第3章:見上げるほど、遙かなる

【第1話】

「んがッ」



 車の窓から漏れた朝日に照らされ、エルドは覚醒した。


 ぼんやりした頭を振って眠気を追い出すと、夢の世界に片足を突っ込んだ状態の瞳で隣の助手席に視線をやる。

 座ったままの体勢で瞳を閉じる全身真っ白なレガリア――ユーバシリーズが初号機、ユーバ・アインスが休眠状態でそこにいた。呼吸すらもせず、指先どころか髪の毛1本すら動かさずに機能を停止している。


 本当に死んでしまった人間のようにピクリとも動かないので驚くが、自立型魔導兵器レガリアにとってはこれが普通なのだ。



「アインス、起きろ。朝だぞ」



 エルドがそう呼び掛ければ、



 ――起動言語ウェイクアップを受諾、起動シークエンスに移行します。


 ――擬似魔力回路、安全回路、動作回路の正常作動を確認。


 ――非戦闘モードに移行。


 ――非戦闘モードに移行完了。


 ――位置情報の取得を完了、現在地を入力。


 ――索敵範囲内に武装勢力を確認。本体の判断により非戦闘モードを継続。


 ――起動準備完了。



 ――Regalia『ユーバシリーズ』初号機・アインス、起動します。



 様々な情報が高速で飛び交い、それからユーバ・アインスは覚醒する。

 瞼が持ち上がり、そこから垣間見えたのは銀灰色の双眸だ。朝の気配に包まれた世界を眺め、それから彼はエルドへと向き直る。


 聞き慣れた平坦な声で、



「【挨拶】おはよう、エルド」


「おう、おはようさん」


「【報告】索敵範囲内に敵レガリアの存在はない」


「気が利くな」



 これで朝からレガリアの襲撃を受けたら、呑気に車中泊をしている場合ではなくなってしまう。昨日の作戦成功が尾を引いているのか、奪還成功したレストン王国にリーヴェ帝国が攻め入ることはなかった。

 こちらにはまだ傭兵団の連合が残っているのだ。本国であるアルヴェル王国の命令に従って、大半の傭兵はこのままレストン王国の修繕に従事することとなるだろう。傭兵団『黎明の咆哮』の扱いはどうなるのか分からないが、そこは団長であるレジーナにいくらか通達はあるはずだ。


 欠伸をするエルドは、ボサボサになった燻んだ色の金髪を掻く。



「今日の仕事はレストン王国の修繕作業になるかァ……?」


「【報告】団長が此方に向かっているようだが」


「姉御が?」



 ユーバ・アインスがそう言うと、車の窓がコツコツと控えめに叩かれた。


 窓を開ければ、そこから銀色の包装紙が特徴の携帯食料と水筒が乱雑に放り込まれる。キノコのような帽子を被った非戦闘用員であるヤーコブかと思えば、真っ先に見えたのは青みがかったパッツン黒髪とスレンダーな体格が素敵な女性だった。

 理知的な印象を与える緑色の双眸が、真っ直ぐにエルドを見据えている。「おはよう」などという挨拶が地獄の鬼による「覚悟は出来たか」に聞こえた。幻聴だと信じたい。


 朝から冷や汗を流すことになったエルドは、膝の上に落ちた携帯食料と水筒を拾い上げると窓を静かに閉める。



「あざーっす、姉御。じゃ」


「まあ待て、エルド。話がある」


「碌でもねえ話の予感しかしない」



 窓を閉めようとするエルドを制して、傭兵団『黎明の咆哮』を率いる団長レジーナ・コレットは言う。



「仕事の話だ」


「レストン王国の修繕作業なら分かってるよ」


「我々『黎明の咆哮』は本日の午後をもってオルヴランから出発し、北戦線のレノア要塞へ向かう」


「は?」



 予想外の仕事内容に、エルドの思考回路が止まった。


 レノア要塞と言えば、現在アルヴェル王国とリーヴェ帝国が激しい戦争を繰り広げている場所だ。改造人間が毎日のように投入されて使い潰され、そこかしこに死体の山が築き上げられていると噂がある。

 そんな最前線にわざわざ向かうということは、団長のレジーナはよほど死にたいようだ。どれほどの大金を本国から積まれたか知らないが、同志の命を使い潰すような真似をするような奴ではないと思っていたのに。


 ところが、レジーナは「戦場に用事がある訳ではない」と言う。



「エルド、常々言っているが我々傭兵は勝てる戦いしかしない。金銭が目的で高い戦闘力をアルヴェル王国に貸してやっているだけだ。金払いがいいからアルヴェル王国の勝利に手を貸しているだけであって、金銭を払う余裕があればリーヴェ帝国に寝返るぞ」


「そうかい、そうなった暁にゃ俺は姉御を殺しますわ」


「物騒なことを言うな。ただまあ、私もリーヴェ帝国の味方はしたくないがな」



 じゃあ何で言ったんだ、というエルドの視線を受けたレジーナは、



「リーヴェ帝国は魔法の技術や機械技術は突出していると思うが、昔から人の心がない連中ばかりだ」


「アインスがいるけど、それ言っていいのか?」


「【回答】当機に関しては問題ない」



 静かにレジーナの言葉を聞いていたユーバ・アインスは首を横に振る。



「【補足】全て事実に基づいているから反論のしようがない」


「噂程度だと思ってたんだけどな……」



 レジーナは苦笑した。さすがのエルドも、何も反応は出来なかった。


 リーヴェ帝国は魔法に関する技術力と機械技術は他の国も真似できないほど素晴らしいものだが、帝国の人間は心がないと専らの噂だった。平気で使えない仲間は見捨てるし、荷物になるようなら殺すというような連中である。

 そんな連中だからこそ、自立型魔導兵器レガリアなんてものを開発するのだろう。命令に忠実なお人形ちゃんを使い潰してなお帝国の上層部は平然としているのだから恐ろしいものだ。


 ユーバ・アインスは銀灰色の双眸でレジーナを見つめ、



「【質問】仕事の内容とは?」


「ああ、そうだった。エルドが余計なことを言うから話が脱線した」


「俺のせいかよ」



 携帯食料の包装紙を破り、ブロック型の携帯食料に齧り付くエルドはレジーナをジト目で睨みつけた。脱線の責任転嫁をしないでほしい。



「実は、本国のアルヴェル王国からとある荷物が届いた。最新型の兵器だと言っていたが、リーヴェ帝国から狙われているようでな」


「へえ」


「その護衛をしてもらいたい、と大金を積まれて依頼された。我々傭兵団『黎明の咆哮』は、その兵器をレノア要塞まで安全に送り届ける」


「なるほど、配達のお仕事かい」



 金を積まれれば何でもやる傭兵団らしい仕事である。

 凄惨な最前線で戦わなくていいのであれば、それで問題はない。金が手に入るならエルドも文句はないし、命を使い潰されないのであれば万々歳だ。


 携帯食料を口に詰め込んだエルドは、



「それで、その兵器を配達する仕事にウチの傭兵団が勝ち取ったって訳か?」


「いいや、今回は本国直々のご指名だ。我々の活躍が本国のお偉いさんの耳に届くようになって嬉しいものだが、裏がありそうで仕方がない」


「へえ」



 エルドは水筒から冷たい水で喉を潤しながら適当に応じる。


 傭兵団の仕事は、複数の傭兵団が争奪戦をした末に勝ち取るというやり方である。今回もてっきり金払いのいい仕事に交渉の達人であるレジーナがあの手この手で引っ張ってきたのかと思ったのだが、どうやら違ったようだ。

 アルヴェル王国から直々に命令された仕事内容となると、重要度に比例してかなり難しくなる。レガリアから狙われる内容であることは間違いない。有名になるのも大変である。


 まあ、直々に命令されるような重要任務は金払いのいい仕事だし、他言無用しないような内容なので口の堅さも必要になってくる。守秘義務も含まれるので、報酬金は高額になるのだ。



「それで? 一体どんな兵器を運ぶんだよ、姉御。それぐらいは教えてくれるだろ?」


「…………聞きたいか?」


「え」


「聞きたいか?」



 レジーナは真剣な表情でエルドの胸倉を掴み、それからユーバ・アインスには指先の動きだけで近くに寄るよう命じる。

 周囲に人間がいないことを確認してから、彼女は小さな声でこう言った。


 よりにもよって、最悪の名前を。



「運ぶ兵器は自立型魔導兵器レガリアだと言っていた。まあ、眉唾だがな」

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