第21話

 佳花は多感な女だ。自分で絵も描くし、映画も好きだ。社交ダンスが上手だし、カンツォーネも歌う――と趣味が広い。

 だが初めから多趣味だったわけではない。それらの趣味を見出だすまで彼女には夢中になれるものがなかった。実生活に満たされぬものを感じていた彼女は服の衝動買いに走った。買い物が欲求不満のはけ口になったのだ。結果膨大な服のコレクションが生まれた。

 清二が知り合ったのもその頃だ。

 市の目抜通りのベンチに、佳花は放心の体で腰掛けていた。

 そこに清二が声をかけた。

 清二は着崩してはいるが、上質なものを身に付けている。自らが病膏肓に入るくらいの衣服コレクターの佳花にはすぐにそれがわかった。それで安心し、話してみる気になったようだ。

 この時、佳花は結婚して半年過ぎた頃だった。好きだった男との関係が切れ、精神的に動揺している時に、ずっと年上の不動産屋のしつこい押しに負けて結婚してしまったのだ。

 不動産屋は肉体の相性がよくなかったし、口程にもなく淡白なうえに早漏だった。女盛りに差し掛かっていた佳花は悶々とした夜々を送っていた。

 やがて意に染まぬ境遇は強いストレスを生み、彼女は不感症に陥っていった。

 彼女が清二を受け入れたのは、不感症にも拘わらず強い性欲を感じていたからだ。誰かに構われているという慰めも欲しかったのだろう。

 つまり清二はこれ以上はないタイミングで現れたのである。

 その後二人の関係は断続的に続いた。そのうち不動産屋が死んだ。

 本来清二は佳花の好みの男ではない。肉体的に満足し、ゆとりをとりもどした佳花は、他に男を求め始めた。

 他の男との関係が続いている間、清二は佳花に近付かなかった。独占欲の強い清二にしては珍しいことだ。理由は佳花が経済的に自立していたからである。佳花はバーやクラブを経営し成功していた。佳花には、男が彼女との会話を喜ぶ――そんな才能があった。

 何人かの男が佳花の肉体を通り抜けていった。その度に彼女は男からいい面を吸収して、趣味を広げていった。それが可能だったのは、彼女が本質的に素直だからだ。体面や先入観を持たず、人のいい面を素直に見た。男達と感応する部分は、即ち彼女にもそれだけの資質があった部分だということになる。

 他方、清二もべつに佳花に寄生しているわけではない。

 佳花の元へやって来ると、十日程は居続けるが、最初に50万程渡し、これでしばらく置いてくれ、とたのむのだ。佳花は素直に金を受け取る。それがけじめだと思っているようだ。互いに対等にかつ自由に振る舞うために必要なけじめなのだ。

 ともあれ佳花の爆買いはこのところ止んでいる。とはいえ、着飾ることへの執着は生来のものらしく、今もじりじりとコレクションは増え続けている。だから、清二ではないが、一着や二着失くなっても彼女に判るわけもないのだ。

 アメリーが溜め息をついた。

「すごいです」

 清二に促されたわけでもなく、自然に手が伸びていた。目がキラキラしている。やはり女なのだ。

 一通り点検して、また溜め息をついた。

「目の毒です」

 清二はさっき目をつけた一着を取り出した。

 赤ピーマン色のワンピースで、七分袖の白い上衣がついている。夏用だが春や秋にも着られそうだった。アメリーの点検の際に目に止まったが、他の洋服に重なるように隠れていた一着だ。佳花には重要ではないだろう。

「これ着てみろ」

「悪いです」

「いいから」

「帰ってこられたらどうしましょう?」

「帰ってこねえよ」

 佳花が帰ってくるのは夕方だ。下の店を開けるためではない。繁華街にあるクラブを開けるために一旦戻り、風呂に入り、入念に化粧し、着替えて出かけるのだ。下の店も彼女がオーナーだが、運営は人に任せていた。以前は自分でやっていたのだが、商売を拡げていく過程で面倒をみきれなくなったのだ。

 その任せた人間が病気になり入院していた。もう1ヶ月だ。急遽代役をたてたが、仕込みから下拵えは佳花がしなければならない。下拵えは前の晩に済ましておく。仕込みは偶々転がり込んできた清二にお鉢が回ってきていた。

 服はアメリーによく似合った。元々色が白く端正な顔立ちで、スタイルもいいのだから、何を着ても似合うのだ。ただ少し胸のあたりがきつそうだった。

「タラー、ララララ……」

 突然アメリーが歌いだした。歌いながら、くるくると回っている。目が輝いている。こんなに素直に嬉しさを表現する人間に清二はこれまで会ったことがなかった。

「ラララ……」

 アメリーは居間に入っていった。自然光の入る部屋で、壁に掛かった円窓の鏡を見るのだ。

 鏡は顔の位置にあるので、腰から下は見づらかった。アメリーは鏡に額をくっつけるようにして、下半身を覗き込んでいた。

「夢みたいです」

「よかったな」

 遅れて居間に出てきた清二がその姿に思わず見惚れた。服を身に着けた直後は気付かなかったが、今輝くばかりの笑みをたたえた表情と相まって、その姿には辺りを払うオーラがあった。

「それ着て、このあたりチャラチャラすんじゃねえぞ?」

「わかってます。素敵な方でしたね」

「誰が?」

「この服の持ち主の方」

「見たのか?」

「はい。さっきお出掛けになられた時に。お綺麗で溌剌としていらして、憧れます」

「うむ……」

 確かに佳花は生き生きとしている。それが実際以上に彼女を綺麗に見せていた。

「お前、もう帰れ」

「――はい」

 急に夢から醒めたような顔で、アメリーは清二を見た。

「明日も来ていいですか?」

 驚いた。

 呆れて顔を眺めてしまった。

 相手は翳りのない表情で、澄んだ眸をしていた。澄んだ上に輝いてもいた。

 負けたのは清二の方だった。精神の純度の差だった。混ぜ物の多い金――悪貨は、結局良貨を駆逐するのだが、悪貨は良貨になれない己をよく知っている。悪貨の強さは圧力に凹まない硬さにあるのだが。それが分かっていて、つい怯んだ自分が忌々しかった。

 だが、清二にはさしあたってアメリーを手放す積りはさらさらなかった。己が最初に刻印を印した不定物を自分の好む形に捏ねあげたかった。自分の指紋の痕をべたべたつけて。純金なら尚更容易いだろう。

 ならばそれもよいではないか。しかし、それにしても――清二はアメリーをしげしげと瞶た。

 こいつは天性の娼婦かもしれないぞ。とことん付き合ってみるのも面白い。

「いや。ここはもう駄目だ」清二は和室を見遣って言った。

 アメリーもつられてそちらを眺めた。

 床の敷布の中央あたりに赤い染みがついていた。

「あっ!」

 アメリーは慌てた。

「いい! ほっとけ」

「でも……」

「俺が始末する。お前は帰るんだ」

「……はい」

「お前、携帯は?」

「持ってません」

「おめえん家に電話はあるか?」

「今はありません」

 清二は頷いた。

「俺の携帯番号をおしえる。公衆電話からでも連絡よこしな」

「わかりました」


 翌朝、アメリーは前日会った時間に電話を掛けてきた。その時間帯なら、清二の身体が空いている確率が高いと考えたのだろう。

 街中で待ち合わせ、車で拾いにいった。

 予想通りアメリーは前日与えた佳花のワンピースを着て来た。上衣は着けていない。

 一目見て、清二はしまったと思った。

 質素な靴がアンマッチだった。

 靴にまで考えが及ばなかった。佳花は靴も沢山持っている。靴もやれたのに!

 だが佳花とアメリーでは、足のサイズが違いそうだった。最近の若者は男女共足が大きい。

 今度靴も買ってやろう。それにバッグもだ。ごく若いからわからないでもないが、バッグの一つも持たないのは、女としておかしい。連れまわす以上、最低限の装いはさせなければならない。

 清二はモーテルに車を乗り入れた。前に小百合と洸之進に一杯食わされたモーテルだ。

 思った通り、アメリーは下着も佳花のを着けていた。

 それを脱がすと、素直に体を開いたが、挿入の際はまだ緊張していた。そして痛そうだった。だが、こういうものは多分に精神的なものなのだ。

 結合した後は力が抜け、控え目ながら、自ら腰を振った。

 この日はフェラチオを教えた。少しずつ仕込んでいく積りだった。アメリーの口戯はまだぎこちなかったが、自然に勘所は押さえていることに感心した。やはり天性の娼婦なのか。

 外での朝からのセックスは刺激的だった。


 営みの後、郊外のレストランで食事をした。

 フランス料理の一番安いコースをアメリーにたのんでやり、ワインもAOCの値頃なのをとった。

「こんな贅沢なお料理……夢みたいです!」

 瞳を輝かせて、アメリーは盛んに嘆息した。

 フランス人の父を持つだけに、ナイフ、フォークの使い方は自然で綺麗だった。

 ワインも旨そうに飲んだ。車を運転する清二は一口飲んだだけなので、アメリーが殆ど一本丸ごと飲んでしまった。

 幸せそうだった。

 外食の経験がないくせに、アメリーのテーブルマナーには天性の優雅さがあった。

 佳花の服を着て優雅に食事をしているところは、一幅の絵だった。清二のテーブルだけが明るく光を放っているようで、辺りのテーブルからの視線を集めていた。

 それに清二は満足した。だがアメリーは更に磨ける筈だ。

 そうだ。明日は美容院に連れていこう――飾り気のない髪を眺めてそう思った。



     5


 カタリと部屋のどこかが鳴った。

 すわ、と立ち上がりそうになる自分をつねは押さえた。

 馬鹿ね。風じゃないの……。こういう時こそ慌てちゃいけない。

 戦捷の一報を待っ戦国武将の母親の気分だった。

 ガタリ、とまた音がした。

 神経を集中して、耳を澄ませた。

 間違いなかった。今度こそ人の気配だ。

 つねは心を静めるようにわざとゆっくり立ち上がり、玄関へ歩いていった。

「お~い、つねさん!」

 玄関の扉の外で男の大声がした。聞き知った声のような気がした。

「待って!」

 裸足のまま三和に飛び降りたのは、やはり冷静でなかったのだろう。

 扉を開くと、真正面にいた人間と目が合った。立会人が膳場だったことを、この時初めて知った。

 膳場は抱き抱えるようにして洸之進を支えていた。洸之進はうな垂れていて、顔は見えない。

「つねさん、床だ! 床を用意して!」

「敷いてあるよ! 中へ入れて!」

「じゃ、お湯とタオルだ」

「はい!」

 つねが湯を洗面器に張って持っていくと、洸之進は既に自室の布団の上に大の字になっていた。

 ボロボロだった。

 瞼が切れ、目の周りが腫れあがって瞳が見えない。鼻血がどす黒く顔の下半分を汚していた。口の端も切れていた。額にも頬にも擦り傷があり、血がこびりついていた。それを湯で拭いてやると、痛がって呻いた。

 噎せるように口の中のものを吐いた。血まみれのものが畳に転がった。歯だった。

「しっかりおし!」

「つねさん、大丈夫だよ。坊っちゃんは強え」

 つねは拭く手を止めた。

「洋平さん。この子は負けたの?」

 命に別状がないと見てとったつねは、まずそのことを気にした。

 つねにとって男は喧嘩に負けてはならないものだった。負けるくらいなら、いっそ殺された方がましに思えた。やたらに喧嘩早いだけの男は単なる馬鹿だが、普段は大人しくても、一旦喧嘩になれば、死に物狂いで勝ちにいく――それが男だと思っていた。

 そんなつねの様子を見遣って、膳場が

「引き分けだよ」と冷静に言った。

「引き分けなんて――そんなことあるの?」

 膳場が頷いた。

「二人とも動けなくなった。あたしと向こうの立会人が二人の様子を確認して、引き分けと判断した。ほんとのことですよ」

「そうだったの……」

 つねはほっとして、また洸之進の顔を拭きだした。

「何にしても、負けないでよかった」

 膳場は苦笑した。

「つねさん。あんた変わらないね」

 二人は洸之進から着ているものを剥がした。

 肩や腕に所々痣があるが、身体は比較的綺麗だった。いやにペニスの白さが目についたが、今はそれどころではない。

「相手はこの子の顔ばかり殴ったんだね?」

「いや。腹もやられた。だが、腹筋が強えんだ」

 つねは左右対称に綺麗に彫琢された腹筋を眺めた。

「富田の顔だって同じくらいボコボコだ。だが腹はだんだん効いてくるからな」

「内臓は大丈夫かな?」

「そんなやわじゃねえや」

「そう。……相手の立会人は信用できるの?」

 虚偽の結果を流されたら堪らない。

「安心しなさい。あっしが保証する。大沢浩司って野郎で、元暴走族のアタマなんだが、今はすっかり足洗って堅気やってますよ。でもつっぱりの連中に人望があるんだ」

 つねはその時になってようやく、当然の疑問を抱いた。さっきは動転していて思い至らなかったのだ。

「洋平さん。前からこの子を知ってるの?」

「はい」

「どうして?」

「それについちゃ、おいおい話しますよ」

 さて――と膳場は腰をあげた。

「あたしはぼちぼちお邪魔します。坊っちゃんなら大丈夫。これくらい屁でもねえや。心配なら医者に診せてもいいけど、まあ医者をただで儲けさすだけでしょうよ」

 つねは膳場を送りに外へ出た。

「洋平さん。ありがとう」

「うむ。お大事に。……清二さんは帰ってきなさるか?」

「帰って来るもんですか! もう一月も顔見てませんよ」

「そうですかい……」

 膳場はつねを見遣った。

「何かあたしに出来ることありますかい?」

 つねは首を振った。

「ありがと、洋平さん。でもあたしはサバサバしてるのよ。いない方が快適なの。本当よ?」

 実際つねは洸之進との仲を清二に邪魔されたくなかった。

「そうですかい……。何か必要なら遠慮なく言って下さいよ」

「ありがとう」

 膳場は軽く頭を下げた。つねも同じようにした。

 膳場の後姿はすぐに闇に飲み込まれていった。


 怪我人の部屋に戻ると、洸之進は下半身を剥き出しに大の字になって寝ていた。

 形のよい陰茎がすらりとまっすぐ臍を向いて、下腹にそって寝そべっていた。洸之進のは普段でもかなりの長さがあるが、勃起してもあまり長さが変わらないという特徴がある。つねは勃起を疑ったが、こんな怪我の後、まさかそれはあるまいと考え直した。

 上掛けを体に掛けてやろうとして、洸之進が何か呟いたことに気が付いた。

「何?」

 つねは洸之進の口に耳を寄せた。

 途端、

 首ねっこを押さえられ、耳の中に湿った熱いものが挿し込まれた。

 舌だった。

 反射的に、上体を起こそうと下半身に力が入った。その隙を逃さず、つい開いた腿の間からスカートに手が侵入した。指があっさりと下着の股を潜って、内部に挿入されていた。手の動きと指の動きにタイム差はない。おそるべき練達だ。

「あ、ん!」

 思わず叫んでいた。

 すると後方へ突き飛ばされた。しかし尻餅をつく前に、今日の闘いで傷付いたはずの両腕に力強く抱き止められていた。

 仰向けになったつねが気付いた時には、既に洸之進自身が彼女の中に没入していた。

 いきなり激しい突き上げが始まった。怪我人とは思えないパワーだ。

「あぅ……あぅ……あうう……」

 洸之進の〝手品〟には慣れている。最初の驚愕を抜けたつねは、すぐに応戦体勢に入った。

 素っ裸のうら若い男と着衣の五十女は、欲望をたぎらせ、互いを貪りあった。

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