第7話 器用貧乏(六日目・昼)
『——』
スマホの目覚まし音。音量設定をミスって部屋中にけたたましく鳴り響く。
「——にき」
「うぅ……」
「クソ兄貴!」
「——あぁ」
「起きろ、クソ兄貴‼」
「——んごっ⁉」
俺は二度寝しようと瞼を閉じると、お腹に強い衝撃。爽やかな朝とは思えない断末魔。ベッドの上でもがき苦しむ。
「さっさと起きやがれ、クソ兄貴」
悲痛の表情で瞼を開けると、目の前にはムスッとした顔で腕を組んでいる妹の姿。冷たい視線が容赦なく突き刺さる。
「愛しの兄になんてことするんだ。まったく‼」
「目覚ましが鳴っても中々、起きないのが悪い」
「うっ……」
口は悪いけど正論過ぎて何も言えない。でも、馬乗りは痛いから止めて。
「目覚ましの音、死ぬほどうるさいからちゃんと設定し直して。ご近所さんに迷惑だから」
我が妹は控え目に言って美人だ。俺と3歳しか変わらないのに断然、妹の方が大人びている。高校ではマドンナと崇められているらしい。
「早く、朝ご飯食べな。今度寝ようとしたら、包丁持ってくるから」
「ひっ‼」
これ以上ベッドに横たわっていたら、妹になにされるか分からない。最悪、息の根を止められる。恐怖に駆られた俺は、のそのそと上体を起こす。
時間を見るため、スマホの画面を開く。
「マジかよ」
ホーム画面に9時の表記。朝の6時に目覚ましが鳴るように設定していたはずだが、間違えて朝の9時に設定していた。100パーセント1限目の講義に間に合わない。そもそも、いつもなら妹がもっと早くに起こしに来てくれるはず。苛立ちが沸々と込み上げる(全部、自分のせい)。
むしゃくしゃして後頭部をかきむしる。でかいため息をつきながら自分の部屋を後にし、一階に降りる。
「妹よ。なぜ、今日は起こすのが遅かった」
「創立記念日で休み」
「あ、そっか」
妹はどこか不機嫌な様子でご飯を口に運ぶ。テーブルにはご丁寧に俺の分の朝ご飯が並べられていた。
俺の両親は仕事で忙しくほとんど家にいない。そのため、家事担当は必然的に妹が選ばれた(兄は料理ができません)。
「遅刻は絶対に許さない。晩御飯作ってあげないぞ。バイ・妹」
「すみません。今度から気をつけます。許してください」
両親がほとんどいない今、代わりに妹が主導権を握っている状態。故に、妹を怒らせるのはご法度。平気で3日間、晩飯抜きを敢行する女だ。将来、恐妻家になれる素質がある。末恐ろしい。
「——最近、機嫌良いけど大学でなんかあった?」
「なんだ、突然」
自分の席に着き、朝ご飯を黙々と頂いていると、妹がそんなことを聞いてくる。妹はいつも俺の微々たる変化にすぐ気付く。『女の勘』っていうヤツか。
「やっと、好きな女性でもできた?」
「できてない」
「噓だ。なんかスケベな顔してるもん」
「至って普通の顔だ」
正面よりジト目で俺を睨みつけてくる。なんか不満げだ。
「好きな女ができたとしても妹には関係ナッシング。無気力な兄のことなんて気にするな。今は自分の進路のことだけ考えろ」
「別に関係無くはないでしょ⁉ 一応、血繋がった兄妹だし。気になるのは当然じゃん」
「ハイハイ、ブラコン乙。そこまで妬くなって」
「チッ。うっざ、どっかで死ねばいいのに」
ちょっと揶揄い過ぎたかな。短気な妹は暴言を吐いて、勢い良く立ち上がる。雑な感じでシンクに完食された皿を放り込む。
「今日、晩御飯なしだから」
「えっ、ウソ! それはマジ駄目」
「カワイイ妹を邪険に扱う兄のことなんて知りませーん。じゃあね」
「待って、行かないで。一回、お兄ちゃんと話し合おう。ね?」
「イヤ」
「こら、お兄ちゃんに反抗してはいけません」
「あっそ」
床に項垂れ、駄々をこねる兄。それを冷ややかな目で、見下ろす妹。結局、慈悲をかけるわけでもなく、外へ走りに行ってしまった。
外食する金がないのにこれは困った。一食、我慢しなくてはならない。
◇◇◇
家を出たのは10時。そこから2時間半後。ようやく大学行きのバス停に到着した。普通に2限目も間に合わなかった。
バスの時刻表によると、30分ぐらい空白の時間がある。某ウイルスの影響で間引き運転のままになっている。待ち時間が暇だ。近くのベンチで妹が作ってくれたお弁当で腹を満たす。
「優くん、おはよう——じゃなくて、こんにちは!」
「あ、モネさん」
正面より人の気配。弁当から目を離すと、目の前にモネさんが立っていた。
「まさか、こんな時間に会うとは思わなかったよ。もしかして、お寝坊さん?」
「うん。普通に寝過ごした」
「ありゃりゃ」
モネさんの今日の服装もカジュアルでクールなコーデ。上は黒のシャツブラウスに、下は細身のデニムパンツ。足元に視線を落とすと、靴はシャ○ルのブーツだった。ブランド品が買えるぐらいの財力はあるらしい。今日の晩御飯は彼女に奢ってもらおうかなと良からぬことを考える。
「ちなみに、1限目と2限目の講義はなんだったの?」
「中国語と英語」
「うわ。1回でも休んだら、乗り遅れるヤツじゃん」
「そうそう。特に中国語は終わった」
「ドンマイ。また次があるさ」
「次、ね——」
また次があると油断しているうちにズルズルとドツボにはまっていく。後に取り返しのつかない結果が待ち受ける。サボり癖は一朝一夕で直せる問題じゃない。難病の1つとして数えられてもおかしくない。
不意に、モネさんの顔を視界に捉える。
「——ん?」
前髪で隠れた額。俺はその額に違和感を覚える。
「モネさん、ちょっと前髪上げてくれる?」
「前髪?」
「ちょっと気になる所があって」
「あ、これね」
俺の指示通り前髪を上げてくれたおかげで、違和感の正体が分かった。額の中央に大きめの絆創膏が貼られている。
「昨日、階段から転げ落ちて、できた傷なんだ」
「え、それって大丈夫?」
「よくある擦り傷。大した怪我にならずに済んだよ」
「絆創膏がデカいのは?」
「家にあった絆創膏がこれしかなかったの。今度、薬局屋で買い込んでおかないと」
絆創膏が貼られた患部を軽く擦り、お茶目に舌を出す。心なしか虚勢を張っているように見える。素直に痛いって言えばいいのに。
「早くバス停に行かないと、乗り遅れちゃうよ」
「もう、そんな時間?」
使い古された腕時計を見る。弁当を食べ始めて、30分も経過していた。
「——まだその腕時計、使ってたんだ」
「ん、今なんて?」
「ううん。なんでもない」
早足でバス停に向かう。大学はちょうど昼休みの時間帯。長蛇の列を予想していたが、意外にも人は少なそう。
「今日は普通に座れそうで良かったァ~」
「そういや、あれから体調はどうなん?」
「無事に快調。元気モリモリ☆」
いつもより顔に覇気があり、全身から活気が溢れる。ぱっと見、カラ元気ではなさそうだ。
程なくしてバスが停車。仲良く車内に乗り込む。俺たちは迷わず、後ろの席をチョイス。ここが定位置になってきている。
「窓側いい?」
「オーケー」
モネさんは乗り物酔いしやすい体質。窓側の席を彼女に譲る。
『——まもなく、バスが発車します。揺れにご注意ください』
昼の日差しは痛いほど眩しい。眩し過ぎて、モネさんの顔を直視できない。全身が反射して、白くぼやけて見える。
「優クン……」
「ん?」
「メッチャ暑いね」
「うん」
「日中は37度もあるらしいよ」
「ウェ、もう夏じゃん。春はどこに行ったんだ」
「ホント、それ——」
他愛もない会話を続ける。モネさんの笑顔は絶えない。俺もモネさんのおかげで、かなり表情筋が緩くなった。たとえ会話の内容がスカスカでも、一緒にいて楽しい。 この時間が永遠に続けないいのにと思ってしまう。
彼女と出会ってたった1週間。二人の距離はみるみるうちに縮まり、もはや親友の域にまで達した。もしかすると、俺たちの“友情”が将来的に“愛情”へ昇華する日もそう遠くない、かも——。
「——優クン、優クン」
「なに?」
「服のボタン、外れかけてる」
「マジで」
高校時代になけなしの金を叩いて買った薄手のジャケット。ほとんど使う機会がないボタンがべろんべろんと宙を跳ねていた。辛うじて、1本の糸で繋がっている状態。少しでも引っ張れば、切れてしまいそう。
「てか、この服、穴空いてない?」
「え、どこどこ?」
「ここ、ここ——」
俺はジャケットを脱いで、モネさんが指さす箇所を確かめる。
「いや、マジかよ。これ高かったのに……」
自分の親指がすっぽり入るくらいの穴の大きさ。このまま着るのも可能だが、わりと目立つ。なんとなく貧乏臭が漂って嫌だ。仕方ない。勿体ないけど、捨てるしかないか。
「服、直してあげようか?」
「へ?」
「私、こう見えても裁縫が大得意なんだ。これぐらいの穴ならちょちょいのちょいだよ」
「そ、そうなの。でも、肝心の道具がないんじゃ……」
「ノープロブレム。手持ちに裁縫箱があります!」
カバンの中から花柄の茶色い箱を取り出す。一瞬、弁当箱に見えたが、大きさが違う。
「ほら、一通り道具は揃ってる」
「——スゲェ」
パカッと箱の中身を見せてくれた。素人目にはよく分からないが、確かにたくさん道具が敷き詰められている。この道具の多さなら安心して任せれそうだ。
「だいたい、どのくらいかかる?」
「う~ん、10分あれば充分かな」
「そんな早くに⁉」
「ついでにボタンも余裕でイケるよ。どう?」
「お、お願いします……」
「ハイよ~」
裁縫箱から小物類を出し、作業に取り掛かる。
「——しかし、モネさんは凄いなぁ。料理もできて、裁縫もできるし……。こうやって話している感じ、意外と勉強もできるでしょ?」
「そんなことないよ、別に……」
褒められ馴れいないのか、手元が狂って危うく手に持っていた針を自分の指に刺しそうになる。
「モネさんには憧れるわ。俺もなんでもできる人になりたかったな」
「気合いさえあれば、なんでもできるようになるよ。そこまで特別じゃない」
「そうかな……」
他愛もない会話を続けている間。いつの間にか、ボタンが元通りに戻っていた。残りは穴の部分だけ。
「——優クン。器用貧乏って言葉、知ってる?」
「器用、貧乏——?」
俺は首を傾げ、疑問符を浮かべる。モネさんは物憂げな表情で手を動かす。
「器用でなんでもそつなくこなすけど、そのせいでどれも中途半端に終わっちゃうっていう意味。器用さくせに貧乏って不思議な四字熟語でしょ? プラスの単語とマイナスの単語が複合するなんて珍しい」
「——それ、誰かに言われたの?」
「私がまだ幼い頃、お母さんにね。『アンタには大きなデミリットもなければ、大きなメリットもない。可愛げがなくて、つまらない。所謂、器用貧乏だ』って」
「——」
「私の家は昔から放任主義なの。いや、ただの育児放棄かな。母親も父親も早々と 娘に愛想尽かせて、自分たちの趣味に没頭した。勿論、今もね」
「——」
「——ゴメン、なんか暗い話になっちゃって」
「——ううん」
俺は掛ける言葉が見つからず、だんまりを決め込む。最低だ。
『——次は、××大学、××大学~。終点です』
「完成したよ。見てみて」
モネさんは上機嫌にジャケットをこちらに掲げる。つくづく、可愛い。今の笑顔はすぐに写真に収めて、額縁に飾りたかった。
俺はいつの間にモネさんの虜になって、熱狂的なファンになってしまったんだ。
「特にこのワッペンとか良くない?」
「おぉ……」
真っ先に、目に飛び込んできたのは『クマさん』。穴は綺麗に塞がっているが、代わりにクマさんのワッペンが縫われている。小学生の頃、公園で転んでズボンを破いた時。母親につけてもらったキャラクターのワッペンを思い出す。
「——嫌、だった?」
「全然。むしろ、最高。なんなら、もっとクマさんのワッペン付けて欲しいぐらい」
「そ、そう。喜んでもらえたなら、いいけど——」
「やったー」と小さくガッツポーズ。控え目に喜ぶ。
尊い。好きだ。付き合ってくれ。心の中で愛の告白。『友情』と『愛情』が天秤にかけられ、揺らいでいる。現時点では『愛情』が優勢。
「モネさんに借りができちゃった」
「借り——? もう貸し借りはゼロでしょ?」
「あれ、そうだったけ?」
「昨日、助けてもらったじゃん」
「あ、そうか」
「じゃあね」と、モネさんは素早く立ち上がる。彼女は俺を押し出し、バスを後にした。またまた、先に行かれた。今回はかなり強引に逃げられた。そろそろ学内を一緒に歩きたいよ。
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