LAST WITCH

海森 真珠

ソルティアと蒼炎の残り香

Episode1.1 リンゼの時計台


 春の温かい日差しが降り注ぎ、爽やかなそよ風が頬を撫でる。心躍る花の香りが体を包む。そんな穏やかな昼下がり、元気に子供たちが走り回り、買い物を楽しむ女性たちや新鮮な肉や魚を売る店が賑わっている。


 そんな平和な西の王国テルーナの中心部首都ガランドで突如、爆音が鳴り響いた。


「きゃあああああッ」

「な、なんだっ!?」


 一瞬にして街は騒然となる。


「ごほっ、ごほっ」

「あっ、あれを見て!」


 爆風に舞う砂埃に視界を奪われながらも、住人の一人が指さしたのは、街の中心にそびえ立つリンゼの時計台。


 数代前のテルーナ国王の愛娘であるリンゼ王女が流行り病で亡くなった際、王女を弔うために国王が建てた貴重な時計台だ。いついかなる時も首都ガランドに時刻を知らせる時計台が、今まさに国民の目の前で真っ二つに崩れ落ちた。



 そんな瓦礫の周りを飛び交う複数の黒い影。遠くにいる住人たちにはその姿が分からないだろう。そして彼らがとても刺激的な会話をしているということも。


「あわわわわわわ! や、やばいですぅっ! これはさすがにやばいってこと、私にも分かりますよぉ!?」

「俺にはまだ幼い妹と病気の両親がいてな、養うための金が必要だからこれで減給にでもなったら大変なんだが」

「ちょ、何言ってるんですかぁっ!? フェナンド隊員、たぶんそれどころの話じゃないと思いますぅ!」


 瓦礫の上をぴょんぴょんと兎のように跳ねまわる薄桃色の髪の女性が、フェナンド隊員と呼んだ体格の良い男性に叫んでいた。剣を片手に二人とも首まで覆われた真っ黒の服に真っ黒のマントを着ている。まるで闇夜のような漆黒の装いだ。


「ところでネル隊員、アリサー隊員は」

「へ? そういえば見当たりませんねぇ? どこいったん――っどわぁ!?」


 ネルがキョロキョロと辺りを見回した直後、彼女の足元の瓦礫が下から吹っ飛んだ。もちろんネルも仲良く瓦礫と宙を舞う。


「……」


 砂埃が立ち込める中、瓦礫の下から姿を現したのは、真っ白なお面をつけた長身細身の人物。フェナンドやネルと同じ格好をしているが、ひとつ違う点がある。それは、左手にぐったりとした怪しげな男性を引きづっていることだ。辛うじて生きていることだけはフェナンドの目から確認できた。


「そんなところにいたのか、アリサー隊員。……ああ、無事にできたんだな」


 ぐったりとした男性の方は傷だらけで悲惨な姿に対して、戦闘後と思われるアリサーには傷一つなかった。


 仲間であるアリサーに吹っ飛ばされながらも、ちゃっかり無事に着地して事なきを得たネルはアリサーに不平をもらす。


「もぉーう! アリサー隊員ってば、下にいたなら言ってくださいよぅっ」

「いやネル隊員、恐らく瓦礫に埋まっていたアリサー隊員は話せなかったのでは」

「あっ! そっかぁ。すみません~! それにしても本当にやること大胆ですねぇ!?」


 そんなことをわちゃわちゃと時計台の残骸の上で話す彼らを、さらにその下の安全地帯にいる男性二人が遠い目で見ていた。いつもなら迅速に動くはずの二人も、今回ばかりは茫然とせざるを得ない。そして二人のうち若い方の短髪の男性がややぶっきらぼうに問いかける。


「プラトン副隊長……この規模の後始末って俺はじめての経験なんですが、まずやるべきことって何でしょうか」

「おお、我が副官トス。良い質問だ。まずはだな……」


 そう言いながら、来月四十歳になるプラトンがトスの肩に手を乗せた。残業続きで死んだ魚の目をしていると、自他ともに認めるプラトンが満面の笑みを咲かせて言い放つ。


「辞表を書くことだ」


 その笑顔は、トスがプラトンの部下となって以来、初めて見るほどの清々しいものだった。





 世界動植物保護協会サンクチュアリ、テルーナ王国中央支部。

 クリーム色の柔らかい内装を基調に温かみのある木製の家具で統一された屋内は、日々の任務で疲れた保護官たちの癒しの空間。しかし、会議室に呼ばれたネル、フェナンド、アリサーはもうかれこれ一時間は棒立ちしていた。


 目の前には疲れ切った顔のプラトンと、通常運転の真面目なトスがいる。やつれ切ったプラトンはここ数日でかなり老け込んだように見えた。


「お前たちはそんなに俺が憎いか」

「「「…………」」」

「それとも来月誕生日の俺への贈り物か」

「えっ! お誕生日なん――あぎゃっ!」


 ネルが口を開いた瞬間、分厚い本が彼女の顔面に直撃した。


 荒い呼吸を繰り返すプラトンを、トスは「どうどう」と落ち着かせる。一撃で沈没したネルを同僚であるフェナンドはちらりと見ただけで、放置。アリサーに至っては全く微動だにしない。立ったまま寝ているかのようだ。


「世界のあらゆる希少種を保護するこのサンクチュアリ、テルーナ王国中央支部始まって以来の大不祥事だぞっ!? お前ら特殊部隊の後始末をする俺ら第二部隊に死ねって言ってんのかぁ!? あぁ!?」


 ついに発狂したプラトンは、ぐしゃぐしゃになっていた頭をさらにかきむしった。

世界動植物保護協会サンクチュアリは、世界のあらゆる危険種から人間を守り希少種を保護する組織であり、各国に支部を持つ巨大かつ治外法権を持つ独立組織でもある。


 そんな支部の一つであるテルーナ王国中央支部の第二部隊の副隊長であるプラトンは、仕事上深く関わる特殊部隊の隊員三名を前に怒鳴り散らす。今回の彼らのやらかしはさすがに揉み消せるものではないのだから、自暴自棄になってもおかしくはない。


「お前たちのボスが昨日の件でさっそく国王に呼び出されたんだぞ。ざまぁ見ろ! あいつ自身はどうなってもいいが何でこんな大ごとにしたっ!? 俺に何の音沙汰もねぇのが逆にこえぇっ!」

「プラトン副隊長、色々と駄々洩れです」

「うるせぇっ。今回の対象は特級危険種の使って情報だったから念には念を、わざわざ別任務からアリサーを首都に戻したのによぉ!? お前たち特殊部隊は秘密裏の処理が鉄則だろうがぁッ!」


 完全に頭に血が上ったプラトンを見て、トスは抑えることを諦めた。もはやこうなってしまっては手が付けられない。副官であり部下であるトスが支部内で力づくで上官を抑えつけるわけにもいかないし、とにかく無理な話だ。


 真面目に次の職を探した方がいいかもと思ったその時、会議室の扉が豪快に開かれた。というか、吹っ飛んだ。突然のことに驚きながらも誰の登場かすぐに察したプラトンが怒鳴り散らすのをやめる。


「……なんでこう、特殊部隊の狂人共は破壊しか能がねぇんだ」


 ぼやきつつプラトンはどうにでもなれと、無造作に椅子へと体を沈める。


「ボクのやんちゃで可愛い子猫ちゃんたちはどこかしら?」


 鈴の音のような女性の声がやけに大きく会議室内に響いた。ネルたちと同じ漆黒の制服に身を包み、胸元には隊長格を示す金色のブローチと金色の刺繍が入っている。

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