2 レネとカミルとマーマレード
「聞きましたよ、レネ様。ゆうべ、ヴォルフガング様とケンカしたそうじゃないですか」
翌朝。
紅茶を入れるカミルにそう告げられて、レネは頭をかきむしった。
艶やかな黒髪を束ねた黄色いリボンが、動きに合わせてひらひらと揺れる。
「うあぁぁ……! もう広まっているぅぅ……!」
「しかもファナ様を取り合って最終的に決闘に発展しかけたとか?」
「尾ひれ背びれどころか、存在しない角と翼がついているぅぅ……!」
母親に事情を聞いて真実を知っているカミルは、ただニヤニヤしながらその様子を眺めていた。
「てか、なんで君がいるの……!? ファナティアスの世話は……!?」
ジトッと見れば、メイドの少女は片眉を上げてみせる。
「ファナ様の朝のお支度はとっくに済んで、今頃は乗馬の訓練に行かれている頃です。
今何時だと思っているんですか」
そのセリフ、ゆうべ彼女の母親にも言われたな、とレネは内心で呟いた。
「だいたい、レネ様の目つきが悪いのがいけないんですよ。す~ぐ睨むから。もう他の子、恐がっちゃって恐がっちゃって」
当番を交換した友人が、ファナの部屋の掃除と洗濯はしてくれているはずだ、とカミルは言う。
入れてもらった紅茶のカップを片手に、レネは頬杖をついて彼女を見上げた。
窓から差し込んだ夏の光りが、カミルの白い肌と赤い目を照らす。グレーの長い髪がキラキラと輝いて、レネは純粋に、美しいなと思った。
(どこかで同じようなものを見た気がする。彼女と似た何かを)
それは好ましいものであったはずだ。
彼女が視界に入ると、嬉しいような気持ちになるから。
「君は恐くないわけ?」
尋ねてから、馬鹿なことを聞いたなと思った。
案の定、カミルは目をぱちぱちさせる。
「はあ?」
「ああ、ごめん。愚問だったよね。こんなに可愛い
ごまかすようにおどけてみせると、カミルは呆れたように少し笑ってくれた。
「俺、朝はコーヒー派だし、朝食は食べない派なんだよねぇ」
話題を逸らそうと、目の前に並んだトーストとサラダを見詰めて呟く。
「存じ上げております。でも、朝食は一日で一番大事な食事ですし、今日は紅茶です。
サラダにはレネ様の嫌いなトマトが入っていますけれども、用意してもらった物に文句付けてないで、さっさとお召し上がりになって下さい」
「ふ~ん」
言われてレネは、素直に紅茶を口元に運んだ。――カップで、浮かんでしまった笑みを隠すように。
「……俺の好みをちゃんと把握してるんだねぇ」
しかしその呟きは、カミルには届かなかった。
代わりに彼女は、トーストに添えられた小さな瓶を、こちらにずいっと差し出して言う。
「それに今日は、あたしの一押しのマーマレード付きです」
瓶の中には、宝石のシトリンのように黄金に輝くゼリー。
「マーマレードが好きなのかい?」
「まあ、ジャムもレモンカードもチョコソースも好きですけれど。一番はマーマレードですね!
マーマレードって、瓶に入ってたら全部同じに見えますけれど、本当はちょっとずつ違うんですよ。シロップみたいにサラサラしてるのとか、ただひたすらに甘いのとか。
あたしはほろ苦いのが好きなんですけれど、このお店のは味も食感も完璧なんです!」
「オススメです!」と、カミルは力強く宣言する。
「ふ~ん」
ファナティアス以外にも、彼女に好きな物があるなんて知らなかった。
瓶を手に取りつつ、レネはふと疑問を口にした。
「ファナティアスとは上手くいってる?」
「え? はい。そう思いますけれど……」
きょとんと首を傾げる少女に、レネは言う。
「彼女、
いきなり目の前で竜の姿をとっても、ファナは悲鳴を上げたりしなかった。
それどころか、憧憬の眼差しすら向けてきたのだ。
「ファナティアスなら、君がどんな姿になっても受け入れてくれると思うけれど」
「う゛」
低く呻いて眉根を寄せて、カミルが探る様にこちらを見詰める。
「……まさかそれを確かめるために、ファナ様の前で本性現した訳じゃあないですよね?」
「ぐぅ……」
今度はレネが唸る番だった。
ゆうべのヴォルフの怒った顔が思い出される。
「……この話は止めよう」
「そうですね。それがよろしいかと思います」
レネは久しぶりにきちんと朝食を取った。
もちろん、カミルおすすめのマーマーレードをパンに塗って。
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