Chapter1 死に損なった都市⑤

〝7・24〟以降、壊滅し封鎖された旧二十三区に代わって八王子を中心として多摩地域平野部に日本の行政機関が移転されていた。

 東京都新都心市八王子区。未練がましく〝新霞が関〟と新たに改名された官公庁街。その一画に外務省のビルがあった。

「わざわざ千葉からご苦労だね。深山さん。ぐるっと埼玉から回り道して来ないといけないから大変でしょう」

 深山は自身の所属する日米安全保障条約課対東京特別対策室室長を務める男と会議室で対峙していいた。室長から「仕事は慣れたかい?」と他愛もない近況報告を行っていた。

「調査局の司千歳の話はかねがね聞いてるよ。なかなかの曲者でしょう」

 苦笑しながら室長がひとつの封筒を差し出した。

「さて、これを司さんに届けてほしい」

 子供のお使いかと内心零したが、室長の纏う空気と語気が変わったことに、深山はわずかに困惑に眉根を寄せる。

「別にこの程度のお使いは私が自分でやればいいだけの話だが、君にはこれから社会衛生庁との架け橋になってもらいたいものでね。まあ、これは地道な信頼関係の構築のための作業だよ」

「……メールでは駄目なのでしょうか?」

「メールではどうしたってログが残るからね。物理的に運ぶ分には色々とごまかしが聞く」

 室長の目が眇められ、急に剣呑なものに変貌する。

「もちろん、君が目を通していい代物ではないし、失くすようなことがあっては君だけではなく我々の何人かのクビが飛ぶ。よくよく注意するようにね」

 物騒なことを軽い口調で言ってのける室長にひきつった微笑で返して、深山は外務省ビルを後にした。

 封鎖都市と呼ばれるかつての東京都旧二十三区はその名の通り封鎖されているため、東京都西部から千葉方面に戻るためにはJR武蔵野線でぐるりと埼玉から回り道をする必要がある。

 首都圏の鉄道が閑散としてるのも、もう普段の光景となっていた。

 深山はブリーフケースからレジュメを取り出す。クリアファイルに収められたレジュメは、外務省から社会衛生庁に出向を命じられた際に渡されたマニュアルの一つだ。マニュアルと言ってもオブジェクターとエフェクター、そしてオルタネーターはどんな存在なのか、現在の封鎖都心はどのような状況なのかをまとめたものであり、偏った報道やネット上のデマを丁寧に取り除いた、事実以上のものは無い。

 だがそれにしても、〝7・24〟以降に生まれたオルタネーターをはじめとした存在には未だに現実感が湧かない。

 オルタネーター。2020東京オリンピックの開会式の最中に発生した超大型地震と共に地の底から現れた異形の存在。その姿はアナログテレビの空きチャンネルに走っているスノーノイズを切り取ったようなものであり、目にした者に根源的な恐怖と不安を与える外見をしていると言われているが、その姿をどういうわけかカメラに捉えることができないというので簡素なスケッチの挿絵だけがある。

 そしてこのオルタネーターには一切の通常兵器が通用しない。銃で撃ってもナイフで切っても爆弾で焼いて爆破しても、大質量ですり潰しても全く手応えが無いという。以前、フェリクスも口にしていたが、理論上では核熱も通用しないとも証明されている。

 その正体不明の不死の異形に唯一対抗できる存在がオブジェクターとエフェクターだ。

 オルタネーターと同じく〝7・24〟以降に突如現れた異能の存在。一種の超能力のような超常の能力の使い手。彼らの人智を超えた異能によってオルタネーターを打ち倒し、消滅せしめることができた。

 だがオブジェクターとエフェクター、どちらかが欠けてはオルタネーターに立ち向かうことはできない。両者が二人一組で揃って、初めて人を超えた身体能力と異能を発揮し、そしてオルタネーターを倒すことができる。

 オブジェクターとなる者は身体的に成人している男女問わずだった。一応、何故か東京から離れた人間ほどなりやすいという傾向はあったが、あくまでそれは傾向でしかなかった。

 だがエフェクターとなり得る人間は、どういうわけか十歳から十二歳の少女に限定されていた。

 この文面を目にする度に、深山は目眩を感じる。

 言うなれば今の日本政府は、年端の行かない少女を死地に向かわせているに他ならない。

 こんなことをして問題が起きないはずも無い。実際、国内外において幾多もの社会問題が噴出しており、マスコミとインターネットを毎日騒いでいる。

 いや、そもそもそれ以前に――。

 社会がどうの以前に、人としておかしい。

 正視に耐えない事実から目を逸らすかのように、ふと、深山はレジュメから顔を上げる。列車の窓外、旧二十三区の方角には淡い光芒のような〝ゆらぎ〟が差し込んでいるのが見えた。

 この〝ゆらぎ〟は封鎖都市と近隣三県の県境、そして東京西部に降りている境界線だった。こちら側の通常の世界とあちら側の封鎖都市という異界を隔てる境界線。あの〝ゆらぎ〟を超えて通信を行うことは不可能であり、〝ゆらぎ〟を通過する際に一切の電子機器は一時的に機能しなくなる。また光学的にも異常が確認されているため、一度、護衛艦による砲撃するなりミサイルを撃ち込むなりの検討がされたようだが誤射する可能性が大きいということで取り止めになった経緯もある。

 少女たちを死地に向かわせてまでして、そこまでしてこの国は旧二十三区を――あの狭苦しい東京を取り戻したいと言うのか。

 だって今の日本は、東京無しでもなんとかやっていけているじゃないか。

 そう考えてしまうのは、国家と国民に奉仕すべき官僚として――いや、この国に住む一人の人間として間違っているのだろうか。


 柏市場近くにある中華屋〝龍苑〟でフェリクスたち四人は食事をしていた。

 店内のテレビではワイドショーが流されており、門外漢でしかないコメンテーターが、偏見と浅慮にまみれた考えなしのコメントを恥ずかしげも無く垂れ流していた。

 その中の一人、スーツの襟に議員バッジを付けた小太りの眼鏡の男が御高説を垂れていた。

 三浦峻平、とテロップが表示されたこの男は与党の新人参院議員だった。

《今からでも法改正をして、オブジェクターとエフェクターを自衛隊の指揮下に入れるべきです。これは東京奪還作戦に赴いている自衛官たちを保護する側面もありますが、東京奪還という重大な責務にあたるのに際し、自衛隊以外の存在にどうして任せられるんですか。オブジェクターとエフェクターなどという得体の知れない連中はまともに言うことを聞かない、新たに設立された社会衛生庁なんてものは縦割り行政の象徴と税金のムダでしかない。それにオブジェクターには東京奪還に積極的ではない思想を持つ者も多いらしいと言われています。そんな連中が我々の理解を超えた力を持ってるんですよ。もしかすると、オブジェクターとエフェクターが我が国と日本国民に反旗を翻すかもわからないじゃないですか!》

 それができるならとっくの昔にやってる。フェリクスはかた焼きそばを口に運びながら、胸の内で吐き捨てる。

 第一、自衛隊が封鎖都心内で行動する際は自分たちオブジェクターとエフェクターも護衛についていくし、社会衛生庁を設立したのも三浦が所属している現与党だ。隙あらば虚言を垂れ流されてはかなわない。

 この三浦という男、元々はお笑い芸人だったようだが大した芸もトークもできない一方で、コンビを組んでいた相方は映画監督を務めたり、俳優やクリエイターとしても活躍するようになっていた。こういった点に関しては芸能にはほとんど興味の無いフェリクスにとってはよく知らない話でしかないが。

 だが、SNSと動画配信を始めると恥も外聞も無く「外国人は日本から出ていけ」などと喚き、徐々に耳目を集め始めた。それがなぜか論客と呼ばれ持て囃され始めた。

 そんな下衆でも客寄せパンダにはなれると踏んだ与党が選挙出馬を打診し、三浦もそれを了承した。日の丸を振り回し「国を愛している」とのたまいながら、その実、排外主義者でしかない芸も面白くも無い芸人はかくしてタレント議員として生き延びる光明を見出すことができた。

《彼らのような存在が明らかになり、特別立法を施行し、東京奪還計画が開始してから三年が過ぎました。にもかかわらず、目立った成果は上げられていません。こんなの、得体の知れない彼らの怠慢に他ならないでしょう! 舐められているんですよ、我々日本国民は! そのうちあのヒトもどきどもはオルタネーターの撃退と東京奪還という責務を放り出して、我々日本人にいつ牙を剥くかもしれないんですよ! そんな不届き者たちを抑える役割としても、自衛隊を――》

「まーた、こいつはこんなこと言ってんの」

 おばちゃんがテレビを見上げながら呆れたように肩をすくめた。

「人もどき」だの「化け物」などと口汚く罵る様をお昼の生放送のワイドショーに乗せて憚らない程度に放送倫理も腐敗しているのが現状だった。無論、それがインターネットを騒がせるのだが、それも2、3日でタイムラインから消え失せ、また新しい火種で盛り上がるだけだの話だった。

「おばちゃん、チャンネル変えていい? せっかくの大将の飯がまずくなる」

 そうだったね、とおばちゃんがリモコンを厚治に渡すと、とりあえずNHKにチャンネルを回した。両国国技館の土俵が画面に映る。

「相撲中継はいいもんだ。垂れ流してても毒にも薬にもならねえからな」

 テレビに目を向けないまま、餃子を口に運ぶフェリクス。

 店の引き戸が開かれたのはその時だった。馴染みのパンクファッションの女が現れた。

「おばちゃーん、お久しぶり。とりまビールで」

 注文しながら菖蒲は別の席から椅子を持ってくると、フェリクスたちのテーブルについた。

「史香ちゃーん、朝希ちゃーん、おひさー」と二人に手を振る菖蒲。

「あんた、まだ昼間だぞ」フェリクスは呆れたように眉根を寄せる。

「いいじゃん。明るい内から呑むビールほど美味いものはないでしょ。ほら、梨乃も座りな」

「珍しいな……二人一緒だなんて」

 彼女の背中に隠れるように園部梨乃の姿に、四人は僅かに目を丸くした。

「一緒に住むことはまだしないけど、日中は一緒に過ごそうってことになったんだ」

 こくこく、と梨乃が頷く。フェリクスは薄く頬をほころばせた。

「そっか。それは良かったな」

 おばちゃんがテーブルに瓶ビールを寄越す。なぜかグラスは3つあった。

「ちょっとー、あたしが注文したんだけどー」

 フェリクスは瓶を受け取って科戸のグラスに黄金色に弾けて輝く中身を注いでやると、自分と厚治のグラスにもビールを注いでいく。

「ご相伴に預からせてもらうよ」

「一人で呑んだって楽しかねえだろうよ」

 へっへっへ、とニヤける二人に菖蒲は「割り勘だかんねー」とビールをもう一本注文した。

「フェリクスさん、お酒はしばらく飲んでなかったじゃないですかっ」

「その〝しばらく〟が終わったので飲むんです~」

「んもうっ」

 久方ぶりにこれ以上ない程に美味そうにアルコールを飲み下すフェリクスに史香は呆れる。

「梨乃は何食べるの?」

「……ジュースとチャーシュー麺」

 ぼそりと口にする梨乃。普段フェリクスたちが目にする梨乃の姿はいつもうつむきがちだったが、今は顔を上げてどことなく暗さも薄らいでいる。

「でも、いい傾向なんじゃないか? 日中だけでも一緒に過ごせるようになったのは」

 ちびちびとビールを舐めながら厚治が言う。

「梨乃、久しぶり!」

「こんにちは、梨乃ちゃん」

 やはり同年代には気を許せるのか、史香と朝希に挟まれて梨乃も少しはにかむ。

「梨乃、今度みんなで史香の家に遊びにいこうよ!」

「おいこら、朝希。遊ぶのはいいけど、なんで勝手にウチに決めるんだ」

「だって、フェーリャと史香の家が一番広いじゃん。史香、あたしゲーム持ってくるね!」

「あのなあ……」

「駄目ですか? フェリクスさん」

 史香の上目遣いの瞳に、さすがのフェリクスもため息をつく。こうなったフェリクスは降参したことを史香は知っている。控えめで小学生とは思えない落ち着きと分別がある史香だが、時たま見せる無自覚であろう子供らしい面を見せることもあった。時折見せる史香のそういった歳相応の様子にフェリクスは一抹の安堵感を覚える。

「よぉーし、じゃあフェーリャのとこで呑み会だな!」

 にんまりと色黒の肌に白い歯を向けた厚治。

「お前らもついてくんのかよ! だったら飲み食いする物はお前らが準備しろよ」

「わーってるって。いちいち言わなくてもよ」

「そんじゃ、日取りは次のあたしと葉月の任務が終わってからでいいかな?」

 菖蒲の言葉に、フェリクスは疑問の目を向けた。

「あれ? 訊いてないの? 今度の任務はあたしと一緒だよ。多分、正式な情報共有は明日じゃない?」

「内容は聞いてるか?」

「インフラ敷設する自衛隊の施設科のお守りだって」

 ふーん、と適当に頷きながら、フェリクスはビールのおかわりをコップに注いでいく。

「じゃ、お前らが仕事してる間に俺が買い出しに行ってきましょうかね」

 そう言って厚治はコップの中身を一息で飲み下した。

 おもむろにおばちゃんがエビチリと餃子をテーブルの上に差し出したのはその時だった。

「あれ? おばちゃん、これ頼んでないよ?」

「それ、ウチからのサービス! また任務なんでしょ。これ食べて元気つけてね! みんな無事に帰ってくるんだよ!」

 フェリクスが尋ねると、おばちゃんがにこやかにそう返す。厨房の方を見れば、奥で禿頭の大将がサムズアップしてみせる。

「ウチは出前はやってないけど、今回は特別にやってあげる。飲み会の時に電話かけてちょうだいね」

「そいつはありがたいねえ」

 菖蒲はアルコールのせいもあって表情を緩ませた。

「このままさー、何事も無く梨乃と一緒に任期を終えたいなーって、本当にそう思う」

 瞼の垂れた視線は梨乃たち三人に向けられている。

「だったら、まずは次の任務を無事に終えることを考えなきゃな」

 厚治が瓶ビールを持ち上げて、菖蒲のコップに中身を注いでいく。

「じゃ、今日は激励会ってことにするか! おばちゃん、ビールもう一本!」

「もう! まだ呑むんですか、フェリクスさん!」

 

 八王子の外務省から柏の葉に戻ってきた深山は室長から託された封筒を司に渡した。深山は席を外そうとしたが、「あぁ、いいよ別にここにいても」と司が引き止めた。

 司はペーパーナイフで封筒を開封すると、中のレジュメを取り出して目を通し始めた。封筒に入っていたレジュメの枚数はそれほど多くは無かった。

「あぁそうだ。深山さーん、灰皿用意してくんない」

 司は煙草吸ってたかと疑問に思いながら灰皿を差し出すと、司は目を通した傍から書類に百円ライターでで火をつけていった。おどろく深山に微笑を向ける司。

「メールじゃなくて紙でやり取りする理由、わかりました?」と傍で控えていた阿波野が柔らかに言う。

 メールではログが残ってしまうから手渡し。読んだそばから灰にしていく。そんな必要のある書類を自分ごときが運んでいたのか。

 そして、燃やさなければならないその書類の中身は……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る