5 鏡の世界の紫陽花の少女
本来ならば、土足で踏み入れてはならない。現状は礼儀や作法などを詠っている場合ではない。静かな校内にはいり、建物に入っていく。
中は文化祭の準備が止まっている状態であった。運ばれるはずのものが床に置かれて時が止まったまま。ホラー的な演出ならば、血まみれの部屋などがあれば演出的に怖いだろう。
人気のなさが逆に不気味さを際立出せる。三人は一階の教室にはいる。
何が出るかわからない以上、下手な動きを取らないほうがいい。澄は部屋にある何枚かの紙とペンを拝借して、紙を折って短冊状に裂いていく。
思いついた方法だが、効くかどうかもわからない。ペンで達筆に書いていく。
澄は出来るがどうかの不安もあるが、やれる確信が強かった。立上がって、
「
手にした二枚の札が光り出して、部屋の周辺に溶け込む。この部屋一体の空気は気持ち悪いものがなくなり、安全地帯になったと感じた。
男女が前に立って、話しかける。
「遅くなってすみません。この教室は安全になりました。私が来るまでしばらくここにいてください」
「な、何を、したの……?」
女は目の前で起きた現象を飲み込めない。実は澄自身も何をしたのかはわからない。わかる範囲で彼女は言葉にした。
「……結界を張りました。怪しいものがいないとは言い切れないので、しばらくここにいてくださいますか?」
「……そ、そんなことができたのか。お前……」
男と女は驚愕するが、澄自身が一番驚いていた。
何故、出来たのか。何で作れて、札に書いてあることが使えたのか。彼女は脳の奥が一瞬だけうずき、片手で頭を押さえる。ポーカーフェイスを保ち、澄は目的を話す。
「私はしばらく学校内で調査をします。相手の狙いは私。調査しながらここから出る方法も模索しますので、しばらくここで待機していただけますか?」
冷静な彼女に二人は目を丸くしており、男は思わず尋ねた。
「……俺達より、年下なんだぞ……? なんで、お前は俺達より冷静なんだ……」
彼女自身は言われて気付く。
怪異に遭遇した際も現状が危ういのに自身は冷静であり、身を守る術を覚えている。彼女をよく知るものからすると忘却。澄にとっては急に湧いてきた知らない知識と技術だ。何故知っているのか考えようとするが振り切る。今は現状把握を優先とすべきだと彼女は判断した。
「私が人が命を失うのを見たくないからなんでしょう。だから、学校内の様子を見てきますね」
背を向けて歩みだす前に、頭に一瞬だけ頭痛がする。
澄の目に一瞬だけ赤い血と濡れた赤い自身の手が映った。彼女は
廊下を歩きながら澄は考えた。
異様な状況は初めてであるはずが、冷静に判断ができるのは何故なのかと。足を止めて不安げに口を開く。
「……経験してないのに……どうし」
経験と聞いて、彼女は違和感を覚える。
「……えっ、経験して……ない? ううん、違う。私は……」
汗が流れる。
自分の覚えのない術が、何故できているのか。そもそも、彼女は自分の存在が何なのか。自身の知らない自分の存在を怖くなり、己を抱きしめた。
「いやだ……怖いよ……奈央……はなび…… くん……」
自分の後輩の名と知らない誰かの名前を吐いて、また疑問と恐怖を覚える。
「……誰。 くんって誰……?」
自分の知らない人の名前までも言って、末期だと彼女は感じ始めた。いつしかの夢の誰か。逞しくて、強い誰か。その誰かを思いながら心を強く持つ。澄は震えを押さえて、すぐに立上がって涙が出る前に袖で拭く。
「……早く、調査しないとな」
澄は廊下を走って行った。
午後四時半、浅間通りの和菓子の店のどら焼きを茂吉はほうばる。
あまりの人気さ故にどら焼きは一人5個と決まっている。変化などして別人を装うズルなどせずに彼は買っている。焼き時間と客の込具合の関係もあり、早めに並んで手に入れた彼にとっては至高の一品。
できたてのどら焼きの皮の柔らかさがほどよく、ふわふわとした感触も相まって、口の中には絶妙な甘さが広がる。小豆の甘さも茂吉好みでとても良い。どら焼き屋にあるどら焼きだけではなく、団子とその他のお菓子も買った。
同じ通りにある煎餅屋で
「うまっ、はなびちゃんの教えて貰った通り、あそこのどらやき上手いなぁ」
情報としては知っていたが、ちゃんと味を知り尽くした人のほうが信用できる。どら焼きを食べ終えて、密団子を食べるのに移行しようとする。
蓋を開けて、密団子を手にして手を止める。何日か前、久谷を見送る前にあまり無茶をするなと言われたのだ。無茶をしているように見えたのかと笑って誤魔化したが、苦笑だけを浮かべられ頭を撫でられる。兄には見破られていたのだろう。改札を通るのを見送ったあと、高久のことを調べた。
各狸の半妖の存在は狸の中でもトップしか知らない。組織の半妖については彼らは見てみぬふりをしているのだ。
何処で澄の存在を知ったのか。知らなければ、あのように言うはずもない。
組織の情報網を利用して、己の足で駆けずり回った。
彼の推測通り、高久は
金長大明神は商売繁盛と芸能上達を主に御利益としている。御利益を直接ものにしたい故に、
「確実に外部から情報漏洩されてるよね。組織でするなんてありえないしね」
団子を食べながら、文化祭の準備の様子を遠くから見つめる。
根底から
人や妖怪に対する嫌悪と憎しみを抱えて殺意を湧かせ、殺したくないと平凡を願う気持ちに蓋をして任務をこなす。組織の半妖は獄卒の立場のようなものであれ、刑期真っ只中の罪人だ。
だが、人殺し出来ぬ半妖も指を数える程度ではあるが存在する。
【もう……やだ……いやだ………もう、やっ……。人を………殺したくないよ。……やり直せる人間を殺したく、ないよ……!】
泣きじゃくる声が、幻聴が、過去の声が、茂吉の中でリピートされた。
空いている自身の手を見てぎゅっと握る。なくなった団子の串をビニール袋に放り、まだある団子を食べながら景色を見る
澄の通う高校からは文化祭の準備。
別の学校からは部活をしているのだろう。運動部の掛け声が聞こえた。ある女学院からは金管楽器の演奏が聞こえた。茂吉は団子を食べ終えて目の前にある風景に微笑む。
「……ああ、これがあの子が住まう日常ならば悪くない」
団子の食べた跡をビニール袋に処理をしている。
胸に気持ちの悪い感覚が襲い、彼は胸を思わず掴む。胸焼けではない。気配の下方向に
依乃と奈央がおり、直文がいる。直文が気付かないはずない。だが、直文が動くような力を感じない。彼は二人を守ることに精一杯ではあるが、確実に守るので狙われることはない。
現状と合わせて考えられるのは一つだけ。
茂吉は舌打ちをして、何かをつぶやくとゴミは一瞬で燃えて焼却処分される。ゴミが消えたと、買った残りの菓子を手に彼は屋根を飛び移っていった。
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