【第10話】
「色々見て回ったなァ」
探していた恋愛小説をたまたま助けた通行人の女性に譲ってもらい、さらにその後もゲートル共和国の商店街を見て回ったのだ。
商店街の中心に据えられた噴水広場まで戻ってきたエルドは、疲れたようにベンチへ座り込む。重たい戦闘用外装を装着したままの状態であり、意外と人混みも気を使わなければならないのだ。こんな馬鹿みたいに硬い腕を振り回せば、一般人なんて簡単に死んでしまう。
エルドの隣に腰を下ろしたユーバ・アインスも「【肯定】少し疲労感がある」と頷く。自立型魔導兵器『レガリア』にも疲労感があるのか、と少し驚きが隠せなかった。
紙袋に包まれたお目当ての恋愛小説を懐から取り出したユーバ・アインスは、
「【回答】これほど平和な時間は、当機が運用されてから初めてだ」
「そうかよ」
「【感謝】ありがとう、エルド」
ボロボロの布の下で、ユーバ・アインスはエルドに微笑みかける。
「【回答】人里が楽しいものだと学ぶことが出来た。【感激】このような学びは経験がない故、嬉しいものだ」
「レガリアでも喜ぶし、疲れるもんなんだな」
「【肯定】そうだな。不思議なものだが」
城壁の外で展開されている戦争の様子など知らない子供たちが、楽しそうに噴水で遊んでいる。それを微笑ましそうに見守る母親たちは、呑気に井戸端会議に興じていた。話題はどうせアルヴェル王国とリーヴェ帝国の戦争ではなく、子供の父親がどうのと実に平和的な内容だろう。
穏やかな時間が流れていた。これ以上ないほどに、穏やかで平和という2文字がよく似合う時間が緩やかに過ぎ去っていく。
城壁の外側に出れば、量産型レガリアがいつ襲撃するか分からない緊張感に溢れた毎日を送る羽目になる。エルドにとって、それがいつもの日常だ。その日常に戻るまでのしばしの間、平和な非日常を楽しんでもバチは当たらないはずだ。
伸びをするエルドは「そうだ」と自分の懐に忍ばせた存在に気づく。
「テメェにやる」
「【疑問】これは?」
エルドが懐から引っ張り出したのは、小さな紙袋である。押し込んでいた影響で随分とクシャクシャだ。
首を傾げるユーバ・アインスは疑うことなくエルドから紙袋を受け取り、その中身を引っ張り出す。
小さな紙袋から出てきたのは、革製の紐に括り付けられた指輪だった。もちろんエルドの所持金で本物の宝石があしらわれた指輪など購入できるはずもなく、商店街の陰で偽物の装飾品を広げていた宝石商から買ったものだ。
金色の指輪に、青い石が埋め込まれたものだ。ユーバ・アインスが熱心に見ていた指輪である。
「大きさが合うか分かんねえし、どうせなら落としにくい方がいいだろ。テメェは防御力に特化してるし、傷つく可能性はないと思うからな」
そんなことを言うエルドだが、ユーバ・アインスから反応がないことにようやく気がついた。
革紐付きの指輪を受け取ったユーバ・アインスは、指輪を眺めたまま固まっていた。
やはり自立型魔導兵器『レガリア』でも、男から男に指輪を渡されるなど想定外なのだろう。彼の頭に搭載された人工知能も迷惑がっていそうだ。
慣れないことをするものではないと頭を抱えるエルドに、ユーバ・アインスは言う。
「【疑問】いいのか?」
「あ?」
「【疑問】当機が受け取ってもいいものなのか?」
受け取るべきか迷うユーバ・アインスに、エルドは「当たり前だろ」と返す。
「テメェには何度も助けられた。まあ、だからそれは、その、恩返し――いや違うな、対価みたいなもんだ」
「【納得】そうか」
ユーバ・アインスは小さく頷くと、
「【回答】どんな形式であれ、エルドから貰えるもので不必要と判断するものは当機に存在しない」
そう言うと、ユーバ・アインスは頭を覆い隠す
襤褸布の下から露わとなる純白の髪と銀灰色の双眸、整った顔立ち。肌の色は作り物めいた真っ白さだが、日傘も相まって色素が抜け落ちたアルビノと誤認してくれるはずだ。
喋り方さえ気をつければ、ユーバ・アインスは人間そのものに見える。襤褸布を取り払ったところで注目される要素とすれば「アルビノかしら?」程度のものだ。少しだけヒヤヒヤするが、周囲から奇異な視線が寄越されないので密かに安堵の息を吐く。
ユーバ・アインスは指輪が括り付けられた革紐に頭を通し、それから位置を調整する。彼の胸元で、煌びやかな指輪が揺れていた。
「【感謝】ありがとう、エルド」
ユーバ・アインスは心の底から嬉しいとばかりに微笑み、
「【感激】素敵な指輪だ。大切にする」
何だか照れ臭くなって、エルドはそっぽを向いた。「…………おう」とだけ小さく応じるのみだ。
この場に傭兵団『黎明の咆哮』の面子がいたら、エルドの様子を全力で揶揄ったかもしれない。いや、多分ユーバ・アインスの指輪を認識したら間違いなく揶揄ってくるかもしれない。
その指輪はなるべく隠すように言おうとすれば、何故か唐突にユーバ・アインスは日傘を投げ出して立ち上がった。
「アインス?」
「…………」
銀灰色の双眸を晴れ渡った空に向けるユーバ・アインスは、
「【報告】高速移動するレガリアの存在を検知。個体識別、ユーバシリーズ5号機」
「え」
「【展開】
ユーバ・アインスが両手を空に向かって突き出せば、白い壁が出現して噴水広場を覆い隠していく。唐突に出現した白い壁を見上げて、一般人が「何かしら?」「え?」と疑問に満ちた眼差しを周囲に巡らせる。
エルドは弾かれたようにベンチから立ち上がり、右腕に装着した戦闘用外装をガシャンと鳴らす。
傭兵としての勘が告げていた。背筋を逆撫でするようなゾワゾワとした感覚は紛れもなく本物――そして最優にして最強のレガリアと名高いユーバシリーズの襲撃だ。ユーバ・アインスが嘘を吐かない性格であることを鑑みれば分かる。
「伏せろ、レガリアの襲撃だ!!」
次の瞬間だ。
――――ッッッッッッドン!!
地面を通じて伝わってくる重たい衝撃。
井戸端会議に興じていた母親たちは、慌てた様子で噴水から我が子を引っ張り出してしゃがみ込む。絹を裂くような悲鳴が幾重にもなって響き渡るが、誰かが怪我をしたような様子はない。それもユーバ・アインスの有する高い防御力に守られているからか。
やがて、はらはらと雪のように白い防壁が崩れていく。何も知らない子供たちがそれに触れようと手を伸ばすが、母親たちに引き摺られるようにして噴水広場から親子連れなどの一般人が姿を消した。
「【遺憾】やっぱり敵わないわね、クソ兄貴」
崩れる雪と共に噴水広場へ降り立ったのは、赤い髪の少女である。
年齢は10代後半程度だろうか。夕焼け空のような赤い髪はポニーテールに結ばれ、その毛先はぐるぐると巻かれている。炎を連想させる真っ赤な瞳は忌々しげにユーバ・アインスを射抜いており、勝気な印象を与える顔立ちが台無しだ。
華奢な体躯を真紅のボディースーツに包み、生地がピッタリと肌に張り付いた意匠の影響でその体躯が浮き彫りの状態となっていた。腰や足回り、なだらかな胸元などに切れ込みが刻まれて、真っ白い肌が露わとなっている。
その可憐な見た目とは裏腹に、腰回りを漂う鋼鉄の翼のような物体は何だろうか。スカートのようにも見えるが、そんな綺麗なものではないだろう。
「【叱責】ユーバ・フュンフ、言葉遣いは直せと常日頃から言っていたはずだが」
「【回答】寝返ったクソ兄貴の命令なんて誰が聞くのよ」
全身を赤で統一した少女は、白魚のような指先でユーバ・アインスを示して宣言する。
「【宣告】誇り高いレガリアからガラクタになったクソ兄貴なんて、
平和は、脆くも儚く崩れ去った。
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