第30話 魔の森の話

「それで、今日は一体どうしたのですか?」


「ん?

 ああいや、単に嬢ちゃんが1人で歩いてるのが不用心に見えたから声をかけただけだ。

 さっきも言ったように、俺はこの町の冒険者のまとめ役みたいなことをやってるからな。

 最近は森の様子もおかしいし、念のためってやつだ」


「イマイチ実感がないのですが、最近の魔の森はそんなに危ないのですか?」


「そうね、正直かなり危険だと思うわ。

 周期的にはかなり短いけれど、魔物が溢れる可能性もあるくらいにはね」


「そんなにですか!?」


 リリーさんからの回答に思わず驚きの声を上げてしまう。

 自分にはあまり関係のない話だろうと思っていたら、魔物が溢れるという可能性まであるなんて。


「おいおい、あんまり嬢ちゃんを驚かせるなよ。

 心配しなくても、まだ溢れだと決まったわけじゃない。

 何しろ、これまでの周期を考えるとあと数十年は先のはずなんだからな」


「甘いわよ、ケルヴィン。

 魔の森のことに対して、そんな決めつけは命取りよ。

 それに、前回の溢れは明らかに規模が小さかったわ。

 もしかしたら本格的な溢れの前触れだった可能性だってあるんだから!」


 魔物の溢れか。

 一応知識としては知っているけれど、まさか私に関わってくるような話だとは思わなかったな。

 何せ、一般に知られている溢れの周期は100~200年と言われていて、前回の溢れは20年前くらいに起きていたはず。

 つまり、少なくとも後80年くらいは溢れの心配がないと思われていたのだから。

 まあ、魔の森の異変が本当に魔物の溢れの前兆かどうかもまだはっきりしないそうだけれど。


「ところで、魔物の溢れの発生はどうやって察知しているのですか?」


 ふと気になったので質問してみる。

 魔物の溢れに対しては万全の対策をして臨むという話を聞いたことがあるけれど、どうやってその予兆なりを察知しているのかは知らなかった。

 漠然と発生周期が近づいてくるとそれとなくわかるものだと思っていただけで。


「まあ、ざっくりと言えば魔の森に異変があったら魔物が溢れる前兆だな」


「ざっくりし過ぎよ、バカ。

 えーっと、魔物の溢れと呼ばれる現象がどうやって起きるかは知ってる?

 魔の森の深部のさらに奥、魔境と呼ばれるエリアから強力な魔物たちが出てくることで発生するのだけど、これは大きく3つの段階に分かれているわ。

 魔境から魔物が移動し始める1段階目、魔の森の中で魔物の数が急激に増える2段階目、魔の森から魔物が溢れる3段階目ね。

 魔物の溢れは大体この1段階目から2段階目の異変を確認することで発生を予測しているわ」


「つまり、魔境から魔物が移動し始めたら魔物の生息域が変化するからそこから予測するということですか?」


「そうなるわね。

 まあ、実際には奥から魔物が移動したからといってすぐに魔物の生息域が変化するわけではなくて、ゆっくりと少しずつ生息域が移動するような感じらしいけどね。

 だから、1段階目の初期段階で魔物の溢れを察知することは難しいらしくて、大体は魔の森の中で生息域が変化しきって魔物の数が増え始めるころに察知することが多いらしいわ」


 なるほどね。

 というか、さっきギルドで聞いた魔の森の異変って魔物の溢れの前兆そのものなんじゃないかな。

 魔の森の深層の魔物の生息域が変化したという話だったし。


「話を聞く限りだと、明らかに魔物が溢れる前兆なのではないかと思うのですけど……」


「まあ今の話だとそう思うのも無理ないが、別に魔物の生息域が変化する原因は魔物の溢れだけじゃないからな。

 単に進化したとかで強力な個体が出現した場合でも生息域の変化は起きる。

 というか、たいていの場合はそっちだ」


「じゃあ、今回の異変も魔の森に生息する魔物が進化した影響で生息域が変化しただけということですか?」


「それを今調べてる感じね。

 ただ、単に魔物が進化して強力な個体が出現したにしては影響範囲が広すぎるのよ。

 まあ、別に強力な魔物が出現することだけが生息域の変化につながるわけじゃないし、例えば水場やエサ場の環境が変わったとかでも生息域は変化するからね。

 だからまあ、ケルヴィンの言う通り心配のし過ぎということも十分考えられるわ」


「つまり、今は調査結果を待っているという感じですか?」


「そうなるな。

 まあ、仮に魔物の溢れだとしても今日明日に始まるものでもないし、前回の溢れのように十分に備える時間はあると思うぞ。

 さっきリリーが言ったように、まだ魔の森で魔物が増える段階も残っているわけだしな。

 それに魔物が増える段階に関しては、魔の森で魔物を間引けばその分だけ溢れの発生を遅らせることができる」


「そうね。

 それに私から言い出しておいてなんだけど、まだ溢れだと決まったわけでもないし、魔の森に近寄らないのであれば特に影響もないと思うわよ」


 話を聞く限りだと、結局この件に関しては様子見するしかなさそうな気がする。

 つまり、今行われているという魔の森の調査結果待ちだ。

 どうやらギルドの方でも私のことを周知するなどして気にかけてもらえているみたいだし、たぶん次に薬草を売りに来たときにでも教えてもらえるだろう。


「あれ?

 今の話だと溢れの場合は、生息域の変化の後に魔物の増加という段階があるみたいですけど、他の原因で生息域に変化が出ていた場合はどうなるのですか?」


「その場合は原因によって色々だな。

 強力な個体が出た場合だとその個体の行動次第だし、環境の変化だとその影響を受ける魔物全体の行動次第になるから正直予測できん」


「まあ、どちらの場合も生息域が変化した周囲から順々に弱い魔物がはじき出されるようになるかしら。

 だから、いきなり森の浅瀬に普段よりも強力な魔物が出現したり、森の外に浅瀬の魔物が出てきたりということが起きるわね」


「えっ!?

 森の外にいきなり魔物が出てくるようになるって、そっちの方が危険じゃないですか!」


「大丈夫よ。

 この町は魔の森の近くにあるだけあって、ちゃんとした外壁で囲まれているから浅瀬の魔物程度でどうこうなんてことにはならないわ。

 街道近くに出る魔物に関しても、そもそも街道を使うのは冒険者か商人だからね。

 冒険者は自力でどうにかするし、商人は護衛の冒険者がついているから」


「まあ、稀に進化した個体が暴れまわった挙句に森の外まで出てくることもあるが、それも所詮は個の脅威でしかないからな。

 ギルドの冒険者で囲めばどうとでもなる」


 なるほど。

 一般人はそもそも魔の森に近づかないから別に影響はないと。

 で、町の外に出ることのある冒険者や商人に関しては、そもそも自己責任だという話かな。

 だけど、まあ……。


「私は魔の森の中にある屋敷に住んでいるんですけど……」


「「あぁ……」」


「いや、そういえばそうだったみたいに頷かれても困るんですけど!?」


「ハハハ、すまんすまん。

 でもまあ、魔の森の中って言っても、嬢ちゃんが住んでるのは侯爵家の屋敷なんだろ。

 だったら問題ないだろ」


「そうね、問題ないわね」


 実は危険な状態だったのかと思って不安になっていたら、予想外の返答が返ってきてしまった。

 というか、2人は確信を持って断言しているみたいだけれど、あの屋敷には私の知らない何かがあるのだろうか。


「というか、嬢ちゃんはあの屋敷に住んでるのに知らないのか。

 あの屋敷のある森は結構な範囲が魔物除けの結界で守られているらしいぞ」


「えっ、森に結界があるんですか?」


「結界なのかどうかはわからないわ。

 ただ、屋敷の周囲の森に広範囲にわたって魔物除けが施されていることだけは確かね。

 実際、あっちの森で活動している冒険者なんていないでしょ?

 あのあたりの森だと魔物が出ないからお金にならないのよ」


「侯爵家の屋敷があるからじゃなかったんですね」


「いや、それも理由の1つではあるぞ。

 いくら住人がいなかったとはいえ、侯爵家の屋敷がある周辺に好き好んで近づくような冒険者はいねえよ。

 そっちの方が稼ぎになるならともかく、逆に稼ぎが悪くなるんだから尚更な」


 まあ、それはそうか。

 そういえばお母様も冒険者は貴族を避ける傾向があると言っていた気がする。

 好き好んで近づくのは貴族のお抱えになることを望む冒険者だけで、自由を好むほとんどの冒険者は貴族に近寄らないのだと。


「まあ、そういうわけであの屋敷に関してはあまり魔物の心配はいらないんじゃないかしら」


「そうだな、魔物よりもむしろ人間の方が嬢ちゃんにとっては危険だろうな。

 出会ったときにも言ったが、嬢ちゃんみたいなのが1人で出歩くのは感心しないぞ」


「あはは、気を付けます」



 思ったよりも長く話し込んでしまったけれど、最後にケルヴィンさんから再びの注意をされて別れることになった。

 不意の再会だったけれど、色々と話を聞けて良かったと思う。

 それにしても、屋敷の敷地に張られた結界だけでなく、周囲の森にまで魔物除けがなされているとは思わなかったな。

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