3 成長していくのは心身共々

 四季を数回繰り返して、とおる12歳になった頃。

 秋、色づいた葉が落ちる季節の時だ。茂吉は鍛錬場と呼ばれる場所で、太い棒を大きな岩を括り付けた物を使用して全身を鍛えていた。見た目は、平成へいせいの世で言えばダンベルのようなもの。上半身半裸で、髪を結んで多くの汗を流している。


「5099……5100……5101……5102」


 朝ごはんを食べてから昼間まで彼は岩のダンベルで体を鍛えていた。無心になって鍛える彼の元にやってくる少女がいた。


「おーい、茂吉くん!」


 声の方向に茂吉は顔を向ける。手ぬぐいと竹筒の水筒を持ったとおるだ。身長も伸びてきて、少しずつ女性らしくなっていく。可愛らしさから、少しずつ女性特有の美しさも現れ始めた。彼女の成長していく過程を見て、彼は不安を覚えた。悪い男に引っかかる不安とこの先の彼女の嫁ぎ手について。完全に保護者としての目線である。

 岩のダンベルを地面において、彼はにこやかに声をかけた。


「とおる。自分で取りに行くつもりだったから、よかったのに。でも、わざわざ持ってきてくれてありがとう」

「お疲れ様。私もちょうど鍛練を終えたところだから持ってこうと思ったんだ」


 身軽な動きができる格好であった。指にはいくつかの包帯が巻かれている。彼女は武器の練習をしているため、指には傷が出来てきていた。

 組織の半妖は遊びながらの基礎訓練を幼い頃からし、二桁になると武器の練習をする。少しずつ刃物に慣れていき、危険性と危うさを教える。

 実習として、人が死ぬ場面を見たり、看取ることもする。半妖によって異なるが、手を汚し始めるのは12歳以降。武器の扱う練習をするのは茂吉の役立ちたいのもあるが、最も大きな理由を彼は知る。

 人が亡くなる場面を見たからだ。彼女は病気で亡くなる人を看取り、妖怪から人を守りきれなかった。そこから、彼女は守れるものを守ろうと鍛錬に打ち込んでいた。

 茂吉は手ぬぐいと水筒を受け取りながら、彼女の顔を見た。顔に疲れが滲み出ている。休まずにここまでやってきたようだ。役立ちたい気持ちも理解はできるが、茂吉は体調管理ができるようになってほしかった。


「とーる。俺、休憩したいからさ、一緒に休もうよ」

「えっ、私は、このあと勉強をしないといけなくて」


 彼女は自分がやれると思っていたが、彼は笑うのをやめていさめる。


「とおる。君は気付いてないかもしれないけど、顔に疲れが出ている。どれだけ、鍛錬をしていたかはわからないけど、俺はこれ以上の学習は推奨しない。自分の限界を超えての学習は辞めろ。適度にやって、休める時に休むべきだ」

「けど、私はまだやれる」

「それはそう思っているだけ。君の体は休みたがっているよ」

「そんなことは……ふぁぁ………………あっ」


 言いかけて、彼女は欠伸あくびをして驚いて口を押さえた。顔を赤くして恥ずかしがる彼女に、茂吉は「ほらね」と笑ってみせた。

 二人は近くの地面に座る。

 とおるは少し距離をおいて座る。彼の鍛えられた筋肉質で凛々しい体を見て、照れているのだ。年頃だなと茂吉は微笑ましく見つめて、汗を拭って水を飲む。冷たさが火照った熱を鎮めてくれるようで、茂吉ははぁと息をついた。


「はぁ、流した分の汗が戻ってくるようだなぁ」

「……そ、そう……」


 耳まで赤くして視線をそらすとおるに、茂吉は意地悪く笑った。


「とーるのすけべー」

「すっ!? スケベなのは君だよね!?」


 真っ赤になって怒る顔を茂吉に向けるが、上半身半裸なのに気付いてとおるは自爆した。真っ赤な顔も茹でたカニのように赤くなり、少女は顔を横にそらす。

 恥ずかしがる少女の様子に茂吉は楽しそうだ。この先の彼女の成長を考えると、彼の中から楽しさが消える。

 組織の女性の半妖は、戦闘はするが間諜かんちょうの役割を多く担う。平成へいせいの世で言えばスパイのようなものだ。ハニートラップもする。とおるがどちらを選ぶのか。彼は彼女自身の選択を阻むつもりはないが、自分を大切にしてほしいと考えている。

 忠告も兼ねて、茂吉は彼女に教えた。


「ごめんごめん。でも、この先の君の行動によっては男の人に慣れるかもしれないよ。そこは、自分次第だからよく考えなよ」

「……それって、どういうことなんだい?」


 とおるに聞かれて彼は笑って誤魔化す。


常套句じょうとうくを言わせてもらうけど、大人になればわかるさ」


 茂吉の言葉は嘘ではないが、教えるのにはまだ早い。彼女は不満げな顔をした。

 今後のために、茂吉は導きの言葉を送る。


「とおる。君はもしかすると今後自分のことで悩むかもしれない。でも、自分の感じた気持ちは大切にしなよ。それは、大切な経験なんだから」

「……私の感じた気持ちを、大切に……」


 とおるは自分の胸を押さえて、茂吉を一瞥いちべつして顔を赤くしていた。彼はあえて視線に気付かないふりをして笑顔を保つ。彼女の恋心はいつか消えると予想している。茂吉も青年であった頃は、年上の女性に初恋をした事がある。初恋の人は別の人が好きであった故に諦めた。

 いつかの先生に言われた質問を思い出す。


【もしとおるがそなたを好きになったらどうするんだ?】


 ありえないと思っていた事が現実味帯びている。横を見るととおるがウトウトとしだしているのに気付いた。眠るのをこらえようとしているが、茂吉は彼女に近付いて肩を寄せる。


「ほら、とおる。ここで寝るより、心地いいところがあるだろう」

「……でも……まだ……一緒にいたい……」


 好かれていて悪い気がしない。茂吉は自分が手遅れだと気付いて、ため息を吐く。


「……はぁー仕方ないな」


 手ぬぐいを肩にかけて、水筒を宙に仕舞う。彼女を姫のように抱えた。すでに寝息を立てているとおるの寝顔を見て、微笑みを浮かべる。彼女を抱えて屋敷の方へと向かう。

 歩きながら茂吉は笑みを消す。茂吉に限った話ではないが、自分たちのいる組織は良い場所とは思えない。いくらここが理想郷といえる場所。桃源郷またはニライカナイ。常世とこよの国に近いとしても、罪人である自分たちがいるのは場違いだと考えていた。


 彼らがいる理想郷は心傷き、幸せになるべきものの居場所。とおるが居る場所は、理想郷ではなくもう少しありふれた普通の日々だと彼は考える。理想郷はあるものではなく作るものなのだと。


 自身の部屋の前がちょうど日当たりの良い。とおるを寝かせて、茂吉は自身の部屋から上着を持ってきて彼女にかけた。


 一旦、元の場所に戻って服を戻してから行水しようと考えた。

 汗臭いのは良くないだろうと考えて、彼は元いた場所に向かって歩いていく。服を取って、近くの川まで歩いた。

 男女で鍛錬場所は別れているため、ここに女性が来ることはない。身につけているものをすべて脱いで、深い場所までゆき川の水を浴びる。

 水浴びをしていると、背後から気配を感じた。知っている足音に茂吉は笑って答えた。

 

「やっほー、なおくん」


 振り返ると、身軽な格好をした直文がそこにいた。


「ああ、もっくんか」


 微笑まず、淡々とした声色。この時の直文はまだ無表情で表情に感情がない。声色で何とか出せるようになった頃だ。

 淡々としている彼に、茂吉は苦笑した。


「なおくん。親しい人に声をかける場合は、もう少し声色を明るくしたほうがいいよー?」

「……そうなのか? わかった」


 彼は少し考えてから着ているものを脱ぎ始める。

 同じように直文も体を鍛えていたのだろう。組織の半妖にとって鍛錬は習慣とも言える。脱ぎ終えて近くに置くと、茂吉とは少し場所て行水をした。

 水を浴びている相方を見て、茂吉は勢い良く水をかける。

 ばしゃんと音と共に、直文の髪は濡れる。身構えず、驚く顔もせず淡々としている。表情や行動に感情が現れておらず、茂吉は切なく笑う。


「こーいう場合、身構えて驚くもんだって前から教えてるだろ。直文」

「茂吉はするだろうなって予測していた。けど、少しだけ驚いた」


 冷静に話す彼に茂吉は、片手で顔を押さえて溜め息を吐く。


「冷静に言うのはいいけど、直文。対人との交流の場面で分析するように言うのはやめなよ。人は印象で左右されるんだからさ」


 指摘を受けて彼は水面を見た。ピクリとも動かない顔を見て、彼は顔を俯かせた。雰囲気からも落ち込んでいる。


「……俺は顔に感情が出にくい。改善できるなら改善したい。理由があるなら知りたいけど…………俺の表情に感情がでないのって……呪いなのかな。もっくん」

「……うーん? 呪いというよりかは精神が人寄りじゃないからなのでは……」


 直文は「そうか」と淡々と返すが、茂吉は長く彼の相棒をしているため何となく彼の心情がわかってきた。納得いってないのだろうと。

 直文は赤子の頃から祀られてきただけで、組織に来るまで人として扱われてきてはない。人の顔も見る機会はあまりなかった。普通の子供のように遊戯もなく、親に笑いかけられることなく、話しかけられない。ただ吉兆の象徴として崇められていた。

 とおると真逆の環境に置かれていた過去を踏まえ、茂吉の中で哀れみを覚える。

 哀れみが自分の中ではっきりと感じ、彼は少し成長したかなと内心ないしんで苦笑していた。直文は変わらずの無表情で茂吉に話す。


「俺は茂吉が羨ましいと思う」

「俺が、羨ましい?」


 突然の告白に茂吉はキョトンとすると、彼は頷いた。

 

「お前は前より人らしく振る舞えてる。それは、とおるちゃんというとても大切な人ができたからだとわかる。とおるちゃんがきてから、もっくんの笑顔が明るく感じた。だから、より羨ましく思うんだ。俺にはいない」


 いつもより饒舌じょうぜつな彼に驚きつつも、茂吉は相方の抱いていた心情の詳細を知って嬉しかった。羨ましく思うのは人として気持ちを得てきた証であり、気持ちの吐露とろが信頼されている証拠だ。


「大丈夫。この先、きっとお前にとって大切な人ができるよ。この人を守りたい。幸せになって欲しいって思う人がさ」


 いつか出会うと彼は考えていた。直文が救いたいと思うような人、大切にしたいと願う人がいつか。


「……ありがとう。茂吉」


 無表情のままであるが、声色は若干弾んでいた。

 茂吉は願う。直文の表情を解すような儚くも優しい人が来ることを。

 互いに川から出て、体を拭って体を温めてから茂吉は元の部屋に戻る。縁側ではまだとおるが寝ていた。昼は過ぎており、起こしたほうが良い。彼は寝ている彼女を優しく起こし、一緒におにぎりを厨房の方までもらっていった。


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