1 あの狸を忘れるなんてありえない
「えっと……非常に申し訳ない。私はその寺尾茂吉さんって人の名前は今さっき初めて聞いたんだ」
梅雨が入る前の時期でも雨は降る。あるハンバーガーチェーン店。雨の音を聞きながら、テーブル席で先輩の発言に二人はあんぐりとしていた。
キャラの濃いを茂吉を忘れている。普通なら忘れられないはずの人物だ。特に、澄は一年前の港祭りのときは隣であり、個性を強く出して彼は踊っていたのだ。困惑している澄の様子から嘘ではないだろう。後輩の依乃と奈央は驚きを隠せられない。
流石に様子がおかしいと思ったのか、依乃は聞き直す。
「……先輩。本当に、本当に、寺尾茂吉さんを知らないのですか……?」
「えっと……はなび。その人本当に誰……? 怖い人じゃないよね?」
依乃の質問にも先輩は困っていた。
どういうことなのか。困惑している二人の顔を見て澄は困り、残りのハンバーガーを食べ終えてトレーを手にして声をかける。
「なんだか、よくわからないから私は帰るよ。二人とも、また明日ね」
食べ終えた後を澄は片付けて、店から出ていく。
動揺は治まることはない。あの濃い茂吉を忘れるなんて、ありえないのだ。依乃が言葉を失っているとき、奈央は目を丸くして思い出す。
「そうだ、あの時……!」
過去で澄と似た男性にあったことがあり、その男性の隣には男の人がいた。普段とは違っており、思えば聞いて事のある声である。茂吉の正体は八一から教えられており、過去で二人に向けて狸と言っていた。八一から知っているかもしれないと、バッグから携帯を出して電話帳に稲内八一の項目を押す。
ハンズフリーにして向日葵少女は通話の音を聞く。音が途切れて、声が聞こえてくる。
《もしもし、奈央か、どうした?》
「八一さん! 何処にいる!? まだ近くにいる!?」
《いるけど、どうした? やけに焦ってるじゃんか》
「……一年前のこと覚えてる? 私達の先輩が寺尾さんのことを忘れていて……」
奈央の話を聞いて、スマホからは数十秒の沈黙が続き長いため息が聞こえた。
《……なるほど、把握した。奈央。近くに有里さんといるな? 彼女を連れて、
「……ありがとう。八一さん」
《いいよ。むしろ、話さなくちゃならないことだから。じゃあ、後で》
ぶつんと切れる。奈央は通話画面を戻して、依乃に声をかける。
「はなびちゃん。……
「うん。わかった」
依乃は頷いて、買ったものを急いで食べ片付けてから店の外に出た。
傘をさして店を出てすぐに目的の公園に向かって歩く。
二人は記憶消去についてよく覚えがある。奈央は協力者と言う立場で記憶を消されていた。しかし、彼女についた
しかし、今回の件は異なる。事件に関わってないはずの澄の記憶が消されているのだ。奈央が消された記憶は、組織に関すること。組織のことを知らぬ澄は『茂吉』だけを忘れていた。
道を歩きながら奈央は声をかける。
「ねぇ、はなびちゃん。もしかして、同じことを考えてる?」
依乃は頷く。
「うん……だって、そうしか考えられない」
二人の中で答えは出ていた。
忘れさせられた。茂吉によって澄は記憶を消されたのだ。何故なのかはわからない。過去に組織の関わった事件があったのか。しかし、奈央は過去に彼女に似た人物に出会っている。
二人は噴水の見える目的地の公園についた。
向日葵少女は首を回して八一を探す。噴水の隅っこに雨よけの
「八一さーん!」
彼はイヤホンを外して手を上げた。奈央が先について、依乃もあとからついていき八一に頭を下げる。
「稲内さん。こんにちは」
「有里さん。どうも、こんにちは。込み入った話だ。雨に濡れない場所に行こう」
八一に促されて二人はついていき、噴水の上の屋根ある休息所につく。雨だからは人はおらず、彼女たちは使わせてもらう。傘を閉じて、座らずに奈央は早速話題を出す。
「八一さん。早速だけど話してほしい。先輩が茂吉さんを忘れている理由。……変なことに巻き込まれてなんか……ないよね?」
「巻き込まれてはない。それは断言できる」
彼は二人に顔を向ける。巻き込まれてないと聞いて、二人はホッとした。
「では、どうやって記憶を消されたのですか?」
依乃の質問に八一は
「……逆に聞く。有里さん。茂吉は彼女と接触する際、何か渡してなかったか?」
「……アロマスプレーとアロマを効かせる紙ですが……」
「それだ」
ぱちんと指を鳴らして、八一は話す。
「そのアロマスプレーと紙に術がかかっていたんだよ。多分、思い出させないように忘却の術をな」
「……何故?」
依乃が聞いた瞬間に、彼は複雑そうな顔をした。
「申し訳ない。詳しくは話せない。私自身これを知ったのはこの時代で生まれて高校生になってからだ。その時代に生きた人じゃないから真実を話す権利はない。茂吉に聞けば教えてくれるだろうが……下手すれば無事ですまない可能性がある。だから、私から話せることは話そう」
彼は二人に話せる真実を話した。
「
教えられて、二人の少女は言葉を失う。
「八一さん。先輩の記憶から寺尾さんを消した理由はなんなの?」
「それこそ話せない。様々な実情は拗れているから余計に話せないんだ」
首を横に振って、彼は切なげに話す。
「茂吉ととおるちゃんは、相思相愛の恋人同士だったから余計にな」
衝撃の真実に少女達は口を開け続けるしかない。狐の彼の言うとおり、実情はとても拗れていた。
寺尾茂吉という人物は知らない。
屋根があるため、傘を指す必要はない。彼女は自分の姿の横に、大きな鏡があるとに気づく。
紫色の大きな鏡。その鏡に一瞬だけ自分とは異なる姿が写っていた。
人の耳はなく、動物の耳に
「!?」
驚いて後ろに下がると、かたんと彼女の隣で何かが落ちた。顔を左下に向けると、紫色の縁を持った鏡。彼女はその鏡を手にして、不思議そうに見つめる。
「……
自然と滑り出た知らぬ名前に口を押さえた。
妖怪に無縁だった。知らないはずのなのに知っている。
この鏡は持っていていいものではないと、彼女の直感は訴えた。どんなものか知っている以上、持ち続けるのは良くない。
近くの神社で社務所を訪ねて、お祓いを頼む。学生にとっては少し出費は痛いが、怪異に襲われた後輩が危険な目に遭わぬようにするためだ。彼女の神社の
神社を出て、彼女は近くの商業ビルを見て思い出す。
「……そうだ。お母さんに愛用ハンドクリームを買うように言われてたんだ。こうして整ったお街に来ないとないのも不便だなぁ」
苦笑して、何気なくビルに入っていく。
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