第23話
7
係累に繋がるしをり、由香里、幸雄の三人が会うことになった。
来意を聞いた途端、幸雄は膳場に連絡を取っていた。
「そうですか……」
電話口で膳場は感情の動きを示さなかった。普段の膳場からして不自然ではなかったが、幸雄は何故か心にひっかかるものを感じた。常より渋滞したような口調だったからだ。
しかし刻を置かず、膳場はやってきた。
その直後の清二の訪いに、幸雄と膳場が出迎えに出た。
膳場を見て清二は眉をひそめた。が、すぐに磊落そうに言った。
「やあ、膳場さん。今日は仕事がなかったのかい?」
「このところそういう日が増えましたよ。年寄りですからね、労ってもらってるんでしょう。気を遣われるようじゃ、使用人は務まりませんや。潮時かも知れませんねえ。お世話になったこの家が今後も平穏無事なら、喜んで引退しますよ」
そう言って、清二を見据えた。
萎みかけた笑みを留めたまま、清二は頷いた。傍らで洸之進は沈黙していた。
やはりこいつか……。
幸雄は洸之進を観察した。
本当に女のようだ。アーモンドのような瞳は不思議に澄んでいる。若い血潮を刷いた頬。両端が品よくしまった肉厚の唇はルージュを塗ったように鮮やかだ。長袖の白いオーバーシャツを着ている。季節はもう秋に代わっているのだ。下はデニムにスニーカーだ。
清二の方は半袖のままだった。オフホワイトのポロシャツの襟を立てている。下はキャメルのチノパンだ。
「まあ、上がって下さい」
家の者である幸雄が言った。
応接室にしをりと由香里が待っていた。膳場は入室しなかった。
二人とも普段着だ。しをりは白地に紅と緑の細い格子のある綿の半袖ワンピース。由香里は刺繍がふんだんにあるかぶりのブラウスに、ピンクのショートパンツ。すらりとした脚が眩しい。
二人が腰を降ろすと同時に、お手伝いが茶を運んできた。昔からいる控えめな中年女性だ。
彼女が配っている間に、二人の女性は洸之進を観察していた。洸之進も二人を交互に眺めていた。物怖じしたところはまるでなかった。さっきは気付かなかったが、目の周りに黒いものがあるのは痣なのか?
それにしても、つくづく女顔だ。部分の造作以外にも、色の白さ、うなじの細さなどがそうした印象を生むのだろう。
〝美形〟が三人も揃った空間はそれだけで艶やかで、普通なら人を陽気にさせるものだが、部屋は逆に白々とした空気に包まれていた。
お手伝いが去るとすぐ、
「どうぞ。お話を」
と、しをりが言い放った。事務的な口調だった。清二の肩を持つ気は全くないが、幸雄にもかなり無礼に聞こえた。
しかし、無理もないとも思った。清二には既に成人した子供が二人もいる。それがこの歳に及んで別に養子を貰うというのは不自然だ。洸一郎の死去以来の確執に関連づけて考えたくなるのは当然だった。
幸雄はみどりから聞いた、洸之進が清二の養子になった事実をすぐにしをり達に教えておくべきだったと後悔していた。そうしなかったのは、一つには関係が綺麗に清算されていると聞かされたからだが、主な理由は幸雄の楽観主義にあったのである。楽観主義は人生でポジティブに働くことも多いが、とんでもない墓穴を掘ることもある。特に策謀家の標的にされた場合は。
弱肉強食の世の中を勝ち抜いていくためには、大胆さと細心両方が必要なのだ。だから所詮自分は大将の器ではないのだ――と、彼はちらりと思った。
「うん」
清二は身を乗り出した。
「報せといたように、今度養子を貰った。本家には報告をしとかないといけねえからな」
ぎろりと女二人を見た。幸雄のことは眼中にないようだ。女達は無言で清二に話の続きを促した。
「いや。俺も子供が二人もいるが、どいつもこいつも薄情な奴らばかりで、近頃は家に寄り付きもしねえ」
それは自業自得だろう、と幸雄は思った。
すると、清二が自分で、
「まあ俺自身がフラフラ糸の切れた凧のようなもんだから、人のことは言えねえ。だが生まれついての性分だ。この歳になったらどうにもなんねえ」
と言い、苦笑してみせた。
「つねの奴が寂しがっててな……。少し女房孝行もしなきゃと殊勝な気持ちになったわけだ。俺も歳をとったってこったろう。だが、誰でもいいってわけじゃねえ。何処の馬の骨かわかんねえ野郎は困る。一番いいのは血が繋がってる奴だな。そんな時、ひょんなことからこいつの存在が知れた。こいつだ。ほら、頭下げろ」
「初めまして」
洸之進はペコリと頭を下げた。
「俺から紹介しよう……。齊藤洸之進――今は榊洸之進だ。コウノシンは、コウがサンズイに光。ノはシって字だな……紀貫之の之だ。シンは進む。歳は16……」
しをりと由香里の顔に不審の色が浮かんだ。
「……どうだ?」
そんな二人を眺めて、清二はあざとい笑みを浮かべた。
「わかったようだな? サンズイに光なんて、そうざらにある字じゃねえよな? そうさ。兄貴の隠し子さ」
座に沈黙が流れた。
榊本家の二人の女は、洸之進をくい入るように眺めていた。しをりは毅然として、むしろ怒気を含んだように、由香里は愕然としてむしろ呆けたように。洸之進の方は、まるでそれが描かれた肖像画からの視線ででもあるかのように、平然と瞶めかえしていた。
「詳しく素性を言うとな……」
清二は薄ら笑いを浮かべながら、洸之進の生い立ちから履歴を簡単に話した。幸雄は注意して聴いたが、みどりから得ていた情報と大差なく、新しい事実はなかった。
清二が話し終わった。
するとすぐにしをりが口を開いた。
「お話は分かりました。分家のこととはいえ、本家が知らないでは済ませられないでしょう。お知らせ頂いて有難うございました」
と、慇懃無礼なぐらい丁寧に頭を下げた。
「また、洸之進さんは洸一郎の子ということですが、今のお話しだと全く状況証拠だけですね。でもどうであれ、洸一郎の相続問題は既に決着済みです。今後いかなる変更も不要という認識は変わりません。顧問弁護士も同意見です。そのことをこの際はっきりと申し上げておきます」
「うむ……」
清二はまだ薄ら笑いを浮かべたままだった。
「そう先回りしなさんな。今日はただ報告に来ただけだよ。あんたに喧嘩をふっかけに来たわけじゃないんだ」
清二は由香里を見遣った。
由香里は清二に窺われていると気付かない程放心していた。
清二の視線を辿って、しをりが不安げな視線をちらりと由香里に投げた。
珍しいことだった。
しをりと由香里は固い信頼で結ばれていた。二人を反目させようとするどんな罠にも、二人は毅然として対応してきた。互いを信じ、互いを懸念するような素振りは一切見せたことがなかった。
その二人の意識に間隙が生じていた。
しをりは榊家の女当主とはいっても、他の誰とも血の繋がりはない。生活と仕事を共にした洸一郎の息子といっても、所詮他人なのだ。
由香里は違う。もし洸之進が本当に洸一郎の息子であるのなら、腹違いとはいえ彼女にとっては血を分けた弟ということになる。洸一郎の死去の際も、愛人だと称する女性達は現れたが、子供を称する者は現れなかった。由香里は今味わっているような動揺は知らずにきたのだ。
ハイエナのような親爺め――
清二の厚顔を瞶めながら、今更のように幸雄はこのリスクをなおざりにしていた自分を悔やんだ。
「まあ、すぐには納得できないかもしれんが、血の繋がった者同士なんだ。せいぜい仲良くしてやってくれ。老い先短い老人のささやかな望みだよ。……どれ。失礼しようか」
胡座をかいていた清二が膝を立てた。
その時ふいに洸之進が口を開いた。
「お義兄さんには前に遇ったね?」
びっくりした三人の目が幸雄に集まった。
「そうだな。憶えてるよ」
「何処で遇ったの?」
と、しをりが訊いた。別に咎めるニュアンスは溶け込んでいなかった。
「小百合さんの家で、だよな?」
「うん」
清二が顔色を変えた。驚愕しつつ、狂暴な視線を洸之進の横顔に突き刺した。
「ほんとか!? 何しに行った!?」
彼の脳裏には一度は否定した洸之進と小百合への疑惑がまたふつふつと沸きあがっていた。
対する洸之進の返答は人を食っていた。
「話しに行ったよ」
「何故小百合を知ってる?」
「さあ。どうしてかな……。ああ、クラブで遇ったのかもしれない」
「何だ、クラブって?」
「知らないの? この世にあるものはきちんと見なきゃ! 見てないものは存在しないのと同じだよ? しまいには、見えてるものは地球上空から見た夜の北朝鮮みたいになっちゃうよ?」
「お前――」
清二の顔に朱が差してきた。だがかろうじて自制した。
清二にしてみれば、小百合とのことは秘密のことだった。ここで妬心を剥き出しにしては、火事場泥棒のように洸一郎の女を掠め盗ったことが露見してしまう。
清二のその姿は滑稽だった。本人だけが内緒と思っているだけで、周囲は皆知っているのだ。
ところで、それはそれとして――幸雄は洸之進をつくづくと眺めた。一体どういう積りなのだろう?
洸之進の真意が計りかねた。単なる馬鹿なのか、若すぎるのか、それとも何らかの意図があるのか?
誰かが反応する前に、洸之進が更に発言した。
「由香里、綺麗だね!?」
由香里は目を瞠いた。眉の端がピクリと上がり、言葉を探して下唇が蠢いた。
「しをりさんも素敵だね。僕皆さんが気に入ったよ。また遊びに来ます。義父さん、帰ろうか?」
言うなりもう立ち上がっていた。扉を開けると、さっさと出ていってしまった。
呆気にとられた三人の視線が扉から清二に集中した。
「うむむ……」
清二は唸った。
「ちょっとガキ過ぎるな。女手一つで気儘に育ったせいで、口のききかたを知らねえ」
口のききかたなどと、清二の口から聞かされると可笑しい。どうやら清二も洸之進をコントロールしかねているようだ。
「おいおい教育しよう。勘弁してやってくれ」
不興気に立ち上がると、清二はゆっくりと部屋を出ていった。誰も見送りに出なかった。
また、どこにも膳場の姿はなかった。
外に出た清二が駐車場に回ると、車の傍に洸之進が立っていた。今日の清二の車はベンツS350だ。榊の本家の家格を考慮して選んだのだ。清二は三台車を持っている。
「おめえ、どういう積りだ!?」
怒鳴りつけた。
「何のこと?」
涼しい顔だ。
「あいつらの前で恥をかかせやがって」
「どうして?」
「黙ってろって言ったろ? ああいう場は子供は親の指示に従うもんだ!」
「今日は言い合いにしない積りだったんだろ?」
「あ?」
「うまく向こうの気勢を削いだじゃないか」
「馬鹿野郎! 話は済んでたんだ。俺の話を聴いてなかったのか?」
「あの三人の性格をみたのさ」
「いい加減なこと言うな」
「しをりさんは意志が強い人だよ。だけど寂しがり屋。沢山でわいわいやる仲間は不要だけど、親密な同志が一人二人は必要な人」
「……」
「由香里は心が素直だね。女らしい性格だ。感情を自然に表すから動揺すると分かりやすいよね。でも最後は自分の感性を信じられる人。同志がいると120%の力がでる。
幸雄さんは中で一番優柔不断だね。誰にでもいい顔しようとする。特に女性にはね。上から下りてきた指示を確実に実行するのが得意なタイプかなあ。せいぜい部長どまりが相場の人だよ、きっと。一番入り込みやすいタイプだ。けれど、ものに執着心がない。執着するものがないから、餌に食い付かない。肚をくくられると、損得じゃないから手強いよ。
あの三人はうまく噛み合って、足し算以上の力を出してるんだ。お義父、簡単にはいかないよ?」
清二は驚いてしまった。
彼は人をそのように分析したことがなかった。清二とて相手の性格や感情をよまないわけではないが、それは彼の働きかけに相手がどう反応するか想定しなければならないからだ。彼にとっては彼のアプローチの仕方が全てであり、相手の出方はそのリアクションとしての結果に過ぎない。簡単に言うと、作用と反作用。交渉の要締は、相手からいかに望ましい反作用を引き出し、最終的に目的の形に相手を沿えさせられるかにあった。
心理学的に相手を分析するやり方は思いもよらなかったので、清二はたじろいだ。よくそこまで短時間で見切ったなという驚きもあった。こいつ、俺のことも冷静に見てんだろうなと思うと、気味が悪かった。
だがすぐに腹がたってきた。
「おめえが頭がいいことは分かった。だが、駆引きはそいつとはまた別物だぜ? 例えばおめえが野球が好きだとする。そして150キロを越す豪速球を打つ機会があったとする。おめえなら前以てそいつを研究するだろな? 筋肉のつきかた、フォーム、体重の移動の仕方、腕の振り方、指の握り方なんかだ。だが、それでそいつの球を打てるか? 打てねえだろ。相手があるってことはそういうことだ。いいか。大事なのは相手の分析じゃねえ。そいつは参考だ。ほんとに大事なのはこっちの目的、それからそれを実現する能力だ。それにゃ経験が必要だ。今後おめえは口を差し挟むんじゃねえ。黙って大人のやり方を見てな。俺のやろうとしていることは、おめえのためでもあるんだからな」
「分かった」
案外素直だった。
「小百合の話なんか持ち出すんじゃねえぞ」
「持ち出したのは僕じゃないよ」
「お前が誘導したんだ」
「小百合さんの話しになると困ることがあるの?」
「小百合は俺の囲い者だ」
「囲い者?」
「妾だ。妾! おめえ、小百合と変なことしてねえだろうな?」
「別に何も。心配なら、僕じゃなくて小百合さんに言えばいい」
小百合が一番信用できねえんだよ――と清二は内心毒づいた。
「とにかく小百合にゃ近づくな。ガキが近づくと火傷するぞ」
「うん」
実に素直だ。
「乗れ」
清二は、行先をきいて洸之進を駅まで送っていった。
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