「夏彦、痛くない?」ひんやりと冷たい日影のコンクリートで頬を冷やしていると、隣から木島が聞いてくる。

「痛いよ。とっても。こっちは昨日の分もあるからね」少しでも動けば手足も胸も腰も背中も痛くてたまらなかった。

「だから悪かったって、謝ってるだろ?」

「そのせいで木島君だって殴られてるじゃないか」夏彦は隣で同じようにコンクリートにべたりと体をつける木島を見る。

 校舎の裏側にある体育倉庫の中はテレビで見る暴行現場にぴったりで、きっと彼らはそれを前々から知っていたのだろう。昼休みが始まると同時に数人の生徒が夏彦を呼びに来た。当然仲良く遊びましょうという誘いのわけがなかった。

「どうして木島君は僕に謝ったの?」

「どうしてってそりゃあ、夏彦が嘘つきじゃないってわかったし、なんかあのシチョウとかいう男の話を聞いてたら、なんか、頑張らなくちゃって思ったんだ」鼻をすする音が聞こえる。夏彦がそれが彼特有の照れ隠しだと気が付いていた。

「あと、お前の父ちゃんがあれだけ強いならお前も実は強いんじゃないかと思ったし」

「僕だって知らなかった」夏彦は給食の時間のテレビを思い出す。今朝出会ったシチョウと名乗る男性が記者に囲まれて何やら話をしていたと思ったら、画面の端から灰色のスーツを着た細身の男が現れてシチョウに襲いかかったのだ。

 灰色の男は手に持った刃物と自らの身体をシチョウにぶつけようと突撃する。ふと、画面の外側から何者かの手が伸びてくる。その手の持ち主がグレースーツの襟をつかんだと思ったとたん、刃物を持った男は宙を舞って床にたたきつけられている。

すぐに画面は切り替わり、何やらスタジオでアナウンサーと最近人気の若い俳優が何事もなかったかのように意見を交わしていたのだが、画面が変わる直前、間違いなくシチョウに襲いかかった灰色の男性を投げ飛ばしていたのは普段は頼りない父親の姿だったのだ。

「運転手ってのはあんなに強いもんなのかよ?」木島は笑う。だが、いつものようないやらしさや敵意は感じない。

「俺もシチョウになれるかな?」木島が痛みを抑えながら体を起こしているのが見える。

「無理じゃない? だって木島君勉強できないし、あと……」寝癖もひどい。と夏彦は続ける。

「なんだよそれ。じゃあお前がなれよ、シチョウ。それでさ、こういうことがない学校を作れよ。悠馬君とか俺みたいのがいないような学校に」

「それってシチョウの仕事なのかなぁ?」

「知らねぇよ。でも、そうすりゃ千円だって払わなくてもいいかもしれない」

 嫌なことを思い出させてくれるなと木島をにらむ。

「そんな顔するなよ。最初は百億、その次は千円、今は二人で千円だ。楽なもんだろ?」

「セッパンってやつだ」夏彦、どこかで聞いた気がする単語を口にする。

「夏彦、お前難しい言葉知ってるな?」

「半分こって意味なんだって、この前朱里ちゃんが言ってた」誰だよ朱里ちゃんってと木島が口をすぼめる。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが学校中に響いている。

「そういえば木島君。どうして先生にテレビが見たいって言ったの?」

「昨日、パソコンで見たんだよ。学校でいじめられていた奴が死んじゃったって」

 夏彦はそれが他人事のように思えなくてぞくりとする。

「そしたら急に怖くなっちゃって、夏彦が先生にテレビ見たいって言ってるから、それを叶えてあげれば俺はいじめてないことになる気がしたんだよ」顔を観なくてもばつが悪い複雑な表情がそこにあるのがわかる。

「やっぱり木島君はシチョウには向いてないよ」

「何度も言わなくていいって。それに今は向いてなくても、そのうちよくなるかもしれない。それまで待ってみるってのはどうだ?」

「先延ばしするってこと?」やめた方がいいよ。朱里からの提案でそれを実行した夏彦がうまくいかなかったのだから間違いない。そういえば朱里の数学のテストはどうなったのだろうかと考える。

「違げぇよ。チャンスを待ってるんだよ」

「一発逆転、起死回生だ」夏彦は早押しクイズの回答のように言う。

「何それ? かっこいいな」木島はゆっくりと立ち上がって夏彦を見下ろす。夏彦は未だ痛みが引かずに立ち上がれない。「夏彦。お前やっぱり頭いいよ。俺がシチョウになったときには味方になれよ」

 まだあきらめてないのかよ。と不機嫌な顔をしながらなんとか上体を起こす。空気中に舞っている石灰の粉がうっとおしい。

「味方って言っても僕一人じゃどうにもならないよ。現に僕たちはイジメられてる」今まで避けてきた言葉を自らの口にして、初めて自分がイジメを受けていることを認識したようでつらい。まるでゲームの負けを宣言するみたいで気が重くなる。

「夏彦は細かいことばっかり言って面倒くせぇな。いいんだよ! 味方が1人でもいればヒーローは最強なんだから。シチョウだって同じようなもんだろ」

 木島が鼻をすすりながら反対の手を差し伸べる。

 夏彦は木島の手を取って立ち上がる。

 昼休みがとっくに終わり、外で遊んでいる生徒たちの声はもう聞こえなかった。

 君はやっぱりシチョウに向いているかもしれないと、思っても夏彦は口にしないでおこうと思った。

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