Chapter1 死に損なった都市②

 幸い、駅に向かうまでの道のりは何事もなく、六人は北千住駅の構内に入った。電力ももう通っていないため、構内は薄暗い。大地震の影響なのか。そこかしこの床には崩落した天井が粉々になって散らばっており、中のコンクリートがむき出しになっている。

 空虚な静謐さしかなかった。死の静けさだ、と金谷と高田は背筋に悪寒のようなものを感じた。

 つくばエクスプレス線のもう稼働していない自動改札を通過すると、そこには明らかに人間の営みのようなものを感じられる場所があった。いくつのコンテナが積まれて整理されており、テントが張られている。野営キャンプ地のようにも見えた。

「ここは……?」

「質問ばっかりだな。まぁ座れよ。コーヒーでも飲みながらお迎えを待とうぜ」

 きょろきょろと首を回してばかりの二人に、厚治はキャンプ用の小さな折りたたみ椅子を手渡す。コンテナからキャンプ用のガスコンロを取り出すと、ミネラルウォーターを鍋に注ぎ火をかけた。

 こうこうと吹き出すガスから火が灯る音。しゅんしゅんと水が沸き立つ音。聞き慣れた生活の音に二人はようやくは全身の筋肉を弛緩させ、張り詰めていた息をゆっくりと吐き出すことができた。

「インスタントで悪いな」

 紙コップにインスタントコーヒーの粉末を入れて湯を注ぐと、金谷と高田に手渡す。

「いや、ありがたい」

「ありがとうございます」

 渡された黒く熱い液体にゆっくりと口に含み飲み下す。苦くまずい。だがそれが生きて帰ってこれた実感を二人の中に生んだ。厚治も同じように自分のコーヒーを作って口に含むと「まっず」と苦笑いした。

「アツジ! わたしココアね!」

「はいはい。史香もココアだな?」

「いただきますっ」

 コンテナから粉末のココアを取り出しながら、今度はフェリクスにも訊ねる。

「おいフェーリャ、お前さんはどっち飲む?」

「……いらない。それよりも見張りをしてくる」

 座ることなくこちらに背を向けたままだったフェリクスは、ショートブレードを手にしながら再び自動改札を抜けていった。

「ま、あんな奴だから気にすんなよ」

 そう言いながら、厚治は史香と朝希にできあがったココアを手渡した。

「この娘たちが……〝エフェクター〟かい?」と金谷が訊ねる。

「あんたら、エフェクターに会うのは初めてか?」

「朝希って言います! 東雲朝希! 十二歳です!」

「國中史香です。十一歳です」

 元気の良い朝希としっかりとした史香の受け答えに金谷と高田は苦笑するが、すぐに微かに目を背けた。

 十二歳と十一歳いう年齢。伝聞で耳目に触れてはいたものの、まだ小学校も出ていない少女がこのような死と隣合わせの世界に向かわなければならない現実を目の当たりにして、金谷はやるせなく顔を俯ける。

「俺は朝希とは、もうすぐ二年経つかな。で、俺がオブジェクター。こいつのパートナーってわけだ」

 カップに湯を注ぎ史香と朝希に「熱いから気をつけろよ」と、できあがったココアを手渡しながら厚治が言葉を続ける。

「それでつかぬことを訊くがな、どうしてあんたらはこんなとこにいたんだ? 普通、封鎖都心で自衛隊が行動する時は俺たちオブジェクターとエフェクターも一緒についていくだろ。それがなんであんたらだけで単独行動してたんだ」

「それは……」と金谷が口ごもる。高田も所在なさげに口をつむぐ。その様子に厚治は苦笑しつつも息を吐く。最初から返答は期待していないかのように。

「ま、さっきも言ったけど尋問するのは俺たちの役割じゃねえからな。でもこう言っちゃ何だが、マジで犬死にに来たようなもんだぜ。あんたらも知っての通り、腕ずくでも銃でも爆弾でもあのオルタネーターには傷一つつけられねえ。だというのに、こんな所にのこのこやってこられたんじゃ俺たちも困る」

 返す言葉も無い金谷と高田をよそに厚治はもう一杯コーヒーを作ると、「これ、フェーリャに渡してもらえるか?」と史香に手渡した。

 自動改札の向こう側へゆっくり歩いていく史香を見る目を眇める。哀しさか、あるいは悔しさを滲ませる視線だった。

「エフェクターなんて大層な名前つけられてるけど、ただのガキだよ。はっきり言って、オルタネーターと戦うにあたって足手まといなんだよ。最初の頃はびーびー泣くわ、戦う時も邪魔になるわで」

 厚治は紙コップを手に取ると波紋を立てる中身に視線を落とす。

「失礼ね! 最近は全然泣いてないじゃん!」と頬を膨らませ反論する朝希。「へいへい、いつも助けられてますよー」と厚治は頭を撫でてなだめた。

「だけど、そんなガキ一人いなけりゃ俺たちオブジェクターはまともに戦うこともできやしない」

 金谷と高田も概要程度なら知識として把握している。如何にオルタネーターを打ち倒せる〝天賦の資質〟を持っていようと、オブジェクターとエフェクターは戦闘時に共に行動していなければ、オルタネーターにダメージを与えることはできない。

 それは、少女を死地に連れ出すということを意味している。

「まるで装備品みたい、って思うだろ」

「そ、そんなことは……」高田が口ごもる。だが――

「そう考えてる奴は実際わりかしいるし、俺も正直なところ、最初の頃は……な」

 厚治は苦笑してみせながら、言葉を続ける。

「まあでも、そういう輩ばっかでも無いことも知って欲しい」

 そう言って顎をしゃくって改札の向こう側で見張りに立っているフェリクスの方を示してみた。少し腰をかがめて視線を合わせながら史香からコーヒーを受け取るフェリクスの姿があった。

 上階のプラットホームから列車が到着したと思しき大きな物音が響いてきたのは、皆がコーヒーをちょうど飲み終えた時だった。

「お迎えの到着だ」

 六人は動かなくなって久しいエスカレーターを上ってプラットホームに出る。かつては清潔感のあったこの場所も今では塩と砂埃にまみれている。中身を強奪されたと思しき自販機が横倒しになっており、ベンチも破壊されていた。

 下りホームにはディーゼル列車が停車していた。もうすっかり目にしなくなった昭和の時代から使い込まれていたと思われるキハ系の車体がエンジンのアイドリング音を立てているのに金谷と高田は僅かに面喰らう。だが考えてみれば当たり前だ。一般的な電車は電子機器で制御されており、東京との県境にある〝ゆらぎ〟によって使い物にならなくなっているし、それ以前にこの封鎖された都市に電気を通すためのインフラも無い。

 運転席の窓が開いて運転手と思しきオブジェクターの男が顔を出し「さっさと乗りな」とドアを開けると、反対側の運転席へと向かっていった。

「よーし、帰ろうぜ。さすがに奴らも、もう襲ってこないだろ」

 フェリクスが殿を務めて各々列車に乗り込んだ。「全員揃ったな?」という運転手の声と共に列車はディーゼル機関の唸りを上げながら来た方向とは逆へ発進した。

 西日が差し込む車内に安堵の空気が流れ始めた。スプリングの音が耳障りな薄汚れた座席に身を沈める金谷と高田。その顔にはこれ以上ないほどに疲労感が滲み出ている。

「史香、いっしょに食べよ」

「ありがとう、朝希ちゃん」

 史香と朝希もポシェットからチョコレートを分け合っている。さしもの厚治も大きく伸びをしながら欠伸を抑えられなかった。三人ともその眼から毒々しい輝きは失せ、普通の人間と変わらないそれに戻っていた。

 ただ一人、座席に座らずに腕組をして窓の外に視線を向けているフェリクスだけは警戒の念を絶やしていなかった。

 薄く開かれているフェリクスの双眸。右眼だけでなく両目が毒々しいアメジストの輝きに満ちていた。

 列車が荒川橋梁を渡りカーテンのように降りている空間の〝ゆらぎ〟を通り抜けると、文字通り世界が変わった。泡立つような静謐と危うさに満ちた東京という異界から弛緩することを許す静かな穏やかさのある埼玉県への越県の感覚。

 そしてフェリクスの瞳も悍ましい極彩色から通常の白目と黒い瞳に戻っていた。

「はいフェーリャも」

 視界の隅に、ずい、と朝希の姿が割り込んでくる。その手でチョコレートが差し出されてきた。

「そうやって遠慮しちゃダメ。フェーリャ、いっつも自分のこともどうでもよさそうにしてる。さっきだってコーヒーいらないって」

「そうですよ、フェリクスさん」

「わかったから、押し付けんなって」

 チョコレートの甘みが口の中に広がり、一緒に張り詰めた全身がほぐれていくのを感じた。

 まだ出会って間もない少女に気を遣われて世話ないなとフェリクスは自嘲する。

 フェリクスと史香が出会って三ヶ月が経とうとしていた。

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