6 大輪の花な笑顔

 駅について、奈央はICカードを使用する。

 駅のホームに入って、彼女は止まっている電車の中に入った。赤い長い座席に人は少ない。学生も乗って入るが数は少ない。電車の広告を見つめて、彼女は息を吐く。

 悲しくて羨ましい。不可解な気持ちが湧いて起こり、奈央は顔を俯かせた。


 ──急に電車からの声と音が聞こえなくなる。列車のエアコンの音もしない。防音ぼうおんの部屋に居るような静けさだ。

 驚いて顔をあげると、目の前に狐のお面をした着物の男性がいた。


 仮面の男。会ったら逃げろ。


 間違いなく仮面の男は奈央に手を伸ばしていた。奈央はまずいと気付いて男の手を払い、立ち上がって走り出す。


 列車の外に出ようとするが、扉が勝手に閉まっていく。奈央は早く走ろうとしたとき、急に体が軽くなる感覚がある。瞬きしたら目の前に人がおり、ぶつかってしまった。


「おわっ!?」

「わっ!?」


 その人と共に倒れ、列車の扉はゆっくりと閉じていく。乗客の周囲は少しざわつきが聞こえた。先程のような静けさはない。仮面の男は居なくなったのだろう。奈央はゆっくりと起き上がって、倒れた人に謝る。


「す、すみません……! 怪我はしてませんかっ……って、山野くん!?」


 ぶつかって一緒に倒れたのは、山野正哉であった。彼はゆっくりと起き上がって、ぶつけた所を押さえる。痛みをこらえながら、奈央に驚いていた。


「っててて……田中さんっ!? ってたぁ……!」

「わ、ご、ごめんなさい! ごめんなさい!!」


 慌てて山野からどいて、奈央は何度も謝った。

 山野を座席に座らせて、怪我がないかを確かめる。奈央は体を触診しているが、十分も経っていた。流石に彼は声をかける。


「田中さん。もういいよ? 僕は大丈夫だから……」

「そんなことないはずっ! 頭、打ってないよね。骨にヒビ入ってないよね?

私、凄い勢いでぶつかったから……! 死ぬ怪我とか……!」


 涙をこぼしていく奈央に彼は驚愕した。打ち所は悪くはないが、ぶつかっただけ過剰な反応だ。彼女自身は自分でもおかしいとわかっていた。だが、彼女は何にもかもわからなくなってた。山野は彼女の両肩で掴んで顔を向けさせる。


「大丈夫だ。こう見えても丈夫だから大丈夫」


 真剣な彼の表情と声に、ざわついていた気持ちが落ち着いていく。

 奈央は瞬きをして頷く。彼は通学バッグからハンカチを出して涙を拭ってあげる。彼女を隣に座らせて、二人はガタンゴトンと列車に揺られた。

 隣駅に停車したとき、山野は聞いた。


「……何があったんだい? 田中さん」

「……仮面の男に遭遇した」


 打ち明けると、山野の顔つきは険しくなる。不審者がこの列車内にいたのだ。今はいないが警戒はする。改めて遭遇したが、仮面の男は人ではないと奈央は理解した。

 向日葵の少女は恐怖で体を震わせて怯える。


「私どうしちゃったのかな……? いつもの日常を過ごしているはずなのに……なんかおかしいの。行方不明になった期間を覚えてなくて、思い出そうとすると、悲しくて苦しくなる。はなびちゃんや久田さんを羨ましいと思うし、私を守ろうとしてくれている狐さんが何なのかよくわからないの。不可解なことが私の内の中で起こって……よくわからないの」


 溜まっていたものを吐き出してぶつけた。自身でもわからないものを、相手にぶつけても意味はない。相手わかってくれるわけではない。彼女の話を聞いていた山野は切なそうな顔をして口を開く。


「……覚えてないから辛いの?」


 彼の問に奈央は首を横に振る。


「違うの……なんかね。……なんか、あの期間……ううん、もっと長く過ごしたような気がして。その間、何かを得て、何かを失ったような……気がして……」


 何を得たのか、何を忘れたのか。自身で口にして余計にわからなかった。彼女はまた自身の中にある疑問と悲しみの渦に呑まれようとしたとき。


「じゃあ、見つけに行こうよ。明日、明後日は無理だけどそれ以外なら付き合えるよ」

「……えっ、見つける?」


 奈央のキョトンとした。わからないものを見つけられるのか。疑問が顔に出ていたのか、山野は楽しそうに笑う。


「田中さんは本当に表情がゆたかで顔に出るよね。うん、手がかりぐらいはあるはずだよ」

「…………そう、だといいな」


 話しているうちに車内アナウンスが聞こえた。

 目的の駅狐ヶ崎きつねがさきに二人は共に降りて、改札を出る。

 駐輪場ちゅうりんじょうから自転車を取りにいく。駅の近くにある抜け道を使って、線路の反対側まで行く歩道橋まで歩いた。橋の前に来て山野は足を止めた。彼女は自転車を引いて橋に入ると、彼が止まっているのに気付いた。奈央は振り返ると、山野が笑っていた。


「じゃあ、僕はここまでだ。田中さん」

「えっ? なんで、山野くんもこっち側なんでしょう?」

「うん、でも、実は買わなきゃいけないものがあるのを思い出してね」

「そうなんだ……」


 少しだけ残念に感じて奈央は肩を落とす。初めての男友達になって仲良なかよくなれそうなチャンスであったが、山野は「ごめんね」と謝る。仕方なく彼女は別れの挨拶をした。


「じゃあ、山野くん。また」

「君」


 挨拶をさえぎられて、奈央は彼の顔を見る。彼は黄金の稲穂のような明るい笑顔を浮かべていた。


「君は笑っていたほうが素敵だから笑ってなよ!」


 一瞬だけ冴えない男子学生ではなくイケメンに見えた。彼女は呆然として、山野は「じゃあね」と手を振って商業施設のある方に向かっていった。

 言われたことがあるような言葉であった。しばらく歩道橋の上におり、遠くから聞こえるバイクの音で我に返る。


「……なんかくさい!」


 普通なら青春の1ページのはずが、奈央が自身のかけたハードルの高さで台無しになった。だが、顔は笑っており、いつもの向日葵の笑顔であった。




 土曜日。

 午前と正午まで授業と部活があり、奈央は部活が終わったあとに補講を受けた。テストで受けた範囲ではあるが、復習し直す意味で受けている。補講を終えたあとは、奈央は通学バッグへと教科書を仕舞う。くつを履いて、独立した図書館にいる依乃に会いに行った。

 図書室で勉強をしている依乃は化学の教科書を見ており、奈央は口角を上げて声をかけた。


「やっほー、はなびちゃん」

「……ん? あっ、奈央ちゃん! お疲れ様、どうだった?」

「あははっ、テスト前に山野くんがわかりやすく教えてくれたおかげで、補講は理解は出来たよ」

「そうなんだ! すごいね。山野くん」

「うん、自分でも理系に関しては物覚え悪いほうって自覚あるから山野くんは凄いと思う。でね、テストが終わって時間があったら、彼から美味しいものを奢ってもらうことになってるの。同時に告白の返事もするよ。……いい友達でいてくださいって!」

「……断るんだね」

「まあね、私は基本的に勉強は苦手なほうだから恋愛は御法度にしていきたいし」


 奢られるが、同時に告白の返事をするように約束した。依乃達は勉強道具をバッグにしまい、図書室を出る。お喋りは長くできない。


 二人は学校を出て、堀の前にある歩道を歩いていく。テストや授業の遅れを巻き返した解放感で奈央は口

元を緩ませる。その様子を見てから瞬きをして、うれしそうに笑う。


「いつもの奈央ちゃんに戻ったね」

「まあ、確かに熱で倒れたり、私にしては長く休んだからね」

「そうじゃなくて」

「そうじゃなくて?」


 顔を見て、友は答える。


「笑った時、何処か悲しさがあったからいつもの明るい奈央ちゃんじゃないなって感じてたの。でも、今は何か希望を持てた感じ」

「あっ、そうだったの……?」

「何かあった?」


 奈央自身隠せていたと思っていたが、隠し切れていなかった。長くそばにいる友人が言うのだから信憑性はある。考えられる。元気になったきっかけは昨日の山野のお陰だ。前に言われたことがある気がし、彼女は胸が熱くなり心臓の鼓動こどうが早くなる。


「……うーん、誰かに褒められたことを思い出したからかな。誰なのかは、わかないけどね」


 照れてはにかみ、依乃は一瞬だけ痛そうな顔をして微笑んだ。奈央は微笑みの意味はわからなかったが、優しさは感じる。今まで見てきた中で、依乃は大切な友人である。


「やっぱり、依乃ちゃんは親友だなぁ」

「……私にとっても、奈央ちゃんは親友だよ。六年前に、私にはなびって愛称をつけてけれたの。とてもうれしかった。私にとっては親友で恩人だから、ね」


 言葉を途切とぎれさせながら、依乃は恥ずかしそうに言う。尊みを感じながら言われたことがうれしく、奈央の表情はにまにまと緩くなる。奈央と同じぐらいに大切に思ってけれたようだ。我慢できずに、奈央は親友を抱きしめる。


「……~っ! もー、はなびちゃん。サイコー! 素敵ー!」


 ぎゅっと抱きしめられて、依乃は照れてくさそうに笑った。


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