第一話 『空の民』と『守り人』


「リリスの館?」

 アイビーが問いかけると、きせきはこくりと頷いて手に持った臙脂色の重厚な本を中央のテーブルに広げた。


 ショッピングモールの一件から数日が経ったある昼下がり。四人は、きせきが司書を務めている国立中央図書館に集まっていた。ロゼを結界の外に逃がした直後、怪物退治のために武装した兵士たちがやって来た。化け物はどこかと聞いた彼らをなんとか丸め込んで帰した後、アイビー達はそれぞれ北の異変を調べ、成果を報告しあおうということを決めた。魔族も人間も、この世界の理から外れている彼らにとっては守るべきものたちだ。もし、意図的に両種族の対立をさらに広げようとする者がいるのなら、止めなければならない。

「リリスの館には、大昔から蛇の怪物が棲みついてる。館の名前の由来は、その怪物が……『守り人』となった子供を、さらって食べちゃうことからついたみたい」

「人食い蛇ってコト?」

「有り体に言えばそうだよ。ねえケイ、蛇ってイケる?」

「いけるよ。アイビーは?」

「俺はちょっと……メラーニャは?」

「だぁいすき。」

 そ、そっか……とアイビーが所在なさげに苦笑する。人食い蛇というくらいなのだから相当大きいのだろう。想像しただけでもぞっとする。そうして蛇に思いを馳せていたアイビーは、ふと今のきせきの言葉の中に理解できない言葉があることに気が付いた。

「ねえ、きせきさん。『守り人』って……何?」

「え、アイビー知らないっけ?忘れちゃったのかな」

 きせきは目をぱちくりと瞬かせ、少し驚いたように声を上げる。

「仕方ないよ、アイビーは五年も引きこもってたし。そもそもその前だってここの近くから離れたことも無かったし……」

 ケイが横からそっとたしなめるように言う。ケイが言っていることは事実だ。だが、言い方が少しいただけない。何せにまにま笑いながら言っている。まるで自分がいわゆるニートだったかのような言い方だ。そんなことは無い。きちんと牧場の経営をしていただけだ。

「ふふ、まあ冗談はここまでにするよ。ちゃんと説明するから。もう相当前から行われている——悪習だよ。正直に言って愚かの極みだね。人食い蛇よりもっと最悪。その歴史は百年以上昔まで遡るよ」

「そんなに……?というかケイがここまで言うなんて、本当にそれはいったい何なの?」

「……まあ、ケイがここまで言うのも分かるよ。ボクも初めて聞いたときはあーあって思ったし」

「どんな時、どんな場所でも権力を握った個人ってのはろくなことしないよ。ほぼ意味のないことをなんでやろうとするんだろうね?」

きせきとメラーニャもわずかに嫌悪感を滲ませて続ける。状況についていけないアイビーは薄ら寒ささえ感じさせる笑みを浮かべたケイに目を向けた。

「——人身御供、ってのが一番近いかも。生まれつき魔力が高い、七歳以下の子供を北にある最果ての滝の上から突き落とすのさ」

「え……?」

「祭事部と軍部の奴らが結託して始めたらしいよ。表向きには魔力の高い子供は神様の子だから『御返し』して、世界の『守り人』となってもらうんだってさ」

「表向きってことは……裏も、あるんだよね?」

「裏……?それは、ボクも聞いたことない。ケイ、どういうこと」

 がた、と天鵞絨の椅子を引いてケイが立ち上がる。

「アイビー。私たちは世界からはじかれた者。分かるよね?」

「あ、え、うん……。それは、俺たちが空の民だってことが言いたいんだよね?」

「私たちは空の民。人間とも、魔族とも違う。人間の街の結界には妨害されず、けれど人間とははるかに別格の生命力、身体能力、戦闘力……ねえ、きせき。人間に結界を与えたのは?」

 そこでアイビーははっと気づいた。自分たちの出自とその魂に隠された秘密を。

「——空の民だよ。私たちより何代も前の」

 きせきは強張った顔で古びた本の背を撫でて言った。

「人間は過度に突出した力を持つものが嫌いだ。魔族はコントロールできた。しかし、私たちは?その出自は?どう増えるのか?なにも奴らには分かっていない。けれど、私たちには生まれつき備わっているものがある。そうでしょ」

「……魔力が俺たちは生まれつき高い。一人でも生きていけるように……。でも、それが利用されたってこと?幼いうちの魔力量を調べて、危険な空の民を無力なうちに殺す——それが、裏の目的。」

 そういうこと、とケイは頷く。きせきがぽつりと続ける。

「生まれつき魔力の強い子供なんて本当に少ない。……国の思惑も、分かるよ」

「まあ、正直そんなことしたって空の民として生まれた子ならまず死なない。けど、そうやって生まれる子はほとんどがただの人間。運悪く偶然高い魔力を持って生まれた人間の子ばかり殺されて悲惨ってだけだよ」

 先ほどまでの異様な気配を一瞬で霧散させて、ケイはからっとした顔で言った。きせきもメラーニャももうこの話をする気は無いようだった。ここのルートから攻めてみようか、いやここは最近魔族が云々と談笑している三人をぼんやりと見て、アイビーは『守り人』と呼ばれた子に思いを馳せた。


——『守り人』。魔力が強く生まれただけで、死ななければならない子。


 アイビーは三人のようにこの事実を淡々と処理することはできなかった。たまたま生まれて、厭われて死ぬ。きっと愛されることも無い。たとえ運よく生き残っても、リリスに食われて死ぬ。そう考えると、気が重かった。——どうにかしてあげたい、いや自分に何かできる力があるのか?

「アイビー?大丈夫?」

「……メラーニャ……うん。少し考え事してた」

「まあ、私も人身御供の裏の話は知らなかったけどね。まさか、私たちの同族を殺すためだったとは……でもね。これは私たちが気にするべきことじゃないよ。もしあなたが人間の子に同情してるなら少し残酷な言い方をするけど、そういう子は私たちがいてもいなくても利用されるだけ利用されて後はポイ、ってことがほとんどだよ」

 メラーニャはいつも伏せている目を鋭く光らせて吐き捨てるように言った。ぐ、と無意識に手に力が入る。

「そう、なのかな」

「ケイも言ってたけどね。人間って自分たちに制御できない強大なものをどうしたって嫌ってしまうから。憧憬、畏怖、嫉妬。そして、憎悪する。自分より優れている者が基本的に気に食わないの」

——メラーニャの言うことは、きっと正しいのだろう。

 じっと押し黙ってしまったアイビーを見てメラーニャはため息をついた。そっとねぎらうように言葉を続ける。

「でも、アイビーの考え方は間違っていないと思うよ」

「……」

「誰かを助けたいって思う気持ちに、打算とか偽善とか……無いとは言わないけど。でも、そうやって助けたいって考えてくれるのは、私は嬉しい。名前も顔も知らなくても、自分を応援してくれるのなら……私は素直にその気持ちを受け取りたい。誰かがそうやって自分のことで悩んだり、願ったりしてくれることがどれほど幸せなことか」

——そう、思ってくれたなら確かに俺も嬉しい。

 目を閉じてそっと『守り人』の子供たちに思いを馳せた。




「お嬢、これどうする?今そこの郵便箱に入ってた」

「……何それ。どういうこと?」

 妙に玄関口が騒がしい。何かあったのだろうかと目を向ける。少し青ざめた顔をしたきせきとメラーニャの姿が目に入る。二人は深刻そうな顔で、まるでそれが爆発物か何かであるかのように見入っている。

 別室のドアが開き、陶器のカチャカチャという音を立てながらのんきな様子でケイがコーヒーセットを持って入ってきた。そしてケイの存在に気づいていないかのように話し込んでいる二人を見て怪訝そうな顔をした。テーブルの上にトレーを置いて、二人の方に駆け寄っていった。一言二言話した後、ケイも二人の手元にある紙を覗き込む。そして、二人と同じようにみるみる顔色が悪くなり、またもや深刻そうな顔で二人と話している。

 アイビーも流石にただ事ではないぞ、と考え三人に近寄る。三人もアイビーが近づいてくることに気が付いたのか、青を通り越して土気色になった顔を向けた。

「ねえ、何があったの?その紙は?」

「……王都からの招集状」

「……え?」

 王都——この世界の中央に位置する巨大要塞都市・パンドラ。そこからの、招集。

「ど、どうして!?」

「分からないよ!何で王都が私たちをわざわざ呼びつける必要があると思うの!」

 きせきは涙目になりながら叫ぶ。その顔からは明らかな怯えが見て取れる。

「心当たりは、あるよ。この間のグリフォン討伐……でも、ほとんどの人が避難してから、私たちは戦いに出た。アイビーが呼ばれるのは……わかるよ。避難の手助けをしてたのはアイビーだから。でも、これで私たちまで呼ばれることが分からないし、何よりも見てよココ!」

——この招集を拒否することはできません。一週間内に王城までお越しください

「こんなの……こんなの、絶対信用できない。だって、ただ褒章を授けるだけなら強制である必要がない。裏があるに決まってる。……それに、」

——私たち、空の民なんだよ?

 きせきが諦念を滲ませた声で言うと、四人は何も言えなくなった。

 空の民として生まれたおかげで、頑強な体と生命力を得た。しかし、失うものも多かった。

「……魔族の討伐をすれば、今度は私たちが恐れられて殺された。人間の手助けをすれば要求がどんどんエスカレートして、私たちだけではできないようなことも押し付けられるようになった。出来なかったら追放。そんな前例、本で散々見たよ。かといってかつて仲間だった王都の人間に声をかければ、反逆者だって言われて捕まった。私たちを知りたいとか言って、人間にできないような実験に協力させられた者だっている」

 同族に昔起きた悲劇は、皆が知っている。どんよりと空気がよどんでいく。

「……でも、これ行かないとまずいよね。私が行くよ」

「ケイ!?何言ってるの、王都だよ!?さっきだって自分で言ってたじゃん!王都の連中は空の民を抹殺したがってる。一人でのこのこ行ったら、どんなことをされるか……!」

「分かるよ。でもね、のんちゃん。私にとってそんなのは割と大した問題じゃないんだわ」

 ケイが真面目な顔できせきの肩にそっと触れる。不安をあおられていた中で、ケイの発言を聞いて今にも泣きだしそうになっていたきせきは困惑したように問いかける。

「……どういうこと……?」

「え、単純に私は皆より頑丈だからね。普通に殺そうとしただけじゃ何の瑕疵にもならない。だってその前に再生できるし……まあ殺そうとかかってきても無意味だし私なら大丈夫でしょ」

「体を再生するようなことが起きるって考えてるんじゃん!そういうことなら絶対に行かせないもん!」

「あー、違う!違うって!ちょ、あ、離してのんちゃん帯解けちゃうから」

 先ほどまで沈んでいた空気はいったい何だったのだろう。じたばたと暴れる二人を見ていると真面目に考えていた自分が少し情けなくなってきたような気もする。

「あのね、この世界にはまだまだ魔族が沢山いる。それらに対抗する術を、人間たちはまだ持っていない。だから、どうしたって僕らの力が必要になってくるんだよ」

「……へえ?なるほどね。抑止力って訳?」

「だから、大丈夫?」

「そゆこと」

 しれっとケイは返してきせきの腕からするりと抜け出した。

「まあ、歴史書を見る限りでは率直に言って空の民が一方的にやられてたみたいに捉えられるけど、そんなことあるわけないでしょ?だって、どうしてろくな力もない人間に私たちが武力で負けると思う?」

「……たしかに」

「彼らが不幸な目に遭ったのは当然人間が原因だけど、死んでしまったり処刑されるまでそれを放っておいてしまったのは空の民の瑕疵だよ。その情が自分の身を滅ぼしたんだ」

「ううう……」

 きせきは言い返せないのか唸るように情けない声をあげて、かといってケイの行動には納得がいかないのかそれを咎めるようにぽすぽすと叩き始めた。痛い痛い、とケイは言ったが、顔が笑っているうえにきせきの拳に力が入っていないのが見て取れるのでケイもきせきの気持ちは分かっているのだろう。しかし、アイビーはそんな二人の会話を聞いて一つ思ったことがあった。

「ねえ、それなら皆で行っても何の問題も無いんじゃない?空の民だってことが相手に分かってないならそのまま帰ればいいし、空の民であることが把握されていたとしても、僕らなら逃げられる程度の力があるじゃない。攻撃さえしなければいちゃもんつける理由にもならないんじゃ……」

 きせきとケイの二人は一瞬ぽかん、とした顔でじゃれあいを止めた。そうしてゆっくり顔を見合わせて呟く。

「……そう、だね?」

「あー、そうじゃん。ってことでみんなで行こうね!あとケイは後でやっぱり一発殴らせて」

「……へーい」

 後ろでメラーニャが手紙を弄びながらけらけらと笑う声が聞こえる。あんなにも恐ろしく、得体の知れないものに感じた手紙は、今はただの紙切れだとしか感じられなくなった。案外心配することは無いのかもしれない。アイビーは少し微笑んで、出発の支度をしようと立ち上がった。




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ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

三話分を一息で出したので、分量もそこそこあるのですが、感想や評価をしていただけるととても嬉しいです。レビュー等々、いつでもお待ちしております! 彩林

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