6 ■■と花火

 二日間続いた総踊りは終わり、その二日目の夜。

 奈央のお泊まり会はすでに終わっているので、家に帰宅していた。フードの彼も帰っていき、茂吉と澄も其々の場所へと帰っていく。

 ■■の家では、直文と彼女だけがいた。

 踊りの疲れはあるため、今日は早めに寝ることになった。二日間総踊りをしたがナナシがくる気配はないと直文から教えられた。祭りの騒ぎに乗じて人の名を取った気配もなく、またおかしな気配もしなかったと言う。不安もあるが、彼が側にいてくれた方が■■の安心感が強い。

 リビングにて。

 ■■は水だしのお茶を冷蔵庫からだす。テーブルの上には氷が入れられた二つのコップ。コップが緑色に染まり、冷蔵庫に仕舞う。

 直文は髪を高くまとめて肩にタオルをかけていた。上半身はワイシャツを羽織っているが、はだけて見える上半身の肉体は凛々しく逞しい。


「ふぅ、お風呂もらって清掃もしておいたよ。はなびちゃん」

「直文さん。何から何まですみません。あっ、これ、直文さんの分です」

「あっ、冷茶だ。ありがとう」


 テーブルに置いてある冷茶を手にして一口飲む。彼女も手にして飲んだ。茶葉から淹れた為、旨味がよく伝わってくる。苦さがなく後味もスッキリだ。彼女はほっとすると、直文は一口飲んで満足そうに笑う。

 他愛ない話をした後、彼女はお茶を飲んで空になったコップを置く。

 結露ができたガラスの表面をみて、自分の名前を書いていく。結露ができたガラスにかかれた名前は霞んでいき、見えなくなる。■■を名前だと認識できた。まだここにいないような気がし、彼女は目を伏せようとする。

 直文は少女の様子に気付いて声をかけた。


「はなびちゃん。大丈夫かい?」


 少女は後ろに振り返り、笑顔を取り繕う。


「はい、大丈夫です」


 彼女を見続けて、直文は笑みを消す。大丈夫じゃないだろうとわかっていた。彼はしゃがんで目線を会わせると、真っ直ぐと見つめる。


「大丈夫。安心して、俺が君の名前を絶対に取り戻す」


 耳から伝わる声色。力強いが包み込むような優しさがあった。その声が彼女の鼓膜を通して、体全体に浸透していく。


「はい、ありがと……あれ?」


 笑顔を取り繕うも目から涙を溢す。抑えていた気持ちも剥がれて来ているようだ。少女は何度も首を横に振る。


「ご、ごめんなさい。なんか、きゅうに……」


 これは違うのだと示してみる。直文に目を向けると、何も言わずおいでと両手を広げて優しく笑っていた。彼は彼女の気持ちをわかっていた。受け入れてくれる優しさを前に誤魔化は無用。■■は我慢していた涙を決壊させる。駆け寄って直文を勢いよく抱き締めた。

 リビングに嗚咽が響く。

 わからない名前を呼ばれるのは慣れていた。わからない名前を見ても■■自身慣れていた。現実との疎外感があっても、彼女は日々を感じて実在していると感じてきた。だから、大丈夫だと思っていた。しかし、直文が来てからその気丈が崩れてきている。


「なんで……なんで……自分の名前を見ても大丈夫なはずなのに……呼ばれても大丈夫のはずなのに……空虚な私の名前■■■■って呼ばれても大丈夫だったはずなのに……」

「うん、そうだね」


 彼は背中に手を回して、思いの丈を出す■■を受け入れる。


「……私には、私にはちゃんと名前は、名前はあるの。でも、口に出しても名前に書いても、私の名前なんて出てこないっ。

……ねぇ、なんで? 小さい頃、私があの社にお参りしたのが悪かったの?

親からはぐれて、危険だと思わなかった場所に入ったのがいけなかったの!?

私は、悪くない。悪くない! ……悪くないのに、なんで私の名前が戻ってこないの……なんで私に名前がないのっ……?

嫌だ。名前がないのは、嫌だっ! だから、私の出てこない名前なんて呼ばないでっ……呼ばれないでっ……!

私は……私は……私は……はなびちゃんじゃない!

名前あるの……ここにいるのっ……私はここにいるのっ……!」


 ボロボロと目から溢れでるものと共に、今ここで我慢してきた五年間の思いが吐き出されていく。直文は名無しの少女の背中を撫でながら頷いて、顔を肩に埋めさせた。


「ああ、君はここにいる。間違いじゃない。君は悪くない。悪くないんだ。……俺が絶対に君の名前を取り戻す。だから、安心して」


 彼女の抱き締める腕の力を強くした。■■は抱き締められる中、五年間上げなかった泣き声を上げた。


 翌朝、■■はあのあと泣き疲れてそのまま寝てしまった。直文によって自室に運ばれて寝かされ、コップなどの後片付けもしてくれてある。

 体の疲れもしっかりととれており、頭と心もスッキリした感覚があった。■■は頭を下げて直文に礼をいう。彼は気にしないでと言うが、彼女自身は申し訳なさがある。お礼として、朝御飯を豪勢に振るまって直文を困惑させた。




 お昼を過ぎたあと、家の戸締まりを完璧にして■■は奈央の家に行く。直文とは途中で別れて、駅前で待ち合わせとなった。奈央の家から歩いて二十分ほどの距離にある。

 その和室の部屋にて、奈央の母親真美が帯を閉めてふぅと息をついた。


「よし、これで別嬪さん!」

「はなびちゃん。似合うよ!」


 誉める奈央と真美。立ち鏡を見せられる。白の花火柄の浴衣姿。左右に編み込みを入れてひとつに縛り、髪を下ろしていた。ゴムは直文が買ってくれたものを使用し、勾玉のネックレスもつけている。

 元々、■■の素材がいいのか、可愛らしい夏祭りの少女となった。真美は満足げに微笑む。


「ふふっ、はなびちゃんが花火のように可愛らしくなったっ」

「さっすが、お母さん。これで久田さんも一目惚れ間違いなし」


 母と娘でテンションをあげて喜び、■■は照れ始めた。


「なっ、ま、真美さん。奈央ちゃん、大袈裟です。着飾っただけで化粧もしてないのに……」

「はなびちゃんはちゃんとスキンケアしてるでしょ?

そのままでも久田さんを落とせるから大丈夫!」


 奈央は自信満々に言い、■■は更に顔を赤くする。奈央は既に向日葵柄の浴衣を着ており、二つに縛ってある三つ編みを一つにしていた。インターホンが聞こえて真美が出る。

 玄関のドアから声が聞こえた。


「こんにちは。田中さん、はなびと奈央はいますか?」


 声を聞いて真美は目を丸くして、ドアを開けた。


「あらあら、高島ちゃん。こんにちは。久しぶり! 似合うねっ!」

「はい、お久しぶりです。……ありがとうございます」


 紫陽花の髪飾りをつけて、大人の雰囲気を感じさせる淡い色の浴衣を着ている。黒い下駄を履いてきた。誉められて澄は照れていた。奈央と■■は顔を出して表情を明るくなる。


「あっ、澄せんぱーい! こんにちは。本当に、澄先輩は大人の魅力を感じさせますねっ……!」

「澄先輩。こんにちは。すごく素敵です……!

化粧も上手くて自身の魅力をわかっている引き出し方……凄いです!」


 挨拶をして二人は誉め、澄は頬を赤くして爽やかに笑う。


「まったく、二人は誉めるのがうまいなぁ」


 中性的に微笑む先輩に、「やっぱ先輩素敵です!」と奈央は飛び付いた。澄は困惑しながら受け止めて、■■は大きめの巾着袋を二つ手にして友人に声をかけた。


「奈央ちゃん。飛び付いてないでそろそろ行こう?」

「あっ、そうだった! みんなを待たせちゃうもん。私は澄先輩とランデブーしてくるから安心してね。はなびちゃん」

 

 期待する目で見られて、■■は硬直する。澄はあきれて、突っ込みを入れた。


「ランデブーって、奈央。もっと言い方あるだろう……」

「だって、フードの人。誘おうとしたら、もういなかったんです! 絶対、あの人かっこいいですよー。こうなったら、人気者の澄先輩とデートしかありません……!」


 どうやら、アタックする前にフードの彼は帰ったらしい。奈央のイケメン好きには■■は呆れる。変な人に捕まらないことを祈っていた。

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