2. 必然
またお前か、と出会うたびに向けられる静かな眼差しは何年経っても変わらなかった。親しげになることはなく、かといって過剰に迷惑がる様子もなく。
最初に出会った時の宣言通り、彼と
その姿は、初めて会った頃から比べれば——彼より十センチは低いであろう背丈は変わらないものの——しなやかに引き締まり、厚みを増していた。いざとなれば現地の荒くれ者や、身内にさえ交じる不届き者を容易にねじ伏せることができる程度には。
今も、背後から襲いかかってきた相手の手をねじり上げて踏みつけているところだった。
「いやあ、お見事」
「助ける気もないなら引っ込んでいろ」
「だって、必要ないでしょ」
軽口を叩きながらも様子を探る。まとわりつく疲労の影はいつも通りだが、それ以上でも以下でもない。
幾度も出会うその奇縁がただの偶然でないことに気づいたのは、三度目に
人の欲望は尽きず、悲劇は常に世界中で起きている。極東の島国に閉じこもっていては見えぬものも、彼はその長い生でいくつも見てきた。上から指示されるがままに彼が巡るのは、中でも最も過酷で凄惨な戦場。彼が架南と出会うのはそうした場所で、だから、青年がそういう場所をあえて選んで飛び込んでいっているのだと気づいた。流されるままの彼とは違い、自らの意志で。
「何でまたこんなところにいるの?」
「必要だからだ」
青年の返事は一分の迷いもない。最も危険な戦場へと踏み込み、救えるだけの命を救う。銃弾を潜り抜け、時には理不尽な政治的駆け引きに歯を食いしばりながらも、とにかく届くだけ手を伸ばそうとする。
再び出会ったこの場所は、中でも特に過酷だった。死が席巻し、埋葬も間に合わず、ただいくつもの深い穴が掘られた。
世界規模で見れば、戦火は絶えない。一つが消えても次の一つが燃え上がる。
「いつまでこんなことを続けるつもりだい?」
「必要とされる限り、だ」
「何もこんな場所ばかり選ばなくたっていいんじゃないの?」
架南が属する組織の活動の対象は紛争地域ばかりではない。発展途上国での支援や自然災害の被災地支援なども行っている。最も危険な戦地での活動はその一部に過ぎない。
だが、架南はむしろ
「私にはその資格も能力もある。機動力も十分だ。選ばない理由があるか?」
「……君の目的は何だ?」
「可能な限り、命を救うことだ」
「それでも——」
こぼれ落ちる命の方が遥かに多い。そうして
言いかけた言葉を飲み込む。この若者の熱意と信念は紛れもなく本物だ。それを知っていたから、不用意に傷つけるようなことは言えない。否、架南はそんなことでは傷つきもしないであろうことはわかっていたけれど、それでもその
それほどに心を寄せてしまっている自分に気づいて思わず口元を覆った彼に、架南はただ怪訝そうな眼差しを向けてくる。
「何だ、お前が黙るとか気味が悪いな」
「失敬だなあ、俺は君と違ってだいぶ繊細な方だよ」
「繊細な奴が過酷な戦場ばかり渡り歩くものか」
「……自覚はあるんだ」
「なければとっくに命を落としているさ」
口元を緩めて自嘲するように笑った顔に、心臓が不規則な鼓動を打った。人とは違うはずの、けれど同じような機構を持つそれは、普段は意識することさえないのに、架南といる時ばかりはその機能をやけに主張する。
「ねえ、カナン——」
「十歳の時、父の赴任先だった国で、私は両親を失った」
唐突に始まった身の上話に、ただその横顔を見つめる。架南の視線はじっと穴に向けられたままだった。
もともと隣国との関係が悪化していたその国で、争乱が起こるのは時間の問題だった。それを防ぐべく調停役として赴任したのが架南の父だった。だが、都市部に、しかも民間人を標的として何の予告もなく攻撃が行われるとは誰も予測していなかった。少なくとも、架南とその家族は。
両親に庇われる形で九死に一生を得た架南を救ったのは、緊急事態を察知して真っ先に駆けつけてきた医師だった。彼は架南の両親の知己でもあり、その縁で架南は彼の元に一時的に預けられた。だが、彼も凶弾の前に倒れる。
またしても架南は庇護者を失った——しかも、自分を守るために。
「両親は赴任先で、紛争が始まってしまった国同士の架け橋になるべく働いていた。私を救ってくれた人は優秀な医師で、多くの命を救っていた。彼らが生きてさえいれば、多くの紛争が未然に防がれただろうと、もっと多くの命が救われただろうと、幾度もそんな声を聞いた。だが、それは永遠に失われてしまった——私のせいで」
語る横顔はどこまでも静謐で、そしてだからこそ彼はその闇の深さを知る。
生き急ぐように大学を
「君がここにいるのは、自分が許せないから?」
「違う。それが必要だからだ。私にはそれ以外の選択肢などないんだ」
真摯な眼差しで、彼を見据えて答えた顔に嘘や欺瞞は見えなかった。ただ、本人だけが気づかない、諦念でさえない圧倒的な絶望だけが透けていた。
「——いつか君が」
色のない絶望を受け止めて、彼は真っ直ぐに見つめ返す。
「それを必要としなくなったときには、俺が君を貰い受けよう」
「……私の命を?」
「そう。きっと甘く極上の蜜のような味がするはずだ」
「ぞっとしないが、まあそんな時がくるなら、くれてやってもいい」
薄く笑って頷いた顔はひどく儚く見えた。手を伸ばそうとしたけれど、どうしてかぴくりとも動けなかった。そんな彼を架南は上から下までしげしげと値踏みするように眺めていたが、ふっとその頬を緩めて笑った。
「迎えに来るときはそんな地味な格好じゃなく、もっとらしいので頼む」
「黒いローブに死神の鎌とか?」
何とかそう答えた彼に、架南は悪くない、と口の端を上げて笑う。そうして、あとはもう興味を失ったかのようにそのまま去っていった。
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