8 ナナシ様、襲来

 夕暮れが近くなり、花火も見物客も少しずつ多くなる。■■は手にしている水ヨーヨーで遊びながら、二つの下駄の音をたてた。カランコロンと音を出しながら、潮の香りを感じる。屋台でじゃがバターや焼きそばを食べて、少しお腹に重みを感じた。ふぅと満足して息を吐いて、直文は笑う。


「じゃがバターと富士宮の焼きそば。美味しかった」

「直文さん。焼きそばを三つも買って食べるなんて驚きです。気に入ったのですか?」

「うん、とっても。はなびちゃんもあんこのデザート。美味しそうに食べてたよね」

「あんこのものには目がないのです、大好きですから!」


 自慢げに笑う彼女に直文は笑っていた。

 彼らは近くにある商店街を抜けて、踏切の近くに来ている。 

 直文の手は意外にもごつごつしていて堅い。手の中は熱くて心地よい。彼女は前にも見たが、直文は細身に見えて意外とたくましく鍛えているのだ。浴衣姿の彼は男の色気があり、通りすがる人々が一瞥するほど。彼女は気恥ずかしさを誤魔化そうと近くにあるフルーツ屋に目がついて、直文に声をかけた。


「直文さん。彼処のフルーツ屋さんでジュースを飲みませんか? 昔から彼処のジュース屋さんは新鮮なジュースを出すことで有名なのです」

「それはいいね。いこうか」


 二人は横断歩道を渡ろうと、歩き出した時だ。彼が止まり、■■の動きを止める。■■が振り向いく前に、人々の声が遠くなった。


「はなびちゃん。舌噛むから、口閉じてて!」


 直文は彼女を抱き抱えて、空高く飛び上がる。彼女達の居たところには無数の手が現れる。いくつもの手は天高く飛ぶ彼女をつかもうとする。

 近くは高架道路があり、先に直文達は道路の上に降り立つ。多くの手は直文をつかもうとするが。


「光焔」


 彼は言霊を使用する。手の先が金色の炎がつき、導火線のように燃え移っていく。無数の手は炎の中で灰となって消える。彼女を抱き抱えながら直文は周囲を見回す。その周囲のおかしさに少女は気付いていた。


「っ直文さん。……私達がいるのは高架道路の上なのに一つも車が走ってません。人もいませんっ……」


 普通なら多くの車が走り、車と人の声も聞こえてくる。聞こえるのは、彼女の声だけ。風は吹くが、そこにいるはずの人はいない。車もいるはずの生き物もいる気配はしなかった。

 見回し終えて、直文は彼女を抱き締め直す。


「ここは黄泉比良坂だ。現実と似ているのは、あの世とこの世の境目だらね。住むのは妖怪ぐらいなものだろう。前回の反省をいかしてか、俺ごと引き込んだらしい」

 

 あの世とこの世の境とされる黄泉比良坂。小説やライトノベルで見かける名称で、実際にこれるとは驚愕ものだろう。体験するのは平和な時でいい。今の彼女は危機だとわかっている。■■は彼を強く抱き締めて、体を震わせた。


「もしかして……作戦は成功ですか?」

「第一段階はね。さぁ、第二段階だ。準備はいいかな」


 彼の言葉に■■は首を縦に振る。


「屋根の上を走るから、噛まないように気を付けてね」


 足に力をいれて、直文は走り出した。浴衣と下駄姿であるのに、彼は容易に屋根へと飛び乗る。彼の背後に札の人々が現れていき、姿を変えて妖怪となる。陰陽師が使用していた式神を相手は利用しているのだろう。 

 空中を飛んで追いかけてくるが、彼の方が早い。

 屋根の上を駆け抜けて、道路を飛び越えて直文は別の屋根へと飛び乗る。巴川と言う大きな川を飛び越えはしないだろう。彼は私鉄の線路の橋の上に降り立ち、駆け抜けていく。

 速度は落ちておらず、早さは上がっていく一方。線路を通して町中に入ると、後ろからはまだ妖怪が追ってきている。奥から音が聞こえてきた。正面からは無人の列車が走ってきている。ぶつかると彼女は目を丸くして目をつぶる。


 直文は■■を強く抱き締めて、横に飛んで列車との衝突を避ける。すぐに横の道路へと移動した。遠くなっていく列車と妖怪の衝突は避けられない。ぐっしゃっと音がしたが、■■は気にしない振りをした。

 直文は道路を走っていく最中、変化をして戦闘の姿となる。彼女を強く抱き締め、宙に浮かぶ。地面と並走をしていき、町が少しずつ小さくなっていく。


 有度山までいき、その山頂の天辺で彼は止まる。直文は周囲を見回し、彼女も目を開けて周囲を見た。風が吹き、二人の髪を靡かせる。

 夕暮れの清水港と駿河湾が見え、遠くには安倍川が見えた。町に明かりはついてない。工場地帯の光も山にある電信柱の光も見えなかった。今まで守られてばかりであり、彼女は申し訳なさがあった。


「あの、直文さん。私は何もできなくてよいのですか……?」

「もどかしいかもしれないけど、君はそれでいいんだ。俺は君を傷付けたくない」


 素で乙女ゲームの台詞を吐かれて、彼女は顔を赤くする。直文は何気なく横に逸れると、光線が飛んできた。光線を受けた場所はえぐれて、地面が見える。

 現実世界でないのがよいが、彼女の顔色は悪い。陰陽師の体を乗っ取た男性が近くにいたからだ。

 直文は瞳を動かして目をつり上げる。着物を着て、彼と同じように宙に浮いている。

 ナナシだ。


「祭りを悠長に楽しむとは余裕だな? 麒麟の半妖よ」

「心のゆとりも任務に望む姿勢として大切なのです。ナナシ様はその余裕もなく出てきたとお見受けします」


 相手の挑発に直文は丁寧に煽って返す。


「ああ、そうだ。……そろそろこの器も持たなくなる頃合いであった。やはり私にふさわしい器でないと持たぬようだ」


 煽りを平然と返して腕を見せる。腐蝕してきており、肉も落ちている。少女は怯えた声を出すと、ナナシは彼女を見つめた。名無しの少女を直文は隠そうとするが。


「■■■■。そこの相手に張り付いている暇はない。すぐに離れて、私の元にこい」


 その声が耳に入り、彼女は全身に重りのようなものを感じた。胸の内にも鉄球を入れられたような感覚だ。声も出せない。自分の意思とは関係なしに手が動く。彼から離れようとしているのだ。直文は目を丸くして、彼女に顔を向ける。


「はなびちゃんっ。聞くな! 俺の守りがある限り自分の意思で抵抗できる。振り払え!」


 彼女の名はナナシが手にしているからだ。人の名をとった者は、その人物の主導権を握っているようなもの。ロボットのように相手を操って動かすこともできるのだ。それを知る彼はお守りでナナシからの干渉を防いでいるのだ。


 直文の言葉通り、彼女はやめろと強く念じた。彼女の持つお守りが熱くなる。彼女の意志に呼応して、ナナシの力に抵抗していた。ナナシはお守りの存在を忌まわしく思い声を張り上げる。


「■■■■。そこの半妖から離れて、私の元にこい!」


 ビリっと破ける音が聞こえて、直文は息を潜めた。彼女も不味いと目を丸くする。

 お守りが破れたのだ。彼女の瞳から意志の光が消える。直文から■■は離れようとし、彼は必死で抱き締め抑えようとする。


「っ誘眠!」


 眠らせる言霊を使用すると、彼女の瞼は少しずつ閉じていく。ナナシが横から光球を放つ。避けた瞬間、彼女は最後の抵抗として直文から離れる。


「っはなびちゃん!」


 落ち行く少女に手を伸ばすものの、彼女は伸ばさない。心の中で彼女は直文を呼ぶものの、その口から言葉はでないのだ。ナナシは彼女の落ちる姿を見て嗤う。


「■■■■。そうだ。こちらに来るのだ」


 呼ばれて気付いたときは、ナナシの手の中に彼女はいた。水ヨーヨーの風船が落ちて、木の枝に刺さって割れる。

 直文を奥歯をぎりっと噛み締めて、剣を出して襲い掛かった。剣を振るおうとした瞬間、ナナシが彼女を掲げて盾にしようとする。直文は動きを止めた。

 衝撃波が襲いかかり、彼は遠くに吹き飛ばされる。■■は直文の言霊で眠気に誘われて、瞼を閉じていった。

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