第5章:焦がれる恋慕、壊れる平穏

【第1話】

 カーン、という起床を告げる鐘の音が耳朶に触れた。



「んがッ」



 目覚まし時計の代わりとなって久しい鐘の音に、エルドの意識は覚醒する。


 倒した座席の背もたれから上体を起こし、未だにエルドの意識を夢の世界に引き摺り込もうと画策する睡魔を欠伸で振り払う。

 レノア要塞での激戦がまだ身体に疲れとして蓄積されている気がする。怠い肩周りをほぐすようにぐるりと回してやるが、やはり簡単に疲れは取れてくれない。車中泊がどうしても長引くからだろうか。


 欠伸によって浮かんだ生理的な涙を拭いつつ、エルドは助手席に寝転がる白い塊に視線をやった。



「…………」



 背もたれを倒した助手席には、瞳を閉じたまま指先1つ動かさない純白のレガリア――ユーバ・アインスがいた。

 機能停止をしているのかと思えばそうではなく、休眠状態を維持しているだけに過ぎない。エルドが呼び掛ければすぐにでも起動準備に移行し、数秒と経たずに覚醒することだろう。


 ただ、彼の寝顔というものは非常に珍しい。普段から整った顔はしているが、閉ざされた瞼を縁取る白い睫毛だのスッと通った鼻梁だの綺麗なものだと感じる。



「いやいや、何言ってんだ俺は……」



 一瞬でも脳裏をよぎった邪な考えを、頭を振って追い出す。


 相手は自立型魔導兵器『レガリア』で、性別も男性型だ。同性に対して「綺麗だ」なんて言葉を送ったところで喜ばれるはずがない。

 いや、そもそも何故そんな結論に至るのか。エルドの中ではユーバ・アインスが隣にいることがもう当たり前の感覚となってしまっていた。戦争が終わったあともついてくると言うものだから、もうそんな気分になっていた。


 とっととユーバ・アインスを休眠状態から復帰させようとするが、それより先に四輪車の窓が軽く叩かれた。



「エルド、ユーバ・アインス。朝の時間帯だが少し話が――」



 四輪車の窓の向こう側から顔を出したのは、黒髪ぱっつん美女のレジーナ・コレットである。朝から団長様に気にかけてもらえるとは光栄だ。



「ん? まだユーバ・アインスを起こしていないのか?」


「あー、おう」



 エルドの隣で未だに瞳を閉ざすユーバ・アインスを見て、レジーナが訝しげな表情で言う。

 口が裂けても言える訳がない。「ユーバ・アインスの寝顔に見惚れていました」などとレジーナにウッカリ口を滑らせれば、あとで絶対に揶揄われるに決まっている。その日のうちに傭兵団『黎明の咆哮』内で噂にもなってしまう。


 悟られないようにユーバ・アインスを起こそうとするエルドだが、



「なるほど、ユーバ・アインスの寝顔に見惚れていたな?」


「ばはあッ!?」



 どこでバレたのだろう。



「確かに整った顔立ちをしているものなあ、エルド? 自分のことを守ってくれるユーバ・アインスを『何かちょっといいかもな』と思い始めたか?」


「姉御、冗談はよしてくれ。アインスは男だぞ」


「世の中には同性に好意を抱く連中も多いさ。何ら不思議なものではない」



 ニヤニヤとした笑みが憎たらしく、エルドは憮然とした表情でレジーナを睨みつける。見惚れていたのは事実だが、何故か自分の心を捏造されている気分である。

 これだけエルドとレジーナが喧しく騒いでいるのに、ユーバ・アインスは休眠状態から一向に回復しない。エルドの「起きろ」という一言が来るまで待っているのだ。いつもユーバ・アインスは不思議なことにエルドの言葉でしか起きない。


 苛立ちを紛らわせる為にエルドはユーバ・アインスの肩を叩くと、



「おら起きろ、アインス。姉御が用事だとよ」



 その言葉を受け、ユーバ・アインスから平坦な声が流れた。



 ――起動言語ウェイクアップを受諾、起動シークエンスに移行します。


 ――擬似魔力回路、安全回路、動作回路の正常作動を確認。


 ――非戦闘モードに移行。


 ――位置情報の取得を完了、現在地を入力。


 ――索敵範囲内に武装勢力を確認。本体の登録情報と一致。傭兵団『黎明の咆哮』戦闘要員のものと断定し、非戦闘モードを続行。


 ――敵性レガリアの存在は確認できず。以後、索敵範囲内を広域に設定して適宜排除を実行します。


 ――起動準備完了。



 ――Regalia『ユーバシリーズ』初号機・アインス、起動します。



 様々な情報が高速で飛び交うが、今まで聞いていた起動準備の音声とは少し違っている気がする。いつもだったら傭兵団『黎明の咆哮』の戦闘要員を武装勢力と判断して、本体であるユーバ・アインスの判断に従って非戦闘モードを続行していたが、今日の起動段階ではようやく敵性勢力ではないと人工知能が認識したのだ。

 これはいい傾向である。傭兵団『黎明の咆哮』は敵ではなく味方、リーヴェ帝国が敵であることを認識してくれれば暴走状態に陥る危険性も格段に減る。そのまま襲い掛かられないだけだいぶマシだ。


 今日も問題なく起動した純白のレガリア――ユーバ・アインスは、スッと上体を起こすと銀灰色ぎんかいしょくの双眸をエルドに向けた。



「【挨拶】おはよう、エルド。【報告】現在、索敵範囲内に敵性個体の存在はない」


「そうかい、おはようアインス。テメェも横になって眠るとかあるんだな」


「【回答】当機は休眠状態に移行できる安全地帯があれば、どのような体勢でも問題はない。【補足】そもそも休眠状態は必要ないので、寝ずの番を必要とする場合は命じてほしい」


「野営任務があると確実に俺も一緒だろうが。寝ずの番なんて今後も必要になるかよ」


「【回答】そうか」



 ユーバ・アインスは次いでレジーナの存在に気づくと、銀灰色の双眸を瞬かせた。



「【疑問】団長、エルドに何か用事か?」


「ああ、エルドとお前に用事だ。ユーバ・アインス」


「【了解】如何なる任務も遂行する所存だ」


「お前は本当に使い勝手のいいレガリアだな」


「【感謝】光栄だ」



 レジーナは再びニヤニヤとした笑みを見せてから、エルドの肩をポンと叩いてきた。



「これほど従順であれば本当に嫁にするのも考えるべきだな、エルド?」


「誰がだ、誰が!!」


「戦える嫁などお前としては願ったり叶ったりなのではないか? 悠々自適で快適な隠居生活が送れるぞ」


「姉御、そのお綺麗な顔面をぶん殴られたくなけりゃ今すぐ黙ってもらえませんかねェ」



 戦闘用外装は後部座席に積んであるので、エルドは鍛えられた左拳を握りしめる。こちらは改造を施していない生身の状態だが、それでも十分に威力は見込めるはずだ。

 レジーナも「やれるものならやってみろ」とエルドの乗る四輪車からそっと身を引いた。おそらく改造された両足による強烈キックをお見舞いしてくるつもりだろう。ユーバ・アインスがいるけれど不平等すぎる。


 すると、エルドとレジーナによるやり取りに対して何を思ったのか、ユーバ・アインスが平坦な声で問いかけてきた。



「【質問】エルドと団長は結婚の予定が?」


「はあ!?」


「ユーバ・アインス、冗談も大概にしておけ」



 ユーバ・アインスの突拍子のない質問にエルドは驚き、レジーナは不機嫌そうに眉根を寄せた。心の底から嫌だと言わんばかりの態度である。



「【疑問】違ったのか?」


「こんなズボラな男を好きになる訳がないだろう。世界が終わってもお断りだ」


「姉御、それはこっちの台詞だ。誰が姉御みたいに性格の悪い女を好きになるかってんだよ、こっちから願い下げだな」


「誰が性格の悪い女だって?」



 レジーナに容赦なく頬を抓られて、エルドは「イダダダダ」と激痛を訴える。このようにすぐ手が出る女はエルドの好みでも何でもないのだ。



「戯言はいいから、とっとと朝食を済ませて私のところに来い。今日の方針について話がある」


「話を脱線させたのは姉御だろうがよ……痛え……」



 未だにズキズキとした痛みを訴える頬をさすり、怒ったような足取りで立ち去っていくレジーナの背中を睨みつけるエルド。今まで見てきた女の中で最も一緒にいたくない性格の女だ。

 あんな奴と結婚などという悍ましい話題を提供してくれたユーバ・アインスが恨めしい。仲の良さもクソもなく、ただの腐れ縁に過ぎないのだ。


 エルドは朝食を取りに行こうと四輪車の扉を開け、



「【疑問】エルド、貴殿の好きな女性はどのような人物だ?」


「は?」


「【補足】団長のような女性は好ましくないのであれば、どのような女性が相手に相応しいと?」



 銀灰色の双眸を真っ直ぐに向けてくるユーバ・アインス。その質問の内容は果たして本当に意味のあるものなのだろうか。

 昨夜もどこか気にしている様子だったし、秘匿任務や今後の戦闘行為に影響が出たら困る。無難な答えを用意するのも至難の業だが。


 エルドは「あー……」と金髪を掻きながらユーバ・アインスへ視線をやり、



「…………尽くしてくれる奴、とか?」


「【納得】なるほど」



 ユーバ・アインスは納得してくれたように頷いた。これでいいのか。


 エルドは様子のおかしいユーバ・アインスに首を傾げ、朝食を取りに行く為にとりあえず四輪車から離れることにした。「ちょっと留守番してろよ」とユーバ・アインスに軽く命じておく。

 車内に残った白いレガリアの「【期待】それなら当機にもまだ可能性は……」などという言葉は聞こえなかった。

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