第11話 テレーズの夢。

 主人が帰宅して夕食を済ませると、会話の無かったふたりが、自然に一日の出来事を話し、お互いを気遣う様になっていました。彼の死が冷め切った夫婦の関係を修復したのか、愛情を取り戻している事に気付き、不思議な気持ちになりました。


 そして、彼が入浴中にインター・ネットで西洋アンティークとパズル・ボックスの検索をして開け方を調べていると、繊細な寄木細工パーケットと、家を守る蜘蛛と、蝶のモティーフの彫り物、ベルベットの内部には小さな間仕切りが有る事から、19世紀後半の物だと分りましたが、開け方は全く分かりませんでした。



 翌日、主人を送り出し子供を送って家に戻ると、誰もいない家の中でパズル・ボックスをリビングに持ち出しました。この謎解きがピーターが与えた試練レッスンの様な気がして夢中で箱の仕掛けを調べていました。そして、注意深く箱を眺めていると、蓋を開けると裏側に隠れてしまう蝶番が特殊な形をしている事に気付き、百二十度でストッパーに当たる蓋を、突起を押して百八十度まで広げるとカチッと音がしてロックが外れ、中の側面の板が外れて、底板を開けると、そこにはピーターのスマホとチェーンの先にチャームの付いた古い鍵が入っていました。



 私はスマホの電源を入れバッテリーの確認をすると、古い鍵を持って家を出ました。向かったのはピーターと出会ったカフェ、ピグマリオンでした。


「いらっしゃいませ」


「こんにちは。ワイルド・コピルアックと、キューバ・クリスタル・マウンテンを特別室へ。お願いね」


「はい。かしこまりました」


 古めかしいそのドアの鍵穴に、手に持った古い鍵を差し込み、開錠してドアノブを掴んで静かに捻るとガチャッと大きな音がしました。私は薄皮を剥ぐ様に、彼の仕掛けた謎を解き明かしていく嬉しさに、あの日と同じ様に鼓動が早くなるのが分かりました。そして、ゆっくりとドアを開けて行くと、懐かしい骨董品アンティークの臭いの中で、何も掛かっていないコート・ハンガーが枯れ木の様に寂しそうに見えて、私はそっと自分のジャケットを掛けてあげました。


 〝 特別室にようこそ。アリスさん ″


「ピーターさん。あなたは特別室が自分の物だと言わなかった。意地悪なの? それとも、この謎解きは、試験テストなのかしら?」


 〝 そうでしたね。でも、どちらでも有りませんよ。この部屋は、あなたにふさわしいでしょう? ″


 トリポットティーテーブルの花瓶には白のラナンキュラスが生けて有り、その隣のガレのランプが少しはにかんでいる様に見えました。


「ピーターさん、掛けても良いかしら?」


 〝 勿論ですよ。どうぞお掛け下さい ″


 私の椅子を静かに引いて座らせてくれたピーターの姿は有りませんが、あの日と同じ様に席に着くと、バルテュスの絵画は『夢見るテレーズ』に掛け替えられていました。両手を頭の上で組み、無防備に足を上げたのパンティーが真正面に見えましたが、ピーターが着席すれば隠れて見えなくなる位置でした。そして、彼の左頭上の辺りには、何を思い、何を夢見ているのか、妄想を掻き立てる少女の顔が有りました。


「ピーターさん、この風変わりなカフェの特別室がどうして私にふさわしいのか、今度こそ教えて貰えないかしら?」


 〝 ほらね、フッフッフ。あなたは直ぐに理由を聞きたがりますね。さぁ、どうしてでしょうね。それより、手に持ったスマホの中を見てみたら如何ですか ″


 誰も居ない特別室でピーターと会話していると、注文のコーヒーが運ばれて来ました。私はピーターの席にワイルド・コピルアックを置いて貰い、彼が飲んでいたキューバ・クリスタル・マウンテンを飲む事にしました。


 甘い香りを楽しみ、火傷をしない様にコーヒーをそっと舌に乗せ、唾液で包む様にして確りと味わうと、コクと甘みと酸味のバランスがとれていて、クリアで後味にもキレが有り、飲み込むと冷えた身体が芯まで温かくなるのが分かりました。静かに息を吐くと、爽やかな余韻が何時までも続きました。このテイストの余韻こそがピーターだと思ったのは、彼女テレーズのせいかもしれません。


 私はこのスマホの中に、謎解きの答えが有ると思い、画像フォルダーを開き、中を覗きました。でも、保存されていたのはドレスや美術品の画像ばかりで、その中に答えが有るとは思えませんでした。きっと、私はその画像の中にの私が居る事を期待していたのかも知れません。


 コーヒーを飲みながらスマホを弄っていると、見慣れないメッセンジャーアプリが有る事に気付き、タップして開くと、その中に主人の名前を見付けました。私と出会う数ヶ月前から亡くなる直前までの通信履歴が残っている事に気付き、主人とピーターがどんな関係だったのか、謎解きの答えがこの中に有る事を確信しました。



「康孝、君はもう長くはない。そう言ったね。最後に、僕に何か出来る事がれば、遠慮なく行ってくれないか」


「ありがとう。君の友情に感謝するよ。思い残す事は何も無いよ。こんな風にしかならなかっただけさ。だからもう、僕の事は気にしないでくれ」


「そんな事、出来る訳が無いだろう。それとも僕はその程度の存在なのか? 何でも良いんだよ。どんな事でも」


「ありがとう。だが、僕の方こそ、君の為に何か出来る事が無いか考えていたんだよ『死に行く僕が最後に君に出来る事』をね。だからが何か教えて欲しいんだよ。それこそが『君が僕に出来る最後の事』だよ。そう思わないかい?」


 私は「最後に出来る事」が何なのか気になり、スクロールをして読み進めて行きました。







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 ending theme Mahler: Symphony No. 5 in C-Sharp Minor - IV. Adagietto.




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 次回もお楽しみに。

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