第四話 温もりと熱さと

 その日もいつも通り高校から自転車で帰り、食事をとっていた。

 五畳半ほどの広さの茶の間に老夫婦と子供四人が座っている。父親と母親は仕事でいないが、代わりに老婆が食事を作っていた。

 騒々しいテレビを聞きながら食事をとる、一見家族構成は珍しいもののごく普通の家庭のようにも思えるそれは、今になって思えば崩壊の一歩を踏み出していたのかもしれない。

 母親は仕事が休みでも滅多に茶の間に来なかった。

 あの糞ジジイどもに罵られることが分かり切っていたから。


「言うこと聞かねえなら宮木みやぎヶ丘おかに出ていけ」

「あんたらの母ちゃんはさっぱり迎えにいかない」

「いつもフンフンと怒って」


 空き家になった母親の家はこいつらにとっては蔑みの対象であり、金だけ母親から貪っては暴飲暴食、こちらの物を紛失させたり汚したり壊したり、こちらが着替えているところに侵入しては知らぬ顔、挙句の果てにはこのように罵るものだから、いつの日からか母親は糞ジジイと糞ババアを見るたびに、ハアハア鼻息を荒くしながら二階にあてがわれている部屋へと足音を大きくして抗議しながら去っていくのが日常になっていた。

 もっとも、問題の連中は、父親も含めて母親「だけ」がおかしいと断じて聞き耳を立てようともしなかったが。

 そんな連中にオレが反発を覚えるのは自然なことだった。


「あんたらのせいであんなに怒ってるんじゃないんですか!」


 糞ジジイをにらむと、そいつは血相を変え傍にあった酒瓶を握る。


「なんだおめえ、その口の利き方は!」


 そのままオレに殴りかかってくるが、それを躱すとともに、腹の底から煮えたぎるような怒りが沸き上がる。

 ただ、ここで殴っては学校から謹慎を食らうだけでなく、警察のお世話になるかもしれない。そうなっては、体が弱かった俺がずっと目標にしていた、中高六年間、無遅刻無欠課無欠席の表彰が受けられなくなってしまう。

 やるせない気持ちを抱えながら、その怒りをぶつけるように茶の間を出て思いっきり戸を閉める。そのままわざと大きな足音を立て、自室へと戻った。


「てめえはどうなんだよ!! 偉そうに!!」


 怒りのままに机を蹴り上げ、いらない紙の束を見つけるとそれを何度も机にたたきつける。

 破れ、ぐちゃぐちゃになる。


 そうやって、少しずつオレ自身を壊していったのだ。

 ……人にだけは、危害を加えないように。

 幼少期、周りに暴力を振るっていた自分を抑えるために。

 それも、古賀家のせいで殴るのが当たり前と無意識のうちに感じていたからかもしれない。


 当時のことを思い出しながら、オレは荒くなる息を、動悸を抑えながら感情を押し殺していた。

 すると、不意に抱きかかえられるような温もりを感じた。

 なぜだか恨みの感情が和らぎ、温かな気持ちになる。

 息は整い、鼓動は普段のように戻る。

 まるで、オレの怒りや恨みを癒されたみたいだ。

 自然とその温もりへと手を伸ばす。

 今度は体が締め付けられるような感覚になる。

 それが心地よく、だんだんと何も気にならなくなる。

 その温もりしか見えなくなる。

 いつの間にか、温もりに包まれてオレの意識は解けていった。



 ※



「……ヒロミ」

「キー……」


 ようやく落ち着いたヒロミを抱きかかえながらほっと一息つく。

 ノエルもそれがわかるのか、先ほどまでの鬼気迫る雰囲気はなくなり、ヒロミの指をなめている。


「……あんなにうなされてるなんて、どんな夢を見てたの?」


 ヒロミの顔を撫でながら呟く。


 昨日出逢った時、ヒロミは恐らく「その人」なのだろうとは思ったが、想像していたよりもまじめな、普通の人のようだった。

 妙に堅苦しいような気はしたが、初対面は普通のことだろう。

 これから少しずつ打ち解けて、「その人」としての役目を果たしてくれればいい。ヒロミが後悔しないように過ごしてくれればいい。

 ……そして、聖典カノンにあるように、お互いのものになればいい。

 だからこそ、疲れ切っていたヒロミにベッドを貸すことに躊躇いなかった。

 もし異常があれば、私たちだけでなく、ガリルトやバノルス、ガリルト神様までつらいことになる。

 そう思っていた。

 そのため、初めて『インプリント』をしたので、魔力が不安定になることが予想されたヒロミを、ノエルと一緒に見守ることにしていたのだ。

 そうしてノエルに見守りをお願いし、眠りについていたアタシを、甲高い鳴き声がたたき起こした。

 ノエルだ。

 すぐに飛び起きると、脂汗を流しながらヒロミがうわ言を言っている。

 いくら「インプリント」で魔力を共有したとはいえ、不安定な魔力の気配がないのに一瞬頭の中が凍り付いたが、なんとかしなくてはならない。


「ヒロミ! ヒロミ!」


 すぐさまアタシはヒロミに駆け寄るが、目を覚ます気配がない。


『アナライズ』


 すぐさまヒロミの体を診るが、異常がない。

 そうなると精神的なものが考えられ、アタシの魔法の適性では、そもそも使える魔力でもどうにもならない。


「……ヒロミ、ヒロミ」


 ふがいない自分に絶望しながらも、必死に呼びかけることしかできない。


 ……こんな形で終わってしまっていいのだろうか。

 ふとそんな疑問が沸き起こる。

 他に何かできることがあるのではないか。

 『インプリント』で深くを共有した自分にしかできない何かが。

 細かい記憶までは共有できない。

 でも、そこにある感情はわかる。

 ヒロミから感じたのは、「戸惑い」、「照れ」、……そして、「決意」と「恨み」、「絶望」。

 「戸惑い」と「照れ」なら、『インプリント』の方法が口づけなのだから仕方ない。

 「決意」も、普通なら私のものになる覚悟のようなものだと思う。

 でも、「恨み」と「絶望」がわからない。

 アタシには到底考えられないような、凄惨な思いをしてきたのだろうか?

 そもそも普通の人を「その人」として、ガリルト神様は遣わすだろうか?

 そこまで考えると、何かしら心に闇を抱えているようにしか思えなくなった。

 自然と手が伸びる。

 そのまま、母親が赤子にするように、ヒロミを抱きかかえる。


「……大丈夫だよ、ヒロミ。アタシが、ついてるから」


 そのまま体中に魔力を巡らせ。


『……インプリント』


 ヒロミの唇を咥える。

 互いの熱が交わる。

 ヒロミに何も言わずにこのようなことをしているのは申し訳ないし、すごく恥ずかしかった。

 ……それでも、魔力を共有するうちに、唇の感触が心地よくなっていく。

 体が熱くなり、どんどんヒロミのことが欲しくなっていく。

 気が付けば、ヒロミの唇を貪っている。


(……ヒロミ)


 互いの熱を感じながら、快感に溺れていく。

 ヒロミを抱きしめる力が強くなる。


(……これじゃ、だれのためにやってるか、わかんないや)


 でもいい。

 もう、ヒロミは私のものだから。

 百年以上、ガリルトの血が待ちわびていた「その人」だから。

 血の欲には逆らえない。

 これで、少しでもヒロミの支えになれるなら……。

 初めて『インプリント』を交わした時のように、永遠とも思える時間をそのまま過ごす。


 そんな永遠の時はあっけなく終わる。


「……ぷはあ!」


 息が続かず、私は唇を離す。

 いつの間にか魔力の共有は終わっていたが、終わってからも唇を交わしていたのだから、一分以上、もしかしたら二分以上呼吸も忘れていたことになる。

 それくらい私はヒロミに夢中になっていた。


「……ヒロミ」

「キー……」

「あんなにうなされるなんて、どんな夢を見ていたの?」


 いつの間にかヒロミはすやすやと穏やかに寝息を立てている。

 どうやら悪夢は終わったようだ。

 アタシはそのままヒロミをベッドに寝かせ、腰かける。


「……なんか、すごかったな……」


 ……口づけが、あんなに気持ちのいいものだったな、ん、て……。


「……ん?」


 口づけ?

 そっとアタシの唇を撫でる。

 ヒロミの唇を貪ったそれは、少し濡れていた。


「……あー!! あ、あー!!」


 ようやくアタシがしたことの意味に気付く。

 体中が熱くなるのを感じた。

 ……でも、嫌ではなかった。

 ガリルトのため、バノルスのために頑張ろうと思いつつも、ヒロミと普通に接することができるのか、すごく不安になった。

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