Chapter2 紅蓮悲憤③

「今回の君たちの任務はオルタネーターの撃退と封鎖都心の攻略ではないんだ」

「……ではない?」

 柏の葉にある社会衛生庁調査局所有ビル、いつもの司のオフィスでフェリクスと厚治達の四人はブリーフィングを受けていた。

 史香と朝希は疑問に互いに顔を見合わせた。その一方で、フェリクスと厚治はわずかに目を眇める。

「人探しをして欲しい」

 傍で控えていた深山が四人に一枚のレジュメを渡す。カラーで印刷されたレジュメには一人の女の写真が載っていた。後ろにひっつめた髪に無表情がグリーンの迷彩服の上に乗っかっている。

「藤林凛、三ヶ月前より行方不明になっている陸上自衛官だ」

「またよりによって自衛隊絡み……絶対ロクなことにならねえな」

 フェリクスがぼやくと「うん、マジでその通り」と司が言葉を被せてきた。

「で、自衛隊はまた何やらかしたんだ。この女がどんなアホなことしでかしてくれたんだ」

「擁護すると少なくとも今回は自衛隊組織としての過失は無い。あるとしたらこの女性個人だ」

 厚治に問いに司が答えると、阿波野が説明役を引き継ぐ。

「この藤林凛について説明する前に、みなさんに知っていただきたい事案が一つがあります」

 阿波野が目配せすると、今度は深山が紙袋を一つ持ってきて、その中身をデスクの上にぶちまけた。

 紙袋の中身は六つの手錠端末だった。ところどころ血痕らしき赤黒い染みと塩らしき白い結晶が付着している。

「ここ一ヶ月、オブジェクターが明らかに人の手によって殺害されたと思しき事案が発生しています。これまで犠牲になったオブジェクターは六人です。詳細はそのレジュメの裏側に記載しております」

 言いながら阿波野は手早く六人の顔写真をホワイトボードの藤林とは少し離れた位置に貼り付けていく。

 レジュメをめくり六人の顔と名前を確認するフェリクスと厚治。何人かは見知った顔のものがあり、二人はわずかに顔をしかめた。

「ところで、なんでエフェクターだけが行方不明になったと言えるんだ」

 そう問う厚治に答える代わりに、司は一つの手錠端末を差し出した。二人はそれを受け取り、まじまじと見つめる。手錠端末には付着した血痕や塩だけでなく、よくよく見れば黒く焦げたような煤けた跡がある。

「回収された手錠端末は全てオブジェクターのものだった。それ含めて全部で六つ。エフェクターのものは見つかっていない」

「つまり、そのオブジェクター殺しとエフェクターの拉致の下手人は、この藤林凛ってことになるのか?」

「その確証はどこにあるんだ」

 厚治の問いにフェリクスが重ねる。

「先日、君たちが北千住で救助した自衛隊員……金谷さんたちが話してくれたよ」

 司の応対に阿波野が説明を加えていく。

「彼らの目的はAWOL――脱走兵となった藤林凛陸士長の捜索でした。自衛隊並びに防衛省は我々に情報の共有をするつもりは無かったようで、この件も彼らの証言によって我々も初めて把握できた運びとなります」

「身内の恥は内々で雪ぎたかったってことか。それでこの始末かよ。それで困ったら、俺たちに仕事振るのって、ちょっと都合が良すぎやしないか」

 フェリクスが呆れたように吐き捨てた。

「文句言っても仕方ねえよ。それで場所と手がかりは?」

 やれやれと、鼻を鳴らして厚治が問う。

「これら六つの手錠端末は日暮里、三河島、上野エリアで発見されました。今回、みなさんには上野の恩賜公園方面を捜索していただきます」

 阿波野が二人の前に地図を差し出す。

「エフェクター達が封鎖都心の外へ出たという形跡も確認されていません。六人の追跡性(トレーサビリティ)は松戸及び三郷で最後になっています」

 フェリクスはちらと視線を落として左手首に嵌められたものを見る。手錠端末。オブジェクターとエフェクターの枷。「お前たちに人権など無い」と言うようなこの物騒な代物にはGPS機能が搭載されており、許可なく長距離移動した際には飼い主にたちにアラートが発報する。ただし東京を覆う〝ゆらぎ〟によって、封鎖都市の内側からのGPS信号を捕捉することは不可能であり、封鎖都市内での居場所を掴むこともできない。つまり消息を絶ったエフェクターたちは未だに封鎖都心の中に留まっていることになる。それが生きたままなのか、あるいは死体かは不明だが。

「オブジェクターだけが明確に殺害されたことを鑑みて、今回のこの事案はオルタネーターによるものではなく人間の犯行と断定している。封鎖都心の中で十歳前後の少女たちがサバイバルできるとは到底考えられないからね。おそらく今回の事案の下手人である藤林が囲っていると言える」

 司の説明を耳にしながら、フェリクスは「仮にエフェクターたちがまだ生きていればの話だが」と胸の内でぼやいた。

「そんな下手人に対し『攫ったエフェクターたちを返してください』ってお願いしても、はいそうですかって返してもらえるわけがないよね。そのため、君たちにはこれを着けて任務にあたって欲しい」

 言葉を続けながら、司は黒い腕章を二つ取り出して見せた。腕章にはタスクフォースのエンブレムが刺繍されている。

 タスクフォースではオブジェクターの実力と実績をラベルの色で区分けしている。一番下はブルー。最も実力が高い者たちはレッドの腕章の装着することになる。

 だがそういった実力による区分けとは、また別枠のラベルが存在する。

 黒の腕章を持つ者たち。対人戦闘、あるいははオブジェクター同士の戦闘を想定し担当する〝ブラックラベル〟。

 その任務の性質上、通常の区分けとは別枠で設けられており、ブラックラベルは誰であるかはオブジェクター間では秘匿されている。またブラックラベルとされた者でも対人戦闘以外の任務では通常のラベルをあてがわられている。対人戦闘あるいはオブジェクター同士の戦闘を想定した任務の時でのみ、その黒い腕章を装着することになる。

 さしづめ、処刑部隊である。

 そしてフェリクスと厚治の二人もまた、レッドラベルともう一つ、このブラックラベルを持つ者たちであった。

 阿波野は二つのジュラルミンケースを手にしていた。司から黒い腕章を受け取ると、腕章とケースを二人に手渡した。

「ちっ、こんなものまでしっかり渡してきやがって……」

 フェリクスはケースを開けると、中にはウレタンに包まれたハンドガン・グロック26が収められていた。

 鈍い漆黒のその暴力装置を目にして、史香は凍りついた。

「藤林凛の捜索と身柄の確保。それに加えて彼女が拉致したと思しきエフェクター達の捜索と救出。これが今回の君たちの任務の目的だ」

「つまり、アンタは史香と朝希にその藤林とかいうチャイルドモレスターを誘い出す為の餌になれって言ってんのか」

 非難するようなフェリクスの棘のある声音。

「そうは言っていない。ただ封鎖都心を捜索するにあたり、オルタネーターとの遭遇は当たり前のことでしょう?結果としてエフェクターを連れ添う必要があることに変わりは無い」

「詭弁だ、そんなもん」

 フェリクスが吐き捨てる。

「フェリクスさん、わたしは大丈夫です」

 まっすぐな瞳と力のある声で史香が答えた。だが、それを戒めるようにフェリクスが鋭く反論する。

「お前は初めてだからそんなこと言えるんだ。今度の相手はオルタネーターじゃない。人間だぞ」

「今回の目的は生け捕りだが、最悪の事態も考えられる。これがどういうことか、史香なら理解できるはずだ」

 フェリクスの言葉に厚治も続く。

 史香が厚治の方を見れば、隣の朝希の表情からもいつもの勝ち気な様子が失せている。過去にも経験はあるのだろう。オルタネーターのような怪物退治ではない。最悪、人間同士の殺し合いにまで発展する。

「まあ、ここで俺たちがあーだこーだ言っても、もう決定事項なんだろ。わかってるよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」

 どちらにしろ、これも任務であり、そして命令だ。どれだけフェリクスと厚治が文句を垂れたところで、朝希が拒絶の意思を露わにしたところで何も意味は無い。フェリクスは横柄な態度で聞こえがしに深くため息をついてみせた。

「あなたねえ! 前々から思ってたけど、その態度は何なの!? もう少し……」

「……もう少し、なんだ?」

 大仰に首をぐるりと巡らして、眉根を寄せた

「大人しく黙って命令を聞けってか? 俺たちはいつ軍人になったんだ? 確かに命令は聞いてやるが、文句も言わせてもらうぞ。なんつったって、お国から人殺しを命じられてんだ。これが憲法で保障されてる人権の侵害に他ならねえだろう。それに今ここで……」

 目にも留まらぬ速さで閉じたジュラルミンケースを素早く開き、グロックを手に取るとその銃口を司に向けた。

「癇癪起こしちゃって、こーんなことしちゃうかもしれないだろ?」

 驚きに青ざめた顔をしたのは深山だけではなかった。

「フェリクスさん!」史香の咎めるような鋭い声。

「大丈夫だよ。セイフティにもトリガーにも触れていなかった。弾も装填されていないはずだよ」

 司の声音は微塵たりとも動揺しておらず、また身じろぎ一つしていなかった。

「なーんてな。よく見えてるじゃねえか。冗談だよ、史香。そんなに怒るなって」

「やっていい冗談と悪い冗談があります!」

「ごめんて」

 史香の叱責にフェリクスは苦笑いを返すが、硬直した深山に再び振り返ると生硬い目を向ける。

「口の聞き方に気をつけろってか? そりゃこっちセリフだ。自分で志願してきた自衛官や難しい試験を突破してきたお前ら官僚と違って、俺たちはほとんど無理矢理に東京まで連れて来られて、生きるか死ぬかの目に遭ってんだ。それともお前もなにか? そこらのクソボケどもと同じようにオブジェクターやエフェクターをヒトモドキだ何だと思ってやがるのか? まるで三浦みたいなこと言いやがるな。知ってるか、三浦峻平って?」

「そ、そんなことは……」

 助け舟を求めるように深山は厚治に視線を送る。

 だが厚治も冷えた目を深山に向けていた。この男もまた、フェリクスが銃口を司に向けた時も微動だにしていなかった。

 深山は息を呑んでふらふらと引き下がる他なかった。うなだれた深山を「まあまあ」と阿波野が肩に手を置いてなだめる。

「でもよ、俺たちの射撃の腕前は知ってるだろ? 動く的に当てられたのは一回しかないぞ」

 グロックをケースに仕舞いながらフェリクスがこぼす。

「お守りみたいなものだよ。大きな荷物もならないでしょ」

 史香が一つ大きく息をついて、毅然とした鋭い目と言葉を突き刺すように司に向ける。

「司さん、一つ質問があります」

「何かな?」

「こういったルール違反をした人間を罰する専門のチームは無いのですか? どうしてフェリクスさんたちがこんなことをしなければならないんですか?」

 一息でまくし立てると、史香はきっと唇を真一文字に固く結ぶ。そんな史香の姿に司は困ったように眉根を八の字の寄せる。

「君の疑問も最もだ。たしかにそういうチームは必要だね」

「でしたら……!」

「過去にはそういうチームはいたにはいたんだけどね」

 過去形で語られる存在。それがどのような末路を迎えたのか想像がついてしまう程度に史香は聡明だった。

「君も知っての通り、タスクフォースは慢性的に人手不足だ。申し訳ないけど、実力の高い人間に兼任という形を取らせてもらってる」

 まだ納得のいかないといった鋭い目を向けてくる史香。

「……史香の手前だ。貸しにしとくからな」

「無論だ。何か困ったことがあったらまた相談しに来て欲しい。可能な限り叶えてあげるから」

 肯定の沈黙。それがミーティングの終了を示していた。各々が渡されたレジュメをファイルに収めて帰り支度を始めた。

「ああ、最後にもうひとつ」

 席を立とうとしたフェリクスたちを、司が思い出したかのように呼び止めた。

「六人目の死亡は今日朝一で入ってきた情報でね。実はまだ忙しくて、防衛省と自衛隊にも情報共有はできていないんだ。もしまた現場にのこのこ出てきている自衛官さんに鉢合わせきたら気をつけてね」

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