第10話 再会は別れのリフレイン。

 その日、私は葬儀の為、主人と二人で喪服を着て斎場に向っていました。亡くなった最愛の友がか知らないまま。私たち夫婦の結婚式にも参列していたと云うの事を全く思い出せないまま、車に乗り込んでいました。


 主人の運転する車が交差点を曲がり、斎場が見えて来て近付いて行くと、見覚えの有る故人の名前と、喪服を着て受付をしている社員の人の姿を目にして、主人の親友がピーターだと云う事を知り、私は不思議の国に迷い込んだような錯覚に囚われました。


 現実を受け入れられないまま定刻になり、僧侶が入場して読経が始まり、ピーターに戒名が授けられ浄土に導かれてこの世から去って行く淋しさに、涙が溢れて止まりませんでした。親族の焼香が終わり、一般参列者の焼香になった時、私は斎場を抜け出して花屋に行きました。



 花屋のショー・ウインドウには瑞々しい春の花が飾られて、色鮮やかに咲き誇っていました。ラナンキュラスの花の時期は終わりに近付いていたので、片隅の小さなスチール桶に残されたラナンキュラスを全て買い求め斎場に戻りました。そして、祭壇の前に下ろされた棺を親族と囲み、赤いラナンキュラスの花を棺の中に入れ、遺体を飾り、ピーターと無言の会話をしました。


 棺を斎場から霊柩車へ運び、親族の希望で、最後にもう一度会社の前を通って火葬場に向う事になりました。私の作品が飾られたショー・ウインドウを眺めながら、目隠しをされて泣いている少女に自分の姿を重ね合わせていました。


 火葬場に到着し、野辺送りの読経の中で焼香を済ませると、親族と共に故人に別れを告げました。そして、外に出て煙突から白い煙が天高く青い空に溶けて行くのを、私は只、ぼんやりと眺めていました。


 その後、火葬場の控え室で待機していると、主人が私たちの結婚式に参列した時の彼の写真を見せてくれました。肩まで伸びた長い髪に、口髭とビアードを蓄えた彼の姿を見て、思い出せない理由が分かりました。主人とは正反対に自由奔放に生きていた人なのに、お互いに尊敬し合う関係だったと知り驚きました。そして、火葬が終わり、主人と二人で遺骨を箸で拾い、骨壺に入れて収骨を済ませました。



 葬儀を終えて家に戻ると、主人が彼との思い出を話してくれました。話の内容はありふれた男同士の武勇伝の様な物でしたが、主人が少しだけ元気を取り戻していた事が何よりでした。彼のお陰で結婚式の事を思い出したからでしょうか、当時のふたりの気持ちが蘇り、温かい気持ちになりました。


 主人が入浴中にマッチングアプリを開き、この世にはいないピーターに、ひとり静かに最後のメッセージをタイプしていました。


「ピーターさん。随分、遠くまで買い付けに行っているのですね。でも、さよならは言わないわ。大草原で遊んで、時を忘れたあなたと再会する日まで、私はあなたの奴隷ですから……」


 アプリの中で彼はまだ生きているのです。そして、私の心の中には、見渡す限り地平線の続く、誰も居ない大草原にやさしい風が吹いていて、人参を食むピーターラビットが草叢くさむらからひょっこり顔を出しそうで、何時までもその場を離れられずに居ました。



 初七日が過ぎた頃でした。私は仕事を無事に終えて、忙しさから解放され時間が出来たので、彼の会社に連絡をしました。日時の確認をして、ピーターが私に遺した物を取りに行く事にしました。


 葬儀の時、社員の方は私に気付いても声を掛けませんでした。お互い弁えているので、無駄な話をしなかっただけと思って気にはしていませんでしたが、初七日法要でお会いした時に初対面の対応をされたので、きっと彼に指示されて黙っているのだろうと思いました。そして、主人には佐藤康孝ピーターが私のクライアントであり、火葬場に向う時に見たウインドゥ・ディスプレイが私の作品である事は、永遠の秘密になりました。



 翌日、彼の会社に赴くと社員の方が優しい笑顔で出迎えてくれました。


「藤野様。お忙しい中、御足労頂き有難う御座います。又、その節は、失礼致しました」


「いいえ。彼の気持ちを尊重すれば当然の事ですから」


 事務所に案内され、手渡されたのは宝箱を模したアンティークのジュエリー・ボックスで、薄いレースと幅広のシルクのリボンがぐるりと掛けられた、とても綺麗な物でした。


 私はそれを家に持ち帰り、リボンを解くと取っ手に紐で小さな鍵が結んで有りました。リボンで隠されていたその鍵を鍵穴に差し込み、蓋を開けると、中に入っていたのは、あの日、私から取り上げたランジェリーでした。私は思わず心の中でピーターに言いました。


「ピーターさん。ジュエリーボックスにランジェリーだなんて。洒落ているつもりなのかしら? それとも下着泥棒になるのは、あなたのプライドが許さなかったの? こんな物よりもっと大切なものを盗んだ事に、あなたは気付いていないのかしら?」


 私はジュエリーボックスの蓋をそっと閉めて、鍵を掛けました。



 子供を迎えに行き、その帰りにスーパーで食材を買い、夕食の支度をしている時でした。子供がピーターから貰ったジュエリーボックスを手にして「開けて」とせがむので「何も入っていないでしょう」と開けて見せると「何も入っていないなら、ボクにちょうだい」とねだられて困惑しました。


 私は「大切な物だから」と言って聞かせ、子供の目に付かない様に寝室のウオーク・イン・クローゼットの奥の棚に仕舞う事にしました。寝室に箱を持って行き、背伸びをして仕舞おうとすると、傾いた箱の中で何かが音を立てました。鍵を開けて中を確認すると何も入っていないので、気のせいかと思いましたが、気になって揺すってみるとコトッコトッと箱の底から音がしました。上げ底になっている事が分かりましたが、どうやって開けたら良いのか、開け方が全く分かりませんでした。






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 ending theme Mahler: Symphony No. 5 in C-Sharp Minor - IV. Adagietto.




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