第42話 森の中の騒音
魔物の溢れの話を聞いてから1ヶ月経った。
あれ以来、薬草を売りに来るたびに町中の緊迫感が増しているという状況で、他人事という感覚だった私も多少は危機感というものを持つようになっていた。
そして今日、ついに溢れに関して状況が動いたらしい。
「フェリシアさん、いつもありがとうございます。
ですが、薬草の買い取りは溢れの状況が落ち着くまで停止していただいて構いません」
溢れの話が出て以降、個室での対応となった薬草買い取りの冒頭で真剣な表情のティナさんからそう告げられた。
「もしかして、とうとう溢れが始まるのですか?」
「はい、中心に近い西部で危険域に入ったという情報が入りました。
西部では1週間もしないうちに、この辺りでもその2、3日後には溢れが始まるだろうとのことです。
ですので、次回以降の薬草の買い取りは中止して、フェリシアさんも町に避難するようにしてください」
半ば確信を持って質問すると、ティナさんにあっさりと肯定された。
町中やギルド内の緊迫感からそろそろかと予想はしていたけれど、実際にいざそうなると困るものがある。
一応、危機感自体は出てきてはいるものの、だからといってその対応をどうすればいいのかというのが定まっていないのだから。
「やはり町に避難したほうが良いですか?
相変わらず、屋敷の周辺は以前と変わりなく平穏そのものなのですが」
「そうですね、私としてはそうしてもらったほうが良いとは思います。
溢れが始まってしまうと、少なくとも数日は魔物の襲撃が断続的に続きますし、長ければ2週間近く森の中のお屋敷で孤立する可能性がありますから」
「あぁ、確かに孤立するのは厳しいですね」
一応、2週間程度であれば屋敷に引きこもることも可能だとは思う。
けれど、さすがに情報が遮断された状態でそうなるのは厳しいものがあると思うし、最悪情報収集に出たタイミングで魔物の襲撃とかち合うなんていう事態になりかねない。
それを考えると、素直に町に避難したほうが良いのかもしれない。
「わかりました。
一度屋敷に戻ったら、準備をして町に避難することにします」
「ええ、そうしてもらえると私としても安心できます」
少し考えて結論を出した私の答えに、ティナさんは心から安心したように答えてくれた。
私の今までの行動はティナさんにかなり心配をかけていたのかもしれない。
「一応、森の箱罠は回収しておこうかな」
町から帰った翌日、思ったよりも準備することがないことに気づき、やり残したことがないかと考えて思いついたのがこれだった。
まあ、することがないのであればさっさと町に避難した方が良いのだろうけれど、思いついてしまったのだから仕方ない。
染みついた貧乏性が放置という選択肢を選ばせてくれないのだから。
「まあ、普通に午前中には終わるしね」
そんな言い訳をしつつ、森へと回収に向かうことにした。
「よし、これで全部回収したね。
後はこれを屋敷の解体小屋に片付ければ終わりかな」
屋敷の左右の森に分散して仕掛けていた箱罠の全てを回収し終えてつぶやく。
箱罠を回収するためだけに森に入っているためか、予想よりもかなり早く作業が終わった。
お昼を食べてから町に向かうつもりだったけれど、この分だと町についてから昼食をとることを考えた方が良いのかもしれない。
「ん?」
屋敷に戻った後のことを考えていると、森の奥から何かが争うような音が聞こえた気がした。
時期が時期だけに、周囲を警戒しつつ耳を澄ます。
「……うん、気のせいじゃないね」
気のせいであれば良かったのだけれど、大して時間を置くことなく再び森の奥から争うような音が聞こえてきた。
今度は何かが倒れるような音に加え、生き物が吠えたような音も追加されていたので、残念ながらこの騒音の原因が魔物である可能性がかなり高くなってしまった。
「さて、どうしようか」
森の奥へと目を向け、聞こえてきた物音について考える。
争うような音は今も断続的に聞こえてきている。
「逃げるべき、なのでしょうけどねぇ」
本格的な溢れの開始まではまだ猶予があるとはいえ、中心地で危険域に達したと伝えられている以上、魔の森の中の魔物の数は増えているはずで。
であれば、すぐにこの場から避難するのが身を守るためには最善なのだとは思う。
けれど、屋敷から町へと避難することを考えると、この騒音をもたらした元凶を確認しないままにするのもそれはそれで問題な気がする。
仮にこれが魔物の襲撃によるものであるならば、町まで避難しようと街道に出たところで魔物とかち合うなんていう事態になりかねないのだから。
「……すぐに逃げられるようにして、確認だけしに行きましょうか」
そう結論を出し、身に着けた装備を確認する。
いざというときに魔法陣がすぐに使えるようになっていることを確認し、もう一度耳を澄ましてみる。
けれど、しばらく待っても騒音が聞こえてくることはなかった。
そのことを不気味に思いつつ、覚悟を決めて森の奥へと向かうことにした。
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