第三話 夕陽

「キッ!!」


 アリシアと二人だけの時間に浸っていると、不意にノエルの鳴き声が沈黙を破り、オレたちの意識を現実へと引き戻す。

 その瞬間、今まで感じたことがないほどの圧迫感に銃口を向けられていることに気付く。

 だが、オレはそれが何なのか、魂の奥底で理解していた。

 魔法だ。

 アリシアとの契約によって、本能的な記憶が焼き付けられ、それが危険だと知らせてくれたのだ。

 そして、その力をもたらした張本人のアリシアも、もちろんそれを感じていた。


 圧倒的なエネルギーが三人組に集まり。

 解き放たれる。


 それはすべてを焼き尽くすような、炎の息吹だった。

 三人組の男たちそれぞれの手から放たれ、一つに交わり、巨大な熱を持って、絶望をオレたちへともたらそうとする。

 それでも、完全な不意打ちで。


 ……まずい。

 オレはなんとなく、自分が魔法を使えるようになっていることを知っている。

 アリシアや女神様の力を受けているので、間違いないだろう。

 だが、それですぐに使えるかというと、それは無理だ。

 とても間に合わない。

 それはアリシアも同じらしく、冷や汗を浮かべながら、それでも反撃しようと、不可視の力を集めている。


 ……そして、その絶望は。


「ノエル!」


 彼女の力強い言葉。

 それが、もう一人の味方へと注がれる。


「お願い!」

「キッ!」


 彼女に応え、ノエルがオレたちの前へと飛び出す。

 ……三人組や、アリシアと同じく、魔法の力を携えて。

 それは、アリシアのように、何の穢れもない、澄んだものだった。


「キーッ、キー!!」


 そして、雄たけびを上げると、オレたちを覆うように光の壁が現れ、炎の息吹と激突する。

 低く鈍い爆発音が響き、土埃にまみれるが、きしむことはなく、その衝撃を完全に吸収する。

 沈黙が訪れる。

 いつまでたってもオレたちの方へとその脅威は訪れない。

 当然だ。

 すでに炎の息吹は消え果ているのだから。

 アリシアの方へ振り向くと、彼女はオレの視線に気づき、したり顔で笑みを浮かべる。

 ノエルもアリシアの方へ飛び乗り、しっぽを振っていて上機嫌だ。


「どう? ノエルだって魔法を使えるし、戦えるの」

「キー!」

「……それは心強いな」


 正直見た目からは全然想像できなかったが、その魔法の力は、とても頼りになるものだ。

 まだ魔法に慣れていない、使ってもいない俺よりもよほど戦力になるに違いない。


「じゃあ、今度はアタシが隙を作るから、ヒロミ、お願いね」


 笑みを浮かべたままアリシアは前へと飛び出す。

 まるで、オレが魔法を使えて、その実力を見定めようとでもいうように。

 だがオレはまだ使ったことがない。

 呪文すら知らない。

 一応、契約のおかげで使い方とかを魂に刻み込まれたとはいえ、未だに使ったことがないから自信がない。


 それは、体の中に眠る力に、話しかけるようにして、形にしていくというもの。

 その形によっていろいろ系統が分かれるようだが、力の源は同じようだ。

 もっとも、オレの場合は、女神様によって使えるようになった、一つの系統しか使えないだろうが。


 全てを照らす、光の力――黄魔法を。


 人によって違うと、刻み込まれた記憶が語り掛けるが、アリシアはどうなのだろうか。

 彼女の力を知りたくて、己の中に眠る力をかき集めて、形にしていきながら見守る。


 アリシアは、その桃色ポニーテールを揺らし、手に光の魔力を携えながら、三人組に向かって一直線に駆ける。

 一見無防備で、実際、三人組は迎え撃つために、魔力を手に集めている。

 これでは敵に反撃を許す隙を与えているだけのようだが、彼女の顔には微笑が浮かぶのみ。

 ……そして、その魔力を集め終わると、一気に解き放った。


『ホーリー・スパーク!』

「く……!」


 電撃のような、雷のような、強烈な光が三人組に襲い掛かる。

 たまらず男たちは魔力を集めるのを諦め、その脅威から逃れようと駆け出す。


「逃がさないんだから!」


 アリシアはそれを追うように光を自在に操り、男たちへと矛先を向ける。

 それはまさに光そのもので、人が逃れられるような速さではない。この世で最速だともいわれる凶暴性を宿し、鞭のように男たちへ振り下ろされる。

 そして、ついに男たちを捉えると、雷が落ちたように光が走り、びりびりと爆音が鳴り響く。


「ぐぁ……、ぐ、ぐ……、ぐぁあ!!」


 男たちは苦悶の表情で呻き、必死にもがくが、開放するほどアリシアは優しくはない。出逢った瞬間の神聖な雰囲気からは想像もできないほどの力を振るい、敵を痛みつけている。


「ヒロミ! 最後、お願い!」


 そして、オレに「最後」を頼む。

 つまり、とどめをさせということ。殺せということ。


 一度殺し、それを懺悔したオレからすると、それはとてもできないようなものだ。

 だが、ガリルト神様は言った。

 「娘たちを救い出してほしい」と。

 そして、こうも言った。

 「人を殺せない甘い者には、人の命をなんとも思わない悪魔では、到底なしえないこと」と。


 ……なるほど。

 つまり、娘たちを助け出すために、敵を殺すこともいとわず、それでも猟奇的に殺すような悪魔にはなるなということか。


 確かに、現代の日本なら、普通の人で人を殺せるような人間はまずいないし、殺そうとも思わないだろう。

 こんなことができるのは、殺人犯くらいなものだ。


 だが、その殺人犯と同じ悪魔の心を持ったままでは、どこかで理性を失い、救うはずだった「娘たち」でさえも殺してしまうだろう。


 だからこそ、悪魔の所業をしながらも、それを懺悔し、死んでいったオレのことを、ガリルト神様は見出したのかもしれない。


 その女神様が救い出してほしいと願った、娘であろうアリシアから、とどめを刺すように言われたのだ。


 今こそ、彼女たちのために、悪魔の所業を再びするとき。

 だが、それもきっと、赦してくれる。


 娘たちを救い出すために、ガリルト神様は力を授けてくださったのだから。

 一緒にガリルトを、バノルスを、アリシアも救い出すということを、約束し、口付けの契約をしたのだから。


 彼女たちのために、力を振るおう。


「……わかった」


 オレは、先ほどから集めていた力が、光の形にしかできないことを感じながら、体の奥底から自分の手に力を集めていく。

 すると、手が光に包まれ、アリシアたちと同じように、魔力が集まっているように感じた。

 そして、集めていた力をすべて光の形にしたとき、その矛先を敵に突きつけた。


 ……焼き付けられた記憶から、呪文はなんでもいいことを知っていた。

 とにかく、形にすればいい。

 形にできれば、呪文すらいらない。

 その形にするための大きなカギとなるのが、イメージであり、呪文だ。


 オレがイメージしたのは、光の嵐。

 足元から光の奔流が巻き起こり、その衝撃に飲み込んでいく。


 オレがそのイメージ通りに使えるか、見合った力があるかはわからない。

 だが、こればっかりはやってみないと分からない。


 とにかく今は、イメージと手に集めた魔力に集中し。

 一気に、解き放った。


『ライトニング・ストーム!!』


 その瞬間、苦悶の表情を浮かべる敵の足元から、光の奔流が巻き起こる。

 それは竜巻のようにはるか上空へと巻き上がり、敵はその中へと消えていった。

 光に焼かれていきながら。

 だが、必死だったので、どうなっているのかがわからない。

 そのまま無我夢中で体の奥底から魔力をひねり出し、敵を徹底的に攻撃する。


「……なるほどね。それがヒロミの魔法、か。黄魔法使いなんだね。珍しい」


 いつの間にかアリシアが横に立っていて、オレの放った魔法を見て感心しているようだった。


「もういいよ。あいつらの魔力を感じない」

「……そ、そうなの、か?」


 アリシアの言葉を聞いた瞬間、気が緩み、一気に全身を疲労が襲う。

 どうやら、思った以上に体を酷使していたらしい。

 完全に集中が終わり、魔法が消えていく。


「……あ」


 そのまま頭がふらつき、体が倒れていく。

 自分の体を支えられるほどの力が出ず、動かすこともできない。

 しかし、不意に何かに支えられる衝撃を感じた。


「よっと。……あう。お、重い……」


 その声の方へ目を向けると、アリシアが両手で重そうに支えてくれていた。

 だが、オレの体に力が入らなくて、彼女に寄りかかることしかできない。


「……ご、ごめん。力が……」


 そんなオレに、彼女は首を横に振ってから、微笑みを浮かべる。

 まるで、聖母のような、全てを包み込み、癒すような微笑みを。


「大丈夫。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して。……よいしょっと」


 そのまま彼女は腰を下ろしながらオレの両脇に手をやり、足の方から地面へと横たえていく。

 最終的には、彼女の膝へとオレが頭を預けるように、顔を横にして寝転ぶような形になった。

 頭が真っ白になる。


「あ、アリシア?」


 思わず見上げようとするが、アリシアはそれを手で制す。


「み、見ないで。見たら怒るよ」


 アリシアの焦った声に、オレは頭を動かそうとするのをやめる。

 ……いつの間にか、日が傾き、朱い夕焼けが差し込んでいた。


「ほ、ほら! ここ、岩とか石があちこちに落ちてて、そこに直接寝たら頭痛いでしょ!? それに、こうしないと魔法カードを使うのも大変だったし……」

「ま、ほう、カード?」

「あれ、知らない? これは、アタシのご先祖様の、アリスって人が発明したものなの。このカードには魔法が込められてて、魔力を流すと、その魔法を使えるんだ。魔法道具の一種だけど、持ち運びに便利なやつだよ。まあ、魔法の種類は限られるけどね。剣とかだったら魔法道具にしかできないし」


 重くなっていく意識の中、必死にアリシアの言葉に耳を傾ける。

 どうやら、魔法を使える道具が魔法道具で、その一つに魔法カードがあるらしい。そしてそれを発明したのが、アリシアのご先祖様の、アリスだとか。

 ひょっとしたら、女神様の言っていた娘とは、そのアリスのことなのかもしれない。


「とりあえず、もうそろそろ夜だから、今夜はここに泊まるしかないかなって。……まあ、その魔法カードが一つしかないから、二人で一緒の部屋にしか泊まれないけど。変なことしないでよ?」

「……する、わけ、……ない、じゃない、か」


 すぐさま反論するが、体に力が入らず、口を動かすのがやっと。

 オレよりもすごい魔法を使って、それでも平気なアリシアが信じられない。


 ただ、アリシアの心配ももっともだろう。泊まれる魔法カードが一つしかないとなると、その部屋も当然少なくなる。アリシアと、イタチのノエル一匹だけだから、ワンルームのようなものかもしれない。そうなると、寝床とか、着替えの場所とかも共有しなければならない。

 そこに一人の男と少女が一緒に放り込まれるようなものなのだから、変なことをされる心配を女の子のアリシアがするのも無理はない。

 もしオレが女だったとしても、本当ならば嫌だっただろう。


 それでも、ここは砂漠のど真ん中。

 さらにオレは疲労困憊。

 夕陽が差し込み、夜のとばりが下りる寸前。


 こんな状況で野宿など、自殺行為だ。


 顔が熱い。

 心臓の拍動がうるさい。

 ……だけれども、アリシアと一緒にいられるということに、ひそかな喜びを感じ、その気持ちに戸惑わずにはいられない。


 だから、自然と頭を冷やしたくなり、アリシアから意識を意図的に外す。


「……あ、ごめん。ヒロミ、大丈夫?」

「……、ごめん。だめ、みたいだ……」


 アリシアはようやく落ち着きを取り戻し、オレの心配をしてくれるが、限界だった。

 まぶたが、重い。

 それでも、朱い夕陽が差し込み、どうしても目を奪われる。


「……見ろ。アリシア。夕陽が……」


 先ほどから差し込んでいた朱い夕陽が、信じられないほどきれいで。

 オレはアリシアに小さく呟く。


「……うん。綺麗、だね」


 小さく呟くアリシアの声も儚げで、美しい。

 そのまま二人で一緒に夕陽を見つめていたが、やがてそれは地平線へと隠れていく。

 代わりに夜の気配が強くなり、辺りは薄暗くなっていった。


「……ヒロミ?」


 それとともに、オレの意識も温かな闇へと沈んでいく。

 アリシアとこの瞬間を共に過ごせることに、言いようのない幸福を感じながら。


「……お休み、ヒロミ」


 彼女の吐息に耳をくすぐられながら。

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