【第12話】
――「エルドの好きな女のタイプは、小柄で華奢な可愛い女の子だな」
――「ほら、今日見たあのー……何だっけ? 7号機?」
――「多分ああいう女の子は好きだと思うぞ。傭兵団同士の寄り合いとかで声掛けに行っては怖がられてしょんぼりしてるからな」
下品な内容の会話が、精神回路に記録されている。
それらを精査し、ユーバ・アインスに搭載された人工知能に新たな情報が付け加えられる。余計な情報だから人工知能もエラーを吐いて仕方がないが、これは格納するべき記録と自分で判断したものだ。
焚き火の明かりが夜の闇をぼんやりと照らす薄暗い世界に、ユーバ・アインスは視線を投げかける。
7号機であるユーバ・ズィーベンが敵兵として立ち塞がり、アルヴェル王国の要人を殺害した。戦場に紛れる末妹を真っ先に追いかけたのはユーバ・アインスではなく、秘匿任務に協力を申し出てくれたエルドだった。
すぐにユーバ・アインスも追いかけて、それからユーバ・ズィーベンの撃破を実行した。開発者である父に願われた通りに秘匿任務を遂行したまでだ。
――【報告】精神回路に異常な数値を確認。【推奨】精神回路の状態をリセット。
「【要求】異常な数値に関する心当たりとなるものを照合」
――【了解】照合します。
人工知能が精神回路に異常な数値が出たと報告し、ユーバ・アインスは自分の中にあらかじめ搭載された知識の中からその数値に該当する事象を検索するように要求する。
文句も言わずに該当する事象を検索する人工知能は、ややあって答えを導き出した。いつもは即答するはずの人工知能が珍しいことである。該当する事象を検索するには重たい数字だったのだろうか。
そして、人工知能が導き出した答えは、ユーバ・アインスにとって思いもよらないものだった。
――【報告】異常数値に関する事象の照合が完了。【回答】人間で言うところの『恋慕』に該当するものかと思われます。
「【疑問】恋慕?」
――【回答】誰かに対する強い執着心、嫉妬心、その他諸々の感情を数値化すると、今回検知した数値と99.45%合致します。【補足】機体の全回路にも多少の影響はあり。心臓部の稼働率は20%ほど上昇します。
知らないうちにそのような事態が起こっているとは想定外である。これでは想定されているユーバ・アインスの耐用年数よりも早く活動限界が到来し、部品の交換等をしなければならなくなる。
だが、その部品交換の際に誰にも身体に触れてほしくないという謎めいた欲求が生じた。再び人工知能がエラーに喘ぎ、所定の格納場所にしまい込まれる。
開発者である父や、父の研究に携わった研究者たちにもこのようなエラーは吐かなかった。何故かエルドのことを考えただけで、大量のエラーを発生させる原因となったのだ。
「んー……がー……」
狭い四輪車の内部が僅かに揺れる。
運転席の背もたれを倒し、呑気に寝転がる大柄な男が寝返りを打ったのだ。
くすんだ金色の髪を乱雑に束ね、無精髭を生やした筋骨隆々とした男である。放り出された右腕にはいつもの戦闘用外装は嵌められておらず、神経が壊死して痩せ細った状態の生身の右腕が剥き出しの状態となっていた。
エルド・マルティーニ――傭兵団『黎明の咆哮』に所属する傭兵で、ユーバ・アインスの秘匿任務の協力者。
「…………」
ユーバ・アインスはエルドの寝顔をじっと見つめる。
秘匿任務が完了すれば、エルドとは別々の道を歩むはずだった。リーヴェ帝国とは相討ち覚悟で戦い、どさくさに紛れて自爆すればエルドに悟られることなく別れると未来さえ予測していた。
その目論見は外れた上に、戦争が終わればエルドの旅路について行くと宣言する始末だ。予定にはない未来像である。
でも「撤回したくない」という意思は本物だった。ユーバ・アインスは、まだ機能停止したくないのだ。
「…………【呼称】エルド」
名前を呼ぶ。
「【呼称】【再】エルド」
名前を呼ぶ。
「…………」
ユーバ・アインスは助手席から身を乗り出し、エルドのゆっくりと上下する胸板に耳を寄せる。
とくん。とくん。とくん。
聴覚機能を刺激する鼓動の音。エルドはまだ生きている。
呼吸も体温も正常であることを兵装で確認してから、ユーバ・アインスはようやく安堵できた。戦争でもないのに病気で死んでしまったら、嫌だ。
――何故、嫌だと思えるのだろう?
「【疑問】当機は何故、エルドに対して生存を望む発言や行動を、女性の好みに対する嫉妬心や執着心を抱くようになった?」
――【回答】それが『恋慕』です。【補足】アインス、貴方はエルド・マルティーニに恋慕を抱いている。
「【納得】そうか……」
この言語に表現できない、抱えるには巨大すぎる数値が『恋慕』に該当するのか。人間とは不毛な感情を抱くものだ。
数値の異常は、己の未来予測さえも捻じ曲げる。本来は存在しない行動情報を更新してしまう。自立型魔導兵器『レガリア』として、この数値を保持するには余りありすぎる。
それでも、捨てたくない。膨大すぎるこの感情の数値だけは、たとえ何が起きても絶対に捨てるものか。
「…………」
ユーバ・アインスは、エルドの右手を掬う。
痩せ細った右手だ。この右手に戦闘用外装を嵌め込んで、数多くの戦場を潜り抜けてきた。量産型レガリアを1発で再起不能にする、卓抜された戦闘機能を発揮する強靭な右手だ。
生まれながらにして神経が壊死し、痩せ細ってしまった右手は触れてもエルドが起きる気配がない。ユーバ・アインスが触れていることさえ気がついていないのだろう。相変わらずスヤスヤと眠りこけたままだ。
「【要求】エルド、この先もずっと当機を貴殿の側に置いてほしい。戦争が終わっても、貴殿が死ぬその時までずっと、永遠に」
その為ならば、
「【誓約】当機は、当機が有する全ての兵装・戦略・知識を使って貴殿を守護する。あらゆる脅威、あらゆる敵兵から貴殿を守ってみせる」
生身であるエルドとは違い、ユーバ・アインスは空気中に散らばる魔素を取り込んで真力に変換し、損傷箇所を自動的に回復する『自動回復機構』なる機能が搭載されている。エルドを傷つけるあらゆる存在から守ることが出来る。
その為には、側にいなければならない。ユーバ・アインスはエルドから離れない。離れてはいけない。
痩せ細った右手に顔を寄せたユーバ・アインスは、
「――――」
エルドの右手に、唇を触れさせた。
「んー、んが……」
「ッ」
パッと急いでエルドの右手を解放すると、ユーバ・アインスは即座に居住まいを正す。何があっても「【回答】精神回路に記録された情報の整理をしていた」という答えを用意しておかなければならない。
だが、エルドは起きなかった。左手で立派な胸板を掻き、健やかないびきを掻いているだけだ。
逆に起きてくれた方がよかった、と変なことを思ってしまうのも恋慕が原因だろう。恋慕とはなかなかに理解し難い感情だ。
ユーバ・アインスは助手席の背もたれを倒し、エルドの隣に寝転がる。寝顔が間近に迫ったような気がした。
「【要求】休眠状態に移行。【設定】エルドの
――【了解】起動条件を設定しました。【挨拶】おやすみなさい、アインス。良い夢を。
レガリアは夢を見ない。休眠状態に移行すれば、起動言語を受諾するまで起きることはない。
それでも、今この時ほど夢を見る機能を望んだことはない。似たような兵装を設計することも出来やしない。
静かに瞼を閉じ、ユーバ・アインスの意識は休眠状態に移行した。
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