10 白椿陰陽少女の意識
海原百鬼夜行二日目。土日は運動の部活がある。また午後には補習などもあり、真弓は内心では涙目になりながら受けた。啄木から教えられたことが成果として出ているのか、大半のことが理解できた。終えて、日がまだある午後の時間帯で校門をくぐり抜ける。
「お疲れさん」
隣から聞き覚えのある声に真弓は首を向ける。紙袋を片手に啄木が手を上げて、「よっ」と声をかけた。彼の存在に驚き、彼女は慌てて駆け寄る。
「た、啄木さん!? なんでここに?」
「偶然だよ。海辺の様子を見に行ったあと、高校の近くに通ったら真弓が外から出てきた。本当は、
本当の目的を教えられ、真弓は言葉をつまらせる。啄木からすれば見過ごせない少女だ。実の兄から妹マニュアルが送られるほどの問題児。真弓自身も自覚しているが、直そうと思わない当たり問題児である。
彼女の反応を見逃さず、啄木は仕方なさそうに息をつく。
「まあ、俺が止めたからいいよ。ああ、そうだ。これ」
紙袋を見せる彼に不思議そうに首を横に傾げる。啄木は朗らかに笑い、中身を教えた。
「有名なケーキ屋の菓子を土産に。どうだ?」
土産のケーキと聞いて、真弓は表情を輝かせる。
「うん、ありがとう!」
「どうもいたしまして。じゃ、家に行くか」
嬉しそうな彼女を見て、啄木は歩き出す。真弓も後を追って、彼の一歩後ろで歩いていった。
二人は家につく。兄は表の仕事でおらず、真弓は玄関の鍵を開けて啄木を家に招き入れた。ケーキは冷蔵庫に入れた後、真弓はお茶とお茶請けの準備をした。
「啄木さん。どうぞ、
「どうも、真弓。それより着替えてきたらどうだ。もう熱くなってくる季節で、汗も流しやすい。確か運動部だろ? 制服よりも私服でいたほうがいいぞ」
「……そうだね。じゃあ、失礼して着替えてくるね」
促されて真弓はエアコンをつけて、自室へと向かう。
部屋の中には、陰陽師関係の書物と寺社仏閣関連の本。娯楽と言えるようなものはテレビのサスペンスを見るタイプだ。寝具はベッドより布団である。陰陽師見習いらしいと言える部屋だが、女の子らしさはない。
女の子らしいと言えば、狐と狸のぬいぐるみがあるぐらいだ。
戸を閉じて、彼女はスカートを脱ぎワイシャツを脱ぐ。若干を掻いており、真弓は匂いを嗅ぐ。運動部故に制汗剤はかかせない。梅雨が近づいてきており、熱くもなってくる。汗も流しやすくなっている。
「……臭くないかな……」
真弓は汗を拭き取るシートを出して、急いで全身を拭く。下着も脱いで、着替え直す。
スカートをハンガーにかけて、来客が来たとき用の部屋着に着替える。戸を開けて洗面所の洗濯籠に汗を吸った服を入れる。もう一度部屋に戻り、彼女は勉強道具を持ってきた。
「啄木さん! ゴメンな──」
リビングを見てみると、啄木は窓の前に座って外を見ている。
外よりかは空を見ているようだ。まだ青い空ではあるが、時間が経てば空の色も変わる。真弓は机の上に勉強道具の一式をおいて、隣に座って彼の横に顔を見る。
首にもしっかり筋肉がついており、がたいがいい体と似合う。眼鏡も似合い、灰色の瞳は憂いげに空を見ている。
手に届かない場所に行く気がし、彼女は声をかけた。
「……啄木さん?」
「……? っおっ!?」
顔を横に向けて身を引いて驚く。呼ばれて気付いたようだ。
「ま、真弓か。……悪い。気づかなかった」
申し訳無さそうに頭を掻いてく。
「いいよ。けど、何を見てたの?」
不思議そうに聞くと彼は、気まずそうに空を見る。彼女も空を見た。何も変わらない青空であるが、啄木は空を見ながら話す。
「見ての通り。空さ。空の変化していく様が変わってないなぁって、変にセンチメンタルになってるだけだ。気にするな」
空がいつも通りであるのは当たり前である。意味がわからないと首を少し横に傾げる彼女に、啄木は楽しげに笑う。
「つまりな、変化してないものは変化してないけど、生き物の場合は置いていかれる。そういう意味でのセンチメンタルさ。潮風が入ってくるのか、そういう気分になることが多くてな」
「なるほど、そういう意味で啄木さんはおセンチになっていたんだ」
「いつの言葉だよ。今の若者が使う言葉じゃないぞ。……さて、悪いな。追試に向けて勉強しようか」
啄木は可笑しそうに笑って立ち上がり、机の前に座り直す。空を見つめ続けて、真弓は悲しそうに口を閉じる。彼は真弓側の問題に配慮して深く関わろうとしない。故に、彼女達も素知らぬ振りをしている。
だが、真弓は啄木を知りたいと思っていた。普段と仕事をしているときの彼をもっと見てみたいと。啄木には大切な想い人が居るというのに、興味を向けている。彼女は若干の罪悪感を抱く。
窓の前から動かない真弓に啄木は声をかけた。
「真弓。どうした?」
「えっ、あっ、ううん! なんでないよ!」
彼女は振り返り、体を啄木に向けて丁寧におじぎをする。
「では、啄木さん。今日もよろしくおねがいします!」
「はい、よろしくおねがいします」
彼も丁寧に返し、真弓の追試に向けての勉強が始まった。
真弓は頭を押さえながら難しい顔をする。啄木は数学の教科書に見せながら、真弓の
「解けたー!」
「ただいまー」
同時に兄の声が聞こえ、啄木は体を向けて微笑む。
「こんばんは。お邪魔してます」
来客の彼に気づき、葛は疲れた表情から笑顔を取り
「あっ、佐久山さん! こんばんは、いつもありがとうございます!」
スーツ姿でリュックを背負っている。何処かの会社勤めらしい。兄の帰宅に妹は気づいて声をかける。
「あっ、お兄ちゃん。おかえりなさい!」
「ただいま、真弓。佐久山さんに迷惑かけてないか?」
「かけてない。かけてない! あっ、啄木さんが私とお兄ちゃんと重光さんにケーキを持ってきてくれたよ」
「えっ!? 佐久山さんがっ!?」
驚く葛に、啄木は首を横に振る。
「気にするな。こっちの善意の押し付け。甘いものが苦手なら別の人にやってもいいよ」
「いえ……甘いもの好きなんで嬉しいです! ありがとうございます!」
嬉しそうに笑う葛の顔はやはり兄妹というべきか、真弓とそっくりである。彼女は立ち上がり、兄に向けて嬉しそうにノートを見せた。
「おにい。これ、自分で解けたよ。やったよー!」
「ん? ってええ!? ほんま!? 俺が高校時代でもわからなかったところだぞ!? 解けたの、先生に教えられてやっと解けたやつ!」
ノートの見せて葛は大袈裟に驚き、真弓は嬉しそうに笑う。
「うん! あっ、でも、この問題が解けたの啄木さんのおかげなの!」
「いや、真弓の
謙遜をし啄木はお茶を飲むが、真弓は彼を見つめる。スパルタな部分もあったが、啄木は分かるように勉強を教えてくれていた。あえて言わない謙虚さが素敵だと考えていた。
視線に気づいて、彼は真弓に微笑む。
「どうした?」
「えっ、いえ! ありがとうございます。啄木さん!」
「気にするなって」
真弓は慌てて感謝をして頭を下げ、いつもの朗らかな調子で啄木は返す。少女は啄木の微笑みを思い出して、心臓の上を押さえる。心臓の音が少し早いような気がしたのだ。
妹の様子に兄は気付かず、啄木に声をかける。
「そういえば、佐久山さん。昨夜、何がありましたか?」
「何か? ……何かあったのか?」
不思議そうな啄木に、葛は頷く。
「はい、何でも……昨夜海辺を巡回していた退魔師の皆が一斉に海辺を離れたことがあったそうです」
初耳に真弓は声を上げて驚く。
「えっ、そんなことあったの!? お兄ちゃん!」
「ああ、一時だがあったんだ。佐久山さんが去って一時間ほどだ。皆、警備に離れて気付いた。話によると、一時その場を離れるのが当たり前のような気がして海岸を去ったと。明らかにおかしいんだよ。戻ってみたら、何事もない状態だったらしく結界も無事だった」
言われて、真弓と啄木は驚く。一斉に人去ること事象など、大きなイベントの終わり以外ない。一時的に海岸を離れるように誘導したように感じ、真弓は疑問を口に出す。
「……みんな一斉に遠ざけられたのに結界が傷付いた様子がないの、とってもおかしいよ。やったの、誰かな」
事を起こした張本人は気味悪そうに葛に話す。
「……何だか気持ち悪いな。妖怪とか、別のやつがやった可能性はないのか?」
「妖怪で器用なことができるのは上位しかいないでしょう。啄木さん。ですが、上位の妖怪は俺たちを手伝いません。彼らはプライドが大きいので」
「……だよな。都合のいいことなんてないよな」
ため息をついて頭をかく彼を見て、真弓はある話を思い出す。
都合よく現れるはずない口伝で伝えられる話の存在。退魔師系の職業で伝わる話だ。地獄の使者とも言われていることを思い出し、真弓は兄に話し出す。
「……地獄の使者……がやったとか?」
妹の言葉に、兄は否定する。
「まさか、そんな都合よく現れるか」
「だよね……」
しょんぼりする彼女を啄木は一瞥して湯呑を手にした。
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