Chapter2 紅蓮悲憤②
司達の乗ったレクサスが高速道路で帰路についていた。
新東京外環自動車道。〝7・24〟で東京二三区が封鎖されて以降に建造された従来の外環自動車道よりもさらに回り道しJR武蔵野線と並行する形で千葉から埼玉を経由し、立川、横浜を結ぶ高速道路だ。
ほとんど突貫とも言える急ピッチの建設工事により、昨年開通したが途中のパーキングエリアはほとんど開業されていない。とりあえず道路だけ開通させて、その他の施設は後回しといった体ではあるが、このおかげで関東地方の物流の滞りは多少なりと解決はされた。
ハンドルを握っているのは司だった。大抵はこういった場合は部下が運転するのが日本の企業や役所ではあったが、司は自分で運転したがる方だった。「ストレス解消にもなるし、そんな古い慣習は下らないからねー」とのことだ。
深山は助手席で陰山から受け取ったレジュメに目を通していた。
「彼女が話に聞いていたジャーナリストですか。もっと剣呑な雰囲気だと思ってましたが……それにしても短期間でこれだけ確度の高い情報量、さすがですね」
「君がもしこの業界で生き続けるというなら、彼女と懇意にしておいた方が良いよ」
「情報提供者としてはとても有能ですからね」
「それもあるけど、彼女、無差別だから」
「む、無差別とは?」
深山がオウム返しで訊き返す。
「スキャンダルで狙い撃ちしていく相手を選ばないんだよね、陰山さん。政治屋相手にしても与野党問わずどれだけの代議士先生やその秘書が寝首をかかれたことやら。小さな自治体の地方議員でもお構いなし。官僚、司法、公務員、経済界、文化人、活動家、大学教授、もう見境なしの撫で斬りだよ」
「そんな無茶苦茶やって大丈夫なんですか? 一体、何が目的なんですか?」
「目的なんか皆目わからないし、大丈夫じゃないでしょ。そもそもフリーランスなんだから記者クラブにも属せないのに、一体どこから情報を仕入れているのやら」
官邸の記者会見に臨めるのは基本的に記者クラブに属した記者のみであり、その記者クラブも新聞各社、または大手出版社社員の記者でなければ属せないと、非常に閉鎖的だ。
「裏で彼女に情報を流してる連中がいるのでしょうね」
「あの娘、マスコミの中じゃ密かにファンが多いみたいだから」
「扱いづらい人ですね……」
「ご機嫌を損ねないようにね」
深山が「まったく……」一つ深く息をつくと、ふと何かを思い出したかのように言葉を続けた。
「ところで、あの隣にいた男は仕事なんですか?」
「新崎さんね。新崎悠矢。彼女のボディガードだよ」
「あぁ、なるほど」深山は腑に落ちた。それだけ権力者相手に無茶苦茶をやらかすジャーナリストのことだ。暴力沙汰までになるのは珍しいことではない。
「私は目の前で新崎さんが活躍するところを目撃したことがあるけど、いやあ、ジェイソン・ボーンもかくやってほどだったね」
「元自衛隊員とかだったんですか?」
「いや、以前はシマダでオブジェクター向けの武装のテストとオブジェクター相手にインストラクターをやってたみたい。それより前の経歴は全然わかんない」
シマダディフェンシブツールズ。オブジェクターとエフェクターが使用する装備の生産と販売、そしてオブジェクターやエフェクターに対してのサバイバル術や戦闘技術のレクチャーを委託されている企業である。
「オブジェクターでは無いのですね。そうであってくれれば、どれだけ活躍してくれたことか」
「そういうこと、間違えても彼の前で口にしちゃ駄目だよ。殺されるよ」
深山が浅慮に口にした言葉を司が咎める。
「戦いたくなくても戦わされる人もいれば、戦いたくても戦う力が無い人もいるんだよ」
司達と分かれて昼食に寄った立川の店が来月には移転のため閉店するとのことで、陰山と新崎は膨れた腹と少しの寂しさを抱えて店を後にすると、車をさらに西へと走らせた。
「まさか仔鹿亭が来月で移転するとわねー。なんか哀しいなー」
「仕方ないだろうよ。東京がこんな有様じゃあな」
東京都新都心市八王子区。
東京二十三区内は完全に封鎖されたため、首都機能は西東京の各地へと移転された。〝7・24〟の直後は立川予備施設を暫定的に日本政府の中央拠点とされたが、首都機能の本格的な移転にあたり政府と東京都は八王子を中心とした多摩区域に新たな特別行政区『新都心市』を編成した。
各中央省庁などの公共機関は既存のテナントに移転している。。
そして陰山の事務所もここに居を構えていた。
二人の車が八王子に入ったあたりで、遠くでは何やらマイクでがなり立てる声が聞こえてきた。駅前に差し掛かる頃には、その喚き散らしている者たちの隊列もちらほらと見かけるようになってきた。
「いつもいつも飽きねえな」
「よくやるよねー」
赤信号で止まるとハンドルを握る新崎と助手席の陰山が同じ方向に視線を向けて、騒ぎ散らしている連中のパレードを眺める。
「少女たちを戦わせるなー!!」
「今こそ日本を! 東京を取り戻す時だ!!」
「エフェクターの少女たちを崇めよっ!! 彼女たちこそがこの惨状をお救いになる救世主となるのだっ!!」
「オブジェクターは日本から出ていけー!!」
「エフェクターは日本から出ていけー!!」
「審判の時は来たッ!! 我々は許しを乞わねばならないっ!! 〝7・24〟はまさしく神の怒りの鉄槌であり、オルタネーターこそ神の御使いなのであるのだ!!」
やかましくがなり立てられる中身の無い主張はいくつかあった。
この手の騒ぎは八王子では日常茶飯事だった。陰山も新崎もまだ東京が健在だった学生の頃、似たような乱痴気騒ぎを新宿駅の西口ロータリーで見たことがあるなと思い出した。
オブジェクターやエフェクターの少女に対し謂れのない流言飛語が蛆の如く湧くのは、人間が決して克服できない愚かさ故の当然の帰結だった。
曰く、DNAや遺伝子に欠陥があるから。曰く、人間的に欠陥があるから。曰く、愛国心が無いから。曰く、脳の仕組みからして奇形児だから。曰く、男に媚びた女だからうんたらかんたら。だいたいまとめると、どれもそのような具合だった。
オブジェクターやエフェクターになるような者など、非道徳的で汚れた人間なのだ。だから東京を取り戻すために、命を張れ。その身を捧げろ。死んで役に立て。自らを普通の日本人と称する誰しもが胸の内でそのような黒い感情を抱え、その呪詛を撒き散らす。大抵が日本を守るためとか、祖国を守るためなどとおためごかしや言い訳を付随させて、呪いを吐き散らかしている。
一方でオブジェクターとエフェクターの保護を求める者もいる。だが彼らとて具体的な手法を何も提案することもなく、ただ声高に人道主義を叫んでいるだけだった。何より、オブジェクターとエフェクターを保護するのであれば、封鎖都市の対処はどうなるのかという問題もあるというのに、その点に関しては無責任に目を背けるばかりだった。
他方、逆にエフェクターの少女達を崇拝する者達も現れた。この東京を、世界を救う救世主。あるいはこの惨状を招いた人類達に裁きを下す神の御使いとして、少女達の心情も何も考慮などもせずに好き勝手に畏怖していた。そんな彼らの脳内ではオブジェクターはエフェクターの眷属であるという設定らしい。
この手の連中が騒ぐのは、ほとんどが八王子であった。それよりも東部、特に最前線である吉祥寺といった武蔵野市には決して踏み入れなかった。むしろこの手の騒ぎはインターネット上の方が過熱している。SNSではフリーの社会学者だのジャーナリストだの新聞記者だのどこぞの大学教授だのと名乗るどこぞの馬の骨かもわからない連中と、アイコンやハンドルネームに日の丸の絵文字を書き加えている連中が日がな一日罵り合っている。女尊男卑思想を政治的正しさなどという戯言で包んで、自らの正義で他人を屈服することに夢中な〝政治的に正しい〟とされる者。SNSという他人と繋がりやすい場で他者という存在に対し、無差別に憎悪と嫌悪をぶつけたくて仕方のない者。一部の人間にとっての便利な道具に過ぎなかったはずのインターネットは、現実の延長線上という存在に変貌し目も背けたくなるような浅薄で醜悪な言葉にまみれていった。
結局、声のでかい連中は安全地帯で自分の主義主張を喚き散らして自己の承認欲求じみたものを満たしたいだけに過ぎなかった。
そんな人間たちの見るに堪えない小競り合いが現場の人間たちに、オブジェクターとエフェクターに何らかの良い影響を与えたことは皆無だった。
ぱちぱちとオリーブオイルが弾ける音と香ばしい香りに満ちたキッチンで、フェリクスはフライパンと対峙していた。その真剣な眼差しはフライパンの中の黄金色の溶き卵に注がれている。
卵は熱を通され半熟となっているふわとろのベストな状態だ。その上にケチャップで赤く染まったチキンライスを乗せると、差し込んだフライ返しを手前に起こしながら卵を「ほいっ」と持ち上げ、チキンライスにそっと被せた。
我ながら見事な半熟具合だと思えた。固くもなく柔らかすぎることもなく黄金色に輝いている。出来上がったオムライスを皿に盛り付け、ジグザグにケチャップを適量かけて、最後にパセリを軽くまぶして完成。
テーブルでワクワクを抑えきれていない史香の前に湯気を立てる出来たてのオムライスとコンソメスープを差し出すと、史香は待ちきれなかったとばかりに「いただきます!」とお行儀よくスプーンを手にした。
「フェリクスさんの分は?」
「今自分の作ってるよ。先に食べてな。どうだ? 口に合うか?」
手慣れた手付きでもう一回、溶き卵をフライパンに流し込んでいみながら、ちらと背後で史香に尋ねてみた。一口目を口にした史香がにんまりと破顔する。
「ちょっと味が濃いけど、とても美味しいです!」
「そっかー。味濃いかー。ケチャップ入れすぎたか」
「でも卵がふわふわで、美味しいです!!」
「そっかそっか」と視線をフライパンに戻したフェリクスの表情も綻んでいた。が、それもすぐに焦りの色に変わる。
「あ、やべ。焦げた。だぁーっ! 卵破れたーっ」
オムライス作りも随分と手慣れたものだった。だが、目の前の少女はフェリクスのオムライスを食べるのは今日が初めてだ。出来上がった少し焦げ目がついて不格好な自分のオムライスを口に運んでいく。
そっか。味濃いのか。塩胡椒とケチャップ、もう少し減らすか。蜜李とは味の好みが違うんだな。そう胸の内に留めながら、フェリクスは烏龍茶を呑み下していた。
自分を見ているようで、別の人間を見ているような遠い目を向けてきているフェリクスに史香は「どうかしましたか?」と首をかしげる。
史香とパートナーを組んでもうじき四ヶ月になろうとしていた。多少はまだ互いに踏み込めていない距離はあったものの、概ね良好な信頼関係は築けていると思えた。
別に子供が好きだからとか、博愛主義に目覚めたわけでは無い。
受けた痛みや非道を耐えるのでも立ち向かうのでもなく、ただ自分より弱い者を捌け口にして晴らす。そんな下劣な連中と同じことをしたくないから。ただそれだけだった。
結局のところ、かつてのパートナーだった蜜李や史香に手を差し伸べたのもフェリクスにとっては自分自身のための行いだったのかもしれないと自覚している。それを偽善とも言うのかもしれない。
だが、オムライスを平らげて「ごちそうさまでした」と手を合わせた史香の姿に、きっとこれで良いんだ、とひとまずは自分に言い聞かせることにした。
「はい、おそまつさまでした」
食事を終えて食器を手早く洗うと、フェリクスは史香と一緒にキッチンの一角に置いてあるダンボールの中身を広げることにした。
今朝方届いたダンボール。送り主の名字には金築と記されていた。つまりは史香の生みの両親だ。
無論、ダンボールは一度開封されて中を検められた形跡があった。
ダンボール箱の中身は明らかに史香の好物と思しきお菓子などだけでなく、コーヒーといった大人向けの嗜好品までもが詰め込まれていた。
果たして史香の両親は、どのような想いでこの荷物を詰めていたのだろうか。どうして自分の娘の命を預けられるどこの馬の骨かも知らない人間のことさえも慮ることができるのか。
「史香、ハリボー好きか」
やたら大量に入っていたご機嫌な熊のキャラクターが印字されたパッケージのグミを手にしてみる。「えへへ」と恥ずかしげにはにかむ史香。その笑みを見て、「後で俺にも一個くれ」とフェリクスも思わず頬を綻ばせる。
携帯端末の着信があったのはその時だった。格安SIMを突っ込んだだけの中古のガラホ。誰が電話をかけてきたのかわかっているのか、「なんだあのオバサン、俺たちの任務は明日だろ」とぶちぶち文句を垂れた。
オバサンと言ったことは内緒だぞ、と史香に向かって人差し指を立てて唇に当てながら、フェリクスはようやく電話に出た。開口一番「何の用だ」と不躾な固い声を吹き込んだ。
《休日に申し訳ない。今から二時間後に柏の葉に来れるかな?》
全くもって申し訳ないとは思っていないだろう、聞き慣れた女の声。
彼女の声と同時に左腕の手錠端末のアラートが鳴る。ToDoリストがアップデートされた音だ。傍にいた史香の手錠端末にも同じアラートが鳴る。「来れるかな?」と口では尋ねておきながら、実際は行動を制限し強制してくる。司千歳という女の悪辣さに、フェリクスは電話越しに聞こえるように大きく舌打ちして返事をすることもなく通話を切る。
「史香、しばらく食休みしたら出かける準備をしよう」
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