8 パーティの夜に

 その日の夜。

 ヴォルフ達の歓迎と婚約披露という名目の、小さなパーティが開かれることになった。


 別に本当に獣人の国の王子を歓迎しているわけではない。

 ただ単にカロリーナが、チャンスさえあればパーティを開きたいだけだ。


 どうやら彼女には意中の殿方がいて、彼と会う口実が欲しいようだった。


「やっと上の行き遅れがいなくなって、わたくしも心置きなく婚約が出来ますわ」


 胸元の大きく開いた豪奢なドレス、大ぶりのティアラで身を固めたカロリーナが、金の巻き毛をした細身の男性にしなだれかかる。


 ネモフィラ公国の隣国の第三王子、ゲオルグだ。

 どうやら、カロリーナのお目当ては彼のようだった。


 白粉おしろいと香水の入り交じった臭いが鼻を突いて、ゲオルグは顔を引きつらせわずかに身を退いた。


 招待客は彼の他に、近隣国の王族や貴族達。

 年若い娘や青年ばかりであることからも、これがファナの婚約披露パーティではなく『カロリーナが開くいつもの晩餐会』だと思われていることは明らかだった。


 彼らは、ホールの中央付近にいるヴォルフとレネを遠巻きに眺めていた。

 獣人の国ティーヴァル以外で獣人を見ることは稀であるから、物珍しいのだ。

 もっとも、今は人間にしか見えないので内心それを残念だと思う者も居た。


 と。ざわついていた会場がぴたりと静まった。


 奥の扉が開いて、カミルに伴われ、ファナが入ってきたのだ。


 彩雲のような、淡いピンクグレーのドレス。

 髪にはティアラの代わりに小さな花をあしらっている。

 胸元に飾った赤い宝石のブローチが際立つ、シンプルな装いだ。


 だからこそ本人の輝くような美しさが前面に現れていた。


 ヴォルフを見つけて顔をほころばせる姿に、会場中がほぅ……っと息を飲んだ。


 参加者の前を通る。すれ違うその一瞬、花の香りがふんわりと香る。


 何もかもが妹のカロリーナとは正反対だ。


 婚約者が居ることを知っていたゲオルグですら、目を釘付けにしていた。


「ファナちゃん!」


 ヴォルフが小走りに駆け寄ってくる。


「すっごく綺麗だよ!」

「まぁ……あの、ありがとう」


 ストレートな褒め言葉に、ファナははにかんで目を伏せた。


 会場のどこからともなくひそひそと囁き声が聞こえて来る。


「彼女がファナティアス?」「呪われた子?」「彼女を座敷牢に閉じ込めていたの?」「かわいそう……」


 カロリーナの眉がつり上がった。


 すぐ側のゲオルグを、周りの貴族達を睨む。


 そうして側のテーブルに置いてあった赤ワインのグラスを掴むと、カツカツとヒールを鳴らしてファナに近寄った。


「まあ、お姉様・・・! そのドレス、わたくしの物ではなくて? 泥棒なんてお姉様らしいですわね!」


 いつもは『お前』と罵られるのに。『お姉様』なんて初めて呼ばれたのではないだろうか。


 ファナが唖然としていると、カミルがキッとカロリーナを睨んだ。


「このドレスは、大公閣下からファナ様にいただいた物ですよ!」

「お父様が!?」


 カロリーナは驚いて目を見開いた。かと思うと、ギリ……ッ! と奥歯を噛みしめて、


 バシャッ!!


 手に持っていたワインをファナに浴びせた。

 いや、正確に言うと、ワインのグラスごとこちらに投げつけたのだ。


「ファナちゃん!」


 咄嗟に庇おうと差し出したヴォルフの手に、


 パァン!


 床に当たって弾けたグラスの破片が飛んだ。


「ヴォルフ!」


 ファナが悲鳴に似た声を上げて、左手を押さえる彼の腕に触れる。


「血が出てるわ!」

「大丈夫、ちょっと切っただけだよ」


 カミルが慌ててポケットから白いハンカチを取りだし、ヴォルフの手に巻く。


「あら、ごめんなさい。ちょっと手が滑ったみたい」


 顔に不気味な笑みを貼り付けてカロリーナが言った。


 こちらを睨み付けるカミルの視線に一瞬たじろぐ。

 使用人の顔などいちいち覚えていない。だからこの城にいるメイド・・・・・・・・・は、全員自分には逆らえないと思い込んでいたのだ。


 だがすぐに視線を逸らし、顔をファナに向けると言った。


「そんな恰好ではみっともないですわよ。パウダールームで着替えましょう。わたくしが、お姉様にぴったりのドレスを見繕って差し上げます」


 ファナは先に立って歩き出したカロリーナと、怪我をしたヴォルフを交互に見比べる。


「僕は本当に大丈夫だよ」

「ファナ様、すぐに染み抜きすれば汚れも落ちるかもしれません」


 自分に付いてこようとするカミルを止める。


「カミルちゃん、ヴォルフの手当てをお願いできる?」


 言われてメイドの少女は一瞬心配そうな顔をした。

 だが、主にそう言われては仕方がない。


「……かしこまりました」

「すぐに戻って来るわね」


 こちらを気遣う様子の二人に、大丈夫だと頷いて見せ、ファナはカロリーナの背中を追いかけた。

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