🦊2ー3章 向日葵少女の平成への帰還

1 出立

 鐘が鳴り、奈央は目が覚める。だが、いつもより鐘の音が響き、しとしとと音がした。朝日も入ってきている様子はない。身を起こして格子窓から外を見ると雨が降っていたのだ。夜のうちは星空が見えており天気は晴れ。今は雲っており、空からは多くの滴が落ちていく。汗の掻き方もじっとりしたもので、彼女は慌てて着替える。部屋の湿気もあるため、除湿機がほしくなった。

 麹葉から声がかかる。


[奈央ちゃん。おはよう]

「あっ、麹葉さん! おはようございます……ってどうしました? なんだか、元気がありませんが」


 フリフリと振られる尻尾は微動もせず、表情はいつもより暗い。聞かれて麹葉は窓を見る。


[雨だから、ちょっと元気がないの]


 雨を喜ぶ生き物もいるが、雨が嫌いな生物もいる。奈央は狐が濡れるのが平気な生き物かわからない。麹葉個人は雨が好きなのかもわからない。狐の嫁入りと言う言葉があるが地域によって異なるが、天気雨を狐の嫁入りとも言う。

 そもそも、麹葉は元は嫁入りの狐である。天気雨ぐらいは平気のはずと奈央は一瞬だけ考える。聞こうと思ったが聞ける雰囲気ふんいきでもなく、彼女は口を閉ざした。

 麹葉を抱えて、奈央は抱き締める。彼女は驚いて、向日葵ひまわりの少女に目を向けた。


「私の元気を与えられたらいいんですけど……これじゃあ駄目ですよね……」

[……そんなことないわ。ありがとう。奈央ちゃんは良い子ね]

「麹葉さんもいい人です! あっ、良い狐さんというべきですか」


 明るく笑う少女に麹葉は目を閉じて、顔を擦り寄せる。奈央は驚くものの、おだやかに笑って彼女を撫で始めた。

 朝の仕事と朝食を取り終えた後、店主からわざわざ呼びに来る。重要な呼び掛けで来て欲しいと言われ、彼女は不思議に思いつつ店主の後についていく。

 客をもてなす和室に入る。そこには、八一がおり扇をあおぎながら手をあげていた。


「よっ、お嬢さん。おはよう」

「八一さん。おはようございます。どうなされました?」


 店主と奈央は座り、八一と向かい合う。彼は真剣な表情でかしこまり、頭を下げた。


「率直に申し上げますと、もう時間がありません。今日の昼、すぐにここから立ち去りましょう。奈央様」

「えっ!?」


 急な敬語で奈央は驚き、隣にいる麹葉は「合わせて」と彼女に声をかけていた。奈央は戸惑いながらも聞いてみる。


「あ、あの、どうしてですか? 八一さん」

「……ここで口をするのははばかられますが、ついにお嬢様を狙いに動き出したのです」


 奈央と呉服屋の店主は驚く。


「動き出したと言うことは、ついにあの江戸の幕臣の息子が……奈央ちゃんを連れ戻そうと……!?」


 店主は声を上げて、奈央は初耳の設定に目を点にする。『訳ありで家から逃げ出した良い身分のお嬢さん』という設定ではあるものの、その詳細までは知らない。

 八一は「しっ!」と指をたてて、静かにするように声をあげた。


「……静かに……。そうです、あの女にだらしないと噂されるあの幕臣の息子がついに奈央様の居所を見つけまして。ここに危害が及ぶ前に早々に立ち去ろうと奈央様に告げて参りました」

[ここにいると、店の人間に危害が及ぶ可能性があるから潜伏場所を変えるって話よ]


 麹葉の声は奈央と八一以外は聞こえない。彼女の要約で奈央はやっと理解した。

 瑠樹と那岐がここの近くに来た以上、奈央の潜伏場所はばれているのも同然。彼は場所を移す話をしに来たのだ。ここを去る理由はわかったが、八一が盛った設定については色々申し上げたい。その盛った本人を見ると、若干目が笑っている。この設定と寸劇を楽しんでいるようだ。奈央は色々と突っ込みたくなる。


「……っそうですか」


 哀れむように店主は奈央を見つめて、両肩に手を置く。


「奈央ちゃん。ごめんよ。私達がだらしないばかりに。けど、奈央ちゃんの働きぶりは本当に良かった。ここにいてほしいぐらいだよ」


 心底残念そうに言われてしまい、奈央は首を横にふる。


「い、いえ……皆さんのせいではありませんよ!

むしろ、こちらこそすみません。……い、今まで本当にお世話になりました!」


 彼女は慌てて頭を下げて、店主に礼を言った。



 その後、部屋を簡単に綺麗きれいにして荷物をまとめる。草履ぞうりに履き替えて、荷物のまとめた風呂敷を両手に持つ。服装は八一が用意した男装の服に着替えた。餞別せんべつとして呉服屋の店主から綺麗きれいな布を貰った。

 八一が外で待つ。二人は頭に被る笠をして、彼女は裏口から店主に向けて一礼と別れの挨拶をする。

 八一と麹葉と共に呉服屋を去っていく。

 大きな通りに出て、呉服屋を離れていく。それまでは雨音だけを耳に通していたが、呉服屋の通りを出ると八一は明るく笑っていた。


「お疲れさん。なおじょーさん」

「お疲れ様じゃないですっ!」


 奈央は声を上げて、今までの経歴詐称への鬱憤うっぷんを吐き出した。


「八一さん。なんですか、あの設定はっ!? 前々から気になっていたんですが、一体どんな経歴をしたのですかっ!?」

「上級武家の良いとこの娘さんで、とんでもない奴との見合いを迫られたから、お嬢様の家族に頼まれて私が連れ出したって言った。後は、私の迫真の演技が相まってお嬢さんの経歴の噂に尾ひれはひれがついた。それを私が利用しただけ」

「いやいや、尾ひれはひれって、なんか内容が物語のようでしたけど……!?」

「多分、お嬢さんの設定を誰かが変に解釈をして、それがだんだんと形を変えていったんだろう。いやぁ、相変わらずいい反応で面白い面白い」


 明るく笑う彼に彼女は面白くないと口を結ぶ。八一は笠を被り直して苦笑する。


「悪かったよ。それに、ここを離れるのは正しい選択だ。怪しいまれないようにお嬢さんの事を誤魔化していたが、あの呉服屋は有名だ。未来を変えるような変な事を起こしたくなかったと言うのもある」


 働いている間、八一は何をしていたのかが奈央は理解した。未来が変わるような出来事を発生させぬようにしていたのだ。申し訳ないと顔に出していると、八一から「気にするな」と声をかけられて肩を軽く叩かれた。

 向かう場所は、直文たちが泊まっている宿だ。歩いていると、ある場所につく。

 木造のおもむきがある建物がいくつか並ぶ。店の入り口には提灯が掲げられている。旅人も多いが馬を連れている人も多く、籠や壺等の荷物を抱えている人が多い。周囲を見回し、彼女はこれが当時の宿場かと感嘆している。


 東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎの一つ府中ふちゅう宿しゅくだ。


 徳川とくがわ家康いえやすのお膝元ひざもととして、存在していた宿。ここで彼らが行くのは、一般の旅人が泊まる旅籠はたごという場所。

 八一は中に入り、店の者に声をかけた。予約しておいたようだ。二人は笠を取る。

 麹葉は足の泥を取っていた。下駄げた草履ぞうりを脱いで宿の中へと上がる。案内された部屋に入り、二人は畳の上に座った。奈央は息をついて八一に今後をたずねた。


「……それで、どうするのですか? 八一さん」

「話し合い。おーい、直文、有里さーん。入ってこいよ」


 彼の声かけで部屋の戸が開く。旅人姿をした直文と依乃が現れる。依乃は驚いており、直文は呆れを見せる。


「俺が声を掛ける前に呼ぶなよ。わかっててやっているだろ。八一」

「まあな」


 にししっと笑う八一に、直文が息を吐く。二人が部屋に入ってくると、依乃は大きな包みを手にしていた。二人は座って彼は包みを奈央に渡す。


「はい、田中ちゃん。これ」


 荷物と言われて、彼女が思い付くものは一つしかない。


「……それって、私が未来に来たときの……?」

「八一に頼まれて回収して預かってたんだ」


 受け取って彼女は包みを広げて、中身を確かめた。

 学校の制服に通学用のバッグ。靴下くつしたかみのゴムが入っていた。ぞんざいに扱われた様子はなく、来た時そのまま。傷一つついてなく、失ったものはない。彼女は本来いるはずの時代の物を目にして抱き締めた。そこにあるだけで安心であろう。奈央は八一を顔を向ける。


「ありがとうございます」


 八一はうれしそうにはにかんでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る