8 名取のナナシ様
簡単に妖怪の胴体が薙ぎ切られた。上半身が地面に落ちると、下半身と共に砂となり消えていく。一瞬で消えた式神の妖怪達を見て、治重は口をあんぐりとして開けたままだ。茂吉は闇の斧を消して、指をぱちんと鳴らす。地面に刺さっていた斧と手斧が消え、彼の手に再び斧が戻る。直文に向いて、手を振った。
「あっ、なおくーん。こっちおわったよー」
「もっくん。ありがとう」
感謝を言い、治重を見下ろす。視線に気付いて、治重は体を後ろに向けた。体から出るもの全部出して、彼らの存在を畏怖する。
「隠神刑部……だって!? そんな、じゃあ……お前はっ……!」
直文は無表情で手から数枚の鏢を出す。
治重は懐から札を出し、■■と直文に投げた。だが、直文が鏢を持つ手で落とされた。隙すらもなく、治重は絶望的な顔をすふ。直文は躊躇なく鏢を投げつけた。向かい来る刃に治重が目を丸くした。
茂吉と直文も目を見張る。■■を抱えて、直文はステージから飛んで離れて茂吉の元に降りた。
治重の目に刺さる寸前に鏢が止まる。今まで喋らなかったが、この現象で彼女はやっと声をあげた。
「直文さん。何があったのですかっ!?」
彼はステージの上を睨み付けた。
「名取りの社がここに来ている」
その存在の名を聞いて■■は背筋が凍り、直文に抱き付いた。彼も■■を抱き締めて、ステージの上で歪み始める一点を見据え続ける。
何もないステージの上に、ボロボロな木造の小さなお社が現れた。
五年前に見たあの日から変わらない社。彼処に参り、彼女は名を奪われた。名無しの少女はぎゅっと直文を強く抱き締める。
鏢は地面に落ち、治重は歓喜極まって立ち上がった。
「おお……おお……ナナシ様。僕を助けてくださったのですかっ!」
ゆっくりとした足取りで、名取の社に近付いていく。社の小さな扉が開いた。両手を広げて治重は涙を流す。
「ナナシ様。どうか、お助けください。僕にもっと強い力ヴぉっ」
ざくと初めて聞きたくない音を彼女は知った。見たくないものを見てしまった。怯えた声も出ずに、彼女は涙目になって震える。直文はこれ以上見せぬように手に覆う。
小さな社の扉からは黒い触手が現れて、治重の心臓を貫いていたのだ。心臓は触手によって食われていく。赤い血がボタボタと地面を濡らす。治重は意味がわからないと表情で物語っていた。
この光景を見て茂吉は不敵に微笑む。
「ここで、俺達のやり取りを見ていたようだね。知られている以上、用済みだから手を掛けた。ひゅう、流石ナナシ様」
治重の頭と手が項垂れる。心臓が食われ終えると、触手に貫かれたまま、治重の体は空いた扉の奥に持ち込まれる。体が社に収まると扉が閉じた。
暫くすると、古い社にヒビが入る。二人の雰囲気が変わった。茂吉は笑みを消して、斧を構えた。直文は彼女の目から手を放して片手から鏢を出す。更に強く彼女を腕の中に抱き締める。ひび割れて、社の扉を破って手が現れた。
同時に直文は言霊を吐く。
「
黒い稲妻が社の周囲に走りだし、黒い雷と化して社に当たる。目映い黒い光が公園内を照らし、彼女と茂吉は目をつぶった。
黒い雷が消え、煙がたつ。直文は顔をしかめて片手にある一つの鏢を投げた。鏢が勢いよく突き進み、煙の中に消えた。
「半妖はこうも乱暴なのか」
呆れる声を聞こえて、■■は驚いて目を開けた。
指には刺さるはずだった鏢を手にしている。布すらもまとっていない陰陽師がそこにおり、貫かれた胸の部分は治っていた。社は直文の力で跡形も無い。彼女は相手が無事なのに錯愕していた。無傷で立っている相手を直文は油断せずに見つめる。
「器が容易に手に入らない以上、身近なもので代用したか。ナナシ様とやら」
指摘に相手は鏢を投げ捨てて、口角が吊り上がった。
「不服ではあるが、やむ終えまい」
■■に目線を向けようとする。が、直文が茂吉に■■を託して目線から守るように立つ。彼直文の長い髪と背中しか彼女は見えない。
直文とナナシが対峙をした。
ナナシの姿が消える。直文が何もない場所を掴むと、■■の目の前にナナシがいた。手を伸ばそうのするのを直文が防いでいる。
直文は肌が食い込むほど力強く握り、ナナシは渋い顔をし手を振り払い飛んで下がろうとした。直文は着地点に鏢を投げ、相手は着地点を少しずらして避ける。直文は何回か鏢を投げるが、ナナシは簡単に避けて再びステージの上に乗る。ナナシが余裕を見せた瞬間、直文が言霊と共に指を鳴らす。
「
ステージ上に捨てられていた鏢が黒く光り、ナナシは息を呑む。
避ける間もなくステージの上には激しい電流が走り出して、ナナシは声なき悲鳴を出した。ただ単に投げていたわけでなく、仕掛けた罠まで追い詰めたようだ。
黒い電流が消える。
ナナシの体は所々焦げているが、先程のような威力はない。だが、相手が口から煙を出し髪と体の一部が焦げていた。見る限り加減はしてない。膝をついてナナシは頭をうなだれる。直文は表情を変えず見つめ続けた。
ナナシは顔をあげて、余裕無さそうに見る。
「……力の一部を、既に武器に宿し隠していたか……。そして、この力。受けてみてわかった……お前は麒麟か」
般若の如く怒り表情で、直文は片手に中国剣を出した。
「わかってどうとなるわけじゃない。お前が溜め込んだ魂と名を帰せば見逃してやる。だが、お前にそのつもりは」
「ない。私は神として力を取り戻し、高天ヶ原に直談判せねばならぬ。私を神として舞い戻ることを許すよう!」
ナナシの目的が神に戻るためだと判明した。弱い神は祭られなければ力と姿を保てない。零落した存在が神に戻るのには、何かの特例。人に奉られる以外方法はない。直文は静かに質問をする。
「ただ奉られているだけでよかったものの、捧げ物でもない人の魂を取り込むのを禁忌と知ってやったのか?」
「そうだ。その方が早く神へと戻れる。名を取り、魂を取り、私に相応しい肉体を探して神に返り咲くために」
ナナシの言葉に、茂吉はおかしそうに笑う。
「あれれ、おかしいぞー。神に戻りたいんだったら、日本武尊様が快く俺達に協力してくれるはずないぞぉー」
「……はっ?」
間抜けた顔に、茂吉は悪役の顔で笑う。
「あっはっはっ、また笑わせてくれるなんて嬉しいよ。つまりね、お前なんかもう神じゃない。前々から、零落した神々が妖怪と人関係なく被害を出すから、駆除依頼が高天ヶ原とその他の神々から来てるんだ。その内の一体がお前だ。ナナシ様」
茂吉は人差し指を向けた。ナナシは呆然としている。とっくに神ではないと日本の天津神の本拠点高天ヶ原から拒否され、他の神々にも拒まれたのだ。
直文が地を勢いよく蹴って姿を消す。ナナシの目の前に現れ、勢いよく剣を突き刺した。しかし、彼は目を見張る。相手の姿は何処にもなく、地面に剣が突き刺さっているだけ。直文は剣を抜いて飛び下がる。
声が響く。
【高天ヶ原に拒まれ……神に戻れない……そんなの許さぬ。許されぬ! 私は神に戻らなくてはならぬのだっ! ──絶対に──絶対に!】
途切れ、静かになった。
直文と茂吉は■■の元に戻り、周囲に首を向けた。怪しげな気配はないらしく、茂吉はふぅと息を吐く。彼女も周囲を見るが、空がもう真っ暗になってきていた。
人気もないただの芝生公園。ナナシに逃げられた。その真実に直文は舌打ちをして、荒々しく剣を投げ捨てる。
「っくそっ!」
カランと音がたち、光の粒子と化して消えた。直文は空いた両手で拳を作って強く握る。瞳の黄金の色が強くなった。直文は周囲を見回す。まだ何処かにいるかもしれないと気配を探っているのだろう。
茂吉は直文の肩に手を置いて顔を向かせる。
「直文、落ち着けって。ナナシには逃げられたけど、まだ誘き寄せる算段はあるだろ」
「……っある。あるが……っ!」
直文らしくなく焦っていた。■■に目を向けて泣きそうな顔になる。
「……彼女が人らしい幸せの日々を送るには、名を呼ばれなければならない。名前はその人の証。人間としての証明だっ!
早く取り戻してあげたいのに……なのに……っ!」
奥歯を噛み締めて、ぎりっと音がする。彼の髪の色が一瞬だけ黄金に見えた。ビリビリとしたものを肌から感じて彼女は鳥肌が立つ。木々から鳥が一斉に逃げ出して■■は直文を見た。彼女の為に憤り、名前を取り返そうとしてくれいる。
怒っている直文は怖かったが、自分の為に怒ってくれるのは嬉しかった。直文は今まで■■の為に本気で怒ってくれていたのだ。初めてであり、■■は瞳を潤ませる。
「直文さん」
名前を呼び、彼は顔を向く。
「ありがとうございます。嬉しいです」
瞬きをする度に涙が落ちていく。彼女の涙で怒りのが静まって、直文は慌てた。
「どうもいたしましてだけどっ……えっごめん。俺なにか間違えた!?」
目の前であわあわと右往左往する直文。始めて見た慌てぶりに、彼女は目を丸くして次第に笑顔を浮かべる。直文は瞬きをした。自分が恥ずかしい姿を見せたと気付いて、彼は後頭部を掻いて困った表情を見せた。
落ち着いた彼を見て、茂吉は口許を柔らかくする。いつか見た過去を思い浮かべ、彼らに声をかけた。
「直文、はなびちゃーん! 芝生公園の整備が終わったら、ごはん食べ行こー。俺と直文の奢りだから安心してね☆」
わざとらしく笑う茂吉。直文はため息をつき、彼女は嬉しそうに頷いた。
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