Chapter4 泥の海②
「史香ぁー、朝希ぃー、楽しいかー?」と厚治。
「楽しいぃー!」
「はい! とっても楽しいです!」
かっぽかっぽと蹄の音を立てながら、史香と朝希を乗せたポニーが九十九里浜を歩いていく。その後に厚治を背にしたサラブレッドが続いていたが、どういうわけかフェリクスだけが自分の足で歩いている。
「っつーか、なんで俺だけ……」と一人ごちるフェリクス。
九十九里浜の乗馬クラブで乗馬体験に洒落込もうとした四人だったが、どういうわけかフェリクスだけが馬に嫌われていた。耳を絞って容赦なく噛み付いてきたり、蹴ろうとしてくる馬たちにさすがのスタッフもお手上げだった。
「大変申し訳ございませんが……」と本当に申し訳なさそうに頭を下げるスタッフに「いえいえ、生き物ですから。相性とかありますから」とフェリクスもなんだかいたたまれなくなって、腰を折るしかなかった。
「お前さん、現役の時はどれぐらい稼いでたんだ?」厚治が馬の首元を撫でながらアンポンタンなことを尋ねてみた。
「そいつは競走馬じゃねえっての」とフェリクスが呆れる。
二人が知らなかっただけで、九十九里には見て回れる場所がたくさんあった。
いちご狩りに興じ、昼は絶景のカフェでランチ、午後には道の駅で土産を買いあさり、今はこうして乗馬体験を楽しんでいた。
陽は西に沈み始め、四人は夕暮れの砂浜でくつろいでいた。「さて、と」と厚治は一つ伸びをすると、きっと眇めた目をフェリクスに向けた。
「さてフェリクスくん、これから俺たちは大事な話をしなければならない」
「ああ、今後についての大事な話だな」
厚治の真剣なトーンにフェリクスもゆらりと幽鬼のように立ち上がる。その目は剣呑さを湛え鋭い視線を厚治に絡ませる。
「あの、厚治さん……? フェリクスさん……?」
「女子供は口出しするな」
「そうだぜ。これは大人の男同士の問題だ」
ただならぬ二人の空気に史香はたじろぐが、一方で朝希は呆れたように冷めた目を向けている。
「帰りはどっちが運転するか、じゃんけんで勝負だ!」
即ち、この後の夕食でどちらが酒を飲めるかということだ。
「はえ?」と戸惑う史香と心底呆れ冷めた目を向ける朝希。そんな二人をよそにフェリクスと厚治は殺気にも似た闘気を放出し、ぶつけ合っていた。
「恨みっこ無しだぜ、フェーリャ!」
「来いっ!」
「最初はグー!」
「じゃんけん!」
ぽんっ、と出した手はフェリクスはグー、そして厚治はチョキだった。
「んふははははは! 安全運転でよろしくな!!」
勝ち誇るフェリクス。だが突如、厚治は脱兎の如く駆け出していく。
「あ、てめえ逃げるな!」
「あそこの看板に先にゴールしたら十ポインツッ!!」
「なんだ、十ポイントって!! って待ちやがれこのやろう!!!」
砂を後ろ脚で蹴り上げながら厚治は閉店している海の家の看板目掛けて走っていく。フェリクスも負けじと砂に足を取られながらも、厚治を追跡する。
「なにをやってるのでしょう、お二人は……?」
「ほんっっっっと、男っていくつになっても馬鹿ね……」
「捕まえてごらんなさ〜〜〜い!!」
「ま〜〜ちや〜〜がれ〜〜!!」
「ふはははははははは!!」
「てめえこのやろう!!」
夕日に照らされ煌めく海面を背に、二人の男が渚を駆けてゆく。あまりに必死な形相で。
「史香っ! おい史香ぁ! 〈電磁加速〉! レゾナンス頼む!!」
「史香、呼んでるけど……」
「無理ですよぉ。ここ封鎖都心じゃないですよぉ……」
むさい男二人の白浜での追いかけっこはビーチフラッグの如きダイブでフェリクスの勝利となった。
「よぉーし、ざまぁみろ馬鹿野郎、潔く負けを認めねえから、みすぼらしい敗北を重ねることになるんだアホんだら!」
荒い息のまま砂浜に寝そべるフェリクス。だが勝ち誇った顔を横に向ければ、何故か厚治が雲龍型で四股を踏んでいるのが見えた。
「は? なに勝手に一人で土俵入りしてんだよ」
「第三種目だ。おら立て。でなけりゃ不戦敗だぞ」
「ふっざけんな、いい加減に負けを認めろ!」
「そっちこそ勝負から逃げるのか?」
「逃げるのか? じゃねえんだよ! 勝ち負けはもうついてんだよ! それをなんだお前は! なんで勝手に一人で土俵入りしてんだよ!」
「能書きはいい。俺が勝つまで勝負は続けるぞ」
「お前今年いくつだ!?」
「二十七だ」
「だぁーもー! だったらとことん付き合ってやるよ! てめぇが二度と勝負できなくなるくらい心を折ってやる!」
自棄になりながら跳ね起きると、フェリクスも負けじと不知火型で四股を踏む。両者、見合って見合って立ち会う。
「史香、行司やってくれ!」
「え? いやです」
「おまっ」
史香のあんまりにもあっさりな拒絶に思わず力が抜ける。その隙を見逃さず、厚治が「どすこーい!」とぶちかましてきた。
「はっけよいくらい言えーっ!!」
決まり手は掴み投げ。西日にきらめく水面を背にフェリクスが宙を舞った。
「ちなみにこの一勝で300ポイント貰えます」
「やってらんねー。勝手にしろよ、もう」
砂浜に大の字に寝転んでいたところを立ち上がり、フェリクスはポケットから小銭入れを取り出しながら尋ねた。
「喉が乾いたな。史香ぁ、朝希ぃ、飲み物買ってくるけど何がいい?」
「私、オレンジジュースでおねがいします」
「あたしコーラ!」
「はいよ、それじゃ行ってくる」
「俺もコーラ!」
「てめーは海水でも飲んでろ。飲み放題だぞ」
小銭入れを片手に道路の向こう側にある自販機に向かっていくフェリクスの背中を見送る
「どうだ史香、今日は楽しかったか?」
史香の隣に厚治は腰を下ろすと、彼女の頭を見下ろしながら訊ねた。
「はい! とっても楽しかったです! 海なんて今まで一度しか行ったことなかったですし」
「島根っつーと稲佐の浜か? 沖縄の海はもっと綺麗だぞう」
自分の左腕に嵌められた枷を一度目を落として、房総半島に沈みゆく夕日に照らされ茜色と群青のコントラストで描かれる太平洋を見遣る。
「厚治さんは沖縄の生まれなんですか?」
「お? 言ってなかったか? 実家は沖縄でバーをやっててな。だいたいアメリカ軍基地の連中を相手してた。『Aサイン』って言ってな」
「あの! 沖縄の海って本当に透明なんですか!? わたし、透明な海見てみたいです!」
史香の前のめりな勢いに厚治も苦笑する。
「本当だぞぅ。底の砂まで見えるんだ。近い内に連れてってやるから、みんなで行こうな。絶対に」
夕日に照らされ人影になりながら波打ち際で遊んでいた朝希が、並んで座っている二人の方に駆け寄ってきて史香の隣に座ってきた。
「二人で何話してるのー?」
「朝希ちゃんとみんなとで沖縄の海に行きたいなーって話してたの」
「沖縄! アタシも行きたい!……というか、ここじゃないどこかへ行きたいなー」
朝希のどこか遠い声。海辺に視線を向ける朝希の横顔は、夕陽で陰が刻まれていた。
「アタシのパパとママね、あんまり仲良くなくてね。アタシが小学校入ってからかな。ママは一日中ずーっとインターネットと動画サイトばっかりやるようになったんだ。ほとんどご飯とかも作ってくれなくなって、掃除とか洗濯もあんまり……。陰謀がどうのとか、オルタネーターは侵略兵器だとか。なんか笑っちゃうよね」
笑えなかった。自嘲のような困ったように苦笑いを向けた朝希に史香はどういう顔を向ければいいのかわからなかった。
「それでね、もうパパとママも離婚することになったんだけどね。本当ならパパがアタシと一緒に暮らすはずだったんだけど、ママがアタシを連れて無理矢理引っ越しちゃって、パパとはそれから連絡も取れてない。それからずっとママが怖かった。ママが自分のママじゃないようで……何かに取り憑かれたみたいで……。アタシがエフェクターになった時も、他の子たちの親がすごく悲しんでたのに、ママは凄く喜んでた。『祖国のために働いてきなさい』って……。ママの言ってることは……よくわかんなかった」
横顔に刻まれている陰が徐々に深くなっていく。だがすぐに、朝希は「でもね!」輝きを取り戻した表情を史香に向け直した。
「アツジたちに会ってから毎日が楽しいよ。そりゃあ、オルタネーターと戦うのは怖いけど、それでもママと一緒にいる時の方がずっと息苦しくて気が重かった。アツジとフェーリャは優しくしてくれるし、それにね……」
いつもの彼女らしいテンションの高い笑み。
「史香っていう親友もできたから!」
途端に、史香は顔のあたりが暖かくなるのを感じた。
「わたしも朝希ちゃんと会えて、ほんとに良かったと思ってるよ!」
面と向かって言われるのは、なんだか気恥ずかしかったし、改まって自分で言うのも気恥ずかしかった。たまらず史香は話題を少し逸らしてみる。
「そういえば、フェリクスさんも今日は楽しそうでしたね」
「お、史香もようやくフェーリャのことがわかってきたか」
二人の脳裏にイメージされるのは、眉間に皺を寄せてへの字に口角を下げている、いつものフェリクスのしかめっ面だった。そのフェリクスのしかめっ面も今日に限っては眉間の皺も薄くなっていたと思う。
「でもよフェーリャがあんな風にはしゃげるようになったのは、史香、お前が来てからなんだぜ?」
きょとんとした表情を浮かべた史香に、厚治は白い歯を見せて満面の笑みを向けた。
「俺と出会った時なんか、世の中の全部を憎んで憎んで仕方ないって感じの顔してた。おかげで何回か大喧嘩もしたことあるがな。自分ひとりだけ不幸ですって感じで。それがムカついてな。まあ話を聞いてみたら、そんじょそこらの一般ピーポーに比べれば、結構ハードモードな人生送ってたみたいだしな」
史香の艷やかな濡羽色の髪を軽く撫でて、厚治は言葉を続ける。
「おまけに最初のパートナーのエフェクターの蜜李がとんでもねえジャジャ馬っていうか、傍目で見てて大丈夫かこいつら? って心配したよ。ああ、小島蜜李ってフェーリャから聞いたか?」
「はい。この間もお墓参りに行きました」
史香の言葉に厚治は微かに目を見開くと、それはすぐに微笑になった。
「そっか。墓参り、やっと行けたのか。それは良いことだな……」
感慨深く言葉を紡いだ厚治に、史香はフェリクスが今までどれほどまで傷ついて言葉にならないものを背負い続けてきたのかを、幾分か想像することができた。
「ようやく、二人が上手くやっていけるようになってきたかなって矢先だったよ。フェーリャもそれまでよりも酷い景気の悪い顔をするようになるわ、自分ひとりだけでレゾナンスできるようになったとわかったら、まるで死にに行くような戦い方をするようになるわで、まあ荒れてたよ。それくらいフェーリャの中でも蜜李の存在が大きくなってたんだろうな」
史香は思い出す。初めてフェリクスと出会った日のことを。眠れていないのか倦んだ目とその周りの酷いクマの血の気の失せたしかめっ面に、史香も最初は大いに不安を抱いた。だがそれは、今にも膝を折りそうな自分自身をどうにか保たるために張り詰めていることによるものと、史香にもすぐに理解できた。
「まあ、蜜李に比べれば史香はしっかりものだよ。好き嫌いも無いし、聞き分けも良いしな」
「そ、そんな。わたしなんて全然、フェリクスさんのお役に立ててるかどうか……」
「あいつは絶対お前のことを守ってくれるよ。それは蜜李を守れなかった後悔からっていうのもあるかもしれないが、お前もお前で重いものを背負っている。そんな子供をあいつはぞんざいに扱ったりはしねえよ」
ある日突然、島根の親元から半ば無理矢理に引き離され、会ったことも無い遠い親戚の、今にも死にそうな妖怪じみた老人の養子縁組を強いられ、自分の一族が国家の運営者を排出していると教えられても十歳前後の少女にとっては何の話かも理解できないし、一族の理解のできない運命を一方的に背負わされた。少なくとも自分が政治の世界の道具として扱われていることは理解できたが、両親を人質同然に扱われるような状況など十歳の少女にとっては身に余る現実だ。
そんなくずおれそうな自分が今日の日までなんとか生き抜いてこれたのは、まさしくあの日、自分の手を取ってくれた葉月フェリクスのおかげに他ならない。
「だからまあ、余裕があったらでいいから、フェーリャのこと、くれぐれも頼むよ。あいつマジで瞬間湯沸かし器だから。これだけはなんべん注意しても直らねえ。いいところは顔だけだ」
厚治のあんまりな言い草に史香も思わず吹き出した。
「わかりました! ちゃんと四人揃って沖縄に行きましょうね!」
そうして陽も落ち、見上げた夜空が星の海になった頃合い、待ちに待ったディナーは夜の海の見えるテラスで洒落込んでいた。
「烏龍茶うめー! 烏龍茶うめー!」と厚治に向けてこれ見よがしになってるのを他所に、厚治は地元のクラフトビールを愉しんでいる。
「ビールなら道の駅で買ったじゃないですか、フェリクスさん」
「今! ここで! この気持ちのいいテラスで! 呑みたいの! わかりますか史香お嬢さん!」
「わかりません」
「おいコラ朝希、ちゃんと野菜も食え」
「アタシに八つ当たり!?」
そうして帰路につく頃には、遊び疲れたのかレンタカーの後部座席で史香と朝希は電池切れとなって寝息を立てていた。
ハンドルを握るフェリクスの視界の左側に九十九里有料道路のオレンジ色の水銀燈が流れてゆく。
「で、ぶっちゃけどう思うよ。司が言ってたヤバい話って」
後部座席で眠りについてる二人を見てから、厚治が口を開いた。
「ヤバい話はヤバい話でしかないだろうよ」フェリクスが鼻を鳴らす。
「俺たちを特攻させるって話でも無いらしいがな」
「司はクソ野郎なのは確かだが、俺たちを何か悪いように扱ったことは一度も無かった。言動がムカついて仕方ないが、この点だけは信頼しても良いと俺は思ってる」
フェリクスはちらとバックミラーを見遣り、やはり眠りこけている二人の姿を確認した。
「何にせよ、俺たちのやることは変わらねえ。子供たち守って、最低限の仕事して生き残る。それだけだ」
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