【第8話】

 意識が浮上する。



「…………」



 目を覚ませば、すぐ近くに白い頭があった。エルドの鍛えられた胸筋に額を寄せ、瞳を閉じている。眠っているように見えるが、エルドが目覚めた気配を察知して瞼を持ち上げた。

 瞼の向こう側から垣間見える銀灰色の双眸。窓から差し込む朝日を取り込んで輝く彼の瞳は、さながら雪原の世界のように綺麗だった。


 寝ぼけ眼を瞬かせるエルドに、肌も髪も瞳さえも真っ白な彼は淡々とした口調でご挨拶。



「【挨拶】おはよう、エルド」


「…………おう」


「【報告】周辺に敵性レガリアの反応はない。念の為、ゲートル共和国外の範囲も参考にして索敵を開始する」


「頼んだ……」



 寝起きのせいで頭が働かず、エルドは「ふあぁ」と特大の欠伸をして眠気を振り払おうとする。


 夜の間はユーバ・アインスを抱き枕にしていたが、温かくて心地が良かった。抱き心地は悪いかもしれないが、湯たんぽの代わりに最適である。冬場は特に寒さが厳しくなり、改造された右腕のせいでまともな衣類を着ることが出来ないエルドにとっては重宝しそうだ。

 やはり早急に右腕を叩き落として義手にでも変えた方がよさそうだ。冬が訪れるたびに思うことだが、エルドが裸に軽鎧だけを身につけた超軽装備なのも規格外に膨れ上がった右腕の戦闘用外装が原因である。


 エルドはユーバ・アインスを解放し、それからようやくベッドから起き上がる。ちょうど腹も減ってきたところだ。



「朝飯、外に食いに行くか」


「【疑問】店舗の検索は必要か?」


「財布の痛手にならねえところで頼む」


「【了解】該当する店舗の検索を開始する。【要求】エルドはその間、身支度を整えてくれ」


「はいはい……」



 再びベッドへ引き摺り込もうと画策する眠気を欠伸で振り払い、エルドは洗面所に向かうのだった。



 ☆



 襤褸布ぼろぬのはどこかに置き去りとなってしまったので、仕方なく日傘のみで対応することとする。



「おはよう、エルド。よく眠れたか?」


「まあな」



 朝食を終えてから待ち合わせ場所に指定された昇降機前までやってくると、すでに何名かの傭兵団『黎明の咆哮』の面々が揃っていた。昨日は十分に羽を伸ばせた様子で、彼らの表情には活力が戻っている。

 エルドはユーバシリーズの5号機と6号機の対応に追われていたというのに、随分と呑気なことだ。5号機と6号機を撃破したので特別報酬とかもなさそうだし、エルドだけ損ではないのか。


 悶々と考えるエルドをよそに、ユーバ・アインスが律儀に団長のレジーナへ挨拶をする。



「【挨拶】おはよう、団長」


「ああ、おはよう。――ん?」



 レジーナの緑色の瞳が、ユーバ・アインスの胸元に注目する。



「ユーバ・アインス、その指輪は一体?」


「【疑問】これか?」



 ユーバ・アインスの胸元には、革製の紐に括り付けられた安っぽい指輪が揺れている。金色の台座に青色の宝石がついたパチモンだ。

 これは昨日、エルドがユーバ・アインスに送ったものである。ユーバ・フュンフとユーバ・ゼクスとの戦いでなくすかと思いきや、まだ首に引っ掛かっていたとは想定外だ。


 指輪を見下ろしたユーバ・アインスは、



「【回答】昨日、エルドにもらった」


「へえ?」


「おい、何が言いたいんだ姉御。別にいいだろ」



 ニヤニヤとした意地の悪い笑みをエルドに向けるレジーナは、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるエルドに「いやいや、私は何も言っていないだろう」と否定する。もうすでに瞳が色々と物語っているのだ。


 襤褸布を頭から被せなかったことが悔やまれる。布を被せておけば全身が必然的に隠れることとなるので、ユーバ・アインスの胸元に揺れる指輪の存在は誰にもバレなかったはずだ。いいや、バレたとしてもレジーナに馬鹿にされるようなことはなかった。

 ムカつく笑みを見せる団長をぶん殴りたい衝動に駆られるが、エルドは理性で抑え込む。こんな頭がパッパラパーな団長に付き合っていたらキリがない。



「随分と楽しんだ様子だな、エルド?」


「うるせえな、いいだろ別に。アインスは人里が初めてだって言うから」


「なかなか微笑ましいことをするじゃないか。婚約指輪か?」


「違うわ、殴るぞ姉御」


「いたッ」



 殴ると宣告してから、エルドは団長のレジーナの後頭部を左手で軽く叩いた。ちゃんと加減はしたつもりだが、痛みはご愛嬌である。

 仕返しと言わんばかりにエルドの脇腹をドスドスと手刀で攻撃してくるレジーナを無視する。傭兵団『黎明の咆哮』を統率する団長なのに、こんな子供っぽい一面も持ち合わせるのだ。


 すると、ユーバ・アインスが「【報告】これももらった」と紙袋を掲げる。一体どこに収納していたのか、それはユーバ・アインスが探し求めて最終的にチンピラから助けた女性からもらった話題の恋愛小説である。



「それは?」


「【回答】涙にくれる薔薇という題名の恋愛小説だ」


「…………それはお前が読むのか、ユーバ・アインス?」


「【回答】そのつもりだが。【疑問】団長、おかしな表情をしているが問題はないのか?」



 ユーバ・アインスは口元を引き攣らせるレジーナに首を傾げて問いかける。

 彼女の場合、自立型魔導兵器『レガリア』が恋愛小説を読むという頓珍漢な行動に笑いを堪えているのだ。戦争の為に作り出された白い破壊神が、恋愛小説1冊に一喜一憂するのである。それを想像しただけで、確かに笑いが込み上げてくる。


 レジーナはエルドの肩を叩くと、



「お前と出会って、ユーバ・アインスも随分と変わったな?」


「うるせえ」



 レジーナの手を振り払って適当にあしらうと、彼女の元に外へ偵察に出ていた戦闘要員が帰ってくる。「団長、ちょっといいですか?」などと問いかけていた。

 同志の話に耳を傾ける為に、レジーナは真剣な表情で報告を聞いていた。こう言う時は頼もしいのに、どうして仕事が関係なくなると馬鹿みたいに絡んでくるのか。酔っ払いか。


 エルドはユーバ・アインスに詰め寄り、



「テメェ、その小説どこに隠し持っていた? 手品か?」


「【回答】当機の兵装で四次元空間に物品を収納するものがある。必要であればエルドの兵装もしまうことが出来るが?」


「嘘だろ、便利だな」



 ユーバ・アインスの兵装は本当に便利なものばかりである。こうして考えると自立型魔導兵器『レガリア』は味方につけたら結構便利だ。

 いや、おそらくこれもユーバ・アインスだからこそ備え付けられた兵装だろう。他のレガリアだとこうも上手くいかないだろうし、下手をすれば会話だって成立するか危うい。


 自慢げに胸を張るユーバ・アインスは、



「【回答】そうだ、当機は便利だろう。【推奨】これからも積極的に当機を頼ることをお勧めする」


「昨日の夜は『隣にいない方がいい』とか『最終的には自爆でリーヴェ帝国を壊滅させる予定だ』とか言っていたのにな」


「【要求】忘れてほしい」


「しおらしいアインスはどこに行ったんだろうな」


「【要求】忘れてほしい。【警告】今すぐ忘れなければ記憶忘却系の兵装を展開、該当する箇所の記憶を消去する」


「急に暴力へ方向転換するなよ!!」



 どすどすと加減された拳で殴られるエルドは「分かった、分かった」と応じる他はなかった。



「…………何だと?」



 その時、団長の口から低い声が漏れたのを聞く。


 彼女の表情は険しい。真剣な表情で同志の報告を聞いていた彼女だが、徐々にその表情が曇ってきていた。

 何か異変があったとしか思えない反応だった。特にエルドたちにとってよからぬことになるような、そんな雰囲気である。



「姉御、どうした?」



 エルドが何気なく問い掛ければ、彼女は深刻な表情でエルドへ振り返る。



「我々の拠点になる予定の『ハルフゥン』が、敵性レガリアによって占拠された」



 それは、傭兵団『黎明の咆哮』として歓迎できない情報だった。

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