【おまけの話】
1 ファナとヴォルフと悪魔のメイド長
「はぁ……」
ティーヴァル城の広い広い自室。併設されたサンルームのソファーに座って、ファナは小さくため息をついた。
上を見上げれば温室のガラス越しに、三日月と満天の星空。
開いた窓から入ってきた夜風が、辺りの緑の葉を揺らす。
下に視線を落せば、獣人姿のヴォルフ。
『服を着た赤毛の大型犬』といった風体の彼が、こちらの膝の上に頭を乗せて安らかな寝息を立てていた。
心地の良い夏の夕べだ。
ヴォルフの頭をゆっくりと撫でていたファナは、慌てて口をつぐんだ。
ぴくりと赤毛の狼の耳が動いたからだ。
虫の音と、サンルームの中央にあつらえられた小さな噴水の水音で、絶対に聞こえないと思っていたのに。
(
反省してももう遅い。
ヴォルフはチョコレート色の瞳をぱっちり開けて、こちらを見上げた。
「どうしたの? ファナちゃん。
疲れちゃった? 誰かにいじわるされた? レネおじさんにいじめられた?」
「え、あ。ごめんなさい、違うのよ。元気だし、みんな親切よ。
レネ様もとっても良くして下さるわ」
「ほんとに?」
「本当よ。この前も私が
「…………は?」
ヴォルフの声が一トーン下がった。
「ドラゴンになったの? ファナちゃんの前で?
本性現したの? ファナちゃんの前で?」
「え、ええ……」
「手を触らせたの……!? ファナちゃんに……!?」
「あ、あのヴォルフ……? 私なにか失礼なことをしちゃったかしら……?」
不安そうに眉を下げて「レネ様に謝らなくちゃ……」と呟く婚約者に、ヴォルフは顔に笑みを張り付けて答えた。
「ううん。ファナちゃんは何にも悪くないよ。ただ――……、」
ゆらり。
黒いオーラを纏ってヴォルフが立ち上がる。
「僕ちょっと、レネおじさんに用事が出来たから行ってくるね」
「え、ぼ、ヴォルフ?」
座ったままあっけにとられているファナにもう一度笑顔を向けると、ヴォルフは黒い炎を背負ったままサンルームを出て行った。
頭の上にハテナマークをいっぱい浮かべて、それでもファナは彼を追いかける。
部屋の扉を出たところで、廊下の向こう角を曲がったその先から、ヴォルフとレネの声が聞こえてきた。
「――レネおじさんがファナちゃんに、いかがわしいことした!!」
「おま……っ! 誤解を招くようなこと、大声で叫んでんじゃねーっ!」
その会話だけで『自分がヴォルフに余計なことを言ったらしい』ということを十分に理解したファナは、小走りに声の方へと向かった。
だが彼女がたどり着くより早く、
「おやめなさいっ!!」
女性の声で雷が落ちた。
叱られた二人だけでなく、ファナまでびくっと首をすくめ足を止める。
姿が見えなくても分かる。
この声は、カミルの母親であるメイド長のものだ。
カミルと似た赤い眼と赤い唇。それに白髪の交じり始めた栗色の髪をきっちりと結い上げた、五十がらみの美しい女性だ。
城の使用人達は、彼女を夫である執事長と比較して『天使の執事長と悪魔のメイド長』などと揶揄していた。
確かに厳しい一面はある。
だが、忌憚も裏表もない、ごまかしなく何にでもスパッと答えをくれるこの女性が、ファナは好きだった。
(そうだわ! あの方に聞いてみればいいのだわ!)
自分の悩みを解決する手がかりを得て、ファナはぱっと顔を輝かせた。
「お二人とも今何時だと思っているのですか? 城の中でそんな大声を出して……はしたない」
「だっ、だってレネおじちゃんが……!」
ヴォルフは動揺してレネの呼び方がおじ
「は? 俺は何にもしてねーだろ……!」
「は? セクハラって言葉知ってる? おじちゃん……!」
「おうおう、上等だ、おもて出ろクソガキ……!」
「望むところだよ……! いつまでも子供だと思ってたら大間違――……」
「お・や・め・な・さ・い」
『……はい……』
一喝されて二人は声をハモらせ大人しくなった。
「そんなに共食いしたいのでしたら、明日の朝一番で真剣と決闘場と立会人を用意して差し上げます」
「いや、あの……、」
「ダイジョウブ、デス」
ヴォルフとレネの引きつった顔が見えるようだ。
(相談するにしても、今じゃない方が良さそうね……)
日を改めることにして、ファナは足音を殺し自室に戻った。
あの二人のことは、メイド長に任せておけば大丈夫だろう。
ファナの溜め息の原因は、何を隠そう
知り合ってもう三ヶ月になるというのに、未だにどこかよそよそしいような感じがするのだ。
もちろん、メイドとしてファナ以上にファナのことを考えてくれる。
だが、笑顔が固まっていたり、目が会うとぱっと視線を逸らしたり――……。
(なんだか一向に距離が縮まっていない気がするのよね……)
ファナはカミルのことが大好きだし、もっともっと仲良くなりたいので、他人行儀な態度だと悲しい。
(メイド長さんに聞いて、カミルちゃんの好きなお菓子でも作ってみるのはどうかしら?)
この間『バナナ・レモン・パイ』を作ってヴォルフに差し入れたら、それはそれは喜んでおかわりして食べてくれたのだ。
甘さを控えたホイップクリームをたっぷり乗せたそれは、自分で言うのも何だが中々に美味しかった。
(よしっ。明日は書庫でお菓子のレシピの本を見てみよう!)
決意も新たに、胸の前で小さく拳を握る。
――ファナは知らなかった。
カミルの
推しを目の前にすると未だに緊張して笑顔が引きつることがあったし、目が会えばドキッとして思わず逸らしてしまう。
それに何より、いつか自分の
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