prologue Ⅱ

 

 もう誰もいないショッピングモールの中。ダッ、と勢いよくきせきが跳躍する。手を高く掲げると、まばゆい光と共に彼女の手の中に分厚い本が現れた。

「ケイ!」

「任せて、今やる」

 ジャキ、と弾を装填する音が響く。様々な種類の大量の銃がグリフォンを取り巻くように浮かんだ。ケイはそのうちの一つを手に取り、二階の床に降り立つ。スナイパーライフルか、と小さく呟くとスコープを覗いた。グリフォンの左目を捉える。

「——きせき!」

「おっけ、いくよ!『焔よ、我が元に従え』!」

 きせきの手の中の本から鮮やかなオレンジの炎が立ち上る。すい、と軽く指を動かすとそれは小さなメスのように形を変え、目にもとまらぬ速さでグリフォンめがけて飛んでいく。グリフォンは背中の翼でそれらを避けようとする。しかしそれと同時にケイが放った弾丸が怪物の左目を穿った。ギャアと悲痛な叫びを上げてグリフォンは元居た場所に叩き落される。

「『一斉掃射』!きせき、グリフォンの弱点ってどこだっけ!?」

「忘れた!そもそもボクたちが知ってるのよりデカいし攻撃の威力、防御も速度も全部が規格外!お嬢も今はいないしとりあえず倒れるまで攻撃を続けるよ!」

「当然!」

 グリフォンの体に深々と突き刺さったメスが、ごうと音を立てて燃え盛る炎へと形を変える。グリフォンが暴れる度に鋭い爪と嘴が柱や床、天井を切り裂き破壊していく。柱が一つ崩壊したとき、拳銃、小銃からショットガンやマシンガンなど様々な銃火器で応戦していたケイの足元の床が崩れ落ちた。何とか受け身を取ったものの、転がり出た先は運悪くグリフォンの目の前だった。ひゅ、と息を吸う音がやけに耳についた。息をつく暇もなくぎらりと鈍く光る爪が眼前へ迫る。きせきが焦りと恐怖の表情を浮かべて追撃を放っているのが見えた。最悪の場合はアイビーに何とかしてもらおう、と最後のあがきのつもりで手榴弾を懐から取り出す。


「え、嘘、何!?あーっと、『主よ、我らを守り給え』!」


 ピンを抜こうとした瞬間、目の前に優美な装飾が施されたドアが現れた。ケイは慌ててピンを抜くことをやめた。扉から現れるのは自分の良く知る人物だからだ。


 メラーニャは心底動揺していた。店内を一周し、他の脅威がないことに安堵していた矢先に飛び出た先が絶体絶命の場面だったのだ、多少どころか誰だってかなり動揺するでしょうと心の中で誰に言うのでもない言い訳を並べ立てる。そもそもそんな状況で完璧な守護魔法を使えたことを褒めてほしい。

「ありがとうラーニャ!助かったよ」

「どういたしましてケイ。だけどね、本当にあなたはまず防御を覚えるべきだと思う」

「攻撃は最大の防御っていうんだよ」

「はいはい、さっさと片付けようか!きせのんは大丈夫?私は何をすればいいのかな?」

 きせきはグリフォンの背後で必死に魔法を繰り出している。ケイの弾幕が緩んだせいで更なる攻撃を仕掛けないと自分の命が危うくなりかねない状況に陥っていた。

「ケイは!?」

「無事、私が守った」

「じゃあ後で一発殴らせてって言って!あと焼いたのにこの速さなのは何とかしたいから、鈍麻の呪いか拘束魔法お願い」

「げえ、殴られるの?まあ油断したのはちょっとあるけど」

「軽口叩く暇があったら早く弾幕出してよこっちはめちゃくちゃキツイんだから!」

「ご、ごめんって……」

「ここは拘束魔法かな、今までは何とかなってたみたいだけど、空を飛ばれるのは勘弁だし。よおし、いくよ」

 メラーニャは優雅な笑みを浮かべる。ぱち、と指を鳴らすと彼女の周りをぐるりと囲うように白銀にきらめくナイフが現れた。美しい隊列を描いて静かに浮かぶそれを眺め、流れるように呪文を唱える。

『汝、その形を我に示せ。姿は水に、刃は雨に。汝に触れし悪しきものを流麗なる枷で縛り給え』

 最後の一文字を紡ぎ終えれば、メラーニャの仕事は終わりだ。呪文の通りに水の刃へと形を変えた愛用のナイフたちは、刺さった個所から強固な鎖へと形を変えていく。ギャアギャアとグリフォンが暴れてもびくともしない。嬉々としてメラーニャの陰からケイが、反対側の柱からきせきが飛び出していく。あとはこの戦闘狂二人が何とかしてくれるだろう。先ほどから鼠のようにちょろちょろ動き回っては逃げ遅れた人々を救出して回っている仲間の姿が目につくので、そちらのサポートにでも回ろうと踵を返した。


 メラーニャの鎖によって、グリフォンは完全に身動きが取れなくなっていた。爪を振りかざそうとすれば地面に縫い留められる。嘴を開けばぐるりと鎖が絡みつく。声一つ上げられず地面に転がり押さえつけられる様は哀れに見えた。そんなことは構いもせずに二人は攻撃を続けていく。グリフォンが僅かな抵抗もできないほどに弱った頃、ようやく二人はグリフォンの様子に気づいたようだった。弱り切った獲物を何のためらいもなく嬲り殺すことができるほど、二人は心が無いわけではなかった。

「ねえ、こいつにとどめさした方が良いと思う?」

「え、私もなんともいえないよ。正直ちょっとやりすぎたね……」

「でもまあやらないと多分こっちがやられてたからさ。のんちゃん、怪我はない?」

「へーき。あ、そうだ。アイビーに頼もうよ」

「……ああそうだね、アイビーのことすっかり忘れてた。どうやって結界を破ったのかとか色々聞かなきゃいけなかったし。よし、アイビーを呼んでこよう」

「その前に一発殴るね」

「え!今!?ちょっと待って心の準備させて」




「……で、俺はどうすればいいの?もう死にかけのグリフォンにとどめを刺してほしいの?いくら何でもちょっとそれは嫌だな」

「違うよ!とりあえず動けないけど話せる程度に回復させて、どうやって結界の中に入り込んだか聞き出してほしいの!」

「なんかそれはそれでどうかと思うけど」

 グリフォンは薄く目を開いてアイビーたち四人を見つめている。抵抗する気はもう無いようだ。

「ほら、アイビー頼むよ……」

「まあ分かったけどさあ。……あー、えっと」

 のそ、とグリフォンが首を持ち上げてアイビーの群青色の目をじっと見つめる。戦っている最中は余裕もなく気づかなかったが、こうして落ち着いて見てみると様々なことがよく分かる。

――元から、だよね。

 漆黒の翼は薄汚れ、幾分か羽も少ないように感じる。爪や嘴は手入れされず、本来の輝きを失っている。戦闘によって傷ついた四肢も、よく観察すれば治りきっていない傷口や古傷があちらこちらにある。おそらく、元はもっと美しい獣だったのだろう。しかし今は本来の姿が損なわれている。その原因はアイビーには分からないがそれでも、ハシバミ色の鋭い眼光は衰える様子はなかった。その気高さに少しばかりの感動を覚え、ゆっくりと口を開く。

「じゃあ、まずは君の名前を教えて。俺はアイビー。君にいくつか聞きたいことがあるんだ」

 動物との会話はアイビーが最も得意なことの一つだった。心を通わせ、柔らかかったり少し硬めだったりする毛を撫でながら過ごす時間が好きだった。それを、その気持ちをこのいきものとも通じ合わせることが出来たら――。

『……ロゼ』

「ロゼ、かあ。いい名前だね」

『……母、が我にくれた、名だ』

「そうなんだ。ねえ、ロゼ。君にいくつか質問してもいい?俺たち、正直君がいきなり落ちてきたからすごく驚いたんだよ。結界があるのに……」

 ロゼと名乗ったグリフォンは静かに目を伏せて言う。

『……我は、人の営みが見たかった。我の母が、言っていた。人間はいいものだと。だから、降りてきた』

 その言葉はたどたどしかった。しかし、その心は静かにアイビーの心に染み入った。

「ね、アイビー。私にこの子の言葉は分からないけど、君の反応とこの子の態度。……すごく、よく分かるよ。来るときに言ったでしょう。この世界にはこういう風に人間と共存を望む魔族もいるんだって」

「……うん、そうだね。……ロゼ、その前に聞かせて。どうやって結界を破ったの?本当なら、ここに君は来ることは出来ないはずなんだ」

『分かっていた。ここは、ひどく楽しそうだった。壁の外からほんの、少しだけ見ることが出来れば、それで良かった。――だが』

 ハシバミの目がゆっくりと閉じられる。

『北の方から、強い力を感じた。そうしたら、壁が消えた。同時にとても気分がよくなった。全部、今の我ならば、ばらばらに出来ると。気づけば、こうしてお前たちの前に立って、お前たちと戦っていた』

 ロゼの証言をアイビーが伝えると、四人は顔を突き合わせて考え込んだ。結界の弱体化など、今までに類を見ない事態だ。何せこの結界は何百年も前から一度も緩むことは無くそこにあるのだ。今になって結界が崩壊するなどという事態になれば、人類がどうなるかなど容易に想像できる。

「どうするの、これ。結界を緩める力を持つ魔族が現れた?そんなの今までで見たことも聞いたこともないよ」

ケイが普段はあまり見せない厳しい顔をしてぼそりと呟く。

「ボク、あとで図書館で調べてみるけど……でも、もう今では魔族はそうとう弱体化してるらしいし、そもそも今まで読んだ本の中にも、結界を破壊できるほどの力のある強大な魔族なんていなかったよ?」

「でもこれさ、私たちだけで何とかできる?」

「……結界の問題は俺たちじゃどうしようも……魔族が原因ならそれを叩けばいいのかな。正直情報が足りないよ」

「強い力……強い力、ねえ。漠然としてるし……とりあえず、北に行ってみない?そこが原因なのは間違いなさそうでしょう」

「そうだね。……本当に、何事もなく終わるといいんだけど。」

 北の大地は一年中雪に包まれた魔族の領域だ。立ち入れば吹き付ける吹雪と凍るような寒気。魔族の中でも獰猛な性格のものが棲む魔境。そこに潜む恐ろしい何者かの存在を知らせるように、抜けるような青色だった空はいつの間にか鈍く淀み、不気味な音を鳴らしていた。

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