Chapter1 死に損なった都市④

 社会衛生庁封鎖都心調査局。それがフェリクスたちの飼い主のとも言える機関の名だった。

 七年前の二〇二〇年七月二十四日、後に〝7・24〟と呼ばれる大災害とその被害、そして人間が立ち入れなくなった東京都旧二十三区への対策と課題解決を一本化させるために設立された中央省庁である。

 だが結局のところは、防衛省、警察庁、復興庁、その他といった組織同士の縄張り争いと責任のなすりつけ合いに新参者が現れたというだけの結果に終わった感が否めないのが官僚たちの所感だった。

 それでも社会衛生庁が旧二十三区の対処の主軸になり得たのは、一重にオルタネーターに対抗し得る資質を持った人材、オブジェクターとエフェクターの登用と運用――あるいは徴用――に法的観点から最も適していたからと言える。

 千葉県柏市柏の葉。

〝7・24〟の後に東京大学柏の葉キャンパスは移転し、残された跡地と施設を社会衛生庁が接収した。

 その東京大学の刻印がまだ消されていない社会衛生庁封鎖都心調査局千葉方面統括本部の施設のエントランス、一人の少女が腕組みをし立ちふさがるように待ち構えていた。

 東雲朝希だ。活動的なツインテールを揺らしながら声を上げた。

「遅いわよ、フェーリャ! 史香!」

 朝希の隣には浅黒い肌をした長身の男――喜屋武厚治が立っていた。

「よう、おはようさん」

「すまん、待たせたな、厚治」

「おはよう、朝希ちゃん。おはようございます、厚治さん」

 小動物のようにフェリクスの周りをちょこまかとしている朝希の頭を手で押さえつけると、そのままぐしぐしと雑に撫でる。

「ちょっと! 子供扱いしないでっていつも言ってるでしょ!」

「ふん、元気が良くてよろしい」

 んもー! と抗議の声を上げながら、朝希はせっかくセットしたヘアスタイルを乱すフェーリャの手をなんとか引き剥がす。

「そう言うフェーリャはほんっと無愛想ね。せっかく顔は良いのだから、もうちょっと愛想よくすればいいのに」

「残念ながら愛想なんざとっくの昔に在庫切れだ」

「そんなんだからアツジ以外に友だちいないのよ」

「余計なお世話だ」

 エントランスで騒いでいる彼らの前に一人の女が姿を現したのはその時だった。短く切りそろえられたボブカットにパンツルックのスーツ姿の女性。見た目からしてフェリクスと同年代か。その顔つきからして、仕事に就いてからまだ慣れていないものが窺えた。

「お待ちしておりました。葉月・國中ペアと喜屋武・東雲ペアですね?」

 声をかけられたフェリクスは女に訝しむような目を向ける。

「あれ? 阿波野さんは? ってかあんた誰?」

「申し遅れました。先日より司千歳の下に配属されました、深山理恵と申します。阿波野は今、打ち合わせの準備をしております」

 フェリクスの不躾な声に深山は「むっ」と口角を下げるが、すぐに気を取り直して自己紹介をする。だが「へぇ、そう」とすぐに興味無さそうに顔をそむけて、また朝希とじゃれ合い始めたフェリクスに、再び口角を下げる。

 社会衛生庁統括官、調査局局長、千葉方面本部部長、司千歳。それがフェリクスたちの〝飼い主〟とも言える存在の名前だった。

 深山に連れられて案内されたオフィスの一室。その最奥の大量生産品のデスクに〝飼い主〟、司千歳はいた。

「やあいらっしゃい。先日はご苦労様だったね」

 自前と思しき少し赤茶けた髪色のショートカットに涼やかな顔つきは美人と言っても差し支えは無い。

 だが彼女の目だけは違った。目の前の人物ではなく遥か遠くを見据えているような、あるいは何もその目には捉えていないようなうろの瞳だった。

 貼り付けただけのような司の微笑に、史香と朝希は少し怯えるような生硬い視線を返していた。いつまで経ってもこれには慣れることはない。

「あんたに労われても嬉しくもねえよ」

 フェリクスは鼻を鳴らして大仰に応接用のソファに腰を下ろす。厚治たちもぞろぞろとそれに続いた。

「みなさん、お疲れさまです。先日の任務でお怪我などはありませんでしたか?」

 部屋の奥からまた別の一人の女性が顔を出した。ウェーブのかかったロングヘアーにメガネという出で立ちの嫋やかな雰囲気を纏った女だった。

「阿波野さん、こんにちは。今回もフェリクスさんたちのおかげでどこも怪我してないですよ」

「阿波野お姉さん! 今回もアツジたちかっこよかったよ!」

「お嬢さんがたも元気そうだね」

 そう言う司の貼り付けた微笑は微塵ともしていない。阿波野に目を向けると、それに気づいた彼女は再び二人に声をかける。

「それでは今日は大人同士のお話になりますので、史香さんと朝希さんはカウンセリングに行きましょうね」

 そうして史香と朝希は阿波野に連れられて部屋を出ていった。オブジェクター並びにエフェクターには定期的なメンタルチェックとそのケアが義務付けられている。

 別フロアに史香と朝希を案内していた阿波野が戻ってくるのを待って、先日の任務のデブリーフィングが行われる。議題は先日に救助した二人の自衛隊員について。

「彼らは現在、我々社会衛生庁によって身柄を保護しているよ」

「拘束の間違いじゃねえの」フェリクスが口を挟む。

「有り体に言っちゃえば、そうなるね。それで何故、彼ら自衛官があの場にいたのか。何故、自衛隊は我々への共有や連携も無く封鎖都心に自衛官を派遣したのか。そういうのを聞きたくて事情聴取をしてるんだけどね。無論、そこで防衛省が黙っているはずも無くてね、色々とゴダゴダが繰り広げられちゃってる」

 封鎖都心――旧二十三区に関連する諸問題の解決の一本化を図るための社会衛生庁が聞いて呆れると、フェリクスは胸の内で吐き捨てた。

「どうにも、金谷さんたちに喋ってもらうと困るようなことがあちらさんにはあるようでね」司が苦笑する。

「自衛隊が我々にオブジェクターとエフェクターの護衛の協力を要請せずに隊員を封鎖都心に出向かせるなんて、ほとんど『死んで来い』って言ってるようなものだよね」

「オルタネーターには通常兵器は一切通用しない。例え、それが核であろうとな」とフェリクスが言葉を続ける。

「撃っても焼いても刻んでも、どういうわけか手応えがまったく無いからな。オルタネーターに対してはエフェクターとレゾナンス状態になったオブジェクターによる肉弾戦でしか倒せない。それでも銃が通用しないんだから、めんどくさいことこの上無い」厚治が天井を仰ぎながらぼやく。

「……あの、ところでレゾナンスとは、いったいどのような状態なのでしょうか。……いえ、研修では『二人の意識を共鳴させる』とうかがってはいますけれど、具体的にどのようなものなのか……」

 横で議事録を取っている深山がおずおずといった様子で尋ねてくる。

「まあ、よくわかんねえものはわかんねえからなあ。朝希に訊いてみたこともあるが、どうやら俺たちオブジェクターに対して意識を集中させるってことらしい。そうなるとオルタネーターを殴れるようになって、その上、オブジェクターとエフェクターの身体能力も向上したり、〈レゾナンスエフェクト〉って超能力じみたものが使えるようになるって仕組みだ。……どういう原理かっていうのも本人たちにも説明つかんらしい」

 厚治が真面目に説明し、フェリクスもそれに補足する。

「でも、オルタネーターとの戦闘での死ぬか生きるかって時に敵じゃなくて俺たちに意識を配分するってことは、ほとんど余所見してるようなもんだからな」

 この現場に出向する前に一通りの研修を受けた深山だったが、やはり現場の人間の経験から来る言葉は重みが違うと感じた。

「さて、話が少し逸れたようだね。そんな危険を冒してまで自衛隊は旧二十三区――封鎖都心の中で何をしたかったのやら……。まあ、それは追々、高田さんや金谷さんたちが喋り始めてくれるだろうね。というか喋らせる」

 最後の一語を口にする時だけ、司の貼り付けた微笑が失せていた。

 若干三十代後半で統括官にまで登りつめ、成り上がるまでに手段問わず躊躇なく辣腕を奮ってきた女傑の顔がそこにはあった。


 その後、細々とした連絡事項のやり取りをして司とのデブリーフィングを終えたが、二人のカウンセリングはまだ終わってはいなかった。

 フェリクスは煙草をポケットから取り出しながら、喫煙所に向かう。まるで未だに喫煙などふけっている反社会的人物を晒すような透明なガラスで区切られた部屋の一画に向かうと、先客がフェリクスに手を振っているのが見えた。

 赤く染めたベリーショートの髪にパンキッシュな装いの女性が加熱式タバコで紫煙をくゆらせていた。少なくとも世のため人のためお国のためなどという御為ごかしとTPOをわきまえたファッションではない。

「おひさー。なんかイケメンがいると思ったら葉月じゃーん。禁酒がんばってる―?」

「科戸か。久しぶり。禁酒ならまだ続いてるぜ」挨拶を返しながら、フェリクスも自分の煙草に火をつけて紫煙をくゆらし始めた。

「そっちも面談?」

「いや、こっちはこれからお仕事。今、梨乃のことを迎えにきたところ」

 科戸と呼ばれた女――科戸菖蒲は手にした加熱式タバコを揺らしながら答えて、言葉を続ける。

「偉いさんが封鎖都心に遊びに行くってんでそのお守り」

「代議士先生がたの現場視察って名ばかりの〝チキンレース〟か?」

「うんにゃ。国交省だかどこだかの役人。結構真面目な話らしいよ。補給線をどうするかどうかとかで」

 国会議員による封鎖都心内部の視察をオブジェクターたちの間では〝チキンレース〟と揶揄して小馬鹿にしていた。

 封鎖都心、旧二十三区を政治家たちが視察に訪れることはそう珍しいことではなかった。

 頻繁に視察していた。だが、視察するだけだった。何を視察していたのかは本人すらわかっていないだろう。封鎖都市に入ったことをアピールすることだけが目的なのだから。それで本人は仕事をしている気になり、好きなスポーツチームを応援しているノリでその政治家に票を入れた連中も、それで仕事をしてくれてる気になっていった。

 そうなってくると、今度は「どれくらい封鎖都市の中に入り込んだか」ということにフォーカスされるようになった。

 そうして封鎖都市は政治家にとっての楽しいチキンレースの場と化した。与党の若手ホープは百数メートル内部を視察しとなると、野党連合幹部は二百数メートルまで中に足を運んだ。ならば今度は与党幹部は二百五十数メートル。わずかメートル単位のさもしい競争に熱を上げて税金から給料を貰うようになっていた。

 そして大抵、運悪くオルタネーターの姿を目にした者は腰を抜かして粗相をして醜態を晒すのがお決まりだった。

「そっか。どっかの代議士様だったら適当に見殺しにしてやればいいのに」とフェリクスは紫煙と共に吐き捨てる。

「あたしもそうしてやりたいけどねー」

 事実、オブジェクターとエフェクターと行動を共にしながら横柄な態度をとる官僚も少なからずいた。オブジェクターの方も遠慮なく不快感を露わにし、両者の関係は芳しいものとは言えない。

「史香ちゃん……だっけ? コンビ組んで三ヶ月くらいになるの? 葉月、随分いい顔するようになったじゃん。やっぱり酒やめた結果?」

「何の話だ?」

「顔色、だいぶ良くなった。……前はマジで死人の顔になってたよ」

「……そうか」とフェリクス。

「それで、そっちはどうだ。梨乃の調子はどうなんだ?」

「……気がついたらレゾナンスってわけのわかんない超能力が使えるようになってて、無理矢理バケモノ退治に駆り出されて、それで感謝されるどころか他人から同じバケモノってなじられて、そんな女の子が大丈夫なわけある? ……相変わらずだよ」

 菖蒲のパートナーのエフェクターである園田梨乃という少女の顔を思い浮かべるフェリクス。確かに梨乃の笑った顔を見たことがない。エフェクターとなる少女の典型例。だいたい人形のように表情を失くし淡々と指示に従うだけになるか、あるいは躁とも言える状態に陥る。

 そもそもどだい、他人同士の大人と子供が共同生活を送ることなど無理がある。こんなこと、誰も彼もが最初からわかっていた。共同生活を送れないオブジェクターとエフェクターは離され、エフェクターは社会衛生庁が用意した宿舎で、似たような境遇のエフェクターの少女たちと共同生活を送ってる。利用されてる宿舎はだいたいが人のいなくなった老人ホームだ。フェリクスや厚治のように良好な関係性を保ち続け、生活を共にできているペアの方が少数だ。

「それに、この間もひどいもん見ちゃったよ。ナントカ婦人会っていうの? キリスト教だか宗教だかの。エフェクターは健全な精神を持つ大人を拐かす悪魔だって。笑っちゃうよね。やっぱり女の敵は同じ女なのねー。やっぱババアは駄目だ、クソババアどもが。早く死ね。っていうか、この間はオブジェクターが悪魔扱いされてなかった? 奴らの教義、ころころ変わってない?」

「信じてる神様に関係無くうじゃうじゃいるな、そういう手合のアホは。俺なんか、この間はエフェクターの保護をさえずってるババアどもを見たぜ。もっともそうなことも喚いてるが、結局はてめえ自身が正義だなんだに自己陶酔したいだけだろうがっての」

「あぁ、いるわいるわ、そういうの。ってか思ったんだけどさー、イエス様とかお釈迦様ってさぁ、弱い立場の人間に慈悲を授けてくれるもんじゃないの? それがいい歳こいたババアどもがさ、十歳そこからの女の子を悪魔呼ばりしてるのってシンプルに頭イカれてるでしょ。更年期になるとあんなんなるの? うわやだなー。あたしもあんなんなるのかなー」

 空気清浄機にわざと紫煙を吐きかける菖蒲。それに抗議するように空気清浄機は悲鳴のように唸りを上げた。

「それじゃ、そろそろお時間ですかね」

 菖蒲は加熱式煙草の吸い殻を灰皿に放り込む。薄い笑みを浮かべてはいるが、その中にうんざりとしたものが窺えた。濃いメイクで隠しているが疲れのようなものが滲み出ている。

「おい、科戸さん」

 喫煙室を出ていく科戸の背中に声をかける。

「なぁに」

「死ぬんじゃねえぞ」

「……それなら任せてよ。逃げ足には自信あるんだ〜。マジでヤバくなったら官僚ども盾にしてとんずらカマしてやるし」

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