8 古今との別れ1

 八一に助けられた。彼の腕の中にいながら奈央は心臓の鼓動を恐怖の余韻よいんで激しくさせる。彼は肩を上下で揺らして、荒く息をしていた。全力疾走で彼女の落下地点まで来たのだ。助けてくれた彼に奈央は感謝をする。


「た、助かりました。八一さん。本当にありがとうございます……!」


 感謝の言葉を聞いたのち、八一は顔をあげた。

 今まで見たことない以上に、眉間にシワがよっている。笑みも引きつっていた。目も据わっており、瞳に映っている奈央は不味いと感じ表情を引つらせる。怒りの度合いで表情はゆがむが、八一は般若如く怒っていた。


「お~じょ~さぁん? 何で君が空から落ちてきてたのかなぁ~?」


 声は明るいが表情と伴わない。

 聞かれて彼女は焦りだした。ありのまま伝えた方が良いかと考え、誤魔化した方が良いかと考え。八一の怒りを感じながら、自分の身に起きたことをどう伝えようかと考えた結果。


「に、人間って空に羽ばたきたくなる時ってありませんか!?

ゴーイングマイウェイ的なっ! いだっ!?」


 額を八一に強く小突かれた。変な答えを出していれば当然と言えよう。奈央は額を押さえて、八一は説教をし始めた。


「この大馬鹿。何で空から落ちてくるんだ!

死ぬ気か君は。私がいなかったら本当に死んでいるし、帰れなくなるぞ。……ともかく、理由は後で聞く。死ぬ真似だけはするな」


 説教の内容に奈央は反論をした。


「それだったら、八一さんもだよ!」


 大声で言い、八一に平手打ちした。大声で負けぬほどの鋭い音が響いた。


「私はわざとじゃないにしても貴方はここで死ぬ気なんでしょう!? 死ぬ真似するなは私の方が言いたいよ!

なんで死ぬことを私と依乃ちゃんに言わないの。確かに、死ぬことに反対するかもしれない。でも、打ち明けられないのはもっとやだ。私達はそんなに信用ならないのっ!?」


 奈央は涙目になって、敬語が外れても彼に思いをぶつけた。

 八一は目を丸くして、彼女を見る。向日葵ひまわりの少女に死のうとしている真実を知っている。麹葉が打ち明けたのだと理解し、八一は息を吐いて目を伏せた。


「……最期の最後で打ち明けたか。まあ仕方ない」

「仕方なくない! ここで八一さんが死ななくても、未来は変わらないかもしれない。だから、貴方は死ななくてもいいの! 死ぬのは間違ってる! 死ぬのはやめてっ……」


 彼女の必死な説得に八一は黙る。

 生殺与奪権せいさつよだつけんは個人にあるとしても、殺し死ぬのは良くない。死ぬのが良くないのは当たり前というのは個々の考えによるが、奈央はこれを当たり前だと考えていた。彼女は平和な時代に生まれた普通の女子高生で、人の命は大切な価値があると考えている。彼女と過ごして、八一は考えを理解していた。


「そうだな。死ぬのは間違ってる。私はよく知っているし味わっている」


 同意しながら彼は立ち上がり、彼女を立たせる。少女を抱き寄せて八一は小さく何かを呟いて、何もない場所にを手をかざす。固い音が響く。見えない壁に黒炎の鋭い爪がはばまれていた。夜久無は不快感を表情で示し、白い牙を剥き出しに涎を滴ながら口を動かす。


[花嫁花嫁花嫁花嫁よこせよこせよこせよこせ孕ませろ孕ませろ孕ませろ食わせろ食わせろ食わせろちょうだいちょうだいちょうだいちょうだい]

「ひっ……!」


 化け物の表情に奈央は怯えているが、八一は結界を張って守っている。守りながら八一は話しかけた。


「私は救えるはずの仲間を置いていって死なせてしまったんだ。その相棒は任務の優先を促して弱って死んでいった。私もあいつも馬鹿だ」


 仲間を死なせてしまったと聞いて、奈央は八一の顔を見る。ただ彼はおだやかに笑っていたのだ。


「でも、ごめん。私の死は確定事項だ。歴史に影響はなくても、ここで何かを変えてしまえばたいむぱらどっくすが起きてでお嬢さんの帰りたい場所に帰れなくってしまうだろう。それだけは避けたい」

「……でも、でも……! 死ぬのは駄目っ……八一さんの死を悲しむ人はいるんだよ……死んじゃうのはダメっ!!」


 奈央は忘れても未来で会う為に八一と麹葉との約束をした。どんな姿でもではない。生きている彼らと会いたいのだ。泣きじゃくるも彼は首を横に振る。


「駄目だ。……お願い。どうか、一度だけ大好きな人の為に死なせて」


 後悔のない曇り無き笑顔であった。必死の懇願こんがんでも八一は聞き入れない。何度説得しても彼の選択がぶれないと知り、奈央は打ちのめされる。話を聞いていた夜久無に八一を見て笑う。


[はっ、ははっ! シヌつもりできたのか! おまえ!

なら、この狐はいらないとイウコトカッ!]


 夜久無の体から少し大きな青白い狐が出てくる。

 時駆け狐。彼の肩に乗って現れた瞬間、八一は奈央から離れて結界を解く。爪の攻撃を紙一重で避けて顔を掴んだ。夜久無は驚く声をあげ、八一はにやりと笑う。


「この時を待っていた。時駆け狐を出してくれてありがとう。お礼にその顔にある呪いを解いてやるよ。解──封、操操!」


 赤い光が消えた瞬間、夜久無は瞳孔どうこうを大きく開いて声無き悲鳴をあげた。夜久無の体がびくんと揺れる。しばらくして八一は手を離すと、夜久無はひざをついて頭を項垂うなだれる。夜久無から出る黒いもやは収まりつつ、八一は空に手をかざす。


炎狐えんこ!」


 空に火の玉が打ち上げられて、雨の中に美しく小さな花火が咲く。ぱあんと音がして、奈央は空にいる直文に合図を送ったのだと理解した。

 八一は時駆け狐を手にして奈央に持たせる。


「離すなよ。直文と有里さんの帰還にも重要な狐だからな。あと、夜久無は殺してないぜ。精神を一時的に封じて、操っただけだからな」

「っなら、死ななくても……!」


 彼女の口に逞しい手が当たり、閉ざされる。八一が黙らせたのだ。黙らせた本人は一息吐いて手を離し、彼女の諦めの悪さに笑っていた。


「あっはっはっ、お嬢さん。そんなに私のこと好きなんだ」


 指摘されて奈央は顔を赤くして、怒り始める。


「っ八一さんっ! いい加減にっ」


 くちびるを大きく動かしたとき、何か当たる。


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