第五話 マナ
……気が付くと、全く記憶のない香ばしいにおいがする。
いつもなら酸っぱいドロドロとした悪臭がするものだが、全然違う。
温かく迎えられているような、ともに過ごす時間を楽しみにしているような、そんな柔らかなにおいだ。
それに、心が羽毛に包まれたかのように、温かく軽い。
今まで感じたことがあるのかわからない感触に包まれ、戸惑いながらもオレは目を覚ます。
「……」
辺りを見回すと、執務に使うような机に椅子、クローゼット、本棚が並んでいて、明るい色で主を出迎えているように温かい。それでいて整頓されていて、一言でいうならば「品がある」ような部屋だ。
オレはそれらの家具の端にあるベッドに横たわっていた。
そして香ばしいにおいは、ベッドからは死角にある所からしていた。
自然と体を起こすと、ベッドが軋む。
その音が響くや、どたばたとかける音がこちらにやってくる。
「ヒロミ!」
「キー!」
その声と同時に、桃色髪の少女とイタチのような生き物が目の前に飛び込んでくる。
少女はまるで
まるで夢心地のまま自然と彼女に視線が向かうが、理解するよりも早く抱きしめられる。
「ヒロミ! ヒロミ! 大丈夫なの!?」
温かい。
胸が締め付けられて跳ねる。
しかしその瞬間、少女が誰なのかが分かった。
「……アリシア?」
「何寝ぼけてんの!? 心配したんだからね! 急にあんなうなされるなんて! びっくりさせないでよ、もう!」
「……そうか、うなされてたか」
古賀家での日々を思い出したからだろうか。
アリシアのことを桜空さんと勘違いしてしまった。
そんなはずはない。
ここにいるはずがないのだから。
「ごめん、心配かけた。もう大丈夫だ」
「……そうなの? それなら、いいんだけど……」
アリシアは納得しきれないみたいだが、オレの顔色を診てそれ以上口を出すのをやめる。
と同時に、顔を桜色に染めながら何事か呟いた。
「……? どうした?」
「え? あ、ううん、何でもないよ! ヒロミが大丈夫ならよかった!」
話を逸らすようにアリシアはオレから体を離す。
「もうすぐ『マナ』ができるから、それまで休んでて。ノエル、見張りお願い」
「キー」
そのまま返事を聞かず、元居たベッドの死角へと戻っていく。
ノエルはアリシアの言葉を受け、オレの肩の上へと昇ってくる。
「キー……」
「……? あー、はいはい。わかったよ、寝るから」
ノエルに促されベッドに横たわるが、一つ頭に引っかかる。
「……『マナ』って、なんだ?」
※
「……もしかしてヒロミの言葉と違うのかなあ。『食事』のことよ」
しばらくしてアリシアがパンのような食べ物などを持ってきたときに「マナ」の意味を教えてもらう。おそらく、日本でいう「ごはん」に近い感覚だろう。
そして、アリシアが作ってくれたパンのような食事は、「マナブレット」という、酵母を使わないパンのような食べ物らしく、ほかには少々の肉、野菜を炒めたものが先ほどの香ばしいにおいをしていた。
見るからに色鮮やかで食欲がそそられる。
「いただきます」
手を合わせてスプーンを持とうとすると、アリシアが止める。
「待って、お祈りは?」
「お祈り?」
なにかの宗教だろうか。
「……お祈りまで知らないなんて、ヒロミって、どこから来たの?」
怪訝な顔でアリシアに尋ねられるが、どう答えたものか。
正直に、ガリルト神によってこの世界に転生させられました、と言うべきだろうか。
アリシアはガリルト神のことを知っている、あるいは信仰しているかもしれないので、それ自体は問題ないかもしれない。
だが、それ以前のことはどうだろうか。
オレの過去を知ったら、どう思うだろうか。
そう考えると、無難にガリルト神によって転生させられたというべきだと思った。
「……ガリルト神によってこっちに来た」
しかし、やはりというべきか、アリシアは納得しない。
「それは何となくわかる。でも、あたしが知りたいのは、それより前。普通の人をガリルト神様が呼ぶとは思えないし、さっきのヒロミ、すごく苦しそうだった……」
「……さっきのオレ?」
「ほら、ヒロミがうなされてたって話」
「……ああ、確かにあれは悪夢だったな」
古賀家での日々を夢に見てしまったのだ。
全てを無に帰した諸悪の根源。
そんな夢を見たために心が不安定になってしまったが、よほどアリシアにはオレのうなされ方が異常な光景に見えたのだろう。
先ほどから心配させっぱなしだったので、少しだけ触れることにした。
「……こっちに来る前に、すごく大変なことがあって、それを思い出したんだ。でも、なぜか途中で癒されたような感じになって、今はもう大丈夫だ」
「……そ、そう。それなら、よかった」
頬を桜色に染めながらアリシアはつぶやく。
「でも、本当にそれだけ? まだ何かあるんじゃないの?」
ただ、まだ納得がいっていないらしい。当然と言えば当然であるが、まだ、言えないと思った。
家の人間を皆殺しにして、後悔しながら自らの身をも焼き殺した。
逢って二日目で、そんなこと、言えない。
「……すまん。まだ、言いたくない」
「……そう」
アリシアは寂しそうに俯く。
失敗しただろうか。
そう不安になったが、次の瞬間にはアリシアは努めて笑顔を浮かべていて、……痛々しかった。
「言いたくなったら、言ってね。抱え込まないでね。契約を交わした間柄なんだから」
「……ごめん」
謝ることしかできない。
沈黙が流れ、居心地が悪い。
そんな空気を絶ち切るように、アリシアは手をパンと叩く。
「そうだ! お祈り! ヒロミはこっちに来たばかりだから知らないもんね!」
無理に先ほどの話題に戻してくれた。
その気遣いに感謝しつつ、相槌を打つ。
「ああ、だからなんかの宗教かなと」
「宗教っていうのかな? 当たり前のようにやってたから、もう習慣だね。食事の時とか、礼拝の時とか、神託を受ける時とかにガリルト神様にお祈りするの。一緒にやってみる?」
どうやら、元々の世界でいうキリスト教のようなものみたいだ。
それならば実際にガリルト神にお世話になったことだし、お祈りは必要なことだろう。
「じゃあ、お願いする」
「わかった。じゃ、手と手を合わせて」
アリシアのやるように、自分の両手を合わせて一つにする。その状態で胸に指先が付くように腕を反転させつつ、前に肘を突き出し、その状態で力を込める。
少し体が硬い人には難しそうな姿勢だと思いつつ、感謝の念を込めて力を入れる。
「じゃあ、目を閉じて、私に続いてお祈りしてね」
「わかった」
御在天なる母なるガリルト神よ。
願わくは御名を崇めさせ給へ。
御国を来たらせ給へ。
御心の天になる如く、地にも為させ給へ。
我らの日用の糧を今日も与へ給へ。
我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦し給へ。
我らを試みに合わせず、悪より救いいだし給へ。
国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり。
エイメン。
キリスト教の主の祈りとほぼ同じ内容。
もしかしたらこちらの世界では、ガリルト神がキリスト教でいう
これ以上はキリスト教にもガリルト神にも冒涜になりそうなので触れないほうがいいだろう。
「じゃあ、食べよう、ヒロミ」
「ああ。いただきます」
「そのいただきますって何?」
「えっと、なんて言えばいいんだろうな、食べる前に言う感謝の言葉?」
「じゃあ、ヒロミの世界のお祈りみたいなものだね」
アリシアと二人で会話しながら「マナ」を食べる。
その横ではノエルもマナにありつく。
……いつ以来だろうか。
このような楽しい宴は。
もうわからない。
でも、アリシアとなら、ノエルとなら。
少しずつでも、壊れてしまった自分を癒せそうだと思った。
※
「……そういえば昨日の連中は何者なんだ?」
お祈りをした後はアリシアと何気ない会話をしながらマナを食べ始めたが、ふと昨日のことを思い出す。
オレがこちらに転生したときにはすでにアリシアと対峙していた連中。
見るからに不穏な空気が漂っていて、実際にアリシアとオレに攻撃してきた。
そのあと反撃して事なきを得たが、要するに殺し合いだ。
なぜそんなことになっているのか、契約のこともあるがこれから敵対するものを殺すであろうことを考えると、知った方がいい。
アリシアはオレの質問を聞いてスプーンを置き、幾ばくか顎に手をやって考え込む。
やがて考えがまとまったのか、オレの目を見つめた。
「ヒロミはガリルト、バノルス、マスグレイヴ、ノア派のことはわからないんだよね」
「ああ」
一応ガリルト神からある程度の説明を受けたが、大まかな概要のようなものだ。詳しい事情はよく分からない。
それでも、罪をあがなうためにも神様のためにもこちらに来る必要があったのだが。
「わかった。じゃあ、まずはアタシのことからだね」
すると、アリシアの空気が出会った時のように厳かなものになる。
周りの空気もピリピリとして、アリシアがやんごとなき生まれであることが直感的に分かった。
「アリシア・エリー・ガリルト。十三歳です。ガリルト神王国の巫女筆頭で、最後のオラクル――巫女の中の巫女となった、アリス・エリー・ガリルトの子孫です。この砂漠には神託、預言によって導かれました」
「……オラクル?」
アリシアが口にした「オラクル」に、なぜだか並々ならぬ感情を感じたオレは、思わず同じ言葉を呟く。
その反応を見るやアリシアは頷いた。
「そうですね。オラクルについても説明します。オラクルというのは、最上位の巫女のことであり、国の行く末を占う為政者でもあります。また、魔法『オラクル』を操り、ガリルト神からの神託を受けるだけでなく、その圧倒的な魔法で民を導く、いわば人々の心の拠り所です」
アリシアの話をオレたちの世界に当てはめるならば、邪馬台国の卑弥呼が近いだろうか。
絶対的なカリスマ性を持って、人々を導いていたのだろう。
「もともとガリルトをその強大な力で守り、導いていたのですが、それはすなわち神の力を授けられていたとも言えます。だからこそいつの間にか、オラクルを操る者には神のような神聖さが身についていきました。
その神聖さを守るために生まれた国が、バノルスです」
「……どういうことだ?」
「数百年前のことです。ガリルトの東側に、私たちが今いる砂漠――ユダヤ砂漠が広がっています。ユダヤ砂漠自体はガリルトに数少ない緑豊かなカナン地方を覆うように東、南に広がっていますが、特に東側には、昔から『悪魔』と呼ばれる、魔法のようなものを操る怪物が現れるのです。それがさらに東側のマスグレイヴ帝国の軍に操られてガリルトへ侵攻しようとしたのです」
「魔法のようなものって、なんだ?」
今まで言いよどんでいなかったのにもかかわらずはっきりしない物言いだったので口をはさむ。
「伝承でしか残っていないので、詳しいことはわかりませんし、その伝承でも魔法のようなものとしかありません。なので、今となってはわからないですね」
「……そうか」
ガリルト神から言われた「悪魔魔法」。
アリシアの話に通ずるかと思ったが、詳しいことはわからないようだ。
「あと、マスグレイヴがガリルトを狙う理由は?」
「……詳しいことはわかりません。何しろガリルトとマスグレイヴを挟むここユダヤ砂漠は、『悪魔』が出ることで有名です。この悪魔はマスグレイヴに近づくほど手ごわくなります。その状況に砂漠という過酷な地理的状況も重なっているので、超えようと考えるものはガリルトにはいません。……マスグレイヴがどのように悪魔を操っているかは不明のままです。
ですが、ガリルトのあるカナン地方は一種のオアシスのような地で、『カナンの滝』と呼ばれる聖なる滝を中心に砂漠地帯では珍しい、『乳と蜜の流れる地』と称されるほど肥沃な大地が広がっているからかもしれません」
どうやらマスグレイヴのことがよくわからないのは、その過酷な地理的状況、「悪魔」と呼ばれる怪物のためのようだ。
この地を超えて、よくわからない敵国のような地へと情報を集めに行く。
相当な手練れでないと、自殺行為だろう。
よくわからないというのも納得だった。
「マスグレイヴの侵攻ですが、当時のオラクルであるペトラは、神託や魔法『オラクル』で知っていました。そのため国を守ろうとしたのですが、オラクルの神聖さを守るため、血に穢れさせないために、一人の男が立ち上がりました。
それが、トゥルイという、ペトラの親友でした。ペトラは自分のことを、そしてガリルトのことを守ろうとするトゥルイに根負けし、前線に配置しました。そのトゥルイは国を守るため前線で奮闘し、見事マスグレイヴの侵攻からガリルトを守りました。
ですが、血に穢れた自分自身が神聖なオラクルを穢してはならない、未来永劫ガリルトを、オラクルを守りたいと、トゥルイはガリルトの中心であるカナン地方の南、ユダヤ砂漠から荒れ野へと切り替わるところに存在する、拠点のような街――カファルナウムへと移住しました。
そこで、ペトラはトゥルイに家名と、カファルナウムを領地として授け、その心意気を全力で後押ししました。
……その家名が、『バノルス』で、これがバノルス王国の誕生の瞬間でした。それ以来、バノルス家は王家として君臨し続けています。
そうやって神聖なガリルト、それを守るバノルス、その地を狙うマスグレイヴという地理的な状況が今日まで続き、小競り合いを繰り返しながらもガリルトとバノルスは安寧の日々を長く送ることができたのです」
しかしそこでアリシアの表情は暗くなる。
「……その状況が変わったのは、およそ百年前です。当時、オラクルは四人いました。
オラクル筆頭のリベカ・エリー・ガリルト。
私の先祖で、その強大な力で民を導く魔法道具を発展させた、アリス・エリー・ガリルト。
当時最年長のオラクルで、若いリベカとアリスを支えた、レア・フローレンス・ガリルト。
その類まれなる頭脳で頭角を示した、政治的なオラクルのリーダー、ラケル・フローレンス・ガリルト。
ガリルト家のうち、創世の時代のエリザベスに由来する家のリベカ、アリス、フローレンスに由来する家のレア、ラケルの両姉妹が当時のガリルトを率いていました。
リベカ、レアが姉、アリス、ラケルが妹でした。
その中のリベカが、バノルスの王子、イサクと禁断の恋に落ち、結ばれました。どうしても穢れが引き受けたバノルスが相手ですから、いくら王家とはいえ、結ばれるまでは周囲のほとんどが反対するほどの混乱がありました。その中でもリベカを支えたのは妹のアリスと夫となるイサク、そしてバノルスの民で、結ばれてから数年は平穏を取り戻していました。……こう言っては何ですが、ガリルトにとっては厄介者がいなくなったのもありますし、オラクルも他にいましたからね。バノルス側に至っては歓迎していましたし。
……しかし、ある日を境に、レアが姿を消します。同時期にマスグレイヴの侵攻が始まっていたことから、それが原因かもしれません。それ以降、まずラケルがオラクルを使えなくなり、直後にレアと同様に行方不明になり、マスグレイヴの侵攻は、歴史上、最大規模となりました。
……時が過ぎた今なら言えることですが、……歴史上初めてバノルスが、オラクルが経験した敗戦です。本土まではその時は侵攻されていなかったのですが、最前線は壊滅していたと言います。
そしてマスグレイヴ軍は、バノルス王国の首都となった、カファルナウムの南にある荒れ野――ゴルゴタにまで侵攻しました。
それを食い止めたのが、神の力を宿す、『神器』と呼ばれる魔法道具を操った、リベカです」
しかし、「食い止めた」という言葉とは裏腹に沈痛な表情を浮かべて、その結末をアリシアは語った。
「……その神器の暴走により、ゴルゴタにいたバノルス、マスグレイヴ双方の軍が壊滅。生存者はバノルス軍の四名とリベカ。恐れをなしたマスグレイヴは本国へと撤退しましたが、リベカの傷も深く、オラクルが使用できなくなり、数年後に死亡、その後、アリスが死亡し、以降原因は不明ですがオラクルを使用できる者が現れなかったことで、オラクルは滅びました。
さらにリベカの夫であるイサク以降の王はすべて女で短命だったこともあり、バノルスでガリルトから独立しよう、リベカの血を引いていないノアの家系を王にすべきだという、反政府派のノア派が台頭、マスグレイヴの圧力も年々増し、現在、再び混乱の最中にあります。
恐らく昨日の連中はノア派の一部かマスグレイヴの斥候だと思います。魔法を見る限りノア派だと思いますが」
……。
ことの顛末を語ったアリシアはそこで息をつき、一連の話が終わりを知らせる。
そのままコップの中の水を口に含み、苦笑いを浮かべた。
「……おかげで、ガリルトの人から見たリベカの印象が結構割れてるの。片やガリルトを守った英雄、片や自らの色恋沙汰のために血の穢れを受け、ガリルト神の威厳を穢した裏切り者。オラクルがずっといないからなおさらね。だからバノルスへの風当たりも強くて。悲しいなぁ……」
そこからは少し涙声になっていた。
「バノルスの王女にね、サラファンっていう人がいるの。すごい人でね、勉強も魔法もエリートで、十二歳くらいですでに王立の研究所で研究を始めてたの。それなのに国民のために一生懸命で、ノア派とも、ガリルトとも分かり合いたいって。
こんな人が『オラクル』にふさわしいなあって思ってね。ガリルトに一週間くらい政務で来て、そこで少し話したくらいなんだけど、その後もずっと文通してるの。
……でも、ガリルトの巫女たちは気に食わないみたい。……まあ、当然だよね。リベカのせいでオラクルが滅びたといってもいいと言ってる巫女もいるし、こんな混乱を招いているともいえるし。なによりガリルト神を、その神聖さを重視するガリルトの民にとっては、サラファンは憎悪の的なんだと思うよ。
……でもね、アタシ思うんだ。もっとその人自身を見てよって。こんなに立派な志を持って、素晴らしい実力もあって、努力し続けてるんだって。
そんなサラファンが、アタシ、大好きで、憧れなんだ」
「……そうか」
アリシアの視線は、いつの間にか部屋のどこにも、ノエルにも、もちろんオレにも向いていない。
まるで遠い景色を見るように、ぼんやりと虚空を見つめていた。
サラファンとの日々や、その高潔さを思い出しているのだろう。自然と口が止まっていた。
そんなサラファンは、どんな人なのだろうか。
バノルスとガリルトの関係を修復できるのだろうか。
アリシアの話だけでは伝わらない何かを、実際に逢って感じたいと思った。
「……なあ、アリシア」
それと同時に思った。
「お前は、どうしたいんだ?」
「……どういうこと?」
オレの言葉で現実に戻ったアリシアはオレに視線を向ける。
「ちょっと思ったんだよ。預言があったとはいえ、悪魔がいる砂漠にノエルとだけ来るなんて、かなり危険だなって。そんなことまでして、何をしたいんだろうなって」
「何って、それは……」
そこでアリシアは視線を泳がせる。
迷っているのか、まだわからないのか、考えたことがないのか。
しかし、やがてオレの目をまっすぐ見つめる。
……どうやら、確固たるものがあるようだ。それを話すのを迷っていたのかもしれない。それでも、契約を交わしたオレに話そうと思ってくれたようだ。
……それがなんだか、前世も含めて、今まで生きた中で、一番うれしい。
「『お役目』を成功させる、お姉さま――サラファンに少しでも近づく。そう決めたの。そのためには何でもするって」
「『お役目』って?」
「
そして、ヒロミが現れた。聖典には、『巫女が大いなる力を携え、灼熱の砂漠へと向かった』『巫女は彼の使いと契約を交わし、神の力を分け与えながら一つとなった』とあるの」
……。
「それって、つまり……」
「そう、私は、ヒロミがすべての始まりで、カギを握る存在だと思う。それに、ガリルト神のことを知ってるんだよね?」
「あ、ああ」
「そして私と契約して、あなたは私のものとなった。――だから、お願い」
――私と一緒に、サラファンと一緒に、ガリルトを、バノルスを導いて。
出逢った時と同じ願いでアリシアが手を差し出す。
彼女は覚悟を問いているのだ。
始めは成り行きだったこともあるかもしれない。
だが今は、込み入った事情を説明したうえで、それでも協力する気はあるのかと問われているのだ。
「……」
その答えは決まっていた。
「ああ」
ここに来た時から。
ガリルト神と契約したときから。
「やってやるよ。言っただろ? やわな覚悟でこっちに来ていないって」
そして差し出された手を握る。
「改めて、よろしく頼む、アリシア」
その言葉を聞き、アリシアは花のような笑みを浮かべた。
「――うん!」
同時に、オレも覚悟を決めた。
ここに来る前の事情をアリシアに告白することを。
だが、それは今じゃない。
新たなる決意を胸に前を向いているのだから、わざわざつらい思いを、今共有する必要はない。
契約を交わした関係だ。古賀家とのような穢れた関係ではない。
神聖な神の子との契約ともいえる。気持ちの整理がつくまで、先ほどの言いたくなったら言ってという言葉通り、待っていてくれるだろう。
……今度こそ、一人で抱え込まない。
もはやオレは、オレ一人のものではない。
契約によって、アリシアのものでもあるのだから。
傷つくアリシアの姿を見たくないから。
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