木製の重々しい扉をノックする。高級感あふれる扉はノック音も別格だ。佐藤は自然と背筋を伸ばして名乗る。

「佐藤です」

「どうぞ」中からしわがれた声が返ってくる。

 佐藤は深呼吸をして扉を開く。古臭い金属が悲鳴を上げているのが微かに聞こえる。部屋の中はすべての電球がついているのにも関わらず、どこか薄暗く感じる。背中が汗ばみ、シャツがへばりついて気持ちが悪い。

「失礼します」頭の先に無視できない存在感を感じながらも教科書どおりの礼をする。

「そんなに堅苦しくなくてもいい。こちらに座ったらどうだ?」

 部屋の奥ではこれまた部屋の内装に合った豪華な椅子に橋本文隆が座っていた。

もう70近い年齢でありながら、ぴんと伸びた背筋のせいか大きく見える。太い指に大柄な体。目一杯に膨らんだようなスーツを見て佐藤はいつも小河原によく似ていると思う。いや、正確には小河原が橋本に似ているのかと思い返す。

 もう一度、深く礼をしたのち、進められた椅子に腰かける。

「堅苦しくなくてもいいと言っているのに、君は頭を下げるのが好きなのか? そうじゃなきゃ、実はそれが本業なのかな?」橋本の白髭に埋もれた口から冗談が飛び出す。

 佐藤は笑わない。

「その必要があるのであればそれも仕事のうちと考えております」一歩一歩慎重に歩く場所を選ぶように話す。いつ、どこに地雷が埋められているともわからないこの世界で油断は禁物だ。

「面白いことを言うな。君は」橋本はどこからか取り出したお茶を勧める。

 佐藤はお茶の湯気で視界がわずかに歪み、夢を見ているような気分になる。この部屋に来るといつもそうだった。

「それで、あいつはどうする?」橋本のしわがれた声はゆっくりで落ち着いた話し方だったが、背中を強くたたかれたように佐藤の身体の中を走り抜ける。

 はい。と答えて胸の内ポケットから手帳を取り出して開く。何も書かれていない適当なページを開く。そこに書かれていることを読み上げるように視線を集中させる。少しでも前を、橋本を観ないために佐藤が考えだした数少ない方法だ。

「明日の13時より開く会見で正式なコメントを出す予定となっております。念のため原稿はこちらで用意し、小河原先生にはそれを読んでいただくことに致します」自分で言いながらあの頑固者が言うことを聞くだろうか。と不安になる。

「もちろんその内容は真実だろうな?」

「はい。お任せください。真実は常に私たち側にありますから」

「ならいい。どうせ真実なんて権力の道具でしかないのだからな。そのことをすんなり理解してくれる君はやはり頭がいい」ありがとうございます。と座ったまま頭を下げながら、佐藤は心の中で狸親父め! と罵る。

 そもそも、このようなことになってしまったのは、この男の不注意が招いたことだ。わざわざ希望通りの企業を見つけて引き合わせたというのに、よりにもよって佐藤の上司に見られてしまうとは佐藤自身も思ってもみなかったのだ。

 しかし、それのおかげでこうして政界の権力者とのパイプをつなげられたのだから悪いことばかりではなかったかもしれないと、佐藤はほくそ笑む。この狸親父はそれでも絶大な権力を持っていて、いずれはその恩恵にあやかるのは結局こうして従順に尽くした者なのだ。

「君は市長と国会議員のどちらが偉いと思う?」橋本はお茶をすする。その様子はまるで蜜を吸うカブトムシか何かのようみ見える。

「国と市であれば国の方が大きいのでは?」法律や決まり事、慣習などは関係なかった。実際に佐藤が目にしてきた現実はそうだった。

「そうだな。国の方が大きい。つまりは親と子みたいなものだ。子が親の教えを無視して親に反逆しようなど、あってはならない。そのあたりは小河原君にも伝えたはずなんだがなぁ」橋本は壁の絵を見つめながら渋柿を口にしたかのような顔で言う。

「それでは、私は明日の準備もありますので、これで失礼いたします」手帳を閉じて立ち上がる。ここは逃げるが勝ちだ。

「私は君にも期待しているよ。君はそこらへんにいる金魚の糞みたいな秘書とは違うみたいだ」

「ありがとうございます」素直にうれしくなり佐藤は再び頭を下げる。

「君は本当に頭を下げるのが好きみたいだな。そんなことで自分の子どもの信頼を得られずに足元をすくわれるぞ?」

あなたのようにですか? と言ってやりたくなるのをこらえる。

「先生のような方にであれば頭を下げないほうが信頼を失いかねませんから。息子もわかってくれます」

「それは良かった。明日の結果次第で私は君をもっと力の発揮できるところに推薦しようと思っているんだ。きっと息子さんも喜ぶよ」

「では、尽力させていただきます」わかりやすい釣り方だな、とも思ったが、くれるというのであればもらっておいて損はない。

 重苦しい扉を出て考える。明日さえうまくやれば俺は成功へのチャンスを手に入れることが出来る。自分を顎で使ってきた人間たちを、腰巾着と馬鹿にしてきた者たちを今度は自分が使い、蔑む番がやってくるのだ。その時は小河原も秘書くらいにはしてやろう。

 真実など権力の道具にしか過ぎない。橋本のしわがれた声が頭の中で反響する。

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