義務もそのまま。
絵に描いたような悪政下にある。
「しかし、重税とは言っても、
「……その仕掛けはアレです」
堂師長は振り返り、教会堂の玄関口を見る。
玄関灯の下。「アレ」とは、そこに張り出されている札のようなものを言っているようだ。スカルもところどころで見かけた覚えのある、「守護」と書かれた札である。
「アレが……、どうしたんだ?」
「アレは
「時代遅れだな……」
「時代遅れ」と思っているのは聖職につく堂師長も同意なようで、スカルを咎めてくる気配は一切ない。顔色すぐれないまま、言葉を続ける。
「効力も不確かなあのような護符の購入を、役人はしつこく迫ってきました。それでも断る人は多かったのです。とんでもない高額でしたから。ですがそのうち、国符を買わず、あのように張り出していない家が
「……まさか、国を治める者が野盗を使ったのか?」
堂師長は静かにうなずく。
「ひどいものでは、立ち並ぶ家々……、国符を張り出している家は飛ばし、張り出していないところをすべて、一家みなごろしなどということもありました。国符を買わないとどうなるか悟った領民は……、仕方なしに買い求めました」
聞いているそばから、スカルの表情が険しくなっていく。
「それも、買っただけでは終わらないのです。ひと月にいちど、『念込め』と称して役人が検分に来ます。その際に高額の代金を取っていくのです。なければ食糧。なければ家財。出せるものをすべて出して、それでも足りなければ札を剥がしていき、その夜には……」
「もういい」
長椅子から立ち上がると、スカルは教会堂の玄関に向け、歩みを進めていく。
「重い税を課されているのとなんら変わりない。いや、重税などよりもっとあくどい。自由な売買という名目であれば、宗主国の目も欺ける……」
玄関の前に立つと、スカルは国符の札を荒々しく引きちぎった。
「あ、スカル様! それを剥がしては……」
思わず立ち上がった堂師長に向き直ると、スカルは国符の切れ端を見せつけるようにかざした。
「頭がすげ替われば、この国は息を吹き返すか? アリヤは腹をふくらすことができるか?」
「スカル様……?」
「こんな護符は、今日一日で不要になる」
いらだたしげに叩きつけた札を、スカルは踏みにじった。
「麦モチひとかけら分の命、使ってみせよう」
*
夜も更けて夕食の席。
今夜もひとりひとつだというのに、子どもたちは競うように大皿から麦モチを取り上げ、頬張っていく。
アリヤもひとつ手に取ると、薄暗い食堂のなか、辺りをきょろきょろと見回しだした。
「アリヤ、食べないの?」
「ン!」
となりの子に聞かれても、アリヤは小さく答えるだけで周囲を見ることをやめない。
やがて、目あての者がこの部屋にいないことが判ると、彼女は席から下り、堂師長のもとへと駆け寄っていく。
「どうしたの、アリヤ? 早く食べてしまいなさい」
「ン!」
少女が何を問いかけているのか、堂師長には判る。痛いほど判る。
「食べなさい」
「ン~ンッ!」
少女の目が潤みはじめた。
ほろほろと静かに泣く少女の姿は、堂師長にとって、できれば見たくないもののひとつだった。
「スカル様は……、もう出発なされたわ」
「ン?」
「領主館に用事がおありになるからと、もうずいぶん前に出ていかれました」
「ンン~ッ!!」
「だから、ほら、食べてしまいなさい」
「ン~ン~ッ!」
訴えるようにくぐもった声を上げると、少女は食堂を飛び出していった。
またいつものとおり、寝室で泣き伏せてしまうのだろう。
子どもたちに静かに食事を終えるように言い聞かせると、堂師長は寝室に顔を出した。だが、そこに少女の姿はない。
それでは、あの廃屋だろうか。
いや、あの子は賢い子だから、夜の出歩きが危険なことを知っている。これまで、夜間にアリヤがあの廃屋に行ったことはなかったはずだ。
では、どこへ、と焦って探し回っていたところ、ふいに風の流れを感じた。
悪い予感がして行ってみると、表戸が開け放しにされている。
このときになってはじめて、堂師長は口を滑らせていたことに気が付いた。
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