第16話

 一対三の闘いは続いていた。洸之進はけして相手に決定的なダメージを与えない。相手の攻撃をかわし、転がすだけだから、相手の鋭気が衰えないのだ。いや、むしろ頭に血が上り、より凶暴になっていた。

 洸之進も流石に息があがってきた。いなし続けるには限界がある。とうとう倒した相手の鳩尾を撃った。これで相手は二人になった。

「あんた、どうするね?」

 つねはサキを睨みつけた。

「その暑っ苦しい頭、丸刈りにしてやろうか!?」

 サキは唇を震わせた。未成年の仲間達へのつねの仕打ちを見て、恐怖にかられたようだ。

 つねが足を踏み出しただけで、

「ギャアア!」

 大声で叫び、パニックになった。

 パニックに陥った女は、男から見ると剣呑だ。極道の中には、まるで虫けらのように女を扱う者がいるが、普通の男はとてもそんなことはできない。殴り付けるわけにもいかず、扱いあぐねているうちに、ひっかかれたり、噛まれたり、痛い目をみるはめになるのだ。

 しかし相手が女だとそうはならない。いざとなれば、女は女に容赦ないのだ。

 つねはつかつか近づいていった。

「いゃあああ……」

 いきなりまたサキは叫ぶと、くるりと背中を見せて、一目散に逃げていった。呆れる程の逃げ足の速さだった。

 つねが振り向くと、洸之進に若い一人が突っ掛けていくところだった。その背に隠れるようにして、リーダーが突進していた。

 リーダーが、仲間の腹に突きを撃ち込む洸之進に、仲間の体ごと体当りした。

 ふいをつかれて、洸之進の態勢が崩れた。

 仲間を突き飛ばすようにして、リーダーが拳を繰り出した。洸之進は仰け反り、それをかわしながら腕を取り、投げた。

 リーダーはそれを見越していた。その勢いのまま空中で一回転した。

 着地と同時に身体を回転させて、強烈な回し蹴りにいった。

 動きに幻惑された洸之進には、それを避ける余裕がなかった。肘でブロックした。同時に突きも繰り出していたが、態勢を崩されているぶん、突きは浅くなった。

 崩れ落ちながらリーダーは瞬間洸之進の襟首を掴んでいた。

 洸之進はリーダーに引っ張られる形で、一緒に倒れ込んだ。

 上になった洸之進が突きを見舞おうとすると、先にリーダーが頭突をかました。それを洸之進は上体を傾げてかわした。

 次の瞬間、リーダーは掴んだ砂を洸之進の目に掛けていた。

「あっ!」

 初めて洸之進が声を漏らした。

 その顔面に、リーダーの渾身のパンチが入った。

 華奢な体が後ろに吹っ飛んだ。

 そのまま動かない。

 ふらふらとリーダーが立ち上がった。

 次には猛然と飛びかかっていた。

 その瞬間、洸之進の脚が持ち上がった。

 丸まってためをつくり、飛び込んできたリーダーの体を捉えると、勢いを利用して前方へ投げ飛ばした。

 リーダーは松の幹にいやという程背中を叩きつけた。肩から落ち、そのまま動かなくなった。

 ゆっくり洸之進が起き上がった。

 鼻血が滲んでいた。瞼も切っていた。頭突きを少しはくらったらしい。血で目がよく見えないようだ。

 その目でチヂミシャツを睨んだ。

 のそっとチヂミシャツが前に出てきた。

 つねはそっと小石を拾い、握りしめた。いつでも洸之進に加勢する積りだった。

「鍛練不足だな」チヂミシャツがにやりと笑った。「日頃怠けているからだ」

「そうだね。一言もないよ」

「今ならお前を倒すのは簡単だ」

「そうとは限らないよ」

「限るさ」

「でも、お兄さんに戦う気はないよね?」

「ほぉー。それはまたどうしてそう思う?」

「さっき僕の思い通りにするって言った」

「そうは言わなかったぞ。お前の好きに考えていいと言っただけだ。考えるのは自由だからな」

「では……」

「だが、そんなお前を今やっても自慢になんねえ。俺も納得がいかねえ」

 チヂミシャツはポケットに手を突っ込んだ。

 つねははっとして、掌中の石を握りしめた。ポケットから何か武器がでてきはしないかと警戒したのだ。だが彼は戦意がないことを示したかっただけのようだ。

「日を改めてやろう。三日後はどうだ? お前ならそれだけあれば回復するだろう」

「後悔するよ?」

「言ってくれるぜ……。承知だな? 時間は今時でいいか?」

「お兄さんが仲間を連れてこないという保証は?」

「おい……」チヂミシャツは苦笑した。

「俺を信用しろ。……いいだろう。ではこうしよう。場所はお前が決めろ」

「アウェーで戦ってくれるんだね。連絡方法は?」

「駅前の喫茶店エリカは知ってるか?」

「わかる」

「そこに連絡しろ。すぐに俺に伝わる。お前もサポーターなんか連れてくんなよ」

「でも、立会人を出そう。両方から一人ずつ」

「ん? やるのは俺達だけだぞ?」

「わかってるさ」

「若いくせによく細かいことを考えつくな。わかった。OKだ。ところでお前名前は、榊何だ?」

「洸之進。コウはサンズイに光。ノはこう書く」

 洸之進は宙に字を書いた。

「シンは進む。お兄さんは?」

「富田高志。タカシは高い志だ」

 ぼつぼつ富田の仲間たちが意識を取り戻し始めていた。

 富田が一睨みした。

「手ぇ出すなよ! てめえらは敗けたんだ」

 打って変わって、ドスのきいた声だった。

「モリオ、大丈夫か?」

 富田はリーダーに肩を貸そうとした。

 いやいい、という風にモリオは手を振った。ゆっくりと立ち上がったが、もう闘う気はなさそうだった。

 傷付いた男達は力ない足どりで引き揚げていった。

「こいつらにはもう手出しさせない」

 殿りの富田が振り向いてそう言った。

「だから、おばさん、背中に石投げんでくれよ? おっかねえおばさんだな」

 言われてつねは石を捨てた。

 それを眺めて、可笑しそうに洸之進が笑った。

義母かあさん、助かった」

「いや……お前強かったんだね。必要なかったんじゃないかい?」

「いや、助かった。弱い奴三人でもきついのに、あのリーダーは強かった。あとの二人が加わってたら確実にやられていたよ」

「富田っていうのは、もっと強いんだね?」

「強い。タイマンでも負けるかもしれないな」

「お前なら勝つよ」

「……いい月夜だね!」

 急に洸之進が話題を変えた。

 つねが仰ぐと、天頂に煌々と満月が照っていた。

 自分が爽やかな気分になっているのを感じた。



     4


 左に折れると、途端に強い日射しに眩惑された。

 清二は目を細めた。

 青空の高い所に薄い雲が棚引いていた。秋は近いのだ。

 すぐに川にぶつかった。

 比較的大きな川だ。氾濫することもない穏やかな川だが、この辺りでは深い谷になっていて、水量も多い。だから時々この橋から身を投げる者がいる。彼らの選ぶポイントは決まっていた。橋の向こう端に近いところだ。その辺りでは、川は谷のそちら側に寄っている。その真下で蛇行し、淀んでいるのだ。川の手前側は緑に覆われた崖になっている。

 まさにそのポイントに人が二人いた。

 一人は中学生くらいの女の子だ。低い欄干から上体を乗り出すようにして、食い入るように下を覗き込んでいる。

 おや?

 嫌な図が頭をかすめた。

 まさかな……。だが……。

 もう一人は小学校低学年あたりの男の子だ。女の子に背を向けて地べたにしゃがみ、玩具のようなもので遊んでいる。連れの女の子のことを気に掛けることもなく、遊びに余念がない。

 侵入に車両の重量制限があり、普通車二台が徐行してすれ違える程の狭い橋だ。歩道のような気の利いたものはない。車的には、男の子の方が危なそうだった。

 清二はスピードを落とした。

 男の子は玩具を頭上に掲げて、水平に移動させ始めた。空を飛ばせている積りなのだろう。目で玩具を追い、口を丸く尖らせている。ピューとか何とか、飛行音を口で言っているのだろう。

 それを上下に激しく旋回させ始めた時、持ち替え損なって玩具が手から飛んだ。

「あっ!」

 橋の真ん中に転がった玩具を拾いに、男の子が車の前に飛び出した。

 清二はブレーキを踏み込んだ。急ブレーキにはなったが、予め注意していたので余裕があった。

「坊主、危ないぞ!」

 清二はウィンドーを下げて、首を出して言った。あまり威嚇的にならないよう、声音に気を付けた。

 自分でも驚いたのか、玩具を握って男の子は茫然と清二を眺めた。

 Tシャツに半ズボンだったが、どちらも相当着古したものだ。

 玩具は塩化ビニールのウルトラマン一族の中の誰からしかったが、表面の銀色があちこち剥げて赤い地が多くなり、顔の目鼻も曖昧になっていた。

「済みません!」

 女の子が駆け寄ってきた。

「弟か?」

「はい」

「姉ちゃんがしっかり見てなきゃ駄目だろ」

「はい。本当に済みませんでした」

 すぐに頭を下げたので、顔は髪に隠れてよく見えない。九十度に腰を折ってわびる女の子を清二はしげしげと見た。ここまで丁寧にする者も珍しい。

 ブルーの綿の半袖ブラウスに、黒の膝下10センチはあるプレーンなスカート――今時こんな野暮ったい格好の子もいたものだ。しかも何度も水をくぐったらしいブラウスは色が褪め、アームホールの縫い目とか袖口の襞に僅に元の色の名残を残しているばかりで、それがみすぼらしい。ギャバジンらしい黒のスカートは擦れ切ってテカテカだ。

 折った背中にはブラジャーの金具の形が浮き出ている そんな歳にはなっているのだ。

 上げられた顔を見て驚いた。

 美形だった。

 しかも明らかに白人の血が混じっていた。

 清二は興味を引かれた。

「待ってな」

 車を橋から出し、川沿いの道の路肩に寄せて停め、降り立った。

 やって来た清二に少女がさっと緊張した。

「中学生か?」

「いえ。この間卒業しました」

「高校生?」

「いえ」

「じゃ、働いてるの?」

「いえ……」

 少女の顔が曇った。

「働いてたんですが、事情があって辞めました。今は何もしていません」

 清二は少女の言葉の丁寧さに驚いた。と同時に、あまり人を警戒しようとしない素朴さにも。

 こいつは間違いなく純情な生娘だ――清二は内心ぞくりとした。

 この年齢の女子に男経験がないのは、ませた娘が多い今時でもそう珍しいことではない。だが、彼女達は機会さえあれば平気で純潔を捨てる。だがこの娘の場合、そういう気は0.1%もなさそうだった。

 ――それにこの体!

 清二は密かに舌舐めずりした。

 白人の血が入っているせいなのか、はち切れんばかりに胸が大きい。反対に胴が著しくくびれているせいで、余計に張り出して見える。腰も胸にまけない程たっぷりとしている。そのくせ脚はすらりと伸びて、足首はキュッと締まっていた。

 清二の無遠慮な視線に少女はほんのり顔を赤らめた。よくこうした不躾な視線を浴びるのだろう。その羞じらいぶりが、更に清二の蕩心を煽った。

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