第15話

 開け放った窓から風が通った。

 日付が代わる時刻になって気温も下がってきたようだ。心なしか秋の気配が感じられる。

 卓袱台を挟んで、立て膝した洸之進がビールを飲んでいる。アイボリーの綿パンにサッカー地のチェックの半袖シャツを裾だしにした洸之進は男に見えるが、ボーイッシュな女にも見えた。

 つねは青の落ち色のインド綿のノースリーブのワンピースで、二の腕をポリポリ掻いて、ガラスの徳利から自分の猪口に冷酒を注いだ。

 年齢が離れすぎているので、洸之進とはあまり話題がない。しかし洸之進はお喋りだ。それでつねは随分助かっている。

 それに洸之進の口を通して紡がれる世界は、つねが長年かけて理解しカテゴライズしてきた世界とは随分様相が違っていた。今更若者に合わせることはできないし、合わせる気もないが、違う視点は新鮮だった。つねのすることといえば、時々相槌を打つだけなのだが、それでも随分自分が若返った気分になれた。

 考えてみれば、自分の付き合ってきた男達は皆相当年上だったのだ。洸一郎は二回り以上年上だったし、清二にしても一回り以上離れているのだ。

 最初の男は地元のやくざの跡取りだった。事故であっけなく死んでしまったが、生きていれば 清二ぐらいだろうか。

 ――自分は付き合ってきた男達を通じて、一世代、二世代前の価値観に馴染んで生きてきたようだ……。

 洸之進は夕方つねが買ってきたさんまの身をほぐすことに熱中している。屈託のない、見ていて気持ちがいい顔だ。

 でも、本来こんな男は趣味じゃなかったのに、とつねは思う。

 つねは侠気のある男が好きだ。最初の男はもとより、洸一郎にもその気質はあった。清二にも無頼の気質はあるが、一本筋の通った気骨はない。

 それでも清二のもとに嫁いだ。それは洸一郎と切れたくなかったからだ。強要されたわけではなかったが、洸一郎の意向に添うことが、洸一郎を繋ぎ留める方法だと信じたからだ。だが一旦清二と結婚したつねに、洸一郎が手を出すことはもうなかった。

 清二は男として物足りない。だが閨事にかけては悪くはなかった。しかしそれもこのところ遠退いている。それにこれだけ連れ添ってみれば、好み云々など、とっくにもうどうでもよくなっていた。

 ところで自分は子供を二人産んだのだが――

 つねの物思いはそこで突然断ち切られた。

 玄関で訪いをいれる声がしたのだ。 

 おや……。

 つねは腰を上げた。洸之進の皿の魚は綺麗に骨だけになっていた。こういうところはきちんと躾ができているのだ。型破りな振る舞いの方は血筋かもしれない。

「どちらさんですか?」

 玄関のたたきに下りずに誰何した。

「警察です。婦女暴行の嫌疑で来ました」

 おやおや――とつねは思った。

 くすくすと笑いを噛み殺す気配もする。どうやら数人はいるようだ。

 つねは一旦上がり框を離れた。

 廊下に戻ってすぐにある窓を開いて、外を覗いた。そこからは玄関前が見えるのだ。

 綺麗な月明かりの中に、柄の悪い若者共が群れていた。

 窓が開く音に、顔が一斉にこちらを向いた。

 その中にヤンキー娘を認めた時、つねは事態を悟った。

「警察にゃ見えないね」

「おばさんがここに住んでる人?」

 先頭の男が問いかけてきた。中で一番年上のようだ。それでも二十代半ばといったところか。この男がリーダーらしく見える。他は二十歳そこそこが二人、明らかに未成年が二人。この五人がかたまっていて、その背後にヤンキー娘がいた。それに、少し離れてもう一人いた。がっしりした体つきで二十代半ばに見える。全部で七人だ。

「そうだけど?」

「榊ってのがいるかなあ?」

「榊はあたしだよ」

「おばさんじゃない。若い野郎だ」

「いないよ。さっきどっか出てった」

「家ん中見せてくんねえか?」

「やだね。警察呼ぶよ」

「なら話が早い。警察は俺達だぜ?」

 軽薄な笑いが上がった。

「無駄足だったね。ほんとに呼ぶ前に帰っとくれ」

「てめえにも用があんだよぉ!」

 ヤンキー娘が叫んだ。耳に障る声だ。

「乱暴なことはしたくねえんだよ」

 リーダーが凄んだ。

「今出てくよ」

 つねは肚を決めた。

 追い払うには警察を呼ぶのが手っとり早い。だがそうすれば、後々却って意地になられる可能性がある。元々権力嫌いなのだ。

 窓を閉じて振り向くと、そこに洸之進がいた。

 何か言おうとするのを制して、

「いいかい? 声をだしちゃいけないよ。お前は静かにしておいで。あたしに任しとき」

 洸之進は心配そうにつねを見た。

 その顔を可愛いと思った。

 情を交わした男を守ろうとする女心と、母性本能と、獏連な気分がない交ぜになっていた。

 つねはサンダルをつっかけ、ドアを開けて外へ出た。後ろ手に素早くドアを閉めた。ドアはオートロックだ。古い日本家屋だが、この辺りも最近は物騒なので、入口だけはセキュリティーのよいドアに変えてあるのだ。

 あらためて若者達を見た。

 どれもいかにもツッパリという顔付をしていた。若いだけに表情に深みがない。人は誰も年を重ねただけの経験と見識を自分なりに顔に刻んでいるものだ。

 一方で純粋だともいえた。ツッパリに純粋は変だが、ある種の一途さは判る。場違いなことだが、つねはそれを好ましくさえ思った。

 男達の方も、つねを値踏みするように見ていた。

「おい、サキ……。ちぃと話が違わねえか?」

「これが熟女か? どこが三十代だよ」

「お袋どころか、お祖母さんだぜ?」

「ご先祖様なんか姦ったら、祟られるぜ」

 口々に若い男共がぶつくさ言い始めた。どうやらサキ――それがヤンキー娘の呼び名らしい――は、仲間につねを輪姦させるつもりだったらしい。

 つねはかっと頭に血が上った。

「失礼な子達だね! 早く帰んな。子供の起きてる時間じゃないよ」

「半世紀は経ったたヴィンテージものだぜ?」

 まだ言いつのるのがいる。

「もっとだろ? 掘ったら、愛液じゃなくて、石油がでるんじゃねーか?」

「うるさいね。まだ45だよ!」

 つねは五つさばよんだ。

「45だってよ……」

 若者達が顔を見合せた。

「サキ。ばばあ姦った後、口直しさせてくれんだろな?」

「誰がばばあだ?」つねは抗議した。

「しょーがねえな!」サキが頬を歪めた。

「ばばあは後だ!」

 リーダーが年下の仲間達を叱りつけた。

「まず野郎をやる。家ん中だろ? 婆さん、ドア開けな!」

「いないって言ったろ? それにオートロックだよ。うっかり鍵持たずに出てきちゃったよ」

「やれやれ。ばばあに頼って、こそこそ隠れてやがんのか! 情けねえ野郎だ。やっぱばばあ姦るしかねえな。それでも出てこなきゃ、男じゃねえよな。ああ!?」

 リーダーは聞こえよがしに大声をあげた。

「リュウ、ワタル。おめえらで姦れ!」

 リーダーが指名したのはティーンエイジャーの二人らしい。互いに顔を見合せた。怖じ気づいた色があった。

 無理もなかった。つねは彼等の母親の年令なのだ。ティーンエイジャーにとっては、五歳の差でも五万光年もの隔たりに感じられる。母親の世代の女などは、生物学的には女であっても、感覚的には女ではない。宇宙人の雌か、旧石器時代の石で造られたヴィーナスのようなものだ。

「おめえらの年なら、穴がありゃ誰でもいいだろ。はやく姦れや!」

 たいして年の変わらない二十歳そこそこの男が、ニヤニヤしながらけしかけた。

 仕方なさそうに二人は前に踏み出した。

 その時脇の方から声がした。

「僕を探してるの?」

 建物の蔭から洸之進が現れた。

「お前!」

 つねは嘆息した。折角隠し通してやろうと思ったのに、勝手口から出てきたのだろう。

「やっと出てきたな」

 リーダーがニヤリとした。凶悪な顔付きになっていた。元々喧嘩が好きなのだろう。若いので肌の色艶がよく、皺もない。そのアンバランスが危険だった。

「何の用?」

 洸之進はのんびりした声音を出した。

「分かんねえのか? じゃ、何の用だったか一生忘れねえようにしてやる」

 洸之進は小首を傾げた。

「障子の弁償に来たの? だったらすぐ払えば忘れてあげるよ。根にもたない方なんだ」

「てめ、この!」

 洸之進は順に若者達を眺めた。その目が、間合いをつめてきた人垣の外で止まった。

「あんたも仲間なの、お兄さん?」

「俺か――」

 一人離れていた男も洸之進を観察していた。ベージュの襟なしのチヂミの半袖シャツに褪めた青のプレスのないダボパンツをはいていた。ベルトがなく、紐でウエストを絞るようだ。

「お前の好きに思っていいぜ?」

 チヂミシャツはにやりと笑った。

「ふうん……」

 振り返って、不興げにチヂミシャツを睨んだリーダーが、洸之進に目を据えた。

「やれ!」

 待っていたように、両脇の男達が洸之進に飛びかかった。同時につねもティーンエイジャーの一人に抱きつかれていた。

 反射的につねは相手の股ぐらを握り潰していた。

 相手は痛みに声も出なかった。酸欠の小魚のように口をパクパクさせて、悶絶した。

「ば、ばばあ!」

 慌てた片割れがつねに襲いかかろうとしたその時――

「ぐうっ……」

「うおっ!」

 籠った短い呻きがあがって、洸之進の足元に二人の男達が転がっていた。

 リーダーが瞠目した。つねに襲いかかろうとした男もそちらに気を取られた。

 つねも驚いた。一体何が起こったのだろう?

 さすがにリーダーは素早く立ち直った。迅速に動いた。

 洸之進の顔面に拳を突き入れた。

 空をきった。

 今度は体を捻って、洸之進の後頭部に回し蹴りを入れた。

 外れた。

 まるで見当違いな攻めに見えた。全く距離感が掴めていないようだ。目が悪いのではないか? それとも酔ってるのか?

 すると、洸之進の体がわずかに動いた。

 次の瞬間、何故かリーダーはもんどり打って背から地面に転がっていた。

 漸くつねにも分かった。洸之進の動きが早すぎて、相手が一人相撲をとっているように見えるのだ。何という武術なのか知らないが、義理の息子はかなりの達人なのではないか。

 いつも自分が手もなく床に倒されるわけにやっと合点がいった。

 その時には最初に倒された男達は起き上がっていた。

「野郎!」

 意識して二人同時に襲いかかっていく。喧嘩慣れしていた。

 だがわずかに遅速の差があった。洸之進はそれを見極めていた。

 すぐに一人はたたらを踏んで足を縺れさせ、地に顔から突っ伏し、もう一人はもんどりうって地面に叩き付けられていた。どうやったのか、今度もつねは分からなかった。

 間髪入れずリーダーが洸之進の背後を襲った。

 だが洸之進の丸めた背に乗せられ、くるりと回転して地面に叩きつけられていた。

 つねの傍らの若者は呆気にとられていたが、漸く我に返った。つねを放って加勢に加わろうと 猛然と踏み出すところを、つねが足を払った。

「うわぁ!」

 反射的に出した両手も虚しく顔から地に突っ込み、潰れたところに、つねが躍りかかり、尻から男の背中にどすんと落ちた。見るからに俊敏そうな男だが、まだ出来上がっていない体は細く、体重差のハンデは如何ともしがたかった。

「うわっ!」

 必死でつねを払い落とし、四つん這いで逃れようとする無防備な股間に、つねが思い切りアッパーをかませた。

「んむぅー!」

 若者は白眼を剥いて、蛯のように悶えた。

 つねはチヂミシャツの様子を窺った。腕組みして突っ立ったままだ。何を考えているのだろう?

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