Chapter4 泥の海 ⑤

 オブジェクターとエフェクターによる先行部隊は若洲海浜公園からボートでフェリー埠頭へ上陸し、この場にたむろしているオルタネーターを殲滅する。その後、自衛官たちが海の森トンネルと有明埠頭橋を破壊した。

 前哨戦と言える作戦第一段階。ほとんどの損害を出さずに手際よく完遂することができた。

 フェリクスは東の方角に微かに視線を上げた。三角錐で構築された特徴的な建築物が目を引く。

 東京ビッグサイト。

 視線の先に広がる有明エリア並びに東雲エリアが今回の作戦の本段階の舞台だった。

 オルタネーターから完全に隔離された象徴的な場所に、封鎖都心内部の活動拠点を設ける。それが政府、自衛隊、そして調査局の三者の共通する目的である。ビッグサイトという象徴的なモニュメントの存在する場所を奪還し、初めて封鎖都心内部での安全な活動拠点を設けられれば、実際の作戦行動の効率化だけでなく、自分たちに有利な世論の形成にも利用できる。

 調査局としてもタスクフォースの安全な活動拠点は喉から手が出るほど欲していた。

 唯一、〈E計画〉の遂行者たちだけは違った。彼らにとっては計画の実地試行に過ぎない。無論、そういった素振りはも、計画を実行する隠密部隊の存在も臆面にも出さず、粛々と自らの役割をこなしていた。

 今回の彼らの任務は〈シディム〉そのものを設置するわけではなく、共同構内に潜むオルタネーターの掃討と〈シディム〉の設置箇所の検討と確認を行うのが目的だった。現に〈E計画〉隠密部隊はその存在を気取られることなく、若洲海浜公園とフェリー埠頭の地下で見事に仕事をやり遂げていた。

 フェリクスたちはボートに乗り込み有明客船ターミナルから有明エリアへと上陸した。

 若洲海浜公園もフェリー埠頭も面積はそれほどでもなかったが、ビッグサイトのある有明エリアと東雲エリアでは部隊を分散させなければならないほどの広さがある。

 まず、夢の大橋、ゆりかもめ線のあけみ橋、そして首都高速湾岸線などのお台場へと繋がる経路を破壊するAチーム。

 次に東雲エリア方面へと進行し、辰巳橋や同じく湾岸線といった他区画への経路を破壊し遮断するBチーム。

 有明エリアのオルタネーターを殲滅し安全を確保した後に他チームへの支援に向かうCチーム。

 ビッグサイト内へ進入し、オルタネーターの殲滅を行うDチーム。

 そして秘密裏に地下共同溝内に進入し〈E計画〉にの遂行にあたる隠密部隊。

 フェリクスと厚治はDチームに配置されいた。

 オブジェクターとエフェクターはこれまでに屋内での戦闘行為はほとんど行ったことがない。そのため屋外で活動する他チームと違ってあくまで屋内での行動となるためDチームが最も危険であるとされた。

 先に上陸したA,B,Cチームがやぐら橋近辺にたむろしていた十数匹のオルタネーターを行き掛けの駄賃とばかりに倒していった。後から乗り込んだDチームがビッグサイトの周囲の安全を確認し、内部への進入の準備を進めていく。

「うわぁ、でっかい……」

「こんなおっきな建物で一体何をやってたんでしょう……」

 朝希と史香は首を真上にして、会議棟を見上げる。四つの巨大な柱と逆三角錐からなるビッグサイトの象徴たる会議棟は数年放置されていたからか薄汚れていたが、それでもその巨大さと特異な建造構築は初めて見る者を圧倒させた。

 フェリクスたちオブジェクターは毒々しく輝く右眼を突き合わせながら、地図を囲み、最後の作戦行動の段取りの確認を行っていた。そうして、全ての準備が整ったことを確認すると、フェリクスと厚治、他数名のレッドラベルのオブジェクターを先陣とした隊列を組んだ。

 作戦行動開始――。

 ガラス扉を蹴破り、エントランスへ侵入する。静寂に満ちていた屋内に、ざわ、と幾人の自衛官達の息を呑む声が響く。

 やはり我が者顔でうろついているオルタネーターの姿があった。目も無いのに明らかにこちらに意識を向けてきたことが肌でわかる。何を目的としてこの場を闊歩しているのかもわからない存在なのに明らかに敵意を向けてきていることだけは恐怖という形で理解できる。

 構えるオブジェクターとエフェクター達。その中で一番槍で飛び出したのがフェリクスと厚治だった。〈磁力加速〉の轟音が鳴り響きフェリクスが弾丸の如く飛翔し、厚治の万力の如き膂力が床を踏み砕き跳躍する。

 フェリクスが鋭い斬撃でオルタネーターを斬り伏せ、厚治が剛烈な一太刀でたたっ斬る。塩の飛沫の中、新たなオルタネーターが二人の姿を見定め刃の触手を伸ばし振るうが、当たり前のことのように手にした得物で弾いて受け流し、鋭い跳躍でカウンターの一撃を突き刺す。

 フェリクスと厚治の瞬殺劇にどよめきが走り、やがてそれが歓声と鬨の声になる。その声の主の大半は都市迷彩服の自衛官達だった。

 他のオブジェクターとエフェクターは、それはいつものこととして表情を変えず行動を開始していた。

 オブジェクター達が前面に立ち隊列を組み進軍していく。西館並びに南館攻略部隊が南コンコースへ別れ、フェリクスと厚治は東館攻略部隊はそのままエントランスホールを縦横していく。

 道中でオルタネーターに会敵すれば、オブジェクター達は常に数的有利を取りながら各個撃破していく。機械的に。自動的に。余計な思考を挟めばパフォーマンスを発揮する集中力が欠け、それはすなわち死に繋がる。

 東館展示場に繋がる北コンコースと連絡通路に入る。雲間から差し込む光芒が全面ガラス越しにビッグサイトの中を照らし、その光で床に煌めくものがあった。

 塩だ。床一面に散乱している白い結晶が嫌でも目に入る。安全靴の鉄板越しに伝わるざらざらとした感触に、史香の背筋に怖気が走った。

 屋外なら塩の柱が崩れ剥がれ落ちたものだと思うこともできたが、やはり屋内に散らばっているこの塩は元を辿れば……

「見るな。考えるな。いちいち気にしてたら保たないぞ」

 フェリクスの鋭い声が史香の推察を遮る。

 二〇二〇年の七月二十四日で時が止まっている東京旧二十三区の中でも、数多くの競技会場と関係各所用施設が設けられていた臨海副都心では生々しさが際立っていた。オリンピックプレスセンターが設置されていたビッグサイトは当時の様子が、その痕跡から如実に語られている。

 打ち捨てられたカメラやスマートフォン、ノートパソコンなどの取材機材。日本語では無い言語で書かれた書類。そして「PRESS」と印字されたマスコミの吊り下げ名札とその近くに盛られた塩の塊。そしてあちこちに貼られた、青く退色した「TOKYO2020」の傷んだポスター。

 史香はフェリクスの背中だけを視界に入れるようにした。

 もう動くことは無い動く歩道の設置された薄暗い連絡通路を抜けて、東館ガレリアに出る。コンコースと同様に日光を多く取り入れるための窓ガラスを多く取り入れた広場には、これまで以上の数のオルタネーターが蠢いていた。

 東館攻略部隊は更にここで分かたれる。東1,2,3ホールと東4,5,6ホール、そして東7ホールと東8ホール。

「気合入れなおせよ、史香、朝希」フェリクスが大きく呼吸を入れ直す。

 フェリクスと厚治は東1,2,3ホール側へ突撃し、更に行く手を遮るオルタネーターどもを片っ端から斬り伏せていく。

「さすがレッドラベルだ」

「もうあいつら二人だけでいいんじゃね」

「聞こえてんぞ馬鹿! てめえらも働けよ!」

 茶々を入れる他のオブジェクターたちにフェリクスが怒鳴るが、すぐに笑みを浮かべた。

 悪い気分ではなかった。こうやって大勢の仲間と背中を任せながら戦うのは。士気が高まるというのはこういうことを言うのだろうか。

 史香による〈電磁加速〉のエフェクトは機動力に優れている。加えて手数の多さを生かしたフェリクスの戦闘方法は遊撃に向いていた。視野を広く持ち、まだ誰もマークしていないオルタネーターに突貫し一番槍を叩き込む。手こずっている者がいれば助太刀に入った。

「フェリクスさん、あれ!」

 史香の指差す方向を目にせずとも把握する。レゾナンス中であればペアとなっている相手の意思をある程度大雑把ながら汲み取ることが可能だ。

 フェリクスは史香の指し示した方角に鋭く蹴り出す。仕留めそこねたオルタネーターに襲われかけてるエフェクターの少女の姿。レールガンの要領での跳躍は雷撃にも似た炸裂音を轟かせながら自分自身を一つの弾丸とし、オルタネーターを一撃で粉砕した。

 超加速でショートブレードの刃を突き立てられたオルタネーターは粉微塵の塩となって巻き散らかされる。

「た、助かった……。ありがとう……!」

「しっかりしろ! まだ先は長いぞ!」

 少女を抱きかかえたオブジェクターに檄を入れる。

 その時だった。悲鳴が上がる。一人のオブジェクターが宙に打ち上げられ、フェリクスの目の前で地面に叩きつけられた。

「おい、大丈夫か!?」

 フェリクスが駆け寄り、倒れ伏したオブジェクターを抱える。痛みにもんどり打っているが、意識はしっかりしているようだった。オルタネーターの攻撃を何度か掠めた皮膚が割かれた箇所がいくつか見受けられた。レゾナンスによる抵抗力が無ければ既に塩と散っているダメージだ。

 肌が粟立つ感覚が強くなる。危機的状況がすぐそこに迫っていることが、経験によって培った勘が警告する。

 ホールの外周から巨大な存在が滑り込んできた。悲鳴とどよめきが更に大きくなる。

「こりゃまたデカいな……!」

 見上げるほどに大型のオルタネーターが立ちふさがった。

 感嘆も驚愕する間も無かった。刃の触手が襲いかかる。

 ショートブレードで防御するフェリクス。鞭の形をしたノイズの塊が刃と鍔迫り合う音が耳障りだ。

 身を翻して受け流そうとするが、さらにもう一撃が加えられ動きを封じられた。二刀のブレードで攻撃を受けて凌いでみせたが、これ以上攻撃を続けられれば、と考えがよぎり、焦りが全身から嫌な汗となって吹き出る。

「ヘバってきてんじゃねえのか、レッドラベルさんよう!」

 烈風の如き斬撃がフェリクスに襲いかかっていた触手を両断した。微かに視線を上げれば、大剣を振り回しながら宙を舞う厚治の姿があった。

「うるせぇって言いたいところだが、正直助かったぜ、厚治」

「おいおい、随分と殊勝なことじゃねえか」

 二人が並び立ち互いの背を預け合うと、手にする刃の切っ先を大型オルタネーターに向けた。

「そりゃあんなデカブツ相手してりゃあな」

「ハッ、狩り甲斐のある大物じゃねえか」

 二人の呼吸が合致する感覚。レゾナンスとはまた違う呼吸の合致。共に戦ってきて何度か覚えたことのある感覚だった。

 オルタネーターが向けてくる敵意のようなものが更に強くなる。二人が二手に散開すると、既まて立っていた地点をオルタネーターの触手が砕いた。

 敵の猛攻をフェリクスは紙一重で回避し、あるいは最小限の動作で受け流し、厚治は大剣を盾にして強引に突っ切っていく。

 一瞬でも気を抜けば塩の塊とされる死の舞踏。二人は生と死の狭間で踊っているようなものだった。

 僅かな隙。行ける。そう踏んだ途端に、オルタネーターの敵意がこちらから外れたように感じ取れた。

 狙いは明らかに史香と朝希だった。誘い出されたか、とフェリクスは舌打ちをしながら身を翻す。

「こっちは任せろ!」

 振り返った先で見えたのは、後方に控えていた史香と朝希の前に立ちふさがる幾人のオブジェクターたちだった。

「葉月たちを援護するんだ!」

「葉月と喜屋武のエフェクターを守れ!」

「行けよ葉月ぃ!」

 仲間たちの激を背に、フェリクスが再び空中で跳躍する。前方に張り巡らせた加速用の磁界がフェリクスを押し出していく。

「史香、出力全力全開だ!」

「〈磁力加速(リニアドライブ)〉!!」

「〈レールガン〉ッ!!!」

 磁界による引力と斥力が轟音にも近い炸裂音を轟かせ、フェリクスは咆哮と共に両のブレードをノイズの塊に突き立てた。

 超高速の刃が突き刺さる先からノイズが塩の壁と化し、加速の勢いでぶち抜き、ついには貫通した。

 分厚いノイズの塊を貫いてみせたフェリクス。安全靴を滑らせながら着地し、背後を見やる。が――大型オルタネーターは白濁化しながらも、なおも攻撃の手と敵意を緩めていなかった。

「てめぇら、全員下がれぇ!」

 頭上から怒鳴り声が降る。厚治の叫び声だった。

 ホールの天井にまで届かん程の跳躍。大剣を上段に構え、落下する勢いを乗せて渾身の斬撃を叩きつけた。

 土手っ腹に大穴を穿たれ、更には縦一文字に両断された大型オルタネーターはようやく塩の塊となって爆散した。

 降り注いできた塩を払いながら、フェリクスと厚治は歩み寄る。

「いーぇーい、トドメは俺がいただき」

「ハッ、譲ってやったんだ」

 互いに歩み寄り軽口を叩きながら、フェリクスと厚治は互いの拳を軽くぶつけ合った。

「やったやったぁ!!」

「アツジかっこいい! フェーリャも!」

 史香と朝希もお互いに手を合わせて飛び跳ねる。彼女たちの護衛についたオブジェクターたちも安堵に深く息をついた。

 後方でサポートについていた自衛官たちにとっては想像の埒外の光景が、目の前で繰り広げられたことに、誰もが息を呑んでいた。

「化け物め」という言葉が喉元までせり上がってきたが、それを呑み込める程度の理性もまだあった。


「なんだあれは……どっちも化け物じゃないか」

 三浦峻平はそのような理性を持ち合わせていなかった。

 先程まで目の当たりにしていたオブジェクターとオルタネーターという人外の如き戦闘の光景に腰を抜かし、南館に通じる通路前の廃棄されたコンビニの中に逃げ込んでいた。

 三浦は恐る恐る外を覗き込む。今の今まで目の前で繰り広げられた人外の戦闘も終わったようで、オルタネーターだった塩が砕け散って当たり一面に散乱していた。

 やっぱりこんなところに来るんじゃなかった、と心底後悔した。先日晒した醜態を挽回すべく、自衛官を激励するために三浦はSPの目を盗んで単独行動という暴挙に出ていた。あわよくば、自分でオルタネーターを倒せたら箔もつくと愚考もしていた。

 自分が票田集めのためのタレント議員であることは承知していた。使い捨ての客寄せパンダ。飽きられれば二期目は無く、比例代表の名簿も下位に落ちている。何とかしなければと、危険な封鎖都心まで足を運んだが、目の前で繰り広げられている命のやり取りに遅すぎる後悔で頭を抱えた。

 周囲を入念に見渡し三浦はコンビニを後にし、海辺の方を見渡した。水上バスの停留所を確認すると自衛隊のボートが停留しているのが見えた。微かに安堵し、三浦は停留所に向かうべく踵を返す。

 もういい。もうたくさんだ。任期満了まで議員報酬を貰えるだけ貰って、また芸人に戻ろう。それでワイドショーで政府を礼賛し、SNSで突っかかってくる連中と問答をしていれば、そちらの方が楽だし人気も取れる。

 だが、三浦の足はそれ以上動かなかった。全身が石のように硬直して動かない。いや石では無い。これは、塩……?

 見れば、自分の肥え太った腹からスノーノイズの刃が貫いていた。全身から力が抜け膝から崩折れる。

 仰向けに倒れた三浦の視界にオルタネーターの姿が入る。目も無いのにこちらの様子を覗き込み窺っているのがわかった。やがてその不定形のノイズの塊はぐねぐねと形を変貌させていくと、それは人の輪郭を縁取り始めた。

 ノイズの塊は見覚えのある人の形となった。鏡で見る姿。

 ところどころ走るグリッチノイズのようなテクスチャの乱れが浮かんでは消えているが、オルタネーターは三浦峻平の姿に擬態してみせた。

 擬態したオルタネーターが足を上げる。三浦の視界にノイズでできた靴底が迫ってくる。

 三浦峻平の意識はそこで砕け散った。

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